学位論文要旨



No 215805
著者(漢字) 川崎,寧史
著者(英字)
著者(カナ) カワサキ,ヤスシ
標題(和) 画像処理を利用した都市の展望景観の遠近に関する研究
標題(洋)
報告番号 215805
報告番号 乙15805
学位授与日 2003.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15805号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠原,修
 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 教授 安岡,善文
 東京大学 講師 中井,祐
 京都大学 教授 宮崎,興二
内容要旨 要旨を表示する

近年の大規模建築や都市の設計においては、調和のとれた都市景観の創成がひとつの大きなテーマとなっている。そのためには、建築や自然を含む都市景観に対する定量的な評価や予測を行うとともに、必要に応じてその結果を視覚化できることが重要な問題となる。この中でも特に湿度が高い日本の環境では、大気による見え方の影響をできるだけ正確にとらえていく必要があるが、このような大気遠近の諸効果を定量的に把握するには困難な問題も多く、これに対する研究は建設系の計画分野においては未だ少ない。以上の理由から、本研究では都市の展望景観を対象とし、景観画像や人間の視知覚に基づいて、大気遠近による見え方の変化を計量的に把握し、その結果を再現描写する研究を試みた。具体的には大気遠近による色彩変化やぼやけ(霞み効果)・テクスチャの一様化について、画像分析や視覚測度を利用してこれらを計量的に把握し推計する方法や、算出した推計値の妥当性について分析している。またそこで得られた推計値を画像処理の操作変数と関連づけて、フィルタ処理を利用した独自の大気遠近効果の再現描写法について研究した。

本研究の構成を章立ての流れにそって説明する。まず「第1章 大気遠近効果の考察と描写法」では、研究の前提や位置づけを行うとともに、画像処理を利用した大気遠近効果の描写法の考え方について考察している。次の第2章から第4章までは大気遠近の諸効果に対する推計について考察し、第5章ではこれらの推計値を利用した大気遠近効果の再現描写法について提案している。具体的には、「第2章 山並み景観写真による色彩遠近の推計」では、気象学で用いられているKoschmiederの視程式を利用して、景観写真における山並み景観の色彩変化に対する分析を行い、視程式の入力変数の決定とこれによって算出した推計値の妥当性について考察した。ここでは移動視点と固定視点から撮影した山並みの景観写真を対象として、視距離にともなう色要素(赤(R)・緑(G)・青(B))の変化を測定するとともに、景観写真に基づいて視程式の入力変数の決定を行い、これにより算出される推計値と測定値の比較を行った。「第3章 視覚測度による消失遠近の推計」では、明暗縞のコントラストと縞幅の変化に対する人間の識別感度(空間周波数コントラスト感度、空間CSF)を霞み効果の視覚測度として考え、視距離に対して識別可能な縞模様の密度とコントラスト変化を計量的に予測する霞み効果の推計方法について考察した。具体的にはKoschmiederの視程式と空間周波数コントラスト感度曲線を相互に関連づけて、視距離を変数とした遮断周波数変化の推計式を導出した。さらに視認テストの測定値と推計値を比較し、推計方法の妥当性について考察した。「第4章 建築ファサード写真のテクスチャ解析」では、テクスチャの変化が与える独自の遠近感に着目し、視距離の増大にともない建築ファサード写真のテクスチャが次第に一様になっていくぼやけの現象について考察した。ここでは画像処理の分野で利用されているテクスチャ解析を応用し、視距離に応じた建築ファサード画像のテクスチャ特徴量の算出を行い、テクスチャの変化を画像濃度分布の統計量として計量化した。「第5章 画像処理による大気遠近効果の描写」では、フィルタ処理による色彩変化と霞み効果の描写法について考察した。ここではまず視距離に応じた色彩変化の推計値に基づいて、背景色と景観対象との色合成を施す色彩遠近フィルタを利用した描写方法を提案した。次に視距離に応じた遮断周波数による霞み効果の推計値に基づいて、景観画像に対して高周波数除去を施す消失遠近フィルタ(Lowパスフィルタ)を利用した描写方法を提案した。

以上の研究を通じて得られた結果と結論を述べる。本研究の成果を整理すると、「景観写真や視知覚に基づいた大気遠近の諸効果に対する計量的な把握」と、この成果を景観描写に応用した「フィルタ処理を利用した大気遠近効果の描写法」に大別できる。前者の「景観写真や視知覚に基づいた大気遠近の諸効果に対する計量的な把握」については、まず色彩遠近の推計に対してKoschmiederの視程式の係数算定を行っている。この際、画像化した景観写真から景観対象の物体色および背景の空色のデータの採取を行うとともに、地方気象台の観測する視程距離を調べて消散係数の算出を行った。このようにして得られた各距離ごとの色彩変化の推計値は、移動視点の場合と固定視点の場合のいずれの分析においても、景観画像から得られる色彩変化の測定値と高い相関関係を示すことが確認できた。次に霞み効果の推計では、Koschmiederの視程式から導いた物体と背景のコントラストを、空間CSFにおける明暗縞のコントラストと等価と見なし、視距離に応じた空間CSFの遮断周波数の変化を推計する式の導出を試みた。この結果、定数項の異なる二種類の推計式が得られた。この二式から得られた推計値と視認テストの測定値をそれぞれ比較し、統計的分析から推計式の適合性を確認した。さらに識別尺度の既往研究に対して霞み効果の推計式を用い、既往の研究結果に対する検証を試みた。その結果、すでに定説とされている建築や景観構成要素の視認距離が、本研究の理論的な推計方法により説明できることを確認した。この成果は、従来では経験値として確認されていた景観要素の視認距離に対して、大気遠近を考慮した予測や算定を可能とし、識別尺度のテーマを一歩進めるものになり得たと考える。最後に建築ファサード写真のテクスチャ解析では、視距離を違えた同一の建築ファサード画像に対して、同時濃度生起行列に基づく四つのテクスチャ特徴量(一様性・エントロピー・相関・コントラスト)を算出し、視距離に応じてこれらの値がどうのように変化していくか分析した。その結果、四つのテクスチャ特徴量はいずれも非線形的な変化の傾向を示し、晴天時では視距離が約1500mまでで急激に変化し、それ以上では漸近的に一定値に近づいていくことが分かった。さらに統計的な分析を行い、これらの変化がいずれも指数曲線に近似できることが確認できた。以上のような大気遠近効果の推計値は、さまざまな景観評価において重要な基礎的情報になり得るとともに、景観の再現描写における描写精度の問題にも有益な情報となる。例えば本研究で行ったフィルタ処理による景観描写のみならず、コンピュータグラフィックスにおける3次元形状のモデル精度やテクスチャの画像精度などを判定する指標としても有効に利用できると考えられる。

次に、もう一つの成果である「フィルタ処理を利用した大気遠近効果の描写法」については、大気遠近による色彩変化と霞み効果の推計値に基づき、距離に準じた各景域に対する景観画像の分割投影・大気遠近フィルタの操作変数の算出・フィルタ処理の実施・景観画像の再構成、といったプロセスからなる景観描写法の具体的な操作手順を明らかにした。色彩遠近フィルタでは、各距離帯の景観画像のRGBのチャンネル分解・統合および背景画像との色合成を行ったが、この場合の色合成の割合は各距離帯での色彩変化の推計値と背景色の割合値として算出している。またLowパスフィルタによる高周波数除去のフィルタ処理では、遮断周波数値を画像精度(pixel 数)に変換し、これをLowパスフィルタの操作変数と関連づける方法について検討した。具体的には景観画像の投影条件の中で、遮断周波数を変数とする条件設定について検討し、各距離ごとでぼやかす画像精度をpixel 値として算出した。次に独自に考察した空間周波数チャートを作成し、ぼやかす画像精度の算定値とLowパスフィルタの操作変数との対応関係を調べた。これらに基づいて視距離に応じた霞み効果の描写法を提案した。最後に、フィルタ処理に代表される画像処理の関数は線形システムに相当しているため、色彩変化と霞み効果のフィルタ処理を重ね合わせてより現実感のある大気遠近効果を描写することが可能となった。そこで、ケーススタディでは山並みを背景とした都市景観画像に対して色彩遠近と消失遠近のフィルタ処理を順次行い、色彩変化と霞み効果を同時に再現する大気遠近効果の景観描写を実施した。以上のような描写法の提案により、大気遠近を含む景観描写においては人間の主観的な操作が多いという現状に対して、環境条件や観察条件に忠実な再現描写のプロセスを明確にすることができた。

以上の二つの成果を総合的に利用することにより、本研究が当初より目的としてきた大気遠近効果の推計と、これを応用した再現描写がより効果的に行えるようになった。この成果は景観評価や誘導といった計画実務に加え、景観工学や景観描写などの関連研究分野に充分役立てることができると確信する。

審査要旨 要旨を表示する

近年の大規模建築や都市の設計においては、調和のとれた都市景観の創生が大きなテーマとなっている。特に湿度が高い日本の自然環境においては、大気遠近が都市景観に与える影響は大きく、これに対する定量的な評価や予測は不可欠である。さらにその結果を正確に視覚化することも重要な課題となる。しかしこれらに対する研究は、未だ視認テスト等による経験的な調査分析の域を出ていない。そこで本論文は、都市の展望景観を対象とし、景観画像や人間の視知覚に基づいて、大気遠近による見え方の変化を計量的に分析し、さらにその結果を忠実に再現描写する方法を明らかにしている。ここでは大気遠近の諸効果として色彩変化やぼやけ(霞み効果)・テクスチャの一様化について、画像分析手法や視覚測度を利用してこれらを計量化し、推計する方法について論考している。またそこで得られた推計値を画像処理の操作変数と関連づけ、フィルタ処理を利用した独自の大気遠近効果の再現描写法を提案している。第一章では、上記の内容を論文の背景や位置づけとして述べている。

つづく第二章から第四章までは視距離にともなう大気遠近の諸効果の計量化について個別に論考している。第二章では、気象学で用いられているKoschmiederの視程式を利用して、景観写真における山並み景観の色要素別(赤(R)・緑(G)・青(B))の色彩変化に対する分析を行っている。ここでは画像化した景観写真から色要素の初期値と背景色を決定するとともに、消散係数の算出を行って視程式の入力変数を決定している。そしてこの式を利用した色彩変化の推計値は、移動視点と固定視点のいずれの場合による景観画像の分析においても、景観画像からの測定値と高い相関関係を示すことを検証している。この研究では、景観写真における距離と色彩変化の関係について、Koschmiederの視程式を実用的に利用し、視程距離や背景色等の環境条件を変数として丁寧に捉えた点が高く評価できる。

第三章では、明暗縞のコントラストと縞幅の変化に対する人間の識別感度(空間周波数コントラスト感度、以下空間CSF)をぼやけの霞み効果の視覚測度として捉え、視距離に対して識別可能な空間CSFを計量的に予測する霞み効果の推計方法を考察している。ここではKoschmiederの視程式と空間周波数コントラスト感度曲線を相互に関連づけて、距離を変数とした空間CSF変化の推計式を新しく導出している。さらに独自に実施した視認テストの測定値と推計値を比較し、推計式の妥当性について検証している。特に、ぼやけの計量化手法として空間CSFを距離の関数として導き出そうとする発想は極めて独創性が高く、従来の関連研究内容の域を超えた成果と評価できる。

さらに研究を進め、識別尺度の既往研究に対して本章の推計式を応用し、既往の研究成果に対する検証を試みている。その結果、すでに定説とされている建築や景観構成要素の識別距離について、本研究の理論的な推計方法により矛盾なく説明できることを確認している。この成果は、従来では経験値として調査分析されていた景観要素の識別距離に対して、大気遠近を考慮した算定を可能としており、識別尺度の研究内容を一歩進めるものになり得たと判断できる。

第四章では、テクスチャの変化が与える独自の遠近感に着目し、視距離に応じて建築ファサード写真のテクスチャが次第に一様になっていくぼやけの現象について考察している。ここでは視距離の異なる同一の建築ファサード画像に対して、同時濃度生起行列に基づく四つのテクスチャ特徴量(一様性・エントロピー・相関・コントラスト)を算出し、距離に応じた各特徴量の変化を分析している。その結果、四つのテクスチャ特徴量はいずれも非線形的な変化の傾向を示し、一定距離まではその値が急激に変化し、それ以上では漸近的に一定値に近づいていく性質を明らかにした。さらにこれらの変化がいずれも指数曲線に近似できることを検証している。ここでは画像処理のテクスチャ解析手法を応用し、景観画像のテクスチャ変化を距離の関数として分析しようとしている点に独創性が認められる。また視認テスト等で視覚刺激として利用される景観画像自身のぼやけの性質を明らかにした点も評価できる。

第五章では、第二章と第三章で得た色彩変化と霞み効果の推計値をフィルタ処理の変数と関連づけ、画像処理を利用した大気遠近効果の描写を試行している。ここではまず、距離に準じた景観画像の分割投影・大気遠近フィルタの操作変数の算出・フィルタ処理の実施・景観画像の再構成、といったプロセスからなる景観描写法の具体的な操作手順を明らかにしている。そして色彩遠近のフィルタ処理では、各距離帯の景観画像のRGBのチャンネル分解・統合および背景画像との色合成を行っているが、この場合の色合成の割合は色彩変化の推計値に基づいて算出している。また霞み効果のフィルタ処理では、Lowパスフィルタによる高周波数除去のフィルタ処理操作を応用しているが、ここでは空間周波数値を画像精度(pixel 数)に変換し、これをLowパスフィルタの操作変数と関連づけるといった独自性のある方法を提案している。以上のフィルタ処理の操作は、前章までの大気遠近の諸効果の推計値を変数として無理なく取り込んでおり、本論文の目的に合致した描写手法が提案できていると判断する。

またフィルタ処理に代表される画像処理の関数は線形システムに相当しているため、色彩変化と霞み効果のフィルタ処理の結果を重ね合わせて、より現実感のある大気遠近効果を描写することも可能としている。そして現実的な環境条件を想定したケーススタディの景観描写を作成してこれを実証している。以上の研究成果は、大気遠近の景観描写は人間の主観的な操作が中心になるという指摘の中で、環境条件や観察条件にできるかぎり忠実な再現描写のプロセスを明確にしたと高く評価できる。

以上概観したように,本論文の最も評価すべき点は,従来では予測困難とされていた大気遠近の諸効果を計量的に把握したという景観工学研究としての成果と、この成果を具体的な景観描写に応用した点にある。特に空間CSFといった視覚測度に対して距離を変数とした関数化を試み、既往の識別尺度の研究成果を理論的なアプローチで検証したことや、大気遠近の推計値をフィルタ処理の変数とする独自性のある描写手法を提案したことは、従来の研究内容を大きく深める成果と結論付けることができる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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