学位論文要旨



No 215838
著者(漢字) 竹原,利明
著者(英字)
著者(カナ) タケハラ,トシアキ
標題(和) 硝酸塩利用能欠損変異菌株を用いたフザリウム病の発生生態の解明に関する研究
標題(洋)
報告番号 215838
報告番号 乙15838
学位授与日 2003.12.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15838号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 助教授 山下,修一
 茨城大学 教授 阿久津,克己
 東京農工大学 助教授 有江,力
内容要旨 要旨を表示する

フザリウム病の発生生態を解明するためには,特定の病原性フザリウム菌を他の分化型・レースや非病原性フザリウム菌と区別して追跡する必要があるが,従来のフザリウム菌選択分離培地ではこれらの識別は困難であった。本研究では,各種Fusarium oxysporumから塩素酸塩に耐性の硝酸塩利用能欠損変異株(nit変異株)を作出し,これをマーカー菌として自然土壌に投入し,塩素酸塩耐性をマーカーとして選択培地で分離することによって,特定のフザリウム菌の動態を簡易かつ確実に追跡する手法を確立した。さらに,本手法により,トマト萎凋病(F. o. f. sp. lycopersici)およびホウレンソウ萎凋病(F. o. f. sp. spinaciae)の発生生態を明らかにした。本研究の概要は以下の通りである。

nit変異菌株を用いたフザリウム菌の動態解析法の開発

nit変異株の作出

塩素酸カリウムを含む培地を用いて,10分化型の日本産病原性F. oxysporum,および非病原性のF. oxysporumから,塩素酸塩耐性を有するnit変異株を作出した。得られたnit変異株は,硝酸塩とその他4種類の窒素源利用能により,亜硝酸塩・ヒポキサンチン・アンモニウム塩・尿酸のいずれをも窒素源として利用できるnit1,亜硝酸塩を利用できないnit3,ヒポキサンチンを利用できないNitMの3つの表現型に分類された。nit変異株の出現頻度や各表現型の出現比率は,菌株により異なった。

選択分離培地によるnit変異株および野生株の分離

nit変異株の選択分離培地を用い,nit変異株を土壌中や罹病植物体から選択的に分離する手法を検討した。塩素酸カリウムを含む選択分離培地(MMCPA培地)上では,フザリウム菌の野生株はほとんど生育せず,胞子(bud cell)懸濁液,汚染土壌および罹病植物体からnit変異株が選択的に分離された。窒素源として硝酸塩のみを含む分離培地(MMPA培地)上では,nit変異株はごく小さなあるいは薄いコロニーを作るため,野生株との識別が可能であった。MMCPA培地とMMPA培地を併用して,マーカー菌としたnit変異株と自然に存在する野生株を別々に分離することにより,特定のF. oxysporumの動態を解析することが可能となった。MMCPA培地とMMPA培地では,目的とするフザリウム菌の土壌中菌密度が低い場合には,他の糸状菌の生育に阻まれて正確な定量は困難であったが,両培地のショ糖をガラクトース(30g/l)に置換し,硝酸ミコナゾール50mg/l,ホウ酸0.5g/l,クロラムフェニコール0.25g/lを添加することにより,フザリウム菌以外の糸状菌の生育を抑制して選択性を高めることができた。こうして得られたnit変異株用のCGMBP培地と野生株用のGMBP培地を用いることにより,F. oxysporumの野生株を含む畑土壌中に102〜103 CFU/g乾土のnit変異株を混入した場合にも,希釈平板法によりnit変異株と野生株とを別々に定量することが可能となった。

nit変異株と野生株の諸性質の比較およびnit変異株の安定性

nit変異株をフザリウム菌の生態的研究に用いるためには,nit変異株が野生株と同等の性質をもち,さらに,マーカーとしたnit形質が安定している必要がある。そこで,ダイコン萎黄病菌(F. o. f. sp. raphani),ホウレンソウ萎凋病菌,および非病原性F. oxysporumを用い,nit変異株と元の野生株とについて,固体培地上の生育,液体培地中および滅菌土壌中の増殖,病原性などの諸性質を比較した。また,保存中および土壌中や植物体中でのnit形質の変化を調査した。ショ糖加用ジャガイモ煎汁寒天(PSA)培地上における生育は,供試した変異株計22菌株の多くは野生株と同様であったが,明らかに生育の遅いホウレンソウ萎凋病菌変異株が2菌株見出だされた。PS液体培地および滅菌土壌中の増殖はnit変異株と野生株で差が認められなかった。ベノミルに感受性のダイコン萎黄病菌から作出した変異株24菌株はいずれもベノミル感受性であった。病原性については,供試した43の変異株のうち,ホウレンソウ萎凋病菌の2変異株は明らかに弱かったが,多くは野生株とほぼ同等であった。F. oxysporumの10分化型から作出したnit変異株計195菌株をPSA斜面培地で室温で約3年間継代培養により保存した結果,多くの菌株はもとの表現型を保持していたが,21菌株(10.8%)では硝酸塩利用能の回復が見られた。ポット内の育苗培土に接種したダイコン萎黄病菌の変異株を,約3年4カ月後に再分離して表現型を接種前と比較した結果,表現型の変化は認められず,また,土壌中の生存菌密度も野生株とほぼ同等であった。nit変異株を接種した罹病植物体から再分離した場合にも,表現型の変化は見られなかった。分化型の異なる9菌株の菌糸和合性を最少培地上でのnit変異株の対峙培養により調べた結果,全て互いに異なる菌糸和合性群(Vegetative Compatibility Group, VCG)に属することが示された。また,ホウレンソウ萎凋病菌と圃場から分離された非病原性F. oxysporumとの間でも菌糸和合性は認められなかった。したがって,追跡に用いるnit変異株が土壌中で既存のF. oxysporumと菌糸融合を起こして標識を失ったり,標識が転移したりする可能性は低いと考えられた。

以上のように,nit変異株の中には病原性の弱くなったものや形質の不安定なものが存在するが,多くのnit変異株は野生株と同様の性質を有し,長期間安定であるため,追跡用マーカー菌として利用できると考えられた。

nit変異菌株を用いたフザリウム病の発生生態の解明

トマト萎凋病の発生生態の解明

トマト萎凋病菌レース2の種子伝染過程を,本菌の野生株およびnit変異株を用いて調査した。本菌を果実に接種して作成した保菌種子を播種したところ,播種200日後までに高率に発病した。保菌種子を播種して81日後には,主根や側根から病原菌が分離され,また,病原菌は第1花房の小果柄まで移行していたが,果実には到達していなかった。播種113日後以降に収穫した果実で,果実内の褐変した主維管束から病原菌が分離されたが,収穫直後の果実の種子からは病原菌は検出されなかった。しかし,収穫後に後熟腐敗処理を行なった果実では,果肉が菌で充満しているものが認められ,このような果実中の種子は,高率に病原菌を保菌していた。発病株から得られた保菌種子を播種すると,発芽した苗は高率に発病した。保菌種子をエタノールで表面殺菌すると保菌率は顕著に低下し,播種しても発病は起こらなかった。nit変異株保菌種子を播種して161日後の発病株の周辺土壌から,約104 CFU/g乾土のnit変異株が検出された。以上により,トマト萎凋病菌レース2が茎の維管束から小果柄を経由して果実内の主維管束に侵入し,果実内で増殖することによって種子伝染が起こることが明らかになった。また,汚染種子から発芽した植物体により,周辺土壌も汚染されることがわかった。これら試験においてnit変異株は野生株とほぼ同様の種子汚染過程を示し,また,選択分離培地により確実に追跡ができたことから,nit変異株は種子伝染過程における病原菌の追跡にも利用できると考えられた。

ホウレンソウ萎凋病の発生生態の解明

ホウレンソウ萎凋病菌のnit変異株をオートクレーブ,熱水あるいはクロルピクリンで消毒した土壌へ接種した場合,病原菌は無処理畑土壌中よりも速く増殖し,ホウレンソウの発病も病原菌密度の増加に伴って増加した。すなわち,消毒土壌における病原菌の再汚染の危険性が示された。Penicillium菌や非病原性フザリウム菌を病原菌よりも先に高密度で土壌に接種すると,病原菌の増殖と発病が一定期間抑制された。非病原性フザリウム菌の効果は,病原菌との密度差が大きいほど顕著であった。非病原性フザリウム菌による本病の生物的防除の試験において,CGMBP培地とGMBP培地を併用することは,病原性および非病原性フザリウム菌の動態解析に極めて有用であった。

ホウレンソウ萎凋病菌のnit変異株を用いて,圃場での同菌の密度推移を調査した。パイプハウス内の土壌に本菌を接種して作成した汚染圃場で,クロルピクリン消毒または熱水消毒を行ない,次作以降,作付前にキチン類縁物質含有資材または微生物含有資材を土壌混和した。熱水消毒をした区では処理後第6作まで全般に発病が少なく,病原菌密度も著しく低かった。また,熱水消毒後のキチン類縁物質含有資材施用区では病原菌密度の復活が抑制される傾向が見られた。熱水消毒をしなかった区では,発病抑制効果はクロルピクリン処理区が最も高く,次いでキチン類縁物質含有資材処理区,微生物資材処理区の順であった。キチン類縁物質含有資材の連用により,病原菌密度が無処理区の1/10程度まで減少した。以上のように,nit変異株を圃場に接種した場合,1年以上にわたり菌密度の推移を調査することが可能であり,その菌密度と発病程度に相関が見られた。

以上を要するに,本研究は各種F. oxysporumの硝酸塩利用能欠損変異株(nit変異株)を作出し,変異株の硝酸塩利用能以外の性質が野生株とほぼ等しいことを明らかにし,nit変異株の選択培地を用いて特定のフザリウム菌の動態を解明する手法を確立した後,この手法を用いてトマト萎凋病およびホウレンソウ萎凋病の発生生態を解明したものである。

審査要旨 要旨を表示する

フザリウム病の発生生態を解明するためには,特定の病原性フザリウム菌を他の分化型・レースや非病原性フザリウム菌と区別して追跡する必要があるが,従来のフザリウム菌選択分離培地ではこれらの識別は困難であった。本研究では,各種Fusarium oxysporumから塩素酸塩に耐性の硝酸塩利用能欠損変異株(nit変異株)を作出し,これをマーカー菌として自然土壌に投入し,塩素酸塩耐性をマーカーとして選択培地で分離することによって,特定のフザリウム菌の動態を簡易かつ確実に追跡する手法を確立した。さらに,本手法により,トマト萎凋病(F. o. f. sp. lycopersici)およびホウレンソウ萎凋病(F. o. f. sp. spinaciae)の発生生態を明らかにした。

nit変異菌株を用いたフザリウム菌の動態解析法の開発

塩素酸カリウムを含む培地を用いて,日本産病原性F. oxysporumおよび非病原性のF. oxysporumから,塩素酸塩耐性を有するnit変異株を作出した。得られたnit変異株は,硝酸塩とその他4種類の窒素源利用能により,亜硝酸塩・ヒポキサンチン・アンモニウム塩・尿酸のいずれをも窒素源として利用できるnit1,亜硝酸塩を利用できないnit3,ヒポキサンチンを利用できないNitMの3つの表現型に分類された。次いで、nit変異株を土壌中や罹病植物体から選択的に分離する手法を検討した。塩素酸カリウムを含む選択分離培地(MMCPA培地)上では,フザリウム菌の野生株はほとんど生育せず,胞子(bud cell)懸濁液,汚染土壌および罹病植物体からnit変異株が選択的に分離された。窒素源として硝酸塩のみを含む分離培地(MMPA培地)上でも野生株との識別が可能であった。さらに, 両培地のショ糖をガラクトース(30g/l)に置換し,硝酸ミコナゾール50mg/l,ホウ酸0.5g/l,クロラムフェニコール0.25g/lを添加することにより,フザリウム菌以外の糸状菌の生育を抑制して選択性を高めることができた。続いて、ダイコン萎黄病菌(F. o. f. sp. raphani),ホウレンソウ萎凋病菌,および非病原性F. oxysporumを用い,nit変異株と元の野生株とについて,固体培地上の生育,液体培地中および滅菌土壌中の増殖,病原性などの諸性質や保存中および土壌中や植物体中での形質の変化を調査した。その結果, ショ糖加用ジャガイモ煎汁寒天(PSA)培地上における生育,PS液体培地および滅菌土壌中の増殖, 病原性については供試した変異株の多くが野生株と同様であった。また,室温で約3年間継代培養により保存した場合や, 罹病植物体から再分離した場合でも,多くの菌株がもとの表現型を保持していた。さらに,nit変異株が土壌中で既存のF. oxysporumと菌糸融合を起こす可能性も低いことが示された。

nit変異菌株を用いたフザリウム病の発生生態の解明

トマト萎凋病菌レース2の種子伝染過程を,本菌の野生株およびnit変異株を用いて調査した。本菌を果実に接種して作成した保菌種子を播種したところ,播種200日後までに高率に発病した。保菌種子を播種して81日後には,主根や側根から病原菌が分離され,また,病原菌は第1花房の小果柄まで移行していたが,果実には到達していなかった。播種113日後以降に収穫した果実で,果実内の褐変した主維管束から病原菌が分離された。以上により,トマト萎凋病菌レース2が茎の維管束から小果柄を経由して果実内の主維管束に侵入し,果実内で増殖することによって種子伝染が起こることが明らかになった。次に, ホウレンソウ萎凋病菌のnit変異株をオートクレーブ,熱水あるいはクロルピクリンで消毒した土壌へ接種したところ,病原菌は無処理畑土壌中よりも速く増殖し,ホウレンソウの発病も病原菌密度の増加に伴って増加することが示された。一方, Penicillium菌や非病原性フザリウム菌を病原菌よりも先に高密度で土壌に接種すると,病原菌の増殖と発病が一定期間抑制された。このように,nit変異株を圃場に接種した場合,長期にわたり菌密度の推移を調査することが可能であり,その菌密度と発病程度に相関が見られた。

以上を要するに,本研究は各種F. oxysporumの硝酸塩利用能欠損変異株(nit変異株)を作出し,変異株の硝酸塩利用能以外の性質が野生株とほぼ等しいことを明らかにし,nit変異株の選択培地を用いて特定のフザリウム菌の動態を解明する手法を確立した後,この手法を用いてトマト萎凋病およびホウレンソウ萎凋病の発生生態を解明したものである。

本研究で得られた成果は学術上、応用上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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