学位論文要旨



No 215809
著者(漢字) 濱野,保樹
著者(英字)
著者(カナ) ハマノ,ヤスキ
標題(和) コンテント制作のロジスティックスに関する研究
標題(洋)
報告番号 215809
報告番号 乙15809
学位授与日 2003.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15809号
研究科 工学系研究科
専攻 電気工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 原島,博
 東京大学 教授 安田,浩
 東京大学 教授 坂内,正夫
 東京大学 教授 河口,洋一郎
 東京大学 助教授 武邑,光裕
 東京大学 助教授 水越,伸
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景と目的

コンテント制作研究は数が少ないだけでなく、専門家による制作に限定されていた。デジタル技術によって、制作技術は万人に開放されつつある。そのためコンテント制作の研究対象も、それを職業とする人の制作から開放されなくてはならない。本研究は以下の各研究を実施することによって、コンテント制作を行おうとする誰もが最適なロジスティックスを得られるための研究開発を行う。

形成的評価の研究:コンテント制作研究の唯一の系譜であった教授設計(instructional design)モデルによるコンテント制作の妥当性を検証する。

基礎データの研究:コンテント制作に関する基本的な統計データを整備する。

デジタル化の研究:コンテント制作へのデジタル化の影響を明らかにする。

制作工程管理ソフトウェアの開発研究:個人制作にも利用できるコンテント制作支援ソフトウェアを開発する。

ポストプロダクション工程管理ソフトウェアの開発研究:ポストプロダクション工程管理ソフトウェアの研究開発を行う。

形成的評価の研究

教育工学の教授設計モデルによるコンテント制作は、学術研究としてコンテントの制作システムを提唱した唯一のものであったが、その妥当性を検証するために以下の研究目的を設定した。

教授設計モデルを教育テレビ番組制作に適応し、妥当性を検証する。

コンテント制作の中でも特に映像制作を取り上げ、コンテント制作の変数を統制して、その効果を特定し、その結果から有効なコンテント制作の手法を導き出す。

幼児番組の研究

NHKの幼児番組改善のために結成された2歳児テレビ番組研究会に参加し、既に抽出していた教育テレビ番組の制作変数を統制した実験番組を制作し、CTWが開発した形成的評価(formative evaluation)手法を用い、視聴者である幼児に与える効果を測定し、その結果から幼児番組制作手法の定式化をはかろうとした。しかし、番組制作者には創作活動に踏み込み研究に抵抗があることが判明し、研究を中止した。

高等教育番組の研究

放送教育開発センターで放送大学開学の準備のために行った研究の一環として、高等教育放送番組の開発方法に研究を実施した。イギリスの公開大学(Open University)が、教育工学の教授設計(instructional design)モデルを元に考案したコース・テームの手法を、わが国に適応させようとした。国立大学が実施していた放送による大学公開講座のいくつかの番組開発でコース・テームの手法が採択されたが、放送教育開発センターで自主的に行う実験番組制作において、番組制作関係者が採択に抵抗があった。

基礎データの研究

形成的評価の研究結果から、コンテント制作そのものではなく、制作を間接的に規定している環境の研究を行った。特に、未整備だったコンテント制作の基礎データの収集を行い、データが存在しない場合には試算を行った。

産業規模

試算したところ、世界市場の総計は8241億ドルで100兆円を突破している。アメリカは3445億ドルで50兆円に迫ろうという額である。わが国は12兆5246億円で、世界市場の1割強にあたり、アメリカのほぼ4分に1ということになる。

雇用規模

総務省統計局統計センターの調査データの内、「サービス基本調査」はコンテント産業を含んでいるものの、職種の分類が大まかで、かつ古いため、コンテント産業に関係するものだけの抽出を試みたが、雇用規模を算出するには至らなかった。

制作費

アメリカ映画の制作費は人件費が大きな割合を占める。ハリウッド映画制作では、分業型制作手法で細分化され明示された仕事に人員を割り当て、ユニオンが決めた最低賃金を積算すれば、人件費が算出できる。わが国の人件費の算出根拠を得るために、2001年9月すべての映像関係職能別団体に郵送によるアンケート調査を行い、最低賃金を定めている場合には、その資料の提出をもとめた。最低賃金を定めていたのは協同組合日本シナリオ作家協会だけであった。

作業を明確に仕分けせず、誰もができる仕事は行うという、いわば「融業型」をとっている日本の制作手法では、作業分析を元に人件費を算出することはできなかった。

企業からも制作費の資料を入手したが、予算書の多くが、ハリウッドのように人件費として計上されておらず、作業費目として記載されているため、制作費が人件費の積算ではなく、作業単位で決定されることが確認できた。

コンテントの価格と支出

映画の入場料比較から、大きな内外価格差があり、日本が世界で最も高い価格であることが判明した。わが国では情報機器や通信料などの支出は1990年代中期から増加傾向が見られるものの、コンテント支出は料金が定期的に差し引かれる従来型コンテントによって大半は占有されている。

デジタル化の研究

形成的評価の研究で、創作活動に直接踏み込むような研究が制作担当者から抵抗にあったが、それは装置産業化した制作体制そのものに一因があると考えられる。そのため、制作のダウンサイジングを可能とするデジタル技術の影響について研究することにした。

デジタル・コンテントを制作し、制作手法と表現手法において、どのような変化が起こるかを明らかにする。

デジタル・シネマを例にとり、特定の表現形式の全過程がデジタル化していく経緯について調査把研究を行う。

マルチメディアコンテントの研究開発

映像制作は高価な機材や施設を必要としていたが、1980年代中頃からパーソナル・コンピュータで映像処理が可能になり、リニアな映像にランダムアクセス可能な技術であるハイパーメディアが登場した。アメリカのマルチメディア教材『Donald in Math Magicland』や『The Voyager of the Mimi』を参考にして、わが国初のマルチメディア教材『文京文学館』を1989年に開発した。

デジタル・シネマの研究

コンテント制作のデジタル化の一例として、は、制作、流通、公開の全過程でデジタル化がなされているデジタル・シネマに関する包括的研究を行った。

世界初の商用デジタル上映館である「T・ジョイ東広島」の観客の意識調査と、マネージャーへのインタビューを2002年8月に行い、比較のために「T・ジョイ大泉」で同様の調査を実施した。観客はデジタル上映に触れる回数が多くなるほど、デジタル上映に好意的になることや、観客はデジタル上映に触れるほど、フィルムよりもデジタル上映を選択するようになることが明らかになった。

デジタル・シネマは、日本映画の制作、流通、公開のすべての面を、国産技術によって活性化する可能性が高い。さらには映画にかかわる費用の低減を招来し、すべての過程を作家の統制下に置くことをデジタル・シネマは可能にする。

制作工程管理ソフトウェアの開発研究

ハリウッド映画の制作のロジスティックスの特性を明らかにし、日本の映画制作のロジスティックスを特定する。日本の映画制作現場の実情に合った制作工程管理ソフトウェア EizoWorks の基本設計を行なう。

ハリウッド・モデル

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ハリウッドでは、MovieMagic を代表とする工程管理ソフトウェアは存在したが、これらは、分業型制作を前提として開発されたものである。ハリウッド・モデルとも言うべき制作手法は、(1)制作の作業分析を綿密に行い、(2)作業を小さな単位に分割し、(3)作業単位毎に人材を配置する。

ハリウッド・モデル以下の利点がある。(1)作業工程の明示化、(2)スケジュールと予算の把握、(3)属人的領域の縮小、(4)人材育成の高度化。一方で以下のような欠点もある。(1)人員の増加、(2)費用の増加、(3)管理機能の拡大、(4)人員の関与の低下、(5)制作の硬直化、(6)作品の類型化、(7)職種間移動の抑制。

映像表現を個人表現に引き寄せ、表現の多様性を担保すするためには、融業型工程管理ソフトウェアが不可欠である。

基本設計の原則

コンピュータを導入できる部分はできるだけ大きくしておく。(2)融業型日本映画制作の手法を維持する。(3)制作での試行錯誤を許容できるものとする(4)できるだけ既存の定型スタイルを継承する。(5)すべての人が情報を共有できるようにする。(6)小口投資や完成保障で使えるものとする。(7)アクセスの権限を設定できるようにする。(8)モバイル端末など既に普及している情報機器を利用する。(9)将来、自動翻訳機と連動させ、各国の定型フォーマットに自動変換できるようにする。(10)このソフトウェアの利用方法の習得で、映画制作のロジスティックスを理解できるようにする。

EizoWorks の構造

EizoWorks の基本構造は図5-1の通りである。

検証と評価

制作に関する全データが入手できた3本の映画で、EizoWorks の稼働性についてシミュレーションを行ったところ、稼働性が確認された。石井聰亙監督のTV映画『私立探偵濱マイク』が EizoWorks を使って制作された。EizoWorks は2003年2月、第8回総務省AMD(社団法人デジタルメディア協会)アワードの The Best Producer 賞を受賞し、東京工芸大学の授業に使用されることが決定した。EizoWorks へ要望で最も多かったのは、ポストプロダクション部分を追加してほしいというものだった。6. ポストプロダクション工程讐理ソフトウェアの研究開発

ポストプロダクション工程管理ソフトウェアの研究開発

VFXによって映像制作が変質していることを明確にし、日本の制作現場の実情に即したVFX制作工程管理ソフトウェアV-TOOLsの開発を行った。

ハリウッドでもVFXの工程管理ソフトウェアが存在しないことが分かったため、VFXの作業フローを専門家へのインタビューやスタジオ視察を通じて明確化し、V-TOOLsの基本設計を行った。

2003年3月に完成し、2003年6月現在、古賀信明氏に試用してもらい、実用性の検証を行っているところである。

結論と考察

教授設計モデルによるコンテント制作システムには問題があることがわかった。ーつは、創作活動のやり方を変えさせなければならない制作にかかわる研究に対して、制作者の抵抗があること。もうーつは、視聴者の反応を元にしたコンテント改善の試みは、コンテントの修正に止まるとともに、コンテント内容や表現手法の定型化を招くということ。

創作活動に直接踏み込むような研究は制作担当者からの理解を得られなかったが、それはコンテント制作を行っている組織が装置産業化していて、規定の制作体制を変更するには多額の費用を要するために起こったのではなかと考えられる。マルチメディア作品「文京文学館」の開発によって、コンテント制作のデジタル化が制作のダウンサイジングを可能にしていることが明らかになり、これまで装置産業化していた映像制作が個人による表現手法としても成立しうるようになっていることを示すことができた。

データが未整備なコンテント産業の中でも歴史の長い映画産業は、関連団体が多数存在することもあって、他のコンテント産業に比較するとデータが整備されていることが明確になり、エンターテイメントを代表する表現である映画をコンテントそして選び、制作の改善を行うことにした。他にも人材育成などやるべきことは多いが、膨大な費用と巨大な組織的な努力が必要な上に、成果が表れるまでに長い時間が必要である。こういった長期的な努力と平行して即効性がある試みも、わが国の優位性を保つ上で必要である。これまでの研究から、即効性があり、波及効果が期待できるものとして、既存のロジスティックスを変えることがない工程管理ソフトウェアが有望であり、研究結果が活かされ、また制作者に受け入れられる唯一の選択であるという結論に達した。さらに工程管理ソフトウェアに蓄積されるデータは、将来ロジスティックス研究の貴重なデータとなるというメリットも重要である。

工程管理ソフトウェアの開発にあたっては、人員や費用の増大や、表現の定型化など、弊害が大きいハリウッド型制作手法よりも、わが国の融業型制作手法が、制作工程の不透明さという問題を工程管理ソフトウェアで改善できれば、人員や費用の低減、それに伴う表現の自由度や多様性の向上などの長所を持ち、個人表現のロジスティックスとしては優れていると判断した。

ハリウッドの分業型コンテント制作手法ではなく、わが国の融業型コンテント制作手法に適合する工程管理ソフトウェアを開発し、開発したソフトウェアが制作現場で使用できることを確認し、さらに世界初のVFX工程管理ソフトウェアを完成させた。

ユンテント制作そのものではなく、制作を間接的に規定している環境の研究を行った。未整備だったコンテント制作の基礎データの収集を行い、世界のコンテント市場規模を試算し、アメリカのコンテント産業の高い競争力や、わが国のコンテントが世界市場の1割強を占めていることを定量的に示すことができた。

コンテント制作のロジスティックスのデファクト・スタンダードとなりつつあるハリウッド・モデルは、すべての人を表現者たらしめるものではないことだけは間違いない。たとえ優れた作品を作ることを保証できるモデルであったとしても、巨額な制作費を前提とするものを後追いすること最善の方法ではない。「すべての人を表現者たらしめる」モデルとしては、わが国の制作手法はーつの解であると考えられる。

EizoWorksの概念図

VFX制作フロー

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「コンテント制作のロジスティックスに関する研究」と題し、映画、放送番組、アニメ、ゲーム、ビデオなどのコンテント制作を研究対象として、その現状に関して幅広い調査研究をおこなうとともに、情報技術の進歩を背景とするデジタル化が今後のコンテント制作に多大な影響を与えることを指摘して、その基盤となるコンテント制作の工程管理ソフトウェアを開発した結果をまとめたものである。論文全体は7章から構成されている。

第1章は、「研究の背景と目的」と題して、論文の主題であるコンテント制作研究の歴史をたどることによって、その研究の立ち後れを明らかにしている。またこれまで専門家に限定されていたコンテント制作が、デジタル化の時代には万人に開放されなければならないこと述べて、コンテント制作のロジスティックスを明らかにすることを目的とする本研究の位置づけを行っている。

第2章は、「形成的評価の研究」と題して、研究の初期の段階においてコンテント制作研究の唯一の系譜であった教育工学の教授設計モデルについて、その妥当性を検証した結果をまとめている。すなわち、授業の組み立てや教材制作のために開発された教授設計モデルを教育テレビ番組制作に適応して、そこから有効なコンテント制作の手法を導き出すことを試みたが、結論として、このような従来の研究手法には、表現内容や表現手法を定型化するなどの欠点があり、また現場で応用される可能性が低いことを示して、より現場に即した研究の必要性を主張している。

第3章は、「基礎データの研究」と題して、コンテント制作を取り巻く環境を定量的に明らかにする研究をまとめている。すなわち、これまで未整備だったコンテント制作における、産業規模、雇用規模、制作費、コンテント価格、コンテント支出などの基礎データの収集を行ない、データが存在しない場合には試算を行っている。その結果、世界のコンテント市場は周辺市場を除いても100兆円を超え、市場の半分はアメリカが占めているものと試算し、アメリカではコンテント産業は他の国内産業よりも競争力があり、日本ではその逆になっていることを経済面から明らかにしている。

第4章は、「デジタル化の研究」と題して、コンテント制作のデジタル化が表現の自由度を上げ、コンテント制作技法を個人にも開放するものであること、そしてアメリカ優位のコンテント制作の現状を変える可能性があることなどを論じている。その一例として、制作、流通、公開の全過程ででデジタル化がなされているデジタル・シネマについて詳細な調査研究をおこない、技術面で優位に立っている日本の貢献が期待される領域であることを述べている。

第5章は、「制作工程管理ソフトウェアの開発研究」と題して、わが国の融業型コンテント制作手法の有効性を論じ、それを支援するコンテント制作工程管理ソフトウェアを開発した結果を述べている。すなわち、まず日米のコンテント制作手法を比較して、ハリウッドの分業型コンテント制作手法は、作業工程の明示化など利点はあるものの、制作費の増大、作品の類型化など弊害も多いことを指摘し、一方でわが国における融業型コンテント制作手法は、スタッフに参加意識を持たせ、制作の改善過程への参加機会を与える意味で、これからのコンテント制作のモデルになりうることを主張している。さらに、このような制作手法の利点を強化するためには制作工程管理ソフトウェアの利用が有効であることを論じて、具体的にわが国の制作現場の実情に合ったコンテント制作工程管理ソフトウェアEizoWorksの研究開発を行った結果を述べて、その有用性を実証している。

第6章は、「ポストプロダクション工程管理ソフトウェアの研究開発」と題して、技術革新によって工程管理が一層困難になっているポストプロダクションの工程管理ソフトウェアを開発した結果を述べている。特に、ポストプロダクションの中でも最も技術革新が激しいVFX(visual effects)分野ではまだ工程管理ソフトウェアが世界的になく、ここではわが国のVFX制作現場の実情に即した世界初の工程管理ソフトウェアV-Toolsの開発を行っている。

第7章は、「結論と考察」と題して、本研究のまとめを行い、コンテント制作研究について今後の考察を行っている。

以上を要するに本研究は、現場の実情に即した研究がほとんど行われていなかったコンテント制作を対象として、詳細な調査研究をおこなうとともに、デジタル化がコンテントの制作と表現技法の質的な変容をもたらすものであることを指摘して、わが国の現場の実情に合った融業型コンテント制作を支援する工程管理ソフトウェアを開発した結果をまとめたものであって、今後の産業ならびに文化の発展に寄与するところが多大である。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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