学位論文要旨



No 215861
著者(漢字) 中村,昌幸
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,マサユキ
標題(和) 有機化学的手法に基づくスフィンゴ脂質代謝阻害剤の研究
標題(洋)
報告番号 215861
報告番号 乙15861
学位授与日 2004.01.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15861号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 助教授 眞鍋,敬
 東京大学 助教授 徳山,英利
内容要旨 要旨を表示する

スフィンゴ脂質は、膜脂質の主要なグループであり、長年その機能が不明であった。近年、その分解代謝産物が細胞内の伝達物質に関与していることなど重要機能分子であることが明らかとされ注目を集めている。有機化学の立場からスフィンゴ脂質の生体機能解明に向けてのアプローチとして、脂質の効率的な合成法の確立、強力な酵素阻害剤の創製などが行われている。

そこで筆者は、有機化学的手法を用いて、1)IPC合成酵素阻害剤khafrefunginの大量供給を目指した全合成と構造活性相関に関する研究、2)新規な有用物質創製のための不斉反応の開発、特にsphingofungin類を合成する際、有力な手法となる触媒的不斉向山アルドール反応を鍵とする光学活性β-ヒドロキシ-α-アミノ酸の合成法の開発を行った。

IPC合成酵素阻害剤khafrefunginの全合成及び誘導体合成

Khafrefunginは1997年、Merckグループより単離された抗真菌剤であり、スフィンゴ脂質の生合成経路 (Figure l) において、真菌のみに存在するInositolphosphorylceramide(IPC)合成酵素を特異的に阻害することから、創薬の見地からも有望なリード化合物である。Merckグループは khafrefunginの平面構造のみを提出したが、筆者らのグループは、その絶対立体配置を決定し、初の全合成を達成した。一方、同じIPC合成酵素阻害剤aureobasidin A(AbA)は宝酒造(株)によって単離され、環状デプシペプチドであることからこれまで多くの合成及び生物学的研究がなされてきた。一連の研究から、真菌のAbA耐性変異株から単離されたAUR1遺伝子はIPC合成酵素をコードしていることが明らかとなり、今回、筆者らの合成したkhafrefungin を用いて生物活性試験を行った結果、khafrefunginも同様にAbA耐性菌に対して抗真菌活性を示さず耐性であることが分かった。この結果から、両者は一見すると全く異なる分子構造を有しているにも関わらず、分子レベルではIPC酵素中、同じアミノ酸部位を認識している可能性が示唆された。この興味深い結果の詳細をさらに解明するためには、khafrefunginの構造活性相関の研究、khafrefunginを用いての生物学的、遺伝学的研究などが必要となる。しかしながらkhafrefunginは天然から極微量しか得ることができず、また最初の全合成は立体化学の決定が主目的のため、量的供給には問題を残していた。そこで筆者は、誘導体合成を視野に入れたkhafrefunginの大量供給を目的とした効率的全合成研究に着手した。

まず、逆合成解析として、khafrefunginを三つのフラグメントに切断した(Scheme 1)。フラグメントC(5) はアラビノースから四段階の反応で容易に合成できることから、フラグメントB(4)とC(5)をカップリングさせた後、工程数が長いフラグメントA(2)を結合させることにした。

フラグメントA(2)の合成に関しては、市販品である化合物6から五段階の反応を行うことにより7を合成した(Scheme 2)。次いで、三連続不斉中心の構築は先の全合成ルートに従い合成して、得られた8からCoreyらの手法を用いて、フラグメントA(2)を13.9g得ることができた。

フラグメントB(4)の合成は、既に筆者らのグループによって開発された、光学活性ジルコニウム錯体を用いる高アンチ選択的触媒的不斉向山アルドール反応を用いてC4位の不斉炭素の構築を行い、アルデヒド9にケテンシリルアセタール10を作用させたところ、高いジアステレオ、エナンチオ選択性をもって付加体11を13.2g得た(Scheme 3)。次いで11から七段階の反応によって、良好な収率をもってフラグメントB(4)9.3gへと変換することができた。さらに、Keckのエステル化条件下、12とフラグメントC(5)を、高収率をもって縮合することができた。

続いて、C7位とC8位の鈴木カップリング反応について、操作性、毒性を考慮して条件検討を行った結果、ワンポット鈴木カップリング反応が円滑に進行することを見出した(Scheme 4)。カップリング体14 3.0gから定法に従い、khafrefunginを200mg合成し、大量供給が可能な効率的全合成を達成した(Scheme 4)。

合成したkhafrefunginを用いて各種評価を行った。万有製薬つくば研究所薬物動態グループで代謝実験を行った結果、代謝部位は主に、エステル部の切断と脂肪鎖の水酸基化であることが分かった。また、合成したkhafrefunginを用いて詳細にNMR実験を行った結果、C4位とC7位のプロトン間に強いNOEが観測され、C4位において折れ曲がり構造を有していることが示唆された。

以上の結果を考慮して、活性と代謝安定性の向上、並びに特徴的な折れ曲がり構造の働きを明らかにするため、誘導体をデザイン、合成し、構造活性相関に関する知見を得た。すなわち、合成したkhafrefunginから誘導した六員環ラクトンは、同程度の活性を示した。この結果から、生体内では二つの構造が平衡状態で存在しているものと考えられる。次に、折れ曲がり構造を基にした誘導体は、活性が消失することが分かった。一方、エステル部を含めたアルドン酸部は、僅かな構造変換で活性が消失したことから、抗真菌活性には非常に敏感であることが明らかとなった。

キラルジルコニウム触媒を用いる光学活性アミノ酸誘導体の不斉合成

β-ヒドロキシ-α-アミノ酸はvancomycinやsphingofungin類など天然生理活性物質に多くみられる構造であり、また、創薬化学においても異常アミノ酸の一つとして、有用なビルディングブロックである。Sphingofungin Bは、アンチ-β-ヒドロキシ-α-アミノ酸構造を特徴とする天然物である。このような連続する不斉中心の構築は、有機合成上、重要な課題の一つであり、スフィンゴ脂質の分子レベルの機能解明だけでなく、様々な生理活性物質の合成においても有効かっ効果的な手法を与える。

β-ヒドロキシ-α-アミノ酸は、構造上の特徴から、アルデヒドとグリシン誘導体のアルドール反応が最も効率的な合成手法の一つであり、近年、触媒的不斉アルドール反応に関する研究が盛んに行われ、光学活性なアミノ酸の合成が報告されるようになった。しかしながら選択性、基質一般性や誘導体への変換等に課題があり、有用かつ実用的な反応開発が望まれていた。

一方、筆者らの研究室では最近、キラルジルコニウム触媒存在下、プロピオン酸由来のケテンシリルアセタールにアルデヒドを作用させると、アンチ選択的に反応が進行し、高いエナンチオ選択性を持って目的とするアルドール体が得られることを見出している。そこで筆者は、この触媒を用いて、sphingofungin Bや他の有用化合物へと誘導可能なアンチ-β-とドロキシ-α-アミノ酸を不斉合成する研究に着手した。

まず、グリシン由来のケテンシリルアセタールについて検討を行った。その結果、Simchenらにより報告されている、アミノ基がトリフルオロアセチル基で保護された16が、キラルジルコニウム触媒下、良好な収率、中程度のジアステレオ、エナンチオ選択性をもってシンアルドール付加体を与えることを見出した(Table 1)。

触媒量、添加剤を検討した結果、アンチ付加体が優先的かつ高いエナンチオ選択性で得られることが分かった(Table 2)。より活性の高い(R)-3,3',6,6'-I4BINOLを用いて反応を行ったところ、20mol%の触媒を用いることによって、高アンチ選択性、高エナンチオ選択性をもってアルドール付加体を得ることができた。しかしながら条件検討の過程において、無触媒でも反応が進行することが明らかとなった。そこで触媒が効率的に作用する反応条件を探索するため、さらに最適化を行った。その結果、10mol%の触媒存在下、16を反応液中へslow additionすると、アンチ選択性、エナンチオ選択性が共に向上することが分かった(Table 3)。PrOHを300mol%、16を八時間かけて反応液に加えることにより、高アンチ選択性、高エナンチオ選択性をもってアルドール付加体を得ることができた(entry 5)。

本反応は、様々な芳香族アルデヒドに対して、高収率、高エナンチオ選択性をもって進行した(Table 4)。さらに、種々の化合物へと変換可能なアルデヒド29,30に対しても、高いエナンチオ選択性をもって反応が進行することが分かった。特に、30を用いた際の生成物は、sphingofungin Bに見られる部分構造であり、天然物や他の誘導体合成の重要な鍵中間体である。

以上、筆者は、有機化学的手法によりスフィンゴ脂質代謝阻害剤の研究を行い、1) khafrefunginの大量合成を指向した効率的全合成を達成し、各フラグメントのマルチグラム合成および、khafrefunginの大量供給ルートの確立を行った。さらに合成したkhafrefunginを用いて各種評価を行い、構造活性相関に関する研究も行った。2) 筆者らの研究室で開発されたキラルジルコニウム触媒を用いる触媒的不斉向山アルドール反応によって、アンチ-β-ヒドロキシ-α-アミノ酸の立体選択的合成を行った。その結果、アミノ基がトリフルオロアセチル基で保護されたケテンシリルアセタールを反応液中へslow additionすることにより、高収率、高エナンチオ選択性でアンチ-β-ヒドロキシ-α-アミノ酸を得ることができた。本反応を用いることにより、sphingofungin類の合成やビルディングブロックとしての異常アミノ酸の合成が可能であり、さらなる研究の発展が期待できる。

Pathways for fungal and mammalian sphingolipid biosynthesis and natural inhibitors.

Retrosynthetic analysis for the synthesis of khafrefungin.

Synthesis of fragment A (2).

Synthesis of fragment B (4) and 13.

Suzuki-Miyaura coupling reaction and synthesis of khafrefungin (1).

審査要旨 要旨を表示する

近年、主要膜脂質グループであるスフィンゴ脂質は、その分解代謝産物が細胞内の伝達物質に関与していることなど、生体内において極めて重要な役割を果たしている分子であることが明らかとされ、新たな創薬のターゲットとして注目を集めている。本論文では、有機化学的手法を用いて、真菌のスフィンゴ脂質生合成経路における酵素阻害剤khafrefunginの大量供給を目指した全合成と構造活性相関に関する研究、及び新規な有用物質創製のための不斉反応の開発、特にスフィンゴ脂質合成阻害剤である sphingofungin 類を合成する際に有力な手法となる、触媒的不斉向山アルドール反応を鍵とする光学活性β-ヒドロキシ-α-アミノ酸の合成法の開発の結果について述べている。

まず第一章では、スフィンゴ脂質生合成経路における酵素阻害剤khafrefunginの全合成及び誘導体合成について述べている。Khafrefunginは1997年に単離された抗真菌剤であり、真菌のみに存在する inositolphosphorylceramide (IPC)合成酵素を特異的に阻害することから、創薬の見地からも有望なリード化合物である。既に当研究室において、その絶対立体配置の決定および初の全合成を達成している。第一節では、khafrefunginと同じくIPC合成酵素阻害剤である環状デプシペプチドのaureobasidin A (AbA)が、構造が大きく異なるにもかかわらず、分子レベルでIPC酵素中、同じアミノ酸部位を認識している可能性を示唆する結果を得ている。この興味深い結果をさらに解明するためには、khafrefunginの構造活性相関の研究、khafrefunginを用いての生物学的、遺伝学的研究などが必要となり、khafrefunginの量的供給が不可欠である。しかしながらkhafrefunginは天然から極微量しか得ることができず、また最初の全合成は効率性に問題があり量的供給は困難である。

そこで第二節では、大量合成かつ誘導体合成も視野に入れたkhafrefunginの効率的全合成研究を行っている。まず、khafrefunginを三つのフラグメント (A, B, C) に切断し、各フラグメントの合成を行っている。高アンチ選択的触媒的不斉向山アルドール反応等を鍵反応とすることで、全てのフラグメントのマルチグラムスケールでの合成を達成している。フラグメントBとCをカップリングさせた後、工程数が最も長いフラグメントAを結合させることとし、まずKeckのエステル化を行っている。続く鈴木カップリング反応について、操作性、試薬の毒性を考慮して条件検討を行った結果、ワンポットで反応が円滑に進行することを見出し、カップリング体3gを得ている。さらに変換後、目的物であるkhafrefunginを200mg合成することができ、大量供給が可能な効率的全合成を達成している。さらに合成したkhafrefunginを用いて代謝実験等の各種評価を行っている。また詳細なNMR実験の結果、C4位とC7位の水素間に強いNOEが観測され、khafrefunginはC4位において折れ曲がり構造を有していることが示唆されている。

第三節では以上の結果を考慮して、活性と代謝安定性の向上、並びに特徴的な折れ曲がり構造の働きを明らかにするため、誘導体をデザイン、合成し、第四節において構造活性相関に関する知見を得ている。その結果、合成したkhafrefunginから誘導した六員環ラクトンは、天然体と同程度の活性を示している。また、折れ曲がり構造を基に設計、合成した誘導体では、活性が消失している。一方、エステル部を含めたアルドン酸部は、僅かな構造変換で活性が消失したことから、抗真菌活性には非常に敏感であることを明らかにしている。

第二章では、キラルジルコニウム触媒を用いる光学活性アミノ酸誘導体の不斉合成について述べている。

β-ヒドロキシ-α-アミノ酸は、天然生理活性物質に多くみられる構造であり、また、創薬化学においても異常アミノ酸の一つとして、有用なビルディングブロックである。アルデヒドとグリシン誘導体のアルドール反応は、β-ヒドロキシ-α-アミノ酸の最も効率的な合成手法の一つである。しかしながらこれまでの報告例では選択性、基質一般性や誘導体への変換等に課題があり、有用かつ実用的な反応開発が望まれていた。本論文は、キラルジルコニウム触媒を用いて、sphingofungin Bや他の有用化合物へと誘導可能なアンチ-β-ヒドロキシ-α-アミノ酸を合成する、触媒的不斉アルドール反応の研究結果について述べている。

すなわち、キラルジルコニウム触媒存在下、グリシン由来のケテンシリルアセタールを基質として検討を行い、触媒量、添加剤を検討することで、アンチ付加体が優先的かつ高いエナンチオ選択性をもって得られることを明らかにしている。キラル配位子として、(R)-3,3',6,6'-I4BINOL を用いて反応を行ったところ、さらに高アンチ選択性、高エナンチオ選択性でアルドール付加体を得られている。さらに最適化を行った結果、基質の slow addition により、両立体選択性が共に向上している。本反応の生成物は sphingofungin B 等の天然物において重要な鍵中間体の部分構造である。

以上、本論文においては、有機化学的手法によりスフィンゴ脂質代謝阻害剤の研究を行い、khafrefungin合成における各フラグメントのマルチグラム合成、およびkhafrefunginの大量供給ルートの確立を行い、加えて合成したkhafrefunginを用いた各種評価、さらには構造活性相関に関する研究も行っている。また、キラルジルコニウム触媒を用いる触媒的不斉向山アルドール反応によって、アンチ-β-ヒドロキシ-α-アミノ酸の高立体選択的合成を達成している。本反応を用いることにより、スフィンゴ脂質生合成阻害剤sphingofungin類の合成等が可能であると期待できる。したがって本論文は、有機合成化学、医薬品化学の分野に貢献するところ大であり、よって博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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