学位論文要旨



No 215835
著者(漢字) 堀江,則行
著者(英字)
著者(カナ) ホリエ,ノリユキ
標題(和) ホルモン投与によるマアナゴの催熟と人工孵化に関する研究
標題(洋)
報告番号 215835
報告番号 乙15835
学位授与日 2003.12.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15835号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 會田,勝美
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 助教授 金子,豊二
内容要旨 要旨を表示する

マアナゴConger myriasterは水産上重要な魚種であるが,その生活史の多くは未解明である。マアナゴが属するウナギ目魚類は成魚と幼生の棲息域が離れていることや産卵場が不明なことが,生活史の解明を困難にしている主な原因である。マアナゴにおいてもヨーロッパウナギAnguilla anguillaやニホンウナギAnguilla japonicaなどと同様に天然海域における産卵場の特定を目指した調査は続けられているが,成熟した親魚も受精卵も得られておらず,産卵場の特定には至っていない。そのため現在まで天然での再生産に関する情報は欠如している。また,人為催熟に関する研究はこれまでわずかしかなく,人工的に受精卵や孵化仔魚も得られていない状況である。近年マアナゴ資源の減少が懸念されるようになり,増養殖による資源増大が望まれる状況となってきたが,増養殖技術開発のために不可欠な初期生活史は全く明らかになっていない。上述のようにマアナゴの初期生活史の解明は魚類学上でも水産上でも重要性が高いことから,著者はマアナゴの種苗生産技術の開発を目標とし,その基礎的知見を得るため,(1)養成親魚を用いたマアナゴの催熟技術の開発,および(2)マアナゴの胚と孵化仔魚の発育過程の解明を目的として本研究を行った。また魚体を傷付けずに卵巣の成熟度を確認する方法として体重変化が有用であり,それが成熟に伴う組織水分含量の変化に由来することを明らかにした。

親魚養成

本研究では採卵用親魚とするため,毎年8〜11月に三河湾内で採集される推定1歳のマアナゴ稚魚(体重約20 g)を種苗とし,約1年半陸上水槽で養成した。養成中の飼育水には地下海水(塩分濃度30‰)を用いた。年間の水温変化は9.6〜20.6℃であった。餌料として冷凍イカナゴを与え,日間給餌率を3〜5%とした。月間の平均生残率は99.8%と高く,約1年半で体重73〜1122 gに成長した。このうち体重250 g以下の小型魚はほとんどが雄であり,400 g以上の大型魚はほとんどが雌であることから雌雄で著しい成長差を示すことがわかった。雌魚の卵母細胞はこの時点で第一次〜第二次卵黄球期に達していた。一方,雄魚では精子が形成され,一部の個体は排精した。

催熟と卵形成

ホルモン投与による催熟と排卵誘発 1998年から1999年にかけてのべ3回の催熟実験に対照魚も含め雌魚計71尾を供し,10℃の水温条件下でヒト絨毛性生殖腺刺激ホルモン(HCG,100 IU/kg魚体重)を隔週投与した。HCG投与5〜10回で卵母細胞は核移動期に到達した。続いて卵径732〜1039 μmとなった時,卵成熟誘起ステロイド(MIS)として17α, 20β, 21-トリヒドロキシ-4-プレグネン-3-オン(20β-S,2 mg/kg魚体重)を投与したところ,12尾が排卵し卵径874〜1126 μmで十数個の油球を含む分離浮性卵を得た。上記催熟実験のうち3回目のみ20β-S投与後12℃まで昇温した。このうち1尾の卵が受精したが,未受精時の卵径は1010±37 μm(平均±SD)で,受精後は1034±38 μmであった。

催熟および排卵誘発のための効果的なホルモン投与方法の検討 続いてマアナゴ雌魚を効果的に催熟・排卵させ,かつ良質卵を得るため,2000年と2001年に催熟実験を行って数種のホルモン投与方法を比較した。他の魚種の卵質に関する研究を参考にして,本研究ではマアナゴ親魚の浮上卵排出魚率と排出卵の受精率という二つの指標に着目し催熟方法を吟味した。使用した生殖腺刺激ホルモンと投与方法は次の通りである。2000年にはHCGの100 IU/kg魚体重/隔週投与,300 IU/kg魚体重/隔週投与の2実験区を設け,2001年にはHCGの30 IU/kg魚体重/隔週または毎週投与,100 IU/kg魚体重/隔週または毎週投与,サケ脳下垂体抽出物の20 mg/kg魚体重/隔週または毎週投与の6実験区を設けた。MIS(全て2 mg/kg魚体重)としては3種(17α-ヒドロキシ-4-プレグネン-3,20-ジオン;17α,20β-ジヒドロキシ-4-プレグネン-3-オン;20β-S)を用い,上記実験区と組み合わせた。MIS投与後は12℃に昇温した。2000年と2001年の催熟実験には対照魚も含め各々143尾,153尾を供した。このうちHCGの100 IU/kg魚体重/隔週投与とMIS3種との組み合わせは,他の組み合わせに比べ安定して浮上卵,すなわち受精の可能性のある卵を得ることができた。浮上卵排出魚率は29〜42%であり,受精率は60〜62%であった。上記の組み合わせでは3種のMISの間に大きな差はなく,いずれも有効といえる。なお調温機器能力の関係で受精確認後は親魚が異なる受精卵を一部混合せざるを得なかったため,孵化仔魚の尾数を親魚単位で計数できなかったが,孵化直後で合計25,670尾であった。本研究では孵化は9例あり,孵化に関与した雌親魚は15尾であった。孵化仔魚が得られた卵群の未受精時の卵径は982±33 μmで,受精後は1045±38 μmであった。一方,ハンドリングの採卵成績への影響は無視できず,累計で12回以上ハンドリングを受けた雌親魚からは受精卵が得られなかった。また受精卵を得た雌親魚の体重変化には,催熟開始から増加した後,一時停滞し,最後に再び増加するというパターンが多く見られた。

成熟に伴う組織水分含量の変化

雌マアナゴの性成熟過程において顕著な体重変化が認められたことから,卵巣や筋肉組織の水分含量の変化を調べた。雌魚では卵径(157〜1034 μm:油球期から成熟期まで),雄魚ではGSI(0.5〜9.6:精原細胞から精子まで)の増加を指標として,雌魚64尾,雄魚47尾について観察した。マアナゴ雌魚の卵巣水分含量は,卵径450 μm台までは,約70%から約60%へ減少し,卵径とは負の相関を示した(P<0.001)。その後卵巣水分含量は増加に転じて約85%に達し,卵径とは正の相関を示した(P<0.001)。雌魚の筋肉組織の水分含量は,卵径577 μmまでは約60%から約85%へと増加し,卵径とは正の相関が認められた(P<0.001)。しかしその後は変化しなかった。一方,雄魚ではGSIと筋肉水分含量に相関が認められなかった。筋肉組織の水分含量の増加が雌魚にのみ見られたことから,恐らく筋肉が分解されて卵黄形成に供せられているものと考えられる。ヘマトクリット値は雌魚では卵径増大とともに42から14まで減少し,卵径とは負の相関を示した(P<0.005)。雄魚ではGSIとヘマトクリット値との相関は認められなかった。このように雌魚では性成熟の進行に伴って卵巣や筋肉組織の水分含量が特徴的な変化を示すことが明らかとなった。第二章で述べた催熟中の雌魚における体重変化については,催熟初期の体重増加は主に筋肉組織の水分含量の増加によるものであり,卵母細胞が核移動期になってからの体重増加は卵巣の吸水がその主要因であると考えられる。

胚発生と孵化仔魚

排出された成熟卵をマアナゴ雄の精子で受精させ,水温12〜14℃の海水中に収容し発生過程を観察した。媒精4時間後に第一卵割が起こり,18時間後に胞胚腔が形成され,24時間後に被覆が始まった。38時間後に胚体が形成されはじめ,49時間後に眼胞と耳胞が現れ,媒精84時間後から孵化が始まった。孵化直後の仔魚の形態はニホンウナギのそれに類似しており,卵黄が体前半に偏り,大型の油球を1個有していた。孵化直後に湾曲していた体は8時間後には若干伸展し,その時の全長は約2.5 mmであった。2日後には全長約3.9 mmに伸び,頭部に遊離感丘が現れた。7日後には全長約6.7 mmとなり,口と肛門が開口した。10日後には尾部に色素が認められた。11日後には最長の8.16 mmに伸び顎と歯が発達し始めた。14日後には眼に色素が沈着し始めた。同じく14日後に全筋節数は140に到達し,天然のマアナゴレプトケファルスに近い値となった。無給餌で孵化後19日目まで生存した。

以上のように本研究では,(1)マアナゴの催熟と排卵誘発,および(2)成熟卵の人工受精と孵化に初めて成功した。本研究で得られた催熟・採卵および初期発生に関する知見はマアナゴの種苗生産への道を大きく開くものである。また本研究の成果はマアナゴ生活史の解明にも多いに資するものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

マアナゴConger myriasterは水産上重要種であるが,天然では成熟した親魚も受精卵も得られていないなど,再生産に関する情報は欠如している。また,人為催熟に関する研究は僅かしかなく,人工的に受精卵や孵化仔魚も得られていない状況である。近年マアナゴ資源の減少が懸念されるようになり,増養殖による資源増大が望まれる状況となってきたが,増養殖技術の開発に不可欠な初期生活史は全く明らかになっていない。そこで申請者はマアナゴの種苗生産技術開発のための基礎的知見を得るため,(1)養成親魚を用いたマアナゴの催熟技術の開発,および(2)マアナゴの胚と孵化仔魚の発育過程の解明を目的として本研究を行った。その大要は以下のとおりである。

親魚養成

本研究では,毎年8〜11月に三河湾内で採集される推定1歳のマアナゴ稚魚(体重約20 g)を約1年半陸上水槽で養成したものを採卵用親魚として用いた。養成中の飼育水には地下海水(塩分濃度30‰,水温9.6〜20.6℃)を用いた。約1年半で体重73〜1122 gに成長したが,体重250 g以下の個体は殆どが雄であり,400 g以上の個体は殆どが雌であることから雌雄で著しい成長差を示すことがわかった。雌魚の卵母細胞はこの時点で第一次〜第二次卵黄球期に達していた。一方,雄魚では精子が形成され,一部の個体は排精した。

催熟と卵形成

1998年から2001年にかけて数種のホルモン投与方法を浮上卵排出魚率と排出卵の受精率に着目し比較した。ホルモン投与区としてはヒト絨毛性生殖腺刺激ホルモン(HCG)100 IUと300IU/kg魚体重の隔週または毎週投与,サケ脳下垂体抽出物20 mg/kg魚体重の隔週または毎週投与の6実験区を設けた。卵成熟誘起ステロイド(MIS:2 mg/kg魚体重)として3種(17α-ヒドロキシ-4-プレグネン-3,20-ジオン;17α,20β-ジヒドロキシ-4-プレグネン-3-オン;17α, 20β, 21-トリヒドロキシ-4-プレグネン-3-オン)を用い,上記実験区と組み合わせた。MIS投与後は12℃に昇温した。このうちHCG100 IU/kg魚体重の隔週投与とMIS3種との組み合わせは,他の組み合わせに比べ安定して浮上卵,すなわち受精の可能性のある卵を得ることができた。浮上卵排出魚率は29〜42%であり,受精率は60〜62%であった。上記の組み合わせでは3種のMISの間に大きな差はなかった。本研究では孵化は9例あり,孵化に関与した雌親魚は15尾,孵化仔魚は合計25,670尾であった。孵化仔魚が得られた卵群の未受精時の卵径は982±33 μmで,受精後は1045±38 μmであった。また受精卵を得た雌親魚の体重変化には,催熟開始から増加した後,一時停滞し,最後に再び増加するというパターンが多く見られた。

成熟に伴う組織水分含量の変化

雌マアナゴの性成熟過程において顕著な体重変化が認められたことから,卵巣や筋肉組織の水分含量の変化を観察した。マアナゴ雌魚の卵巣水分含量は,卵径450 μm台までは約70%から約60%へ減少し,卵径とは負の相関を示した。その後卵巣水分含量は増加に転じて約85%に達し,卵径とは正の相関を示した。雌魚の筋肉組織の水分含量は,卵径577 μmまでは約60%から約85%へと増加し,卵径とは正の相関が認められた。しかしその後は変化しなかった。一方,雄魚ではGSIと筋肉水分含量に相関が認められなかった。このように雌魚では性成熟の進行に伴って卵巣や筋肉組織の水分含量が特徴的な変化を示すことが明らかとなった。第二章で述べた催熟中の雌魚における体重変化については,催熟初期の体重増加は主に筋肉組織の水分含量の増加によるものであり,卵母細胞が核移動期になってからの体重増加は卵巣の吸水がその主要因であると考えられる。

胚発生と孵化仔魚

排出された成熟卵を受精させ,水温12〜14℃の海水中で発生過程を観察した。媒精4時間後に第一卵割が起こり,18時間後に胞胚腔が形成され,38時間後に胚体が形成されはじめ,媒精84時間後から孵化が始まった。孵化8時間後の全長は約2.5 mmであった。2日後には全長約3.9 mmに伸び,頭部に遊離感丘が現れた。7日後には全長約6.7 mmとなり,口と肛門が開口した。10日後には尾部に色素が認められた。11日後には最長の8.16 mmに伸び顎と歯が発達し始めた。14日後には眼に色素が沈着し始め,全筋節数は140に到達し,天然のマアナゴレプトケファルスに近い値となり,無給餌で孵化後19日目まで生存した。

以上,本研究は,マアナゴの催熟,排卵誘発および成熟卵の人工受精と孵化に初めて成功したものである。本研究で得られた知見はマアナゴの種苗生産への道を大きく開くものであり,またマアナゴ生活史の解明にも多いに資することから,学術上,応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位に値するものと判断した。

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