学位論文要旨



No 215856
著者(漢字) 武藤,進悦
著者(英字)
著者(カナ) ムトウ,シンエツ
標題(和) 昆虫フェロモンの合成研究
標題(洋)
報告番号 215856
報告番号 乙15856
学位授与日 2004.01.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15856号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 早川,洋一
 東京大学 助教授 渡邉,秀典
内容要旨 要旨を表示する

農薬だけの害虫防除から農薬とフェロモンや天敵などを取り入れた総合的害虫管理へ考え方が変わってきている現在、フェロモンがモニタリングや交信撹乱の目的で重要な役割を担うようになってきた。しかし、フェロモンは天然から微量にしか得られず、その活性も様々であり、フェロモンの構造決定や生物活性相関を明らかにすることが、大きな課題となっている。また、害虫防除には合成フェロモンが使用されるため、フェロモンの効率的合成法の開発も今後より重要な問題となると考えられる。そこで、本論文では、エポキシフェロモンの効率的合成法について研究し、また、天然物の構造決定では完全に構造を決定されなかったフェロモンの構造を合成により明らかにすることにした。

コシロモンドクガの性フェロモンの合成

マンゴーやライチの害虫であるコシロモンドクガの性フェロモン(posticlure)は蛾のフェロモンとしては数少ないトランスエポキシドの構造を有している。そこで、トランスエポキシドの効率的、高鏡像体純度な構築を行うことにした。

2を出発原料として、Sharplessの不斉ジヒドロキシ化反応を用いて、(2R,3S)-3を99.5% eeで得た。(2R,3S)-3から3段階で(2R,3S)-4へと導き、続くWittig反応によりposticlure (1)の合成に成功した。

ヤナギドクガの性フェロモンの合成

1997年、Griesらはポプラや柳の害虫であるヤナギドクガからフェロモンを単離し、その構造を(3Z,6R*,7S*,9R*,10S*)-5であるとしたが、その絶対立体配置については不明であった。本研究では、絶対立体配置の決定を目的に全4異性体の合成を行なった。

ヤナギドクガの性フェロモンのようにシスのエポキシドを持つフェロモンは数多くあるが、既知の方法では、光学活性エポキシド部分を高鏡像体純度で効率的に合成する方法に問題があった。本研究の結果、cis-1,4-ブタンジオールから調製できる(±)-6を酵素分割することにより、各鏡像体を99.5% ee、98.1% eeという高い純度で得られることを見出した。この方法で調製した(2S,3R)-6から得られる(2R,3S,5Z)-8をエポキシ化して得たジアステレオマー混合物を中圧液体クロマトグラフィーで分離し、ジエポキシド(2R,3S,5R,6S)-9へ導いた。このジエポキシドから3段階を経て(3Z,6R,7S,9R,10S)-5を合成した。同様な方法で4異性体を合成し、生物活性試験の結果、(3Z,6R,7S,9R,10S)-5にのみ活性があることが明らかとなり、絶対立体配置は(3Z,6R,7S,9R,10S)-5であると決定できた。また、生物活性試験では、他の異性体に顕著な阻害活性がないことも明らかとなった。

Painted Apple Mothの性フェロモンの合成

本来オーストラリアに生息しているpainted apple mothが、数年前にニュージーランドで発見されて以来、急速に生息範囲を広げている。2001年、ニュージーランド園芸食糧研究所のM.Scukling博士はpainted apple mothの性フェロモンとして4つの成分を単離したが、10の構造が確定的でなく、また11、12の絶対立体配置は不明であった。本研究では、これらの4成分を合成し、立体構造を明らかにすることにした。

13から得られる14を経て、全3段階で9を合成した。また、14から得られる15を上西らのEZ選択的アルケン合成法を用いて10の合成に成功した。合成品10と天然物のMSスペクトルがほぼ一致することを確認した。第1編の第2章で開発した(2S,3R)-6を使って得られる共通中間体17を経て、(9S,10R)-11と(9S,10R)-12を合成することに成功した。同様に、逆の鏡像体も合成し、現在、生物活性試験が進行中である。

サシチョウバエの性フェロモンの推定構造を有するラセミ化合物の合成

1996年、Pickettは、リーシュマニア症の原因となる寄生原生虫を媒介するサシチョウバエの性フェロモンの推定構造として9-メチルゲルマクレン-Bを提出した。そこで、提出構造を合成することにより、フェロモンの平面構造を確認することにした。

ゲラニオール(19)から得られる20をClaisen転位により21とし、これを環化前駆体へと導き、高希釈条件下で環化することにより、(±)-9-メチルゲルマクレン-Bの合成に成功した。合成品と天然物の各種スペクトルが一致したことから推定構造に誤りがないことが明らかとなった。また、生物活性試験からラセミ体でも活性があることが判明した。

Flea Beetleの集合フェロモンの合成

Flea beetleの集合フェロモンは、セスキテルペン型の構造を持つ複数成分で構成されている。(1R,2S)-22はFlea beetle、Phyllotreta cruciferaeから新規に単離された集合フェロモンであり、未だ光学活性合成は行なわれていなかった。そこで、(1R,2S)-22及び(6S,7R)-23、(5S,5aR)-24、(S)-25の光学活性体合成に着手した。

(S)-シトロネラール(26)から得られる27をDieckmann縮合により28に導き、2段階を経て環化前駆体29とした。29をStorkらの条件下、Robinson成環反応により(1R,2S)-22とし、(1R,2S)-22から(6S,7R)-23、(5S,5aR)-24、(S)-25へ導いた。しかし、合成品の旋光度は天然物のそれらと符号が逆であった。そこで、合成した(1R,2S)-22のX線結晶構造解析及びCDスペクトルにより相対及び絶対立体配置を確認した結果、推定構造の絶対立体配置は逆であったことを明らかにした。

以上、本論文では、3種類の蛾のエポキシ環を含むフェロモンの合成と2種類のセスキテルペン構造を持つフェロモンの合成を行ない、効率的な光学活性エポキシアルコールの合成法を開発するとともに、天然から微量にしか得られないフェロモンの構造解析を有機合成によって行なうことの有用性を示した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は昆虫フェロモンの合成に関するもので3章よりなる第1編と2章よりなる第2編で構成されている。フェロモンは天然から微量にしか得られず、その活性はもちろん構造も多種多様で、さらに立体異性体がフェロモン活性を阻害する場合などもあるために、昆虫フェロモンを害虫防除に利用する上では、その第一段階として合成による構造決定や構造・活性相関研究が重要である。また、合成フェロモンの実用化のためには、効率的合成法の開発も重要な課題となる。筆者はこの点に着目し、含エポキシドフェロモンやセスキテルペノイドフェロモンの合成を行い、効率的合成法の開発や推定構造の確認、立体化学の確定、立体化学と生物活性の関係の解明などを行った。

まず序論で研究の背景について概説したのち、第1編では含エポキシドフェロモンの合成について述べている。まず第1章で蛾のフェロモンとしてはまれな、トランスエポキシドを有するコシロモンドクガの性フェロモン(1)の効率的かつ高鏡像体純度での合成について述べている。 Sharplessの不斉ジヒドロキシ化反応を鍵反応として得た (2R,3S)-2 (99.5% ee) を利用し、全6段階、収率25%での効率の良い合成を達成した。このものは台湾での野外試験において良好な結果が得られている。

第2章ではヤナギドクガの性フェロモン (3) の合成による絶対立体配置について述べている。この合成では非常に効率の良い光学活性キラルビルディングブロックの合成法 (4→5+6) を開発し、それを利用して3の全立体異性体の合成を行なった。合成した4異性体の生物活性試験の結果、(3Z,6R,7S,9R,10S)-5のみが活性を示したことから天然物の絶対立体配置が決定された。また、他の異性体には顕著な阻害活性がないことも明らかとなった。

第3章では、ニュージーランドで街路樹などに被害を与えているpainted apple mothのフェロモン成分の、構造決定を目的とした合成について述べている。フェロモン成分として7, 8, 9, 10 が推定されていたが、それぞれを合成し、天然物との各種スペクトルの比較により構造を確認した。また、9, 10については前章で開発した9, 10を利用して両鏡像体を合成した。現在行われている生物活性試験により絶対立体配置が明らかにされることが期待される。

第2編ではセスキテルペノイドフェロモンの合成について述べている。第一章ではリーシュマニア症を媒介するサシチョウバエの性フェロモンの推定構造 11の合成について述べている。ゲラニオールから得られる12をClaisen転位により13とし、その後の環化反応等により、ラセミ体の11を合成した。合成品と天然物の各種スペクトルが一致したことから推定構造が確定した。また、生物活性試験では充分な活性がみられ、ラセミ体でも利用可能であることが判明した。

第2章ではアブラナ科植物の害虫であるFlea beetleの集合フェロモン14, 15, 16, 17の光学活性体合成について述べている。 (S)-シトロネラール(18)から得た19のDieckmann縮合により20を調製し、このものからRobinson成環反応等により(1R,2S)-14を得た。さらに 14から(6S,7R)-15, (5S,5aR)-16, (S)-17へと導いた。天然物と合成品のX線結晶構造解析及びCDスペクトル等の比較の結果、提出構造の絶対立体配置が誤りであることを明らかにした。この結果を受けて、(R)-シトロネラールから天然の鏡像体も合成している。

以上、本論文は、3種類の蛾の含エポキシドフェロモンの合成と2種類のセスキテルペノイドフェロモンの合成を行ない、効率的な光学活性エポキシアルコールの合成法を開発するとともに、天然から微量にしか得られないフェロモンの構造解析を有機合成によって行なうことの有用性を示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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