学位論文要旨



No 215834
著者(漢字)
著者(英字) Tran,Han Giang
著者(カナ) チャン,ハン ザン
標題(和) フランス植民地時代のベトナムにおけるジェンダーをめぐる言説
標題(洋)
報告番号 215834
報告番号 乙15834
学位授与日 2003.12.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15834号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,元夫
 東京大学 助教授 長谷川,まゆ帆
 東京大学 教授 桜井,由躬雄
 東京大学 助教授 瀬地山,角
 東京大学 教授 三谷,博
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、ベトナム社会におけるジェンダー関係の歴史におけるフランス植民地時代の意味を検討した上で、フランス植民地時代のジェンダーをめぐる言説を分析したものである。

19世紀の終わりにベトナムは、独立国家からフランスの植民地となった。ベトナム社会はほぼすべての社会生活の分野で急速に変容したと言うことができるだろう。この時期こそは、長きにわたる歴史の中でベトナム社会における最大の混交期であった。古いものと新しいもの、東洋の文化と西洋の文化が混交したのである。100年近くにわたるフランス統治時代は、国家の容貌のみならず、政治、経済、文化、法律、教育および人間の思惟などの諸分野の社会の基本的な性質について、ベトナム社会に非常に大きな変容をもたらした。一般的な社会変容と平行して、移行期にありさまざまな社会的要素における植民地性と封建性が作用しあうベトナム社会におけるジェンダー関係も、重要な多くの分野で独立封建王朝期と比べて変容していった。

ベトナムの学界ではジェンダー論が受容されて日が浅く、本論文はジェンダー関係という視点からフランス植民地時代を研究するという点では、初めての試みである。ジェンダー関係という社会的関係の一つを研究すること、すなわち社会生活の最も重要な諸分野について、社会的構造の中での男女の決められた地位を比較研究することにより、社会的本質を明らかにすることができる。上に述べたように、フランス植民地支配時代とは、社会がまだ固定化されていなかった移行期であったと同時に、ベトナム社会が社会生活の様々な分野で全面的に変容した時期であった。フランス植民地時代におけるベトナム社会のジェンダー関係は、その後の今日にいたる独立ベトナムにおけるジェンダー関係のあり方を大きく規定したと考えられるが、それについての本格的研究はこれまで行われてこなかった。

ただし、本論文では、フランス植民地時代のジェンダー関係の全面的解明は直接の課題とはせず、その第一歩として、当時のジェンダーをめぐる言説を紹介し検討することに主眼を置いている。フランス植民地時代は、就学、就業、家族のあり方、女性らしさ、女性参政権など、ジェンダーに関わる激しい議論が闘わされた時代だった。このこと自身が、筆者の新しい発見である。このような研究は、儒教的影響を受けたアジア各国の社会での19世紀末から20世紀前半におけるジェンダー関係の変化のなかにベトナムを位置づける上でも、重要な意味をもっと考えられる。

本論文の構成は以下のとおり。

序論 論文の課題と方法 第一部 ベトナム社会の歴史的変容とジェンダー関係 第一章 フランス植民地時代以前のベトナム社会におけるジェンダー関係 第二章 フランス植民地時代の政治分野における変容とジェンダー関係 第三章 フランス植民地時代の経済・社会分野における変容とジェンダー関係 第四章 フランス植民地時代の教育分野における変容とジェンダー関係 第五章 フランス植民地時代の法律分野における変容とジェンダー関係 第六章 フランス植民地時代の文化・社会分野の変容とジェンダー関係 第七章 フランス人の男性支配思想 第二部 フランス植民地時代のジェンダーをめぐる言説 第一章 就学に関する言説 第二章 就業をめぐる言説 第三章 家族と家庭をめぐる言説 第四章 ベトナム版「良妻賢母」論 第五章 「新しい女性」と「女性らしさ」をめぐる言説 第六章 参政権をめぐる言説 第七章 フランス植民地時代のフェミニズム 結論

以上の分析を通じて、本論文は、従来の研究になかった次のようなオリジナルな論点を提示している。

まず第一に、フランス植民地時代に女子がはじめて公教育を享受できるようになったことの積極的意義を評価すべきであり、近代教育を受けた女性の出現が、当時のジェンダーをめぐる言説にも、実際の社会におけるジェンダー関係にも、大きな影響を及ぼしているということである。

第二は、女性が教育を受けることへの抵抗は存在したが、それでも女子就学率は次第に向上したのに対し、女性の社会進出は教育や工場労働などの限定された分野を除くとあまり進まず、それに反対する議論が優勢だったということである。

第三は、こうしてフランス植民地時代には、「男は外、女は内」という伝統的な観念が、女性が一定の近代教育を享受することは部分的に肯定しつつも、女性の社会進出を抑え、その役割を家庭での妻、母としての役割に限定していこうとする、ベトナム版の「良妻賢母」論(ベトナムでは「賢母操妻」).が存在したことを明らかにしたことである。これは、フランス植民地時代のベトナムのジェンダー関係の「東アジア」的性格の問題として注目されよう。

第四は、ベトナムでは通常、20世紀末になって登場したと観念されているフェミニズム運動が、フランス植民地時代の1920年代から30年代にかけてすでに存在し、論断での議論になっていたことを解明したことである。

その他、本論文では、従来の研究があまり言及してこなかったフランス植民地時代の売春の実態なども分析している。

本論文が解明できたことは、フランス植民地時代のベトナムのジェンダー関係をめぐる諸問題の一端にすぎないが、今後の研究の基礎となりうるものと確信する。

審査要旨 要旨を表示する

チャン・ハン・ザン氏の論文「フランス植民地時代のベトナムにおけるジェンダーをめぐる言説」は、ベトナム社会におけるジェンダー関係の歴史におけるフランス植民地時代(19世紀後半から1945年まで)の意味を検討した上で、フランス植民地時代のジェンダーをめぐる言説を分析したものである。

本論文の構成は次のとおりである。

まず「序論 論文の課題と方法」では、従来の研究との関連での本論文と課題設定と方法についての議論がなされている。

ついで「第一部 ベトナム社会の歴史的変容とジェンダー関係」では、フランス植民地支配以前のベトナム社会におけるジェンダー関係を概観した後、フランス植民地時代のジェンダー関係の変容を、政治、経済、教育、法律、文化の各分野において検討し、さらにフランスの「男性支配思想」の影響に言及している。ここでは、前近代のベトナムにおいては、儒教の影響で「男尊女卑」の思想が国家体制や国家エリートの家族観には大きな影響を与えていたが、農民の間ではこうした儒教的観念の影響は限定されており、女性の役割を尊重するベトナムの民族文化の伝統が保持されていたこと、フランス植民地支配はベトナム人を被統治者の地位におとしめて支配する政治体制だったが、他方でベトナム社会に大きな変動をもたらし、植民地的開発により都市部を中心として新しい就業機会が形成され、女性の社会進出が限定された形ではあれ見られたこと、特にそれを支えた公教育の門戸が女性にも開かれたことは大きな変化であり、その背景にはフランスの同化主義的政策、ベトナム人の就学意欲、ベトナム人の民間教育運動、フェミニズム思想の影響などがあったこと、法的な面では労働法などで女性の権利を守る条項が生まれたものの、民法上の女性の地位には本質的な進歩はなかったこと、フランスの「男性支配思想」はベトナムにも影響を与えたこと、などが指摘されている。

本論である「第二部 フランス植民地時代のジェンダーをめぐる言説」では、就学、就業、家族と家庭をめぐる言説を検討した後、ベトナム版の「良妻賢母」論が存在したことが指摘され、その分析がなされ、さらに「新しい女性」と「女性らしさ」をめぐる論争、参政権をめぐる言説を検討し、最後に植民地時代に「フェミニズム(女権論)」が積極的に紹介されていたことが指摘されている。

女性の就学をめぐっては、当初は伝統的な観念からの反発があったが、しだいに就学自体は容認する議論が力を得たこと、しかし、女子教育は家事家政に限定すべきだという議論が強かったことが指摘されている。女性の就業に関しては、積極的推進論も登場したものの、「男は外、女は内」という観念から就学よりも強い抵抗があったことが指摘されている。家族と家庭をめぐる言説では、家父長制、一夫多妻制、自由恋愛観などで古い観念の影響が強く、改善を求める意見との激しい議論があったことが紹介されている。ベトナム版「良妻賢母」論とは、「賢母操妻」(メ・ヒエン・ヴォ・タオ)という用語を使って、日本などの「良妻賢母」論と同質の、女性に対する教育の必要は容認しつつも、その役割を家庭での妻、母としての役割に限定していこうとする議論がベトナムでも展開されたことが指摘されている。「新しい女性」と「女性らしさ」をめぐる言説では、スポーツ、服装、立ちふるまい、化粧、ダンスなどをめぐる議論を検討している。さらに女性参政権をめぐる議論、およびフェミニズムが新聞・雑誌でどのように紹介されたのかが述べられている。

最後に「結論」で、以上の内容がまとめられている。

本論文の積極的な意義は次のようにまとめられよう。

まず第一に、ベトナムの学界ではジェンダー論が受容されて日が浅く、本論文はジェンダー関係という視点からフランス植民地時代を研究するという点では、世界的なベトナム研究においても、初めての試みである。フランス植民地時代の新聞や雑誌に掲載されたジェンダーに関わる言説を精力的に収集し、この時代が、就学、就職、家族のあり方、女性らしさ、女性参政権など、ジェンダーに関わる激しい議論が闘わされた時代だったことを解明したことは、本論文の新しい発見であり、今後の研究の基礎となるものである。

第二に本論文は、フランス植民地時代に女子がはじめて公教育を享受できるようになったことに積極的評価を与えつつ、女性が教育を受けることへの抵抗は存在したが、それでも女子就学率はしだいに向上したのに対し、女性の社会進出は、教育や工場労働などの限定された分野を除くとあまり進まず、それに反対する議論が優勢だったという構図を描き、そのことを基礎にして、フランス植民地時代に、「男は外、女は内」という伝統的な観念が、女性が一定の近代教育を享受することは部分的に肯定しつつも、女性の社会進出を抑え、その役割を家庭での妻・母としての役割に限定していこうとする、ベトナム版の「良妻賢母」論という、近代性を有した議論として展開されたことを明らかにした。これは、フランス植民地時代のベトナムのジェンダー関係の「東アジア」的性格の問題として注目される発見であり、今後の東アジアにおける近代化とジェンダーをめぐる議論が、ベトナムにも広げうることを示したもので、本論文のきわめて重要な寄与である。

他方、審査においては、本論文の次のような弱点も指摘された。

第一は、資料はよく集められているものの、分析が不十分であるという問題である。特に、「良妻賢母」論以外にも、東アジアにおける近代化とジェンダーをめぐる議論では、共通して問題になっている「自由恋愛」、「新しい女性」、「社会進化論」などのテーマに関しては、ベトナムでも問題になったことが資料的には提示されているものの、日本や韓国や中国などの研究も視野にいれた分析が行われていない点は、今後、本人が努力して克服してほしい弱点である。

第二は、言説の分析を主とした論文でありながら、出典の新聞や雑誌の性格、引用された記事の筆者、そこで女性を論ずるに際して使用されているベトナム語の原語の分析などがあまり行われていないことも、重要な弱点である。

第三は、農村女性に関してまとまった像を提示しきれていないという問題も指摘された。これは、言説という文字資料に依拠した研究そのものの弱点で、口述資料の収集など今後の研究手法の拡大を期待したい問題でもある。

このように、いくつかの弱点はあるものの、本論文が前述したように、フランス植民地時代のベトナムにおけるジェンダーをめぐる言説を体系的に扱った最初の学問的成果であり、この時代のベトナムにおけるジェンダー関係を「東アジア」という角度から検討しうることを示したという積極性を有していることをもって、博士(学術)の学位の授与にふさわしいものと、審査委員会は全員一致で判断した。

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