学位論文要旨



No 215862
著者(漢字) 本田,由紀
著者(英字) Honda,Yuki
著者(カナ) ホンダ,ユキ
標題(和) 教育システムと職業システムとの関係における日本的特徴に関する研究 : トランジションとレリバンスの比較歴史社会学
標題(洋)
報告番号 215862
報告番号 乙15862
学位授与日 2004.01.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第15862号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 苅谷,剛彦
 東京大学 教授 矢野,眞和
 東京大学 教授 汐見,稔幸
 東京大学 助教授 廣田,照幸
 社会科学研究所 教授 石田,浩
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、「日本の教育の特異性」をいかに把握するかという課題に対し、(1)「システム間関係の比較歴史社会学」という[理論的枠組み]のもとで、(2)「教育システムと職業システムとの関係」という[領域]に関して、(3)「トランジション」と「レリバンス」という2つのテーマから実証分析を行なうというアプローチを採用した。本研究が[領域]として「教育システムと職業システムとの関係」を取り上げる理由は、それが「日本の教育の特異性」を把握する上で戦略的重要性をもつと考えるためだけでなく、現代日本における「教育システムと職業システムとの関係」に対する危機感からである。

また本研究が「システム間関係の比較歴史社会学」という[理論的枠組み]を提唱する理由は次の点にある。ある社会の教育の特質を把握するための[理論的枠組み]は、全体性、普遍性、動態性という三条件を満たしている必要があるが、教育社会学において従来支配的であった諸「理論」は、いずれもこれらの条件に照らして不適格である。それに対し社会システム理論、中でもルーマンのそれはこれらの条件を相当に充足しているが、普遍性基準については十分に展開されていない。ここから本研究では、社会システム理論を発展させた仮説として、「各社会の特異性は、これまで歴史的過程の中で、偶発的な諸条件に影響されつつ繰り広げられてきた、システム間の関係のあり方から生じる」という見方を提唱し、これを「システム間関係の比較歴史社会学」と名付けた。この枠組みでは、個々の社会システムがそれぞれ独自の運動と展開を遂げている結果、システム間には常に潜在的・顕在的な齟齬が生じる危険とそれゆえの相互調整の努力が存在しており、そうしたシステム間関係の履歴が各社会の教育システムの特徴を形成していると考える。

この[理論的枠組み]のもとで「教育システムと職業システムとの関係」という[領域]を実証的に研究する際の[テーマ]としては、(1)教育人口の流体学、(2)関係論的アプローチ(トランジション)、(3)内容的対応性(レリバンス)、(4)関係の分断(閉鎖性)があげられる。本研究ではこの中で、(2)の「トランジション」の形成過程と90年代におけるその変化、および (3)の「レリバンス」の特徴に焦点をしぼる。その理由は、この「トランジション」と「レリバンス」との関係性が、日本の教育システムの重要な特徴を構成しているからである。すなわち、高度成長期に形成されたきわめて効率的な「トランジション」のあり方が、教育システムの「レリバンス」を高める努力を阻害してきており、環境条件の変化により「トランジション」の効率性が失われた90年代において、教育システムと職業システムとの関係に関わるアポリアが一挙に噴出しているのが日本の現状である。

この日本的「トランジション」の形成過程とその特徴は、次のように摘要される。すなわち、高度成長期における急激な労働力需要の拡大は、(1)大量の戦後ベビーブーマーの離学、(2)そのベビーブーマーが第一次産業従事者の子弟であり第二次・第三次産業にとって未開拓の労働カプールとなりえたこと、(3)戦時期の労務動員計画の制度的・慣行的遺産、という歴史的偶然により、その主な対象を新規学卒者に据えることになった。さらに(4)60年代の急速な高校進学率の上昇により、製造現場労働力の給源は中卒から高卒へと急速に切り替わるともに、従来はホワイトカラーに限られていた学校経由の「トランジション」が、ブルーカラーを含む労働市場のほぼ全域に拡大した。こうした「トランジション」は90年代初頭まで維持されたが、それ以後の長期不況と中高年人口の肥大により新規学卒労働力需要はきわめて抑制され、大量の「フリーター」や無業者が出現するようになった。

なお、より詳細に検討すると、高度成長期における日本的な「トランジション」形成過程そのものが、教育システムと職業システムとの間の重大な潜在的コンフリクトに対する職業システム側の調整の結果であった。なぜなら、ブルーカラー給源を中卒者から新規高卒者へと切り替えることは、同じ職場に投入された中卒・高卒間およびブルーカラーとホワイトカラーとに分裂させられた高卒者の内部における強い心理的葛藤を伴っており、それを慰撫し離職や労働運動を沈静化するための重要な一策として導入されたのが、以後日本企業の雇用管理手法として支配的になる「職能資格制度」であったからである。

こうした日本的「トランジション」の中核であったのは新規高卒者であり、新規高卒就職における高校と企業との組織間連携は「実績関係」と呼ばれて広く注目されてきた。しかし90年代半ば以降、継続的な就職-採用関係にある企業に高校から就職する者の比率は90年代半ばから減少し、逆に単発的な就職先への就職が増加している。それに伴い、従来の「実績関係」に付随していた、(1)成績という客観的指標に基づく校内選抜、(2)校内選抜結果に対する企業の受容、(3)生徒の成績や生活態度に対する高校の日常的なコントロールという3つの重要な事象が、いずれも成立不可能になっている。

このような教育システムと職業システムとの間の乖離を、個人のレベルで具現しているのがいわゆる「フリーター」である。フリーターに対するインタビュー調査結果に基づき、フリーターが析出する際の「契機」を検討すると、教育システム内部ないし教育システムから職業システムへの移行において、(1)移行先が行なう選抜における非選抜、(2)移行先への不適応、(3)移行の継続、(4)移行行動の欠如(外的阻害要因なし)、(5)移行行動の欠如(外的阻害要因あり)という5つの契機が抽出される。さらに、このような「移行の失敗」をもたらしている主な要因としては、(1)教育システムにおける進路指導要因(不十分/硬直的)および教育内容要因、(2)職業システムにおける正規労働市場要因・非正規労働市場要因・特殊労働市場要因、(3)個人のパーソナリティ・システムにおける意識要因(不明確/きわめて明確)、(4)家族システムにおける家計要因、が浮かび上がる。こうした知見が示しているのは、職業システムの複雑化・多様化に対して教育システムが対応するだけの複雑性・多様性を達成しておらず、また個々人の意識の面でも「自分は何者か、何者になってゆくべきか」についての根拠や方向性が失われているということである。

こうした「トランジション」のアポリア化に直面している日本においては、これまで等閑に付されてきた教育の「レリバンス」という課題の重要性が顕著に増大している。葛藤理論・再生産論、スクリーニング理論・シグナリング理論、「新しい教育社会学」など、1970年代以降、教育と社会とのマクロな関係に関する「理論」として大きな影響力をもってきた諸アプローチは、いずれも「レリバンス」の虚心な実証研究を回避してきた。しかし「レリバンス」という概念は、(1)研究上の問題提起、(2)経験的検証への開放性、(3)実践的・政策的課題設定という諸点において、きわめて重要性と可能性に富んでいるため、この解明に正面から取り組む研究が必要とされる。その際の基本作業として「レリバンス」概念の整理を行なうと、「レリバンス」はまず即自的レリバンス/職業的レリバンス/市民的レリバンスの3つに大別され、この中で本研究の焦点となるのは「職業的レリバンス」である。そして実証研究の際には、「職業的レリバンス」は学習者経由のアプローチとカリキュラム研究に分かれ、前者はさらに主観的レリバンスと客観的レリバンスに分類される。

この中でまず教育の主観的な「職業的レリバンス」について、国際比較分析を行なった結果、次の諸点が見出された。(1)後期中等教育がアカデミックな普通教育に傾斜している国ほど、また高等教育が大衆化していない国ほど、教育の「職業的レリバンス」は希薄である。(2)「職業的レリバンス」の低さは、労働市場における短期的なフリクションの小ささと結びついている。(3)これらの諸変数を統制した上でも、「日本」という変数が「職業的レリバンス」を極度に引き下げている。(4)日本では大学教育が「職業的レリバンス」ではなく「人格の発達」と結びつけて捉えられる傾向がある。しかもこれは、単に人々の認識構造の問題ではなく、実際のカリキュラム内容を反映していることが示唆されている。

続いて、「職業的自律性」と名付けた、自らのキャリアを主体的に構築していく態度的特性を指標として、教育の客観的な「職業的レリバンス」について検討を加えると、日本の中高年男性を対象としたデータでは、過去に受けた教育の量や質が、中高年期の「職業的自律性」に影響していなかった。また18〜24歳の若年者を対象とするデータでも、日本以外の11カ国については教育体験や主観的な教育の意義が「職業的自律性」と関連していたのに対し、日本国内の分析ではそうした連関は見出されなかった。そしてやはり「日本」という変数が、客観的な「職業的レリバンス」を明確に引き下げていた。ここから日本の教育の「職業的レリバンス」は、客観的にも主観的にも希薄であると結論される。

こうした状況を脱却し、教育内容の主観的・客観的な「レリバンス」を向上させてゆくとりくみが、日本では緊急の課題とされる。教育システムと職業システムとの関係性を調整する上で、従来のような日本的「トランジション」の有効性が失われている以上、これまで踏みにじられてきた「レリバンス」を新しい戦略的拠点として前面に引き出し、普通高校の解体・再編などを通じて、その回復に総力をあげるときが来ている。

審査要旨 要旨を表示する

日本の教育の特徴はどこにあるのか。この問題に答える上で、教育そのものに目を向けるだけでなく、教育システムと他の社会システムとの関係に注目し、関係のあり方を変化を含めて他の国々と比較する視点が有効である。本論文は、教育システムと職業システムの関係に着目し、教育から職業への「トランジション(移行)」と、両システム間の質的な関連性を捉える「レリバンス」という二つのテーマを設定し、日本の教育システムの特徴を明らかにする。

第I部では本論文の理論的枠組みが構成される。システム間関係に着目する理論としてN・ルーマンの社会システム理論を中心に検討し、その有効性が示される(1章)。この枠組みを用いて、教育システムと職業システムの関係に注目すること、具体的には教育から職業への「トランジション」と、教育と職業の「レリバンス(内容的・質的な関連性)」をテーマに設定することの重要性と有効性が指摘される。

第II部(トランジションの実証研究)では、まず戦後日本におけるトランジションの慣行がいかに形成されたのかが分析され、高度成長期の労働需要の急速な拡大と新規学卒市場の成立の同時性という現象の重要性が明らかにされる(3章)。つぎに、この時期にブルーカラーの学歴上昇が職業システム内部で潜在的なコンフリクトを生み出したことを明らかにした上で(4章)、90年代に入り、学校と企業との「実績関係」に変容が生じたことが示され(5章)、教育システムと職業システムの齟齬の具体例として「フリーター」の析出メカニズムが解明される(6章)。これらを通じて、職業システムの急速な変化と多様化に教育システムが対応できなくなったことが描出される。

第III部(レリバンスの実証研究)では、レリバンスに関する先行研究の検討(7章)を経て、学習内容が職業生活において意味をもつかどうかに関する「主観的な職業的レリバンス」の分析(8章)、職業的自立性の形成に寄与しているかに関する「客観的な職業レリバンス」の分析(9章)を通じて、これら二つの面で日本では大学教育のレリバンスが著しく低いことが明らかにされる。最後に、これらの結果をもとに、高度成長期に「偶発的」に形成された教育システムと職業システムのシステム間関係が、現在、トランジションとレリバンスの両面において齟齬をきたしていることが結論としてまとめられ、その理論的・政策的インプリケーションが論じられる(10章)。

以上のように本論文は、日本の教育の特徴を、教育と職業のシステム間関係の変化としてとらえ、それが現代日本における様々な教育問題を引き起こしていることを実証的に解明すると同時に、それを社会システム論的に解釈した点に意義がある。この知見は、現代日本の教育と職業の関係の理解にとどまらず、教育の特徴をシステム間関係として理解するという理論的可能性を広げた点において、今後の教育研究に重要な貢献をなすものと考えられる。このような点から、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/40220