学位論文要旨



No 215854
著者(漢字) 小林,彰子
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ショウコ
標題(和) アレルゲン腸管透過抑制成分の解析およびアレルギー予防食品の開発
標題(洋)
報告番号 215854
報告番号 乙15854
学位授与日 2004.01.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15854号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 大久保,明
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 東京大学 助教授 反町,洋之
内容要旨 要旨を表示する

食物アレルギーは、「摂取した食物に対する免疫系の過剰反応」と定義されている。しかし近年、食環境および食習慣が多様化したために、一口に「免疫系の過剰反応」といっても単純でなくなり、その症状も複雑化している。とくに、早期離乳によって、消化管が未熟な乳児がアレルギー原因物質(アレルゲン)を摂取するようになり、アレルギー患者の増加に繋がっている。食物アレルゲンの侵入経路である消化管粘膜は、本来なら、消化酵素や分泌型IgA によるアレルゲン性の失活と高分子量化合物の吸収を妨げるバリア機能を備えているはずのところ、これらの機構が未熟であったり、破綻したりするとアレルギーを発症する。

本研究は、アレルゲンの侵入経路である消化管粘膜のバリア機能を高めることができれば、多様な食物アレルゲンの侵入を防除でき、食物アレルギーの予防や治療に繋がるという作業仮説に基づいてなされたものである。

本論文は第1章の序論に続き、第2章では、低アレルゲン化小麦粉を連続的に摂取した患者にアレルギー症状が緩和されるといういくつかの臨床例に基づき、低アレルゲン化小麦粉を研究素材としたところ、そこにアレルゲンの腸管透過を抑制する活性があることを確認し、活性成分を単離・同定した。すなわち、NMRスペクトル、マススペクトルおよびエドマン分解により、これをTrp-Ser-Asn-Ser-Gly-Asn-Phe-Val-Gly-Gly-Lys と同定した。この場合、N末端アミノ酸であるトリプトファンを遊離型で投与してアレルゲン腸管透過抑制活性を調べると10-2Mであったのに対し、このウンデカペプチドは10-7Mで活性を示した。活性に必須な構造を合成ペプチドおよびアミノ酸エステルを用いて調べた結果、カルボキシル基がマスクされたトリプトファン残基が活性発現に重要であると結論した。

第3章では、トリプトファン以外のアミノ酸のエチルエステルおよびグリシンとのジペプチドについてアレルゲン透過抑制を検討したところ、フェニルアラニンおよびチロシンのエチルエステルおよびC末端グリシンとのジペプチドに活性が認められ、ロイシンエチルエステルには活性が認められなかったことから、アレルゲン腸管透過抑制を示す構造は芳香族アミノ酸残基であることが明らかとなった。さらに、トリプトファンエチルエステル(Trp-OEt)をモデル化合物とし、ヒト結腸癌由来の培養細胞株Caco-2 に対する透過抑制機作の検討を行った。その結果、Caco-2 単層膜において、代謝阻害剤であるアジ化ナトリウムの添加によってオボアルブミンの透過が抑えられたことから、Trp-OEtはエネルギー依存的輸送(トランスセルラー経路による輸送)を阻害すると推測した。次いで、アジ化ナトリウム単独添加群とアジ化ナトリウムとTrp-OEtの同時添加群との間に抑制活性に差が認められなかったこと、Trp-OEtがトランスセルラー型透過のモデル化合物である西洋わさびペルオキシダーゼの透過を抑制したこと、パラセルラー型の透過のモデル化合物であるデキストランの透過を抑制しなかったことから、このエステルはトランスセルラー経路を阻害すると結論した。これは、腸管においても、芳香族アミノ酸誘導体が腸管の高分子化合物透過のバリア機能を高めている可能性を示唆するものである。

第4章では、トリプトファン残基を含むペプチドを発酵食品から分離することを試みた。現実に、エダムチーズにはアレルゲン腸管透過抑制活性が見出されたことから、その成分の単離・同定を行い、NMRスペクトル、マススペクトルおよびエドマン分解でこれを Asp-Lys-Ile-His-Pro-Phe と同定した。このペプチドは10-7Mで卵アレルゲンの1つであるオボアルブミンおよび乳アレルゲンの1つである β-ラクトグロブリンの透過を抑制したことから、非特異的にアレルゲンの透過を抑制すると結論した。このことから、「抗原となる可能性のある高分子タンパク質の侵入を抑制する成分を乳から供給する」という哺乳の意義を提唱した。さらに、 Asp-Lys-Ile-His-Pro-Phe 無添加時における Caco-2 単層膜透過液の SDS-PAGE パターンは、43.8 kDa 付近の強い蛍光バンドのみを示したことから、本アッセイ系では、添加したタンパク質アレルゲンが Caco-2 のもつプロテアーゼ類による分解を受けることなく透過することが証明された。さらに、Asp-Lys-Ile-His- Pro-Phe 添加の場合には、 オボアルブミンのバンドが殆ど検出されなかったことから、このタンパク質の透過は有効に抑制されていることが判明した。

第5章では、ペプチド以外のアレルゲン腸管透過抑制成分の検討を行った。スクリーニングの結果、ハーブや香辛料に高い活性が認められた。特に活性の高かった オールスパイス、コリアンダー、タラゴンおよびタイムから活性成分を単離し、NMRスペクトルおよびマススペクトルによって活性成分を解析し、これらを pimentol (オールスパイス由来)、rosmarinic acid (タイム由来)、luteolin-7-O-β-glucuronide (タイム由来)、quercetin-3-O- β-glucuronide (コリアンダー由来) および rutin (タラゴン由来) と同定した。これらの成分の構造・活性相関を検討した結果、ベンゼン環のo-ジフェノール構造が活性に必須であることが明らかになった。ポリフェノール系活性成分は、抗原によって引き起こされるマスト細胞や好塩基球からのヒスタミン等のケミカルメディエーターの放出抑制作用およびアラキドン酸カスケードに関与するサイクロオキシゲナーゼやリポキシゲナーゼ等の酵素を阻害することによって、アレルギーの炎症を抑えることで知られているが、本研究で見出したポリフェノール類はアレルゲン腸管透過抑制という新規の活性を示す成分であり、ポリフェノール類が持つ生理機能に1つの新たな価値を付加し得た。

第6章では、ペプチド系活性成分とポリフェノール系活性成分の両者を含むアレルゲン腸管透過抑制活性を有する食品の製造工程を確立する意図の研究を行った。o-ジフェノール構造を有するポリフェノールは抗酸化活性をもつことが知られているため、油糧種子に存在すると予測し、しかもタンパク質含量の高い油糧種子を選択した。さらに低分子量画分の活性およびコストを考慮して、油糧種子脱脂糟を原料として用いることにした。油糧種子脱脂糟をスクリーニングした結果、黒ゴマ脱脂糟を出発原料に選んだ。また、苦味を発生させることなく高度にタンパク質を水溶化させる粗トリプシンを酵素として選択した。以上の結果を踏まえて、脱脂黒ゴマ糟に粗トリプシンを加えて、40℃、pH8 で3時間反応した後、酵素失活と有効成分の抽出のために加熱処理を行い、遠心分離上清を凍結乾燥することによって、アレルゲン腸管透過抑制食品を製造するという一連の工程を提出した。この製品の主要な活性成分は、トリプトファン、Ser-Asn-Ala-Leu-Val-Ser-Pro- Asp-Trp-Ser-Met-Thr-Gly-His、sesamino1 2'-O-β-glucopyranosyl(1→2)-O-β-gluco- pyranoside および sesamino1 2'-O-β-glucopyranosyl(1→2)-O-[β-glucopyranosyl- (1→6)]-O-β-glucopyranoside であった。

本研究は、アレルゲンの腸管からの吸収を抑制することによって、食物アレルギーを予防・治療することを目的として行われたもので、まず、アレルゲンの腸管吸収抑制化合物を同定してから活性発現に必要な部分構造を一般化し、次いで、工業化が可能な抗アレルギー食品製造工程を提案するという構成になっている。最も強調したい箇所は、製造工程を当初の作業仮説に基づいて計画的に構築した点である。ここで提出した工程は、知的所有権(特願2002-161695)を主張し終え、近い将来、工業化を企画している。

審査要旨 要旨を表示する

食物アレルギーは、「摂取した食物に対する免疫系の過剰反応」と定義される。しかし、その症状は、食環境・食習慣の多様化とともに複雑かつ重篤なものになろうとしている。とくに、消化管の未熟な乳児が早期離乳によって通常のアレルギー原因食品物質(例えば卵、小麦など)を摂取し始めると、取り込まれたアレルギー原因物質(アレルゲン)によって感作され、それが引き金になって、成長後もさまざまな食品でアレルギー症状を呈する。対応策として、申請者らのグループは小麦アレルギーを例にとり、そのセルラーゼ(多糖アレルゲン分解用)・アクチナーゼ(タンパク質性アレルゲン分解用)処理によって低アレルゲン小麦粉を作製し工業化した。一方、ハーブなどの食品素材そのものにアレルギー低減効果があるとされるが、詳細は不明のままである。

こうした背景から本研究では、食物アレルゲン取り込み経路である消化管粘膜のバリア機能を高めてその透過を防ぎ、アレルギー予防食品を作出する新しい試みを行った。すなわち、ヒト結腸癌由来の細胞株Caco-2に対する卵アレルゲンovalbumin (OVA) および乳

アレルゲンβ-lactoglobulinの透過抑制活性を指標にして食品素材からスクリーニングを行い、多様な有効成分を同定した。また、この知見の一部を基盤にして食品を酵素処理し、アレルギー予防食品を製造する新規の工程の有用性を提唱した。

本論文は上記の内容を述べた序章に続き、第2章、第3章では、低アレルゲン化小麦粉に残存するセルラーゼ(上記)のペプチド断片がたまたまアレルゲン透過抑制活性をもつこと、その有効因子はWSNSGNFVGGKであること、しかも10-7Mでトランスセルラー経路を阻害することが記述してある。これをきっかけとして以下の研究に入った。

第4章の研究では、乳アレルギーの予防に乳由来のペプチドが有効であるか否かを検討するため複数種のチーズを検索した結果、エダムチーズのβカゼイン由来のDKIHPFがやはり10-7Mでアレルゲン透過抑制活性を示すことが判明した。この場合、上記ペプチド無添加(対照)ではOVAはintactで取り込まれた。すなわち、アレルゲンの取り込みを抑制する因子を乳から供給するという哺乳の新しい意義を見いだす糸口が本章の研究によって拓かれた。

第5章の研究では、乳とは無関係ながらアレルギー予防の効果が期待されているハーブ(上述)および香辛料を対象として検索を試みた。その結果、活性因子としてpimentol(オールスパイス由来)、rosmarinic acid(タイム由来)、luteolin-7-O-β-glucuronide(タイム由来)、quercetin-3-O-β- glucuronide(コリアンダー由来)および rutin(タラゴン由来)を単離・同定した。これらの成分は10-4〜10-6Mで活性を示し、これらに共通のベンゼン環オルトジフェノール構造が活性に関与していることが推定された。本研究はポリフェノール類に既知機能(抗酸化性)とは異なる特徴が併存することを示す最初の例である。

第6章では、黒ゴマを素材として、アレルギー予防食品を実際に製造する工程の開発を目途とした研究の経緯を述べている。すなわち、黒ゴマ脱脂糟を予備的にトリプシンで処理したところ、アレルゲン透過抑制活性の上昇をみた。同定された有効因子はトリプトファン、SNALVSPDWSMTGH、sesamino1 2'-O-β-glucopyranosyl(1→2)-O- β-glucopyranoside および sesamino1 2'-O- β-glucopyranosyl(1→2)-O-[β-glucopyranosyl (1→6)]-O- β-glucopyranosideであった。そこで、より有効な製造条件を検索した結果、トリプシン濃度0.1% (w/w)、処理温度40℃、処理時間3 hr(黒ゴマタンパク質水解度50 %)を当面の最適条件とし得た。

以上を要するに本論文は、アレルゲン腸管透過抑制を指標にして、アレルギー予防の効果が期待されるいくつかの食品のスクリーニングを行い、有効食品を見いだすとともに、多様な有効因子を同定した経緯を論述している。現時点では、構造・活性相関の詳細な解析は行われていないが、構造を異にするさまざまな有効因子にこうした共通の機能があることは興味深く、この領域の研究に新たな方向を拓くものである。しかも、申請者は、基礎解析に終わることなく、実用化を目途とする開発研究へも踏み込んでおり、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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