学位論文要旨



No 215810
著者(漢字) 庄司,興吉
著者(英字)
著者(カナ) ショウジ,コウキチ
標題(和) 地球社会と市民連携 : 激成期の国際社会学へ
標題(洋)
報告番号 215810
報告番号 乙15810
学位授与日 2003.11.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 第15810号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 似田貝,香門
 東京大学 教授 稲上,毅
 東京大学 教授 盛山,和夫
 中央大学 教授 古城,利明
 一橋大学 教授 矢澤,修次郎
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、現代社会の地球社会化と、それに並行して進んできているさまざまな市民連携について、社会学的な現代社会論と社会運動論の観点から論じ、現代社会の概要を把握することをつうじて、その変動のこれからの方向を見定めようとしたものである。

全体は8章からなる。

第I章は、社会情勢の変容とこれまでの社会学の論議をつうじて、現代社会への視座を設定しようとする。テレビを初めとするマス・メディアの急速な発達によって、身近な社会は見えやすいが、より大きな社会は見えにくいという常識は過去のものとなった。地域社会どころか国民社会の範囲をすらはるかに超えて、大きな社会についてのイメージや情報が日々われわれの身辺に降りかかってきており、われわれは、世界社会どころか地球社会についてすら考えざるをえなくなっている。戦争や核爆発の可能性、人種・民族的な要素を絡ませた世界的な階層構造、地球的規模の環境破壊などが、地球社会の実在-現代社会の地球社会化-を実感させる。日本人の生きる「先進」社会は、そのなかで例外的に豊かで恵まれた社会であるが、その特権的地位は逆に、両性問題や高齢者問題、および学校や家族の管理化にともなう年少者問題など、途上国のものとは性格を異にした身体的社会問題を生み出している。地球社会のこのような構造を見ると、圧倒的な格差を前提にした民主主義はその名に値するのか、途上国での人権はいうに及ばず、「先進」社会での人権すら危機に瀕しているのではないか、という疑問すら起こってくる。このような問題状況に対処するために、われわれは、地域に根を下ろして住民としてわれわれの社会を吟味しなければならないだけでなく、そのことをつうじて着実な、根のある地球市民にならなければならないのではないか。

第II章は、これを受けて、第二次世界大戦後における現代社会の地球社会化、すなわち地球社会の現代的生成を論じる。戦後をつうじて、核爆発による絶滅の可能性、途上国を中心とする大衆貧困、地球的規模の環境破壊、および「先進」・途上社会の身体的社会問題、という4つの大きな問題が人類全体につきつけられてきたが、これらを包括的に解決するためには準拠枠として地球社会を考えざるをえない。戦後の米ソを中心とする核軍拡競争は、米ソを初めとする核保有国に核軍産複合体あるいは核軍備管理国家を生み出してきたが、米ソ冷戦終結後もアメリカを中心になお残る核軍産複合体は、現代地球社会の事実上の支配体である。この支配体のもと、戦後の植民地解放・民族独立革命をつうじて独立のネイションたろうとした諸民族は、中国の文化大革命やインドネシアの政変などの「逆流現象」をつうじて押さえ込まれ、欧米の白人を上層とする人種・民族的階層構造に再編されてきている。地球社会を支えている生態系が危機にさらされたのは、戦後、ドイツや日本も含めて急速な経済成長を続けた「先進」諸国に加えて、押さえ込まれようとした途上諸国までが対抗上無秩序な開発と成長をおこなわざるをえなかったからであり、これらをつうじて環境破壊的な近代的生産・生活様式が暴走に近い拡大を続けたからである。この動きをつうじて地球社会は中枢・周縁化し、中枢に位置する「先進」社会でも、富裕化の上に生じた管理化や少子・高齢化で身体的社会問題が深刻となっている。このように生成した地球社会を持続可能な人類社会に形成し直すには、平和のための社会契約、地球的階級闘争の制度化、脱近代的生産・生活様式の創出、共感的人間主義の普及などの戦略化が必要とされている。

そのうえで、第III章と第IV章では、地球社会のなかの日本社会に焦点を絞り、その社会意識状況および思想的課題を論じる。

第二次世界大戦後、日本は、戦後復興についで急速な勢いで経済成長を続け、1970年代には「経済大国」となったが、それとともに人びとのあいだに自らの社会や文化にたいする自信が生まれ、ネオ・ナショナリズムと呼ぶべき社会意識が形成されてきた。80年代以降、日本の政治家が外国の少数民族や近隣諸国にたいして差別発言をおこない、国際問題化するようになったのはその反映である。新日本主義とも呼ぶべきこの新しいナショナリズムは、地球社会の階層化とそのなかでの日本の地位の上昇を前提としており、その意味を十分に反省しえていないことから、日本社会を不適切な方向に動かすリスクを負っている。

また、新日本主義の思想的背景は、戦前から戦後にかけて展開された、和辻哲郎のそれに代表されるような日本主義である。ハイデッガーのような現代西洋の高度な哲学をふまえて日本的倫理、すなわち人間関係の特質を把握しようとしたこと自体は誤りではないが、それを裏付ける風土論には危険な恣意性が見られ、和辻は戦後、少なくとも鎖国に象徴される日本の指導者の閉鎖性は反省している。日本社会の特質を見いだそうとした試みには、柳田國男のそれのような民衆の生活レヴェルからのものもあるので、むしろその方向から日本的特質と普遍人類性との連続性が探られるべきである。

第V章と第VI章とでは、これをふまえて、日本人から地球市民への、また日本社会から地球社会への、ブリッヂングが試みられる。

日本人は、第二次世界大戦後、平和憲法と日米安保体制のもとにその身体を形成してきており、平和主義がその身体にかなりしみこんでいるが、それ以上に日米安保体制に依存しているので、自立心が足りない。平和主義をさらに深く身体化して地球社会を造り変えるためには、戦後の経済成長と環境破壊の経験をふまえた生態系弁証法によって、環境と調和した新しい生き方および行き方を世界に示さねばならない。

そのために必要なのは、曲がりなりにも形成されてきた日本の市民社会を、少子高齢化をふまえて福祉社会化しつつ、地球共生社会につなげていくことである。被爆国であり平和憲法をもつ日本は、世界平和へのイニシアティヴを取れる位置にある。また、そうすることをつうじて、諸民族の共存、資源と情報の共有、地球環境との共生、および両性間世代間の共感に基礎をおいた地球共生社会への展望を開いていく戦略的要衝に立つこともできる。家族、教育、政府、地域などに貫通するそのための文化戦略を打ち立てることが肝要である。

第VII章では、以上をふまえて、地球社会の構造と主体についての包括的分析を展開する。地球社会は地球生態系を内包するという意味で世界社会を超える概念である。これを把握するために、社会は、共同性と階層性とシステム性と生態系内在性との重層の反復によって形成されていくという基礎理論と、問題から歴史に遡及して構造を発見し、その意味を読み解くことによって変革への戦略を獲得していくという方法論と、その過程でおのずから意識化されてくる主体論の交差および重用による積分が必要である。第II章で予備的に分析した地球社会の構造は、これによって、核軍産複合体を中核とする支配体が、地球生態系あるいは自然の収奪のうえに、先端技術産業から周縁部農業にいたる階層性や、中枢都市から半周縁都市をへて周縁部農村にいたる階層性をつうじて、世界的規模の人種・民族的階層構造をうち立て、その頭部に中枢「先進」社会の管理体制を維持している状態として、描き出される。この構造の意味は、核兵器による全面戦争の不可能化という消極的共同性のうえに、民主主義的奴隷制とも呼ぶべき巨大な階層性が屹立し、国際機関の脆弱という「自然状態」的状態のもとで、環境破壊的な近代的生産・生活様式が膨張しているということであり、そのもとで途上国においてばかりでなく「先進」社会においても人間身体が危機にさらされている、ということである。これを克服するために、第II章で略述した戦略にしたがって、核爆発の犠牲者であるヒバクシャ、世界的階層構造の低層から供給される移民労働者などの境界プロレタリアート、人間が生態系内在的なヒトにほかならないことを身をもって示してきた環境破壊の被害者、途上国のみならず「先進」国でも社会問題の犠牲とされてきている身体的弱者、などに感受性を示す住民的地球市民の主体化とネットワーク化が必要とされている。

第VIII章は、こうして、住民的地球市民のネットワーク化あるいは連携につながる、市民運動および市民運動論の総括である。日本市民の立場から見ると、第二次世界大戦後の地球社会には、戦後日本の市民運動、1960年代アメリカの市民運動、戦後東欧諸国の民主化運動、第三世界の階級的市民運動、欧米の反核運動とそれによって再照射された日本の原水爆禁止運動、米ソ冷戦の終結をもたらした1980年代以降の世界的市民運動、という6つの波があった。それらをつうじて浮き彫りにされてくる市民運動の特質は、主権者として自治する民主主義であり、戦後の日本で問題とされてきた住民運動や労働運動と市民運動との連関の問題も、その視角から解くことができる。また、1970年代以降世界的に展開されてきた新しい社会運動論やネオ・ノマディズム論は、こうした世界的な市民運動の展開を理論化しようとした試みとして理解することができ、論じられてきた新しい社会運動やネオ・ノマディズムの構造的基盤は、労資階級闘争の制度化以後の現代社会の二次構造化、すなわち脱産業化してきつつある生産・生活様式をふまえて、国民国家とその世界システムを超えて形成されつつある地球情報社会に求めることができる。最大の問題は、そのなかで、中枢「先進」社会と周縁途上諸社会とのあいだに見られる巨大な非対称性を、どのように克服するかであり、非政府組織(NGO)や非営利組織(NPO)として、国境や利潤動機を超えて展開されつつある市民運動の連携も、多くの契機を包摂しながら、その方向に高められていこうとしていると見ることができる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、現代において地球的規模で人類が直面している社会問題を克服するという課題をになうべき新たな社会学の構想を、地球社会および市民連携という理論概念の構築を中心として提示して展開したものである。

著者はまず、基本的社会問題として、核兵器の登場による人類絶滅の可能性の可視化、先進諸国の豊かな社会と途上諸国の大衆貧困に示される階層構造の世界化、先進諸国から途上諸国にまで広がった環境破壊の地球規模化、および途上諸国の人口爆発と対照的に先進諸国で急激に進んだ少子高齢化をあげ、これらの根源に地球的規模での階層構造があると指摘する。そして、これまでの地球的規模での社会構造の諸理論としての市民社会論、社会主義、従属理論、および世界システム論の限界を考察した上で、それらの理念を継承し、さらに現代的問題に対処するための社会学的な準拠枠としての地球社会の概念を提示する。これは、地球的規模で生じている問題をともに引き受ける恐怖の運命共同体であると同時に、地域共同体や個別的文化に根ざしつつも新たな共同性の理念で普遍的に結合されているようなグローバルな共同体の理念である。それを支えるものとして、平和主義、地球主義、環境主義、および人間主義の4つの原則によって主体化されるとともに、総体性を模索し、新しい人間主義と生態系内在的人類社会の形成をめざす地球市民の構想を論じている。その過程で、人間主義やイエ社会論などの新日本主義についてとくに考察を加え、その淵源にあるとみられる和辻らの思想の中にはポスト近代主義的な新たな普遍主義の可能性がありえたとしつつも、現実には、自然の中に社会をなして生きる人間の生態学的構造を浮き彫りにすることに失敗していると分析する。

次に著者は、このように構想された地球社会について、それを支える社会的条件の考察を展開する。具体的には、人間社会が生態系内在性、共同性、階層性、およびシステム性という重層的な構造的契機によって形成されていると論じながら、それぞれにおける問題解決に志向した社会運動と市民運動の展開を歴史的に考察した上で、イタリアの社会学者A.メルリッチによって提示された、絶え間なく進行する差異化の中で自分自身であり続ける「地球社会で演技する自己」からなるネオ・ノマディズム(新しい遊牧主義)に着目する。その上で著者は、ヒトとしての覚醒、労働者の自己変革、市民の再生、社会権・文化権の自覚、生涯感覚の強化を踏まえて、総体性のレベルに達する普遍的市民の概念構想を独自に提示し、地球社会の公論の担い手になるのは、これら絶えず根幹を確かめながら遊牧するネオ・ノマドとしての住民的地球市民による市民連携であると論じるものである。本論文は、著者の長年にわたる社会学研究の蓄積の上に、地球社会と市民連携という概念構想の提出を中心に、現代社会論と社会運動論および国際社会学に新しい視野を開いた独創的な研究として評価することができる。よって、審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位を授与するに値するとの結論に達した。

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