学位論文要旨



No 215858
著者(漢字) 川島,堅二
著者(英字)
著者(カナ) カワシマ,ケンジ
標題(和) F.シュライアーマッハーにおける弁証法的思考の形成
標題(洋)
報告番号 215858
報告番号 乙15858
学位授与日 2004.01.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第15858号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金井,新二
 東京大学 助教授 市川,裕
 東京大学 助教授 池澤,優
 東京大学 教授 関根,清三
 同志社大学 教授 水谷,誠
内容要旨 要旨を表示する

F. シュライアーマッハー(1768-1834)の多方面にわたる業績の根底に、一貫して独自な弁証法的思考があることを示し、彼の思想的生涯を、その形成プロセスとして解明することがこの論文の目的である。

筆者は修士論文(1987年、東京大学)で、『宗教論』初版(1799)と第二版(1806)における宗教概念の比較研究を取り上げたが、研究を進めるにつれ、シュライアーマッハーの宗教思想の基礎に思弁的形而上学(超越論哲学)が存在しており、生前には刊行されなかった哲学的諸業績、とりわけ弁証法が、彼の思想の骨格を形成していることが分かってきた。

これに関連し1999年3月の国際シュライアーマッハー学会でアンドレアス・アルント (Andreas Arndt) は、当時まだ刊行されていなかった弁証法講義の筆記ノートの重要性を筆者に示唆した。そして私的利用にとどめ論文等に引用しないことを条件に、アルントが編集作業中の弁証法に関する未公開資料、とりわけシュライアーマッハーの最初の弁証法講義である1811年講義の聴講者アウグスト・トゥヴェステン (August Twesten) の包括的な筆記ノートの電子テキストを入手した。これを手がかりに、シュライアーマッハーの諸業績を弁証法を軸に分析するというこの論文の構想ができあがった。そして、昨年(2002年)末、アルントの編集によるシュライアーマッハーの弁証法講義が、現時点で可能な限り完全な形で、すなわち、現存する全ての草稿と筆記ノートが、新版の全集の一巻として刊行され、これにより、事前に私的に入手した資料も公に用いる条件が整ったのであった。

シュライアーマッハーの弁証法研究はこのアルント版の刊行によって文字通り振り出しに帰ったと言える。すなわち、19世紀後半から20世紀前半にかけて、不完全な草稿や筆記ノートの批判的な校訂作業が、ヨナス (Jonas, 1839)、ヴァイス (Weiβ, 1878/79/80)、ハルペルン (Halpern, 1903)、オーデブレヒト (Odebrecht, 1942) によってなされ、研究の基礎となるテキストの確定が試みられ、最終的にヨナス版旧全集所収の講義草稿(1814/15年講義)とオーデブレヒト編集によるテキスト(1822年講義)の二つが、最も信頼し得る基礎資料として、その後の研究史を規定することになる。こうした文献学的研究と並行して、その内容についての研究が特に哲学の方面からなされてきたが、それは、特にディルタイがシュライアーマッハーを哲学的解釈学の祖と定めて以来、シュライアーマッハー解釈学への関心の高まりと連動している。すなわち、その解釈学を主題として、キンマーレ (Kimmerle, 1957, 1962)、ガダマー (Gadamer, 1960)、フランク (Frank, 1977)、リクール (Ricceur, 1977) 等の業績がうまれるが、解釈学テキスト自身が断片的で未完成なものであるゆえに、その読解のために関連諸学、とりわけ弁証法が注目されたのである。こうして単行本としてヴァグナー (Wagner, 1974) やロイター (Reuter, 1979) の研究書が、論文としてはキンマーレ (1985)、アルント (1985)、ポテパ (Potepa, 1985) が、またシュライアーマッハー研究の重要な要素として弁証法を位置付けた包括的研究としては、ショルツ (Scholtz, 1984) やプレーガー (Pleger, 1988) が著された。しかしながら、今や基礎資料のレベルで更新が行われたことにより、以上の諸研究は、再検討される時期を迎えたと言える。特に上記諸研究の内、単行本としてシュライアーマッハーの弁証法そのものを全体的に扱っているのはヴァグナーとロイターであるが、それらに対する新資料に基づく批判と、新たな全体像の提示が今後のシュライアーマッハー研究の大きな課題となるであろう。今後ドイツ語圏を中心に、この種の研究は続々と現れることが予想されるが、この論文は、その先駆として特に弁証法の超越論部門について考察を行うものである。

内容の構成は、シュライアーマッハーの生涯の時代区分に従い、四つの部から成る。各部の時期とそこで考察の対象となるテキストは以下の通り。

序論:直観期以前(1768-1796)

「最高善について」(1789)、「自由について」(1790-92)、「生の価値について」(1792/93)、「スピノザの体系の概要」「スピノザ主義」(1793-94頃)

第I部:直観期(1796-1800)

『宗教論』初版(1799)、『独白録』(1800)、『シュレーゲルのルチンデについての親書』(1800)、「高貴な女性のためのカテキズム」(1798頃)、「社交的振舞いについての試論」(1799)

第II部:批判期(1801-1806)

『従来の倫理学説批判綱要』(1803)、「シェリングの『学問論』の書評」(1803)、「倫理学草案」(1805/06)、「倫理学講義」(1804/05、1807/08)、『宗教論』第二版(1806)

第III部:体系期(1807-1834)

「弁証法講義」(1811、1814/15、1818/19、1822、1828、1831)、『キリスト教信仰論』(1821/22、1830/31)

序論では、ヘルンフートの敬虔主義、ベーバーハルト、カント、ヤコービ、スピノザらとの取り組みにより、「直接的概念」としての「存在の感情」、「存在の根源的感情」等、批判期、体系期に通底する超越論的基礎概念が確認され、さらに、後の弁証法に通じる有限者(個)と無限者(普遍)の関係性もここで明らかにされる。

第I部直観期では、ドイツ初期ロマン派との出会いの中で、『宗教論』初版、『独白録』等、最初のまとまった著作群が著される時期である。「宗教」と「倫理」というシュライアーマッハーにとって重要な二大テーマが、テキストに即して考察され、社交理論と個体化理論、そして、ロマン派に対する「批判的同志」というシュライアーマッハーのスタンスが提示され、後の体系的諸学の萌芽が確認される。

第II部批判期では、直観期に芽吹いた思想が、カント、フィヒテ、シェリングという同時代の哲学者たちとの批判的関わり中で、学問的吟味に耐え得る姿に練り上げられていくプロセスが考察される。また同時期に独自な弁証法的論理(思弁的弁証法)を形成しつつあったヘーゲルについて考察し、シュライアーマッハーとの差異が、プラトン解釈の差異に由来することを突き止める。すなわち、シュライアーマッハーはヘーゲルのように弁証法を、運動する純粋思考の自己意識と解するのではなく、むしろ互いに語り合う個々人の共同性として理解している。ここから弁証法が、ヘーゲルの「止揚としての弁証法」に対してシュライアーマッハーの場合「相互性の弁証法」として規定されるという第III部の結論的考察の論拠の一つが提示される。

第III部体系期では、弁証法講義について、その前史、構想や名称の由来を考察後、六回の講義を「絶対者」「神」「世界」という超越論的根拠を中心に分析することにより、シュライアーマッハー弁証法の展開と核心を明らかにしていく。先述したように、この部分で、アルント版の新全集所収の新テキストを用いることにより、これまでの研究を更新する独自な内容が叙述されるが、それは次の二点である。

従来1814/15年講義からとされていた自己意識論、すなわち直接的自己意識における超越的根拠(神)の認識(シュライアーマッハーの神学と哲学の中核に置かれているテーゼ)が、すでに初回の1811年講義で展開されていることが、トゥヴェステンの筆記ノートから明らかにされる。

「神」と「世界」の関係が、弁証法講義の進展にしたがって、「一」と「多」という量的対立の側面から、しだいに「一者」と「他者」という質的対立へと変容していくが、従来この変化が決定的になるのは1822年講義とされていた (Reuter, 1979)。その解釈としては、同年の『キリスト教信仰論』初版との関わりで、神学による影響と説明されてきた (Halpern, 1901 ; Wehrung, 1920)。しかし、新全集に初めて収録された1818/19年講義の匿名の筆記ノート(1999年発見)により、この変化がすでに、それ以前に起こっていることが確認される。したがって、弁証法講義におけるこの変化は、神学との整合性という外からのものではなく、弁証法の内的発展の結果であると考えられる。

以上の二点は、共に、弁証法がシュライアーマッハーにおいて神学をも基礎付ける根源的な基礎論(技法論)として当初から構想されていたことを示している。

最後に思想史における位置付け、特に絶対的観念論の立場に立つフィヒテ弁証法との比較において、フィヒテ弁証法のエピゴーネンとするヴァグナーの解釈を退け、またシュライアーマッハー弁証法の固有性を「エロス的共振」とするロイターを、評価しながらも、むしろ、テキストに即してこれを「生の弁証法」と特徴付ける。その内容は「神」と「世界」の「共存」「二極共振」であり、それは直観期以前に確認された有限者と無限者の関係性、直観期の社交理論及び個体化理論と通底しており、シュライアーマッハーの思想が、弁証法的思考形成のプロセスとして一貫していることが示される。

最後に補遺として、1811年の最初の弁証法講義の序論と超越論部門が、シュライアーマッハーの草稿と、アルント編集の新全集(2002年)で初めて刊行されたトゥヴェステンの筆記ノートに基づき再構成されるが、これは第III部で展開される分析や考察の基礎資料となるものである。

審査要旨 要旨を表示する

川島堅二氏の博士学位申請論文「シュライアーマッハーにおける弁証法的思考の形成」は、最近発見され2002年に刊行されたシュライアーマッハーの1811年講義録にもとづいた最初の研究であり、これによって氏はシュライアーマッハーの弁証法的思考の全体像を世界に先駆けて提示することになった。と同時に、その宗教的思索の軌跡も改めて再構成された。

序論(直感期以前)では、シュライアーマッハーが、ヘルンフートの敬虔主義、エーバーハルト、カント、ヤコービ、スピノザなどとの取り組みをへて、「直接的概念」としての「存在の感情」など、後の諸時期にも通底する超越論的基礎概念を構築したことが確認される。さらに、後に弁証法へと展開される有限者(個)と無限者(普遍)の関係性の問題が追求されたことも重要である。

続く第I部直感期では、ドイツ初期ロマン派との出会いの中で、『宗教論』初版、『独自録』等、最初のまとまった著作群が著される時期が扱われる。特に重要なのは、「宗教」と「理論」という二大テーマの初期的展開、また社交理論と個体化理論の問題や、ロマン派にたいしてはかれの「批判的同志」というスタンスの問題などである。

第II部批判期では、直感期に芽吹いた思想が、カント、フィヒテ、シェリングらとの批判的関わりの中で学問的に練り上げられてゆくプロセスが述べられる。また特に、ヘーゲルとの対決において形成されたシュライアーマッハーの弁証法が、プラトンに淵源することが突き止められる。すなわち、かれの弁証法は、ヘーゲルの、運動する純粋思惟の自己意識における、「止揚としての弁証法」ではなく、互いに語り合う諸個人の共同性における、「相互性の弁証法」なのである。

第III部体系期では、つごう6回の弁証法講義にそくして、「絶対者」「神」「世界」等の概念・思想の展開が跡付けられる。ここでは、シュライアーマッハーの弁証法的思惟の形成プロセスが、同時にかれの宗教思想の形成プロセスとして述べられ、特に次の2点が重要な貢献となっている。第一は、かれの中心的テーマである直接的自己意識における超越論的根拠(神)の認識がすでに1811年の弁証法講義以来のものであること、第二に、神と世界との関係が一と多の量的なものから一者と他者の質的なものへと変容することがすでに1818/19年講義以前に生じていたこと、また、この変容は弁証法自体の内的発展の結果であること。これらの点は、いずれも従来の多数説を覆すものである。さらに、シュライアーマッハーのこのような弁証法的思惟は、かれの神学的思惟そのものをも根底から規定するものであり、それは「生の弁証法」と呼ばれるべきものであったとされる。

以上の川島氏の研究は、なお最近の諸研究とのより十分な対話が望まれるという面がありはするが、新たな資料にもとづく最新の研究成果としてきわめて高く評価でき、よって本審査委員会はこれを博士(文学)にふさわしいものと認める。また補遺として付された1811年講義の部分的(序論、超越論部門)再構成は、本論に劣らず今後の研究に大いに裨益するであろうことを付言しておく。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51204