学位論文要旨



No 215837
著者(漢字) 峯,洋子
著者(英字)
著者(カナ) ミネ,ヨウコ
標題(和) 閉鎖型養液栽培における緩速砂ろ過法を用いた培養液除菌システムの開発と適用に関する研究
標題(洋)
報告番号 215837
報告番号 乙15837
学位授与日 2003.12.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15837号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坂,齊
 東京大学 教授 杉山,信男
 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 教授 森田,茂紀
 東京大学 助教授 山岸,徹
内容要旨 要旨を表示する

施設栽培においては,硝酸態窒素やリンを系外へ排出することなく再利用あるいは循環利用できる,閉鎖型養液栽培システムへの移行が望まれる.養液栽培の培養液を再利用・循環利用する際に不可欠な培養液殺菌・除菌技術のひとつとして,緩速砂ろ過法の低コスト・省エネルギーで生物的除菌作用を発揮するという特性に着目した.本研究ではこの緩速砂ろ過法の培養液除菌法としての適用性を検討するために, NFT(Nutrient Film Technique:薄膜水耕)栽培システムの培養液循環経路に砂フィルターを組込み,栽培管理に及ぼす影響を調べ,また除菌効果と病害拡散の抑制効果を検証した.次に,緩速砂ろ過法をより安定的で確実な培養液除菌技術とするために,除菌性能評価方法を確立して除菌性能に影響を及ぼす変動要因や,フィルターの熟成プロセスの特性についての基礎的知見を得た.

緩速砂ろ過がトマトNFT栽培管理に及ぼす影響.

トマトNFT栽培システムの培養液循環系へ緩速砂ろ過を組込み,培養液を常時ろ過したところ,培養液のEC(電気伝導度)にはほとんど影響を与えなかった.培養液のpHは砂の緩衝作用のため7付近から動かず,酸・アルカリでpHを調整することが困難となった.しかしこのことで作物生育へ影響することはなく,また事故によるpH急変を防ぐメリットともなることから栽培管理上は問題ないと考えられた.培養液のDO(溶存酸素濃度)はろ過によってろ過前の70~90%に減少したものの,作物が酸素欠乏を引き起こすことはなかった.培養液に含まれる無機成分のうち,Mnはろ過によりほとんどが除去され,NH4-Nも大幅に減少したが,他の主要な成分に関しては大きな影響は見られなかった.フィルターが閉塞(目詰まり)して砂表層を掻き取るメンテナンスが必要となる頻度は,約2ヶ月に1度であった.掻き取った砂は未使用砂と比べてMn,Fe,Kの含有量が増加していた.

ろ過を組込んだNFTシステムに定植されたトマト植物は,葉脈間黄化症状が発生しやすかった.生体汁液分析および培養液中の無機成分濃度測定の結果から,それがMn欠乏症状であると推測された.この欠乏症状はNFT栽培システムに緩速砂ろ過を組込んだ場合には定植2週間目頃から見られたが,ロックウール耕システムに組込んだ場合には半年以上見られなかった.これは灌液される前に原水と肥料が新たに追加される仕組みであること,またロックウール培地自体にMnが含まれることがNFTの場合と異なるためと考えられた.

NFTにおける緩速砂ろ過の除菌効果と病害拡散抑制効果

NFT培養液循環系に砂フィルターを組込んだとき,循環系内の培養液タンクに大腸菌,トマト青枯病細菌(Ralstonia solanacearum),Fusarium sp.をそれぞれ添加したところ,ろ過された培養液中の各菌の濃度はタンク初期濃度の1%以下となり,除菌効果が実証された.また NFT栽培ベッドの一部トマト個体に青枯病細菌を接種して発病させたところ,緩速砂ろ過を組込んだNFTシステムにおいては,発病株より上流の株に対する二次感染を抑えることができた.発病株からは多量の病原菌が放出され,ろ過前の培養液の病原菌濃度は常に104cfu・ml-1以上になっていたが,ろ過直後の培養液に病原菌はまったく検出されなかった.一方,R.solanacearumの培養懸濁液をタンクに添加して希釈したものをフィルターに流入させて菌の排出パターンをみた実験では,ろ過水に102cfu・ml-1以上の菌が検出された.この結果の違いは,病原菌が常時多量に流入してくることによって,その病原菌に特異的な生物的除去作用(捕食等)が誘導されたためではないかと推測された

緩速砂ろ過の菌排出パターンと除菌率測定方法検討

砂フィルターに一定の菌濃度の原水を流入させ続けたところ,16時間以上の保持時間(retention time)ののちにろ過水菌濃度が急激に上昇を始め,最大値に達した後その菌濃度をしばらく維持することがわかった.このようにプラトーに達したときの菌濃度を,ろ過水菌濃度の定常値とみなし,これと流入水菌濃度との関係から除菌率を計算した.フィルター湛水層の温度を30℃以上に設定した高温区の砂フィルターで,温度無制御区および15℃に設定した低温区の砂フィルターよりも除菌効果が劣った.高温区フィルターのR. Solanacearum 除菌率値は86%と計算され,温度無制御区では99%となった.この除菌率はろ過水採取時期の違いがもたらす測定誤差を排除した値といえるため,除菌効果を評価するうえでの有効な指標となった.菌の排出パターンからみて,菌のフィルター内での移動速度が水と比べて極めて遅いことが判明し,菌とろ材との間の吸着/脱着作用が除菌メカニズムに大きく関与していることが示唆された.

緩速砂ろ過の除菌特性の把握

小規模なモデルフィルター 3台を作成し,大腸菌を供試菌として流入濃度と流入期間をさまざまに変えて流入させたときの,菌の排出パターンを比較した.その結果,菌の流入期間を3〜6時間以上持続させれば,約6時間の保持時間を経てろ過水菌濃度が定常状態(プラトー)に到達することが判明した.そこでこのときのろ過水菌濃度の値(定常値)と流入水菌濃度との対数差であるLRD(Logarithmic reduction of microbe density)を除菌効果の指標値として砂フィルター除菌性能の評価に活用した.

除菌効果の経時的な変化をLRDで示すことで,砂フィルターの熟成プロセスすなわち除菌性能の経時的な向上を数値化することが可能となった.フィルターにバラロックウール栽培の培養液排液を5週間以上循環させ続けたところ,LRDは初期の1.0〜1.3から2.5〜2.8へと上昇した.培養液排液の循環を10週間続けてもLRD値はほぼ同じであったため,既に5週間後には最大除菌性能(熟成完了状態)に到達していたと考えられた.一方,砂フィルターに清水を循環させた場合,LRDの経時的な上昇は全く見られなかった.また一度熟成した砂フィルターに清水を流し続けると,一度上昇したLRDが初期のレベルにまで低下した.また,熟成したフィルターに,加温・曝気処理をした培養液排液を循環させ続けると,LRDは2.5〜2.8からさらに4以上にまで上昇し,その後安定した.以上のことから,フィルター熟成の到達点は流入水の性質によって大きく左右されること,また,その熟成プロセスは累積的・不可逆的な一方向の変化ではなく,流入水が変わればそれに応じて逆方向(除菌性能の低下)も起こりうる,平衡状態の移動のような変化であることが判明した.

熟成のメカニズムすなわち除菌性能向上のメカニズムには,菌とろ材(ろ過膜)との吸着性の上昇が大きく関与すると考えられた.何故ならば,流入菌がろ過水へ排出されるのに要する時間(保持時間)が新規フィルターでは6時間以内だったのに対し,高度に熟成したフィルターでは8〜10時間へと延びていたためである.つまり吸着性の増加により菌の移動速度が遅くなっていることを意味する.また,この高度熟成フィルターに大腸菌を大量に流入させてからフィルターを分解して砂の垂直分布を調べたところ,流入した菌の大部分が砂表層の生物ろ過膜の中に生きたまま捕捉されていることがわかった.このことは,熟成のメカニズムが捕食等の生物的除去メカニズムの強化よりはむしろ,生物ろ過膜の粘着性の高いバイオフィルム等の発達による吸着性の上昇が大きく寄与していることの例証となるかもしれない.

高度に熟成させたフィルターを用いて,大腸菌以外の植物病原菌での除菌効果を検証したところ,Fusarium oxysporum,Pythium helicoidesなどの菌については高い除菌効果を示したものの,Ralstonia solanacearum細菌については,ろ過水に104cfu・ml-1以上の病原菌が混入し,LRDが2以下となる低い除菌効果であった.このように,細菌については種によって除菌効果が大幅に違うことが示されたが,これは細菌の運動性の有無に関連していると考えられた.

結論

以上のことから,緩速砂ろ過法の培養液除菌技術として栽培管理上,大きな問題がないこと,および適切な熟成強化を行うことで,除菌性能が飛躍的に高まり,安定的な病害拡散抑制効果を発揮できる可能性が示された.今後,除菌されにくい菌種を用いて,その菌に特異的な除去作用が誘導されうるかどうかの再確認が必要である.

審査要旨 要旨を表示する

施設園芸においては,現在の開放系から硝酸態窒素やリンの系外への排出を抑える閉鎖型システムへの移行が望ましい.本研究は,閉鎖型養液栽培システムにおいて培養液を再利用・循環利用する際に不可欠な培養液殺菌・除菌技術のうち,低コスト・省エネルギー型のサンドフイルターを用いた緩速砂ろ過法に着目し,これを安定的技術として開発することで閉鎖型システムへの移行に貢献することを目的として実施した.

本論文は5章からなり,第1章では養液栽培における培養液殺菌除菌技術の現状と緩速砂ろ過法の可能性について概説した.第2章、第3章では緩速砂ろ過法の養液栽培への適用性を検証し確認するために、実際にトマト植物体を用いたNFT(Nutrient Film Technique:薄膜水耕)栽培システムへ導入して栽培諸管理への影響を調べるとともに除菌効果・病害拡散の抑制効果を調査した.この方法では、サンドフィルターを組込んだ循環系の培養液からはMnがほとんど除去されてしまい,トマトには2週間目頃からMn欠乏の黄化症状が見られるものの、微量要素液肥の追加で回避できた. 一方、このフィルターを循環型ロックウール栽培システムに組込むと、欠乏症状は半年以上見られなかったが、これはロックウール培地自体にMnが含まれることによるためと考えられた.NFT培養液循環系の培養液タンクに大腸菌,トマト青枯病細菌,Fusarium sp. を添加したとき,ろ過後の濃度はタンク初期濃度の1%以下となった.また NFT栽培ベッド植栽したトマトの一部に青枯病細菌を人為的に接種して発病させて、緩速砂ろ過法の効果を調べたところ、発病株よりも上流の植物体への二次感染を抑えることが実証できた.本実験においては、発病株からは多量の病原菌が放出されたが,ろ過直後の培養液に病原菌はまったく検出されず、本フィルターの高機能性が明らかになった.

第4章ではサンドフィルターを組み込んだ緩速砂ろ過法を一層効果的で確実な培養液除菌技術にするための基礎知見として除菌率を測定する手法の開発を試みた。まず緩速砂ろ過の菌排出パターンの調査からはじめた. サンドフィルターに一定の菌濃度の水溶液を人的に流入させると,約16時間の保持時間(retention time)後にろ過水菌濃度が急上昇し始めて最大値に達した後、その最大菌濃度がしばらくの時間維持された.このプラトー時の菌濃度と流入水溶液内菌濃度との関係を利用して除菌率を計算することで,高精度の除菌率が得られるものと考えられた. 菌のサンドフィルター内での移動速度が水溶液に比べて極めて遅いことから,除菌メカニズムには菌とろ材との間の吸着/脱着作用が大きく関与していることが示唆された.

第5章では前章の結果に基づいて除菌性能評価方法を確立して、除菌性能に影響する変動要因やサンドフィルターの熟成プロセスについての知見を得て,除菌性能の改善に取り組んだ.小型のモデルフィルターを作成し,大腸菌をモデル菌として菌排出パターンを調べた. 菌を3時間以上流入させると,約6時間の保持時間を経て定常状態(プラトー)に達するが、その時点でろ過水菌濃度を測定することが効率的測定法であることが解った.そこで流入水菌濃度とこのろ過水菌濃度の対数差であるLRD(Logarithmic reduction of microbe density)を除菌効果の指標として以降の除菌性能評価に活用することとした.フィルターの生物的熟成プロセスすなわち除菌性能の経時的な向上現象について調べたところ,バラロックウール栽培の培養液排液を5週間循環させたフィルターでは,大腸菌除菌効果のLRDは初期値の1.0〜1.3から熟成して2.5〜2.8へと上昇した.一方,フィルターに単なる水を循環させた場合のLRDは初期値から上昇することはなかった.また熟成フィルターへ循環させている培養溶液の排液から水溶液へと変えたとき,LRDは初期値まで低下した.逆に,加温・曝気処理(酸素添加)をした培養液排液を熟成フィルターに循環させると,LRDはそれまで安定していた2.5〜2.8が更に上昇して4以上となった.これらのことは、熟成プロセスとは、累積的・不可逆的な一方向の変化ではなく,流入する水溶液の性質に依存した可逆的平衡状態への移行プロセスであることが示唆された.流入菌がろ過水へ排出されるまでの保持時間は新規のサンドフィルターよりも生物膜が形成された熟成フィルターで長いが,これは本ろ過システムの熟成により吸着性が増加して菌の移動速度が遅くなったことを意味している.また,熟成フィルターが大腸菌を除菌している際の大腸菌の砂層における垂直分布を調べたところ,流入した菌の大部分は生きたまま砂表層の生物ろ過膜に捕捉されていることがわかった.これらのことから,熟成のメカニズムとは、捕食等の生物的除去作用が強化というよりも,吸・脱着性等の物理的除去作用の強化の寄与度が高いことが示された.

さらに高度に熟成させたサンドフィルターのモデル植物病原菌に対する除菌効果を検証したところ,トマト根腐萎凋病菌、バラ高温性疫病菌に対する効果は高かったものの,トマト青枯病細菌に対しては低かった.しかし,トマトに実際に青枯病を発病させた第4章の試験では,菌が大量に混入した培養液を本法でろ過した培養液からは、青枯病細菌が全く検出されず,高い除菌効果が発揮されていた.このことから,常時大量に流入する病原菌自身が,その菌に特異的な生物的除去作用(捕食等)を誘導し,実用場面では除菌率測定結果よりも安定した効果が期待できる可能性が示された.しかしながら、除菌されにくい他の菌種について,その菌種に特異的な除去作用が誘導されうるか否かについては、現在のところ不明である.

以上,本研究では,緩速砂ろ過法について、施設栽培における培養液除菌技術として栽培管理上大きな問題がなく、安定的に病害拡散抑制効果を発揮できることを明らかにした。、また本システムにおける除菌効果を変動させる熟成プロセスの特性の解明を通して、サンドフィルター性能改善の基礎知見を得ることで、緩速砂ろ過法の現地適用性に一定の指針を与えた。これらは、学術研究および技術開発に貢献する有用な成果であると判断した.よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた.

UTokyo Repositoryリンク