学位論文要旨



No 215843
著者(漢字) 伊藤,隆男
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,タカオ
標題(和) 国内のカンキツが保毒するウイロイドの発生生態と診断に関する研究
標題(洋)
報告番号 215843
報告番号 乙15843
学位授与日 2003.12.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15843号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 助教授 山下,修一
 東京大学 助教授 宇垣,正志
内容要旨 要旨を表示する

ウイロイドは,タンパク質の外殻を持たない裸の環状1本鎖RNAのみからなり,自己複製する最も小さい植物病原体である。ゲノム構造や生物学的性質により,現在,2科7属に分類され合計約30種のウイロイドが報告されているが,そのうちカンキツの保毒するウイロイドは最も種類が多く,また,複合感染の例も知られている。これまでに我が国のカンキツからも幾つかのウイロイドとその変異株が検出されていたがいずれも断片的な知見に過ぎず,その一方で,国内で最も広く用いられるカラタチ台木に対するウイロイド感染の悪影響が指摘され,さらに新品種への高接ぎ更新にともなう保毒樹の広がりが問題となっていた。そこで本研究では,国内のカンキツが保毒するウイロイドについて,その病原性と種類を生物検定ならびに分子生物学的手法などにより解析するとともに,それらすべてのウイロイドを同時に検出できるマルチプレックスRT-PCRを開発し,多様なウイロイドが国内のカンキツ圃場に広く蔓延している現状を明らかにした。

国内のカンキツが保毒するウイロイドの類別と病原性解析

sPAGEとRT-PCRによるウイロイドの検出

国内より樹勢衰弱を呈するカンキツ樹の穂木を多数収集し,それらから抽出した低分子RNAについて未変性及び変性条件を組合せた逐次的な同方向への電気泳動(sPAGE)を行ったところ,非常に多様なウイロイド様RNAが複合あるいは単独で検出された。次いでRT-PCRを行ったところ,カンキツエクソコーティスウイロイド(Citrus exocortis viroid,CEVd),カンキツベントリーフウイロイド(Citrus bent leaf viroid,CBLVd),ホップ矮化ウイロイド(Hop stunt vrioid,HSVd),カンキツウイロイドIII(Citrus viroid III,CVd-III)およびカンキツウイロイドIV(Citrus viroid IV,CVd-IV)の既報の全5種が検出された。sPAGEとRT-PCRの結果は基本的に一致したが,sPAGEでCBLVd様RNAが検出された試料からはRT-PCRにより必ずしも既報のCBLVdが検出されず,新変異株あるいは新種ウイロイドの存在が示唆された。

カンキツウイロイドI-LSSの性状解析

既報のCBLVdとは異なるCBLVd様RNAを試料VF10-Sより精製し,エトログシトロン系統アリゾナ861-S1に接種したところ,CBLVdによるものと類似した若干激しい病徴が観察された。全塩基配列を解析したところ,ウイロイドに特徴的な棒状2次構造を持つ327塩基の環状1本鎖RNAであることが確認された。その配列はCBLVdと最も高い相同性(約84%)を示し,本研究当時CBLVdはcitrus viroid(CVd)-Iと呼ばれていたため,便宜上,本ウイロイドをカンキツウイロイドI-LSS(Citrus viroid I-low sequence similarity,CVd-I-LSS)と名付けた。ウイロイドの分類では一般に90%の塩基配列相同性が種のボーダーラインとされるが,CVd-I-LSS株の病原性がCBLVdと類似していることから,現在のところCBLVdの特殊な変異株と考えられる。一方,CBLVdやCVd-I-LSSとも異なるCBLVd様RNAが確認され,さらに別のウイロイドの存在が考えられた。

カンキツウイロイドOSの性状解析

CBLVdともCVd-I-LSSとも異なるCBLVd様RNAを試料OSより精製し,エトログシトロン系統アリゾナ861-S1に接種したところ,軽微な葉の下垂と葉柄の褐変を生じた。全塩基配列を解析したところ,ウイロイド特有の分岐した棒状2次構造をとる330塩基の環状1本鎖RNAであり,中央保存領域の配列からApscaviroid属に分類された。塩基配列解析で最も近縁と考えられたCVd-IIIともその相同性が約68%と低く,エトログシトロンにおける病徴も既報のウイロイドとは異なることから新種であると判断され,由来した試料の名前より,便宜上,カンキツウイロイドOS(Citrus viroid OS,CVd-OS)と名付けた。CVd-OS特異的RT-PCRを試みたところ,CBLVd様RNAを持つがCBLVdやCVd-I-LSSは検出されなかった試料のすべてから特異的増幅が認められた。以上により,国内のカンキツには,既報のCEVd,CBLVd,HSVd,CVd-IIIおよびCVd-IVの5種のウイロイドの他に,従来未報告の新ウイロイドCVd-OSおよびCBLVdの特殊な系統CVd-I-LSSが存在することが明らかとなった。

国内のカンキツが保毒するウイロイドの多様性と病原性

国内のカンキツが保毒するウイロイドについて,それぞれの特異的RT-PCRによる増幅断片の塩基配列を解析したところ,種内に多様な塩基配列変異株が存在することが確認された。そのうちの幾つかは海外の既報のものと類似あるいは同一の配列を持つもので,保毒穂木の形で国内に侵入あるいは国外へ流出したものと推察された。特にHSVd変異株の中には,カクヘキシア病を引き起こす変異株と全く同じ配列を持つものの他,カクヘキシア病変異株に特徴的な6塩基置換を持つ変異株が8株以上あることを見いだした。さらに,パーソンズスペシャルマンダリンによる生物検定を行い,これらがカクヘキシア病の病徴を引き起こすことを確認した。カクヘキシア病の病原HSVd変異株を国内で見いだしたのはこれが初めてである。カクヘキシア病はマンダリンなどに樹皮の変色と樹脂の堆積を生じ,激しい場合は萎縮や葉の退緑に加えて樹体が衰弱し,時に枯死する。これらの変異株は潜在感染性のレモンやオレンジから検出されたものであり,その被害は不明であるが,本ウイロイドは植物検疫上の特定重要病害虫に指定されており,わが国のカンキツ栽培の脅威となる恐れがあり警戒が必要である。一方,カンキツにおけるウイロイドの複合感染は単独感染に比べ症状が激しくなることが知られるが,本研究でも,保毒ウイロイドの種類と変異株数が増えるに従い,エトログシトロン上の症状は激しくなる傾向が見られた。また,台木にエクソコーティス病様の激しい剥皮症状を示すカラタチ台カンキツ樹のいくつかからはCEVdは検出されず,その他のウイロイドの複合感染が認められた。それらのパターンは,CBLVd,HSVd,CVd-IIIおよびCVd-IVの複合感染,CBLVd,CVd-I-LSS,HSVd,CVd-III,CVd-IVおよびCVd-OSの複合感染などであり,接木による複製樹のカラタチ台にも同様の症状が観察された。海外で,CBLVd,HSVd,CVd-III および CVd-IVと考えられるウイロイドの実験的な複合感染によりカラタチ台木に激しい剥皮症状を発現した例はあるが,国内の圃場でエクソコーティス病様症状のいくつかがCEVd以外のウイロイドの複合感染により引き起こされている可能性が考えられ,病原性が弱いとされているCEVd以外のウイロイドについても,これまで以上の警戒が必要であると考えられた。

カンキツのウイロイドとリンゴステムグルービングウイルス(ASGV)の国内での発生調査

カンキツのウイロイドとASGVを同時検出するマルチプレックスRT-PCRの開発

ウイロイドの診断には遺伝子診断が最も簡易かつ迅速であるが,カンキツのウイロイドは種類が多く個別診断は手間と費用と時間の面で問題があった。そこで,近縁なCBLVdとCVd-I-LSSを相互に判別できるようにした上,カンキツの6種の全ウイロイドならびにカラタチ台カンキツ樹の接木部異常病の病原であるリンゴステムグルービングウイルス(Apple stem grooving virus,ASGV,別名:カンキツタターリーフウイルス)をも含めて,これらすべてを同時に検出できるマルチプレックスRT-PCRを開発した。すなわち,各病原体特異的な8組のプライマー対を混合したRT-PCRを行い,反応産物を6%ポリアクリルアミドゲルで電気泳動した後,銀染色により検出した。その結果,各病原体特異的で互いに大きさも異なる1〜8種の増幅断片が確認でき,各病原体単独のRT-PCRの結果とも完全に一致した。

マルチプレックスRT-PCRによるカンキツのウイロイドとASGVの圃場発生調査

一般圃場を中心に採集した国内のカンキツ217樹について,マルチプレックスRT-PCRにより各ウイロイドおよびASGVの発生調査を行った。その結果,HSVdが最も頻繁に,次いでCVd-IIIが多くの樹から検出された。CVd-OSはウンシュウミカンや‘不知火'から,CVd-I-LSSは‘不知火'から多く検出された。CEVd,CBLVd,CVd-IVおよびASGVはさほど頻繁には検出されなかった。これらは単独感染もあったが,様々な組合せの複合感染が多く確認され,HSVd,CVd-IIIおよびCVd-OSの組合せが最も多く,‘不知火'ではさらにCVd-I-LSSも含めた組合せが多く認められた。‘不知火'は生産者および消費者の人気が高く,初期に未検定の穂木が多く出回り,特に高接ぎ樹でウイロイドの複合感染が多かった。無毒化処理を行って検定済みの穂木,苗木を導入していくことが,その防除対策として重要であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

ウイロイドは,タンパク質の外殻を持たない裸の環状1本鎖RNAのみからなり,自己複製する最も小さい植物病原体である。現在,2科7属に分類され合計約30種のウイロイドが報告されているが,そのうちカンキツの保毒するウイロイドは最も種類が多く,また,複合感染の例も知られている。本研究では,国内のカンキツが保毒するウイロイドについて,その病原性と種類を生物検定ならびに分子生物学的手法により解析するとともに,それらすべてのウイロイドを同時に検出できるマルチプレックスRT-PCRを開発し,多様なウイロイドが国内のカンキツ圃場に広く蔓延している現状を明らかにした。

国内のカンキツが保毒するウイロイドの類別と病原性解析

国内より樹勢衰弱を呈するカンキツ樹の穂木を多数収集し,それらから抽出した低分子RNAについて未変性及び変性条件を組合せた逐次的な同方向電気泳動(sPAGE)ならびにRT-PCRを行ったところ,カンキツエクソコーティスウイロイド(Citrus exocortis viroid,CEVd),カンキツベントリーフウイロイド(Citrus bent leaf viroid,CBLVd),ホップ矮化ウイロイド(Hop stunt vrioid,HSVd),カンキツウイロイドIII(Citrus viroid III,CVd-III)およびカンキツウイロイドIV(Citrus viroid IV,CVd-IV)の全5種が検出された。次いで, 既報のCBLVdとは異なるCBLVd様RNAを精製し,エトログシトロン系統アリゾナ861-S1に接種したところ,CBLVdによるものと類似した若干激しい病徴が観察された。本ウイロイドは327塩基の環状1本鎖RNAであり、CBLVdと最も高い相同性(約84%)を示したことから,本ウイロイドをカンキツウイロイドI-LSS(Citrus viroid I-low sequence similarity,CVd-I-LSS)と名付けた。また, CBLVdともCVd-I-LSSとも異なるCBLVd様RNAを精製し,エトログシトロンに接種したところ,軽微な葉の下垂と葉柄の褐変を生じた。本ウイロイドは330塩基の環状1本鎖RNAであり,中央保存領域の配列からApscaviroid属に分類されたが, CVd-IIIとはその相同性が約68%と低く,また、病徴も既報のウイロイドとは異なることから, 本ウイロイドをカンキツウイロイドOS(Citrus viroid OS,CVd-OS)と名付けた。さらに, 国内のカンキツが保毒するウイロイドについて,それぞれの特異的RT-PCRによる増幅断片の塩基配列を解析したところ,種内に多様な塩基配列変異株が存在することが確認された。特にHSVd変異株の中には,カクヘキシア病を引き起こす変異株と全く同じ配列を持つものの他,カクヘキシア病変異株に特徴的な6塩基置換を持つ変異株が8株以上あることを見いだした。また,台木にエクソコーティス病様の激しい剥皮症状を示すカラタチ台カンキツ樹のいくつかからはCEVdは検出されず,その他のウイロイドの複合感染が認められた。

カンキツのウイロイドとリンゴステムグルービングウイルス(ASGV)の国内での発生調査

カンキツの6種の全ウイロイドならびにカラタチ台カンキツ樹の接木部異常病の病原であるリンゴステムグルービングウイルス(Apple stem grooving virus,ASGV,別名:カンキツタターリーフウイルス)すべてを同時に検出できるマルチプレックスRT-PCRを開発した後, 一般圃場を中心に採集した国内のカンキツ217樹について,マルチプレックスRT-PCRにより各ウイロイドおよびASGVの発生調査を行った。その結果,HSVdが最も頻繁に,次いでCVd-IIIが多くの樹から検出された。CVd-OSはウンシュウミカンや‘不知火'から,CVd-I-LSSは‘不知火'から多く検出された。

以上を要するに、国内のカンキツが保毒するウイロイドについて,その病原性と種類を生物検定ならびに分子生物学的手法により解析するとともに,それらすべてのウイロイドを同時に検出できるマルチプレックスRT-PCRを開発し,多様なウイロイドが国内のカンキツ圃場に広く蔓延している現状を明らかにした。本研究で得られた成果は学術上、応用上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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