学位論文要旨



No 215816
著者(漢字) ヨング,ジュリア
著者(英字) Julia S. Yongue
著者(カナ) ヨング,ジュリア
標題(和) 産業、政府、企業 : 日本における製薬業の歴史的発展の研究
標題(洋) Industry, Government and Enterprise : A Study of the Historical Development of a Pharmaceutical Business in Japan
報告番号 215816
報告番号 乙15816
学位授与日 2003.11.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15816号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 工藤,章
 東京大学 教授 山影,進
 東京大学 教授 高橋,伸夫
 東京大学 教授 丸山,真人
 東京大学 助教授 清水,剛
内容要旨 要旨を表示する

2003年現在、日本の製薬市場は米国に続いて世界第2であるが、僅か100年前に遡ると、日本の医薬品産業はまだ国産化にさえ至らず、有力な一産業としてはほど遠いものであった。第一次世界大戦の勃発で、ドイツからの輸入が停止し、緊急な状態になったという反面、そうした状況はむしろ製薬産業にとっては契機となった。こうして日本独自の製薬産業が誕生したと同時に、存続する(enduring)製薬産業が構成された。その戦争以来、日本の工業の近代化に伴い、新しい製薬会社が続々と市場参入する一方、競争は一層激化してきた。その中で、医薬品専用メーカーあるいは他分野参入(兼業)が様々な機会を捕え、製薬市場の参入を図った結果、現在、日本は世界一数の多い製薬会社(1400社以上)を所有している国家にもなった。しかしながら、その1400社以上の医薬品メーカーの中で、自社独自の研究開発により、世界の医薬品市場で通用する新薬開発に成功し、尚かつ自社独自で開拓した海外における流通経路で医薬品を販売している日本の製薬会社は極めて少ない。

本稿では、そういった数少ない競争力のある製薬会社に重点を置く。特にそのような会社はなぜ、どのような歴史的過程により研究開発力を向上し、経済発展を成し遂げたのかが、この論文の焦点である。日本の製薬産業史における経済発展の歴史的過程を分析するためには、論文のタイトルの通り、「産業、政府、企業」という3つの次元で様々な要因を把握しながら、その焦点を十分配慮すべきである。多数の要因を明確にするために、本稿を3つの章で構成した。

第1章では、製薬産業全体(Industry)の経済発展の歴史的過程に焦点を当て分析したが、その過程を明確にするには、製薬産業史における3つの「融媒」(catalysts)を起こさせた転換期を取り上げた。さらにその転換期により、歴史的な区切り(phases of development)が見られ、第1章における製薬産業史の構成が形成された。第一次転換期は第1次世界大戦がもたらした緊急な状況により1915年の染料医薬品製造奨励法であったが、その法律により国産化が果たせ、存続する一産業(an enduring pharmaceutical manufacturing industry)として誕生するきっかけになった。第2次転換期は、1976年の製薬産業および化学産業に関する特許法の改正である。その改正により、日本が有力な製薬会社を持つ欧米諸国と同制度を導入した。その意義として、先進国と同様に、製薬産業は既存した医薬品を製造するのではなく、各会社独自の研究開発により成り立つ産業となった。第3次転換期は、医薬品のいわゆる流通改革である。きっかけは1992年の「事後建値制」(値引補償制度)の廃止と「仕切価格建値制」が新しく導入することである。日本の製薬産業の長い歴史を探ってみると、戦前に市場参入を図った企業(first-movers)は元々流通経路を重視して来た卸業者であった。戦後、医薬品産業に限らず製造業の系列化により、日本の製薬産業史における「流通」は無視出来ない課題となったと同時に、製薬会社にとって競争優位に繋がった。1992年の改正以来、製薬産業、医薬品流通業、さらに医療機関との関係が大幅に変わり、外資系企業が国内の製薬メーカーと全く同じ土台に立つことになった。

第1章の製薬産業史について、特に把握したかった点は次のとおりである。(1)製薬産業としての誕生や形成についてどのような要因が必要条件であったか、様々な企業の市場参入について、どのようなパターン(類型論)が見られたか、また、もし明確なパターンがあったとすれば、そのパターンをどう解釈すべきであるのか、(2)各時代において技術導入あるいは技術革新により、個々の製薬会社あるいは製薬産業全体の経済的発展にどのように影響を与えたか、(3)行政による医療政策や規制は製薬産業史においてどの程度重要であったのか、(4)製薬産業史の長い歴史において、企業家が時代の変化を受け止めた際に、経営の面でいかに対応したのか、言い換えれば、企業家の指導力(entrepreneurial leadership)は製薬産業史の中でどのような役割を果たしたのか。以上の4点を考慮しながら、製薬産業の経済発展を検討し、その過程を分析した。

第2章のテーマは、第1章に同じく製薬産業の経済発展の歴史的過程であるが、その過程の中で、日本の製薬会社に対して政府(Government)つまり厚生省あるいは厚生労働省の役割に焦点を当てた。加えて、製薬産業史において、厚生省による医療政策(health care policy)や規制(regulationあるいはregulatory policy)が製薬産業の国際競争力に含む経済的発展に対し、どのような影響を与えたのかが第2章の目的であった。その問題を検討しながら歴史的観点から官民関係の在り方を探った。

第2章の構成については、第1章とほぼ同じ歴史的範囲に含まれるが、アプローチが年代順ではなく、問題点をよりよく把握するために3つのテーマを選んだ。一つ目は、医療政策の基盤となる「日本の医療制度」であるが、医療制度に含まれているsub-systemである薬価制度は戦後以来、製薬産業の成長や行動パターンや競争力等をどのような制度よりも大きく影響されてきたと言える。二つ目のテーマであるInternational Harmonization and Safety Issuesについては、医薬品開発に欠かせない臨床試験、特に日米欧における臨床試験に関する規制の一致化およびその問題に深い関わりを持つもう一つの問題である安全性についてである。ICH(International Conference on Harmonization of Technical Requirements for Human Use)により、日本が他の欧米の参加国と同じように同意した臨床試験に関する規制を厳重に守らなければならないという義務となったが、そのために、厚生労働省と製薬会社、または製薬会社と医療機関の間で様々な問題が生じていると指摘した。その問題の原因および影響を明確にするために、日本の承認が欧米に比べおよそ2年も遅れ、発売された「アリセプット」(Eisai社)という画期的な新薬開発をケース・スタディーにし、問題点を明らかにした。そこで日本における臨床試験問題を探ってみると、官・民・医療機関の関係の従来の在り方に対し大きなヒントになり、安全性の問題に関しても、医療制度の基本的な特徴が問題を起させる原因にもなったと否定出来ない。しかしながら、面接や文献等を通して証明出来た一つの重要点は、医療制度的特徴だけではなく、従来の日本における臨床試験の在り方そのもの、特に臨床試験が行なった際のスポンサー(製薬会社)と担当医師(医療機関)の関係や責任に対する不透明性が問題であった。

第2章の三つ目のテーマは製薬産業に対する「産業政策」(Policies to Strengthen the International Competitiveness of the Japanese Pharmaceutical Industry)である。先行研究では様々な解釈がなされるにも関わらず、厚生労働省と経済産業省の面接で得たデータによると、1999年に導入したミレニアム計画まで、両省の役務や領域が基本的に異なるため、製薬産業の国際競争力を促進する育成政策あるいは正式な産業政策は特になかったということである。しかしながら、厚生労働省に関して言えば、正式な産業政策がなかったとしても日本の医療制度、特に薬価制度が経済産業省による産業政策と同じように起動し、製薬産業の経済発展を促進してきたのである。このことは裏をかえせば、製薬産業の国際競争力を弱めた原因でもあり、製薬会社は多数で小規模である特徴に繋がる理由にもあると言える。

第3章のテーマは、現在、売上高で国内医薬品市場において第3位を誇る日本の代表的な製薬メーカーである山之内製薬の実例研究である。当製薬会社を事例として選択した理由は、当社は個別企業(Enterprise)として興味深い特色を持つ一方、第1章で取り上げた日本の製薬産業史の中で、当社は日本の一製薬メーカーとして他社と多くの共通点を持つと考えたからである。山之内製薬の実例を通して、第1章で既述した産業全体の歴史的発展パターンの検証になる。さらに第1章で注目した経営者の指導力の重要性という点は、第3章で再確認が出来た。つまり、当社が大正12年に設立された当時、圧倒的に強力な流通経路という競争優位を持ったfirst-moverでなかったため、経営者(企業家)が環境の変化(法律の改正、技術革新、規制の強化等)に対応しながら、先駆けて環境変化を見通すことが出来、研究開発を含む戦略を図ったことが分かった。また、第3章を通して、第2章で取り上げた官民関係を個別企業というマイクロ的レベルで改めて検討することが出来た。特に第2章で取り上げた医療政策や規制を当社の戦前からの経済的発展あるいは研究開発や国際展開の戦略にとって、どう影響したのかを明確にすることが出来た。

以上、本稿では多くの面接や文献を参考にし、製薬産業の歴史的発展を分析し、新しい解釈を提唱することが出来、また厚生労働省と製薬会社の関係を様々な角度で検討することが出来た。第1章・第2章で言及したデーターをさらなる角度から再考し、山之内製薬の実例研究を通して検証し、筆者の専門分野である国際関係論への貢献が出来たと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文の課題は、論文題目「産業、政府および企業:日本における製薬業の歴史的発展の研究」(Industry, Government and Enterprise: A Study of the Historical Development of a Pharmaceutical Business in Japan)に示されているように、日本における1世紀以上に及ぶ製薬産業の歴史的発展における発展の要因とメカニズムを、産業・政府・企業というその担い手に即して明らかにすることである。このような課題設定の背後にある著者の事実認識は、次のごとくである。すなわち、世界有数の規模を有する国内医薬品市場を背景に発展した日本の製薬産業および製薬企業は、近年一定程度の国際競争力を発揮しうるようになった。製薬産業は日本の産業のなかではなお競争力が低い産業に属するものの、一部の製薬企業は、独自の研究開発能力を有するに至り、それによって開発した新薬の輸出、さらには研究開発を含む海外での事業展開に踏み込んでいる。ただし、そのような企業はなお少数であり、しかも国際的な比較からすればなお企業規模は小さい。このような事実認識を踏まえ、著者はこのような少数の先端的企業に焦点を当て、このような国際競争力がもたらされた要因および過程を明らかにしようとする。

このような課題に接近するに際して、著者は産業・政府・企業という3つの主体に即して、多様な要因を把握しながら考察すべきであるとの方法的立場を示している。そしてそれに基づいて、産業史、政府・企業間関係の分析、そして個別企業の経営史という3つの接近方法をつうじて、課題にたいして総合的に迫ろうとしている。

このような接近方法に対応して、本論は3章で構成されている。すなわち、製薬産業の1世紀以上にわたる歴史を鳥瞰する第1章、製薬産業の発展における政府とくに厚生労働省と企業との関係を具体的な諸課題を取り上げて分析する第2章、そして独自の研究開発能力と活発な国際事業展開という点で日本の企業を代表する山之内製薬の事例研究をおこなった第3章である。最後の第3章はまた、第1章・第2章で言及した製薬産業の歴史的発展およびそこにおける官民関係のあり方を、企業次元においてあらためて検証する章ともなっている。

以下、本論文の概要を要約的に紹介する。

第1章は産業史である。ここでは、製薬産業全体の発展を、3つの転換に着目しながら記述している。その3つの転換とは、(1)第1次世界大戦中に公布された染料医薬品製造奨励法により日本における製薬産業が誕生したこと、(2)1976年の特許法の改正(製法特許から物質特許へ)により日本の製薬企業は自らの研究開発による新薬開発を促されることになったこと、(3)1992年の薬価改正を中心とするいわゆる流通改革により、日本の企業は外資系企業と同じ競争条件の上に立つことになったこと、である。このような転換をもたらした要因は、いずれも政府の政策転換であって、しかも必ずしも製薬産業のみを対象としたものではなかった。

このような3つの転換を経験しながら、製薬産業では一方で他分野からの企業参入が相次ぎ、他方で企業間の競争が激しく、このような過程をつうじて製薬企業の発展が見られた。その際著者は、従来のいくつかの企業類型論を批判的に検討したうえで、市場参入のパターンに着目した自らの企業発展の類型論を提示している。そのうえでさらに、政府による医療政策や規制の役割を検討するとともに、数次の転換にたいする個々の製薬企業あるいは製薬産業全体の対応を、新製品開発、流通組織の変革、さらに企業家の指導力あるいは企業家精神が果たした役割に焦点を当てながら明らかにしている。

第2章は政府・企業間関係の分析である。前章とほぼ同じ時期の政府・企業間関係の変遷が、とくに戦後期を中心に歴史的な観点から検討される。その際、製薬企業にたいする政府すなわち厚生省あるいは厚生労働省の役割について、3つのテーマが検討される。第1のテーマは医療制度であって、とくに薬価制度が製薬企業の研究開発活動を活発化させるなど、企業活動に影響を及ぼしたことが明らかにされる。

第2のテーマは臨床試験に関する規制の国際的調和(international harmonization)および安全性の問題である。とくに前者の問題については、日本がICH(International Conference on Harmonization of Technical Requirements for Human Use)の規制を遵守する義務を受け入れたことにより、厚生労働省と製薬企業との関係、また製薬企業と医療機関との関係に変化が生じたが、とくに国際的に見て臨床試験や新薬の承認に時間がかかるなどの問題が浮上したことが明らかにされる。そしてその原因としては、通念でいわれるような医療制度のあり方の問題性は否定しえないとしながらも、それだけではなく、臨床試験の在り方そのもの、とくに臨床試験に際しての製薬企業と担当医師ないし医療機関との関係に関する不透明性を重要な原因として指摘している。

第2章の第3のテーマは製薬産業に対する産業政策をめぐるものである。まず、通念とは異なり、近年に至るまで製薬産業に関わる正式の産業政策は存在しなかったことが確認される。その上で、医療制度、とくに薬価制度が、個別企業が独自の研究開発能力を高めて新製品の開発に向かうインセンディヴとして作用し、産業政策と同様の機能を果たした同時に、多数の小規模企業が存在し、国際競争力のある企業は少数にとどまるという現状も生み出されたとする。

第3章は個別企業の経営史である。ここでは、事例として、独自の研究開発能力および国際事業展開という点で日本の製薬企業を代表する1企業である山之内製薬が取り上げられる。そして、第1章で明らかにされた製薬産業全体の歴史的発展パターンが同社の事例に即して、より具体的に明らかにされる。すなわち、いくつかの転換に直面して、山之内製薬がこれにどのように対応したのかが、同社が近代的製薬企業としての基盤を築いた第1期(1923−75年)、研究集約的な国際企業として発展した第2期(1976−89年)、そして経営組織および研究開発組織の革新を遂行した第3期(1990−2001年)という3つの時期に即して解明される。

その際、とくに同社の創業者以下の経営者や指導的技術者が有した経営理念(研究開発の重視、また海外展開への意欲)、また彼らによる指導力あるいは企業家精神の果たした役割が強調されている。もともと同社は「一番手企業」ではなかったし、また流通組織についてもとくに競争力は持っていなかったにもかかわらず、そのような経営者や指導的技術者による活動の結果、独自の新製品開発能力が高まり、またそれによる積極的な国際事業展開が可能になったとされ、この点では同社のユニークさが示される。さらに、第2章で分析した官民関係が、やはり個別企業の次元で検討され、医療政策や規制が山之内製薬の企業活動に及ぼした影響、またそれに対応する同社の研究開発戦略や国際事業展開戦略が明らかにされている。こうして、この第3章は、先行するふたつの章を個別企業の経営史という形で総括することにもなっている。

終章では、以上3つの章の内容が要約されたうえで、残された研究課題が挙げられている。

以上に要約したような内容を持つ本論文は、まずその実証的な手続きの手堅さにおいて評価される。国際関係論のみならず、産業史、企業経営史、経営学、産業政策論などの広汎な分野での、欧語および邦語双方にわたる文献渉猟は、調査報告書などのいわゆるグレー・ゾーンの文献にも及んでいる。さらにこれを補完するものとして、企業関係者、業界団体、厚生労働省をはじめとする政府の関係者、学会関係者などからの聞取り調査の成果がある。臨床試験、安全性、流通などのテーマについては、文献や調査資料から得られる知見は限られており、どうしても聞取りが不可欠であるが、著者は長期間にわたり丹念な聞取り調査を精力的に積み重ねた。

次に、それらの作業によって得られた知見が、3つの章それぞれにおいてよく生かされているといってよい。第1章の製薬産業の産業史は、同産業内の主導的企業の活動を含む記述であり、長期の動態が活写されている。第2章では、政府・企業間関係が医療制度、臨床試験、安全性などの重要な主題ごとに詳細に分析され、第3章では、主導的な企業のひとつである山之内製薬の長期にわたる企業経営史が、先行するふたつの章の内容を踏まえ、かつそれにたいして企業経営史の次元で豊富な事例を付け加えつつ記述されている。またこのように、3つの章が整合的に関連づけられており、全章をつうじて説得的な記述となっている。

さらに、研究史にたいする本論文の貢献にも触れておかなければならない。製薬産業は、企業の国際展開、および臨床試験制度、新薬認証制度などの制度の国際的調整・調和の進展などにより、国際関係論の分野でも近年ようやく注目されるようになったものの、研究はなお比較的手薄であり、とくに日本の製薬産業を対象にした研究は内外ともになお乏しいのが現状である。また産業史や企業経営史においてもなお研究が遅れている。このような研究状況にあって、この産業の研究に果敢に挑戦した点で、本論文には開拓的な意義が認められよう。

もっとも、問題点をも指摘しなければならない。すなわち、第1章で指摘された製薬産業の長期の歴史における3つの転換については、それをもたらした政府の政策が必ずしも製薬産業のみを対象としたものではなかっただけに、それにたいする企業の対応が、企業・政府間関係、海外からの技術導入、研究開発能力の構築過程については、もちろん、各章において、とくに第3章で山之内製薬の事例に即した検討はなされているものの、よりいっそう踏み込んで分析されるべきであったと思われる。

しかし、このような問題点も上記の評価を減殺するものではない。またこの点は、筆者自身が終章の末尾において今後の研究課題として挙げているところでもある。本論文ですでに論点が提示されている、臨床試験の国際比較、あるいは政府・企業間関係の国際比較などとあわせて、筆者による今後の研究に期待することができよう。

以上の評価に基づき、本審査委員会は全員一致をもって、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしい水準のものであると認定した。

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