学位論文要旨



No 215851
著者(漢字) 中原,桂子
著者(英字)
著者(カナ) ナカハラ,ケイコ
標題(和) 鳥類松果体のメラトニン概日リズムに関する研究
標題(洋) Studies on Circadian Oscillation of Melatonin Release in Avian Pineal Gland
報告番号 215851
報告番号 乙15851
学位授与日 2004.01.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15851号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 助教授 田中,智
 東京大学 助教授 武内,ゆかり
内容要旨 要旨を表示する

地球上のあらゆる生物は地球の自転や公転が作り出す周期的環境に曝されており、進化の過程でこの周期的環境に同調すべく計時機構、すなわち生物時計を具備したと推測されている。この時計は毎日の睡眠-覚醒リズム、体温リズム、内分泌、代謝あるいは免疫系のリズムなど多くの日内リズムを駆動し、恒常条件下でも約24時間のリズムを継続させる。近年の人間社会では自然の周期的環境に即さない生活様式も多くなり、それに伴う疾病も知られている。例えば海外旅行や夜間交代勤務などによる時差ボケもそのひとつである。その他に、季節性鬱病、睡眠-覚醒遅延症候群,他周期性高血圧や周期性胃潰瘍など生体時計の異常を伴う多くの疾患が報告されている。生物時計の研究は数十年前に始まり、時計部位の探索に多くの時間が費やされてきた。近年では分子生物学の研究手法により、幾つかの時計関連遺伝がクローニングされ、それらの相互作用も解明されつつある。しかし、一方で、光がどのように生体時計を調節しているのか?時計はどのように生体の種々のリズムを駆動しているのか?など、時計への入力機構や時計からの出力機構などの仕組みは依然不明のままである。鳥類松果体は光受容機構、時計機構およびメラトニン合成機構を備えており、培養下においても、それらの機能を共役することで光に同調したメラトニン分泌リズムを駆動することができる。すなわち、鳥類松果体は、時計への入力機構や時計からの出力機構などの仕組みを細胞レベルで解析できる好個な材料と思われる。本研究ではこのような背景をもとに、ヒヨコ松果体細胞を用いて、メラトニンリズムがどのように駆動されるのかを入力機構、出力機構の面から検討し、合わせて、松果体が時計として体のリズムをどのように調整しているのかを研究した。

まず、ヒヨコ松果体細胞1個1個に光受容器、時計機構およびメラトニン合成系が備わっており、一個の細胞でも光に同調したメラトニン分泌リズムが駆動できるのか?あるいは、それぞれの細胞が機能を分担して組織としてリズムを駆動しているのか?という根本的な疑問に答えるため、1ウェルあたりに、一個の松果体細胞を培養し、そこからのメラトニン分泌を明期、暗期、あるいは恒常暗期で測定した。その結果、一個一個の細胞から明期に低く、暗期に高いメラトニン分泌リズムが示され、そのリズムは恒常暗下でも維持されていた。光条件を逆転しても、この関係が認められた。この結果からヒヨコ松果体では個々の細胞それぞれに光受容器、時計機構、およびメラトニン合成機構が備わり、それらが共役することでメラトニンリズムを駆動できることが判明した。

そこで次に、時計のリズムはどのような細胞内伝達系を使ってメラトニンリズムを駆動しているのかを検討した。これまでメラトニンの分泌がサイクリックAMP (cAMP)によって促進されることが報告されていたことから、時計のリズムもcAMPを介している可能性を推測した。そこで、恒常暗下で培養されたヒヨコ松果体細胞のメラトニンリズムの上昇期にcAMP依存性プロテインキナーゼAの阻害薬を培養液に添加したところ、メラトニンの上昇は阻止された。さらに、細胞内外カルシウムのキレート剤を添加したところ、cAMPの合成とメラトニン合成が平行して抑制された。以上のことから、時計のリズムは細胞内カルシウムを動員し、これによってcAMPの上昇を起こし、これがさらにメラトニン上昇を起こしていると推察された。もし、この仮説が正しければ、ヒヨコ松果体には細胞内カルシウムで活性化されるアデニル酸シクラーゼが存在することになる。最近、この酵素をクローニングし、カルシウム-カルモジュリン感受性のアデニル酸シクラーゼタイプVIIIが存在することを確認している。

最近の研究では、ラット松果体のメラトニン合成がPituitary adenylate cyclase-activating polypeptide (PACAP)によって促進されることが報告されている。ヒヨコ松果体のメラトニン合成がVIPによって促進されることが知られていたが、PACAPとVIPは同族ホルモンで受容体には両者を認識するものもある。そこで、ヒヨコ松果体がラットと同様にPACAPに反応し、メラトニン合成を促進するか否かを検討した。その結果、PACAPの添加量に依存してメラトニン分泌量が促進された。VIPのアンタゴニストと同時にPACAPを添加すると、PACAPの効果は若干減衰したが、完全に阻止することはできなかった。このことからヒヨコ松果体にはPACAPに特異的な受容体(VIPに感受性の無い)が存在する可能性が推察された。そこで、次に、RT-PCRで受容体のタイプを検討した結果、PACAP-r1と言うPACAP特異的受容体の存在が確認された。以上の結果から、ヒヨコ松果体細胞にはPACAP特異的受容体が存在し、メラトニンの合成系に作用することが示唆された。次に、このPACAPがメラトニン合成系のみならず、時計に対しても、あるいは時計を介して作用している可能性を検討するため、PACAPのパルス添加による位相変位の有無を調べた。しかし、PACAPパルスに対してリズムの位相には影響が認められなかった。このことからPACAPはメラトニン合成に直接作用していると推察された。

次に、光はどのようにして時計を同調(リセット)しているのか?と言う疑問を解く一助として、光受容器から時計へのシグナル伝達について検討した。光の同調作用は、光パルスが時刻依存性にリズムを前進させたり、後退させたりすることを基本としている。そこで、ヒヨコ松果体細胞に光パルスを与え、メラトニンリズムの位相が前進するときに、種々のシグナル伝達阻害剤を添加した。その結果、細胞内カルシウムの枯渇剤であるタプシガルジンやシクロピアゾン酸によって光による前進作用は阻止された。さらに、カルシウム貯蔵の小胞体のライアナジン受容体アンタゴニストであるダントロレンやルテニウムレッドによっても光による前進作用は阻止された。以上のことから、光による時計の同調、特にリズム前進作用は細胞内小胞体のカルシウムの一過的放出によるのではないかと推測された。一方、光による後退作用には先の薬物は無効であり、前進作用と後退作用の細胞内伝達機構は異なることが示唆された。ラットの場合、一酸化窒素が光による時計同調作用に関与していることが示唆されているが、ヒヨコ松果体では一酸化窒素合成阻害薬は効果が無かった。このことは鳥の松果体と哺乳類の視交叉上核の時計の光同調機構が異なることを示唆している。

鳥類の松果体の時計はどのようにして体の諸機能の日内リズムを調節しているのであろうか?形態学的に、鳥類松果体からの神経性出力は殆ど無いことから、時計のリズムは液性物質を使って調節していると考えられる。中でも松果体ホルモン、メラトニンが著名なリズムを有する事から、メラトニンリズムを通して直接作用している可能性が推測される。しかし、仮に松果体以外にも時計機構(例えば視交叉上核など)があり、メラトニンがこの時計を同調させて、全身のリズムを支配している可能性も否定できない。事実、鳩や文鳥では視交叉上核も時計として重要であることが示されている。そこで、スズメとウズラを使用し(ヒヨコは成長速度が速く、行動リズムを測定するのに適していないので)、メラトニンを毎日定刻に投与したとき、リズムを同調できるか否かを検討した。その結果、リズムの同調は起こさないが、行動を直接抑制する効果が観察された。このことからメラトニンが松果体以外の時計機構に作用している可能性は否定された。メラトニンによる行動抑制は投与量依存性であり、このとき体温の下降を伴った。体温下降はメラトニンを活動期に投与した方が休息期投与よりも顕著に現れた。以上の結果は、鳥類のメラトニンは直接、行動や体温を抑制することを示している。このことは鳥類では、松果体からメラトニンが夜間に多量に分泌されることにより、行動の抑制と、体温の下降が誘起され、いわゆる休息状態になると推察される。

もし、先の仮説が正しいのであれば、夜行性鳥類の場合、メラトニンが夜に分泌されるにも関わらず行動できるのはなぜか?という疑問が生じる。そこで、夜行性のフクロウにメラトニンを投与したところ、体温は減少させたが行動の抑制は認められなかった。すでにフクロウの松果体は退化しており、メラトニンによる行動抑制も進化上、消失したのかも知れない。

このメラトニン末梢投与による行動抑制や体温下降はメラトニンがどの部位に作用して誘起されたものであろうか?また、行動の抑制は体温下降によって起こされたものなのであろうか?あるいは逆に、行動抑制によって体温下降が起こったのであろうか?と言う疑問が生じる。そこで、ウズラにおいて脳の種々の場所に慢性的カニューレを装着し、メラトニンの微量投与を行い、行動と体温を測定した。その結果、メラトニン投与によって行動のみ抑制される部位、体温のみ抑制される部位、両者ともに抑制される部位および両者ともに影響されない部位に分かれることが判明した。このことからメラトニンは脳内のそれぞれの部位において作用し、行動や体温を調節していると推察された。

以上のことから、鳥類松果体のメラトニンリズムの入力系、出力系をまとめると、ヒヨコ松果体1個1個に光受容器、時計機構およびメラトニン合成機構が備わっており、明暗条件下では光は受容器で感知されると細胞内小胞体中のカルシウムを一過的に放出させ、時計のリセットを行う。光シグナルのない恒常暗条件下では時計からのシグナルはカルシウムを動員し(あるいは細胞外カルシウムの取り込みを起こし)、カルシウムーカルモジュリンによりアデニル酸シクラーゼタイプVIIIを活性化する。 その結果、cAMPの上昇が起こり、これによってメラトニン上昇を誘導する。またメラトニン合成系にはPACAP依存系も存在する。松果体から分泌されたメラトニンは中枢へ作用し、行動抑制と体温抑制を起こす。すなわち、鳥類の松果体は外界の光条件に同調し、夜間に分泌が亢進し、行動や体温抑制を行う主時計(マスタークロック)としての機能を果たしていると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

地球上のあらゆる生物は地球の自転や公転が作り出す周期的環境に曝されており、進化の過程でこの周期的環境に同調すべく計時機構、すなわち生物時計が具備されたと推測されている。生物時計は毎日の睡眠-覚醒リズム、体温リズム、内分泌、代謝あるいは免疫系のリズムなど多くの日内リズムを駆動し、恒常条件下でも約24時間のリズムを継続させる。

鳥類松果体は光受容、時計およびメラトニン合成などの機能を備えており、培養下においてもそれらを共役することで光に同調したメラトニン分泌リズムを駆動することができることから、時計への入力機構や時計からの出力機構などの仕組みを細胞レベルで解析できる好個な材料である。本研究ではこのような背景をもとに、ヒヨコ松果体細胞を用いて、メラトニンリズムがどのように駆動されるのかについて、特に入力機構、出力機構の面から検討し、松果体が時計として体のリズムをどのように調整しているのかが研究されている。本論文は鳥類松果体のメラトニン概日リズムに関する研究に関するもので以下に記す6章より構成されている。

1章では、培養皿1ウェルあたりに1個の松果体細胞を培養し、そこからのメラトニン分泌を明期、暗期、あるいは恒常暗期で測定した。その結果、単独の細胞でも明期に低く、暗期に高いメラトニン分泌リズムが示され、そのリズムは恒常暗下でも維持されていた。光条件を逆転しても、この関係が認められた。この結果からヒヨコ松果体では個々の細胞それぞれに光受容器、時計機構、およびメラトニン合成機構が備わり、それらが共役することでメラトニンリズムを駆動できることが判明した。

2章と3章ではcAMP依存性プロテインキナーゼAの阻害薬およびカルシウムキレート剤を用いたヒヨコ松果体細胞培養系の実験から、時計のリズムは細胞内カルシウムを動員し、これによってcAMPの上昇を起こし、これがさらにメラトニン上昇を起こしていると推察された。最近、カルシウム・カルモジュリン感受性のアデニル酸シクラーゼタイプVIIIが存在することが確認されている。また、ヒヨコ松果体細胞にはPituitary adenylate cyclase-activating polypeptide (PACAP)特異的受容体が存在しメラトニンの合成系に作用することから、PACAPはメラトニン合成に直接作用していると推察された。

4章では、光による時計の同調に関する、光受容器から時計へのシグナル伝達について検討している。ヒヨコ松果体細胞に光パルスを与えメラトニンリズムの位相が前進するときに、種々のシグナル伝達阻害剤を添加した実験より、光による時計の同調、特にリズム前進作用は細胞内小胞体のカルシウムの一過的放出によるのではないかと推測された。一方、光による後退作用には先の薬物は無効であり、前進作用と後退作用の細胞内伝達機構は異なることが示唆された。このことは鳥類の松果体と哺乳類の視交叉上核の時計の光同調機構が異なることを示唆している。

5章では、鳥類の松果体の時計による体の諸機能の日内リズム調節機構について研究している。鳥類松果体からは神経性出力は無いことから、時計のリズムは液性物質を使って調節していると考えられた。そこで、スズメとウズラを使用し、メラトニンを毎日定刻に投与したときリズムを同調できるか否かが検討された。その結果、リズムの同調は起こさないが、行動を直接抑制する効果が観察され、鳥類ではメラトニンは直接、行動や体温を抑制することが明らかにされた。

6章では、ウズラ脳の種々の場所に装着した慢性的カニューレより、メラトニンの微量投与を行い、メラトニンによって行動のみ抑制される部位、体温のみ抑制される部位、両者ともに抑制される部位および両者ともに影響されない部位を明らかにしている。

このように本研究では、松果体細胞1個の培養系に代表される独自に開発した実験技術や、様々な鳥類を比較することなど独自の実験系を駆使し、鳥類松果体のメラトニンリズムの入力系、出力系について多くのことを明らかにした。その結果、鳥類の松果体は外界の光条件に同調し、夜間に分泌が亢進し、行動や体温抑制を行う主時計(マスタークロック)としての機能を果たしていることを明らかにし、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51216