学位論文要旨



No 215864
著者(漢字) 川俣,美由里
著者(英字)
著者(カナ) カワマタ,ミユリ
標題(和) 消費者の内的参照価格に関する研究
標題(洋)
報告番号 215864
報告番号 乙15864
学位授与日 2004.01.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第15864号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 片平,秀貴
 東京大学 教授 藤本,隆宏
 東京大学 教授 高橋,伸夫
 東京大学 助教授 新宅,純二郎
 東京大学 助教授 阿部,誠
内容要旨 要旨を表示する

企業は,売上げ,あるいは市場シェアの最大化を目標として,その目標を達成するために,どのような製品を市場に提供するかをという製品戦略,どのような価格で製品を提供するかという価格戦略,どのようなチャネルを通してどのように製品を消費者に到達させるかという流通戦略,および,どのように製品に関するコミュニケーション活動を行うのかというプロモーション戦略の4戦略の組み合わせ(マーケティング・ミックス)を戦略的に策定する。しかし,製品戦略,流通戦略,そして価格戦略が主として新製品の開発から市場導入までのプロセスに関係するのに対し,プロモーション戦略は,新製品の市場導入から市場撤退までの間に中心となる戦略であるという点において他とは異なる,重要な位置づけにある。特に,プロモーション戦略の中でも販売促進は,消費者の購買を促進する即効性のある手段なので,売上げに直結する重要な活動である。企業は,これまで販売促進よりも,製品の存在や特徴を消費者に認知させる手段である広告を重要視してきた。しかしながら,消費者のニーズの多様化や広告接触度の低下,製品間競争の激化,そして小売店舗間競争の激化などのさまざまな変化に伴い,広告よりも販売促進を重要と考えるようになってきているのである。最近では,メーカーは広告よりも値引きなどの価格プロモーションにより多くの資金を投入しているという報告もある。

ところで,販売促進の手段は多々あるが,中でも値引きは,値引き額というゲインを容易に,かつ迅速に消費者に提供できるため,消費者に与えるインパクトは他のどの手段よりも大きく,売上げを短期的に急上昇させることが可能である。価格競争が激化している現状では,値引きは頻繁に採用される手段である。しかし,その一方で値引きが終了した後のリピート購買の確率が,値引きが実施されなかった場合と比べて低くなるという値引きのネガティブな側面が以前から報告されている。この現象は,消費者はいったん値引きを経験すると,将来においても値引き価格での購買を期待するようになり,通常価格での購買を控えるようになることが原因であると考えられてきた。このことは,消費者は価格の魅力度を判断する動的な基準価格というものを持っていて,それに基づいて価格判断を行い,その判断結果を考慮して購買意思決定をするということを示唆している。つまり,消費者は値引き価格を初めて,あるいは久しぶりに観察した時点では基準価格が通常価格に近いので,その価格に割安感を覚えて購買する。しかし,基準価格がその値引き価格によって低下した場合には,値引き終了後に価格が通常価格に戻ると今度は割高感を覚え,その価格での購買に抵抗を感じるのである。こうして,このような消費者の価格判断は相対的であるという考え方が浸透するにしたがい,この相対的価格判断に用いられる基準価格というものがマーケティング研究者や実務家の間で注目されるようになった。基準価格を考慮すると,値引きイコール売上げの増大という単純な図式ではなく,値引きが現在の売上げと将来の売上げに影響を与えるという連鎖の図式が想定される。したがって,効果的な価格設定や値引き戦略を策定するためには,内的参照価格と複数期間にわたる価格パターンとの関係を理解することが不可欠となる。この認識のもと,これまでその関係に関連する数多くの研究が行われてきた。この基準価格は,通常は消費者の記憶内に保持されていて価格判断の状況においてリコールされるので,「内的参照価格」と呼ばれるようになった。

現在,内的参照価格の概念はマーケティング研究において確立している。しかしながら,依然として解明されていない課題が多々残されている。本論文の目的はこれらの課題を明らかにすることである。内的参照価格についての理解を深めることは消費者行動のより一層の理解とより有効なマーケティング戦略の策定につながるので,本研究には意義があると思われる。

本論文は7つの章で構成されている。第1章では,内的参照価格の定義と関連する先行研究のレビューを行い,それらの研究から得られた知見をまとめた上で,残されている5つの研究の課題を明らかにした。一つ目は,内的参照価格の多面性に関する研究がほとんど行われていないことである。消費者の用いる内的参照価格は平均観察価格であったり,期待価格であったりと,内的参照価格には多面的な性質がある。にもかかわらずこれをテーマとした研究例はない。二つ目は,製品知識のない消費者による内的参照価格の形成方法や製品知識の蓄積に伴う形成方法の進化といった内的参照価格の構造に関する分析がほとんど行われていないことである。三つ目は,内的参照価格に影響を与えるマーケティング・ツールに関する研究が十分に行われていないことである。四つ目は, 消費者が販売価格を観察する前の段階,すなわち広告の観察によって内的参照価格を管理できるかどうかについての分析が全く行われていないことである。五つ目は,内的参照価格は記憶ベースなので主観的であり消費者によって異なるにもかかわらず,内的参照価格に影響する消費者特性が十分に研究されていないことである。

続く第2章から第6章では,上述の研究課題に対応した研究を課題の提示順に行っている。第2章では,内的参照価格の多面性という性質に着目し,製品に対する割高感と関与という製品特性が異なる3つの製品間で,消費者が価格判断に用いる内的参照価格の数とタイプを比較分析した。対象とした内的参照価格は,公正価格,留保価格,最低受容価格,最低観察価格,最高観察価格,平均観察価格,通常価格,期待価格,購入価格の9価格である。分析の結果,割高感と製品関与の水準によって,用いられる内的参照価格の数とタイプは異なることを明らかにした。割高感と製品関与が高い製品(パソコン)においては,留保価格,最低受容価格,平均観察価格,通常価格,および期待価格が重視され,中程度の製品(携帯電話)においては通常価格と期待価格が重視され,低い製品(シャンプー)においては通常価格が重視される傾向が見られた。特に,留保価格,公正価格,最低受容価格の使用は製品特性への依存度が高く,平均観察価格と購入価格もその次に強い依存度を示した。また,一部の内的参照価格の使用に製品間で大差がないことも確認できた。通常価格と期待価格は製品間で共通してよく用いられる価格であり,最低観察価格と最高観察価格はそれほど重要視されない価格である。さらに,公正価格と購入価格は共通して用いられるが,その重要性は相対的に高くないことを明らかにした。最後に,消費者の最も重視する内的参照価格は製品間だけでなく消費者間でも異なることを明らかにした。

第3章では,製品知識をほとんど持たない消費者の内的参照価格の形成方法と内的参照価格の形成方法の進化について分析した。内的参照価格は過去の価格に基づいて形成されると考えられているが,この考え方は製品知識のない消費者には当てはまらない。したがって,本章では,多属性商品を対象とし,製品知識のない消費者がどのように製品の属性情報を統合して内的参照価格の形成をするのか,また,その形成方法が,知識の蓄積に伴いどのように進化するのかを分析した。本研究では,製品知識のほとんど無い消費者は,販売価格が各属性のコストを統合することにより決定されるといういたって自然な推測するため,加法型ルール,あるいはカテゴリカルなルールを妥当な判断方法と考えて採用するという仮説をたてた。また,このような判断方法は,類似する他製品の真の価格情報(属性間の交互作用を含む非加法型ルールで形成されている)を観察するにつれて非加法型に変化していくと考えた。さらに,複数手掛かりの学習(multiple-cue learning)の限界を示した過去の研究と同様に,価格判断の精度は知識が蓄積するにつれて改善するが,その改善の程度は逓減し,内的参照価格にはバイアスが残されるという仮説をたてた。分析の結果,製品知識のない消費者の内的参照価格の形成方法は,価格形成ルールに関する知識が全くないにもかかわらず属性間の交互作用を含みかなり複雑であること,および価格判断経験が蓄積されるにつれてそれらの交互作用はより単純な非交差型に変化することをあきらかにした。また,内的参照価格の精度は価格判断の経験を積むにつれて改善はするが,高い水準には至らないという学習の限界を明らかにした。

第4章と第5章では,既存研究で対象とされていないマーケティング・ツールを対象として内的参照価格を管理する可能性を探索した。具体的には,内的参照価格に影響を与えるマーケティング・ツールの解明を試みた。第4章では,複数期間にわたって設定する値引きパターンの効果を対象とする2つの研究から,内的参照価格を効果的に操作することが可能な値引き戦略を分析し,値引きパターンと内的参照価格の関係をより一層解明することができた。最初の研究では,最終的な値引きコストを一定とする値引きの頻度と値引き幅を組み合わせた戦略に焦点をあてた。値引きを小幅にして頻度を高くする「高頻度小幅値引き戦略」,値引きを大幅にして値引きの頻度を低くする「低頻度大幅値引き戦略」,および,値引きの頻度は中程度だが大幅の値引きと小幅の値引きを用いる「中頻度ミックス幅値引き戦略」の3戦略を対象として分析した結果,内的参照価格は低頻度大幅値引き戦略が一番高く,高頻度小幅値引き戦略が一番低くなることを明らかにした。また,同研究において値引きのタイミングに焦点をあてた調査も行った。値引きを全期間にわたって比較的均一に実施する「分散型値引き戦略」,値引きの実施時期を前に集中させる「前期集中型値引き戦略」,そして実施時期を後に集中させる「後期集中型値引き戦略」の3戦略では,内的参照価格は前期集中型値引き戦略が一番高く,後期集中型値引き戦略が一番低くなることを明らかにした。

第4章において行われたもう一つの研究では,最終的な値引きコストを考慮せずに,値引きの頻度,値引き幅,および,値引き幅のバリエーション(値引き幅は一定か複数か)という値引きの3特性を個別の要因として分析した。その結果,内的参照価格は,値引きが低頻度であるとき,小幅であるとき,あるいは値引き幅にバリエーションがあるときに高くなることを明らかにした。また,値引きが大幅であるときには,低頻度か値引き幅にバリエーションを持たせた方が内的参照価格は高くなることを明らかにした。

第5章では印刷広告を対象として2つの研究を行い,印刷広告には内的参照価格を変化させる可能性があることを明らかにした。最初の研究では販売価格の表示方法の効果に着目し,商品広告においてはメーカー希望小売価格やオープン価格などの価格に関する表示はしない方が内的参照価格は高くなることを明らかにした。もう一つの研究では広告の製品情報タイプに着目し,環境に配慮した情報を具体的に示すこと,および信頼性の高い情報を提供することが内的参照価格の上昇に貢献することを明らかにした。

第6章では,内的参照価格に影響を与える消費者特性を探索した。この章では2つの研究を行った。最初の研究では,内的参照価格が製品に対する態度や利用経験という消費者特性によって異なり,内的参照価格は製品に対して好意的な態度を形成している場合や利用経験のある場合の方が高くなることを明らかにした。もう一つの研究では,実際の価格の内的参照価格からの乖離の方向が,消費者の追加的価格情報の探索行動に違いをもたらし,それが将来の内的参照価格の使用に影響を与える可能性があることを明らかにした。価格の乖離が消費者にとって望ましくない方向である場合の方が,望ましい方向である場合よりも追加的価格情報の探索意図は高く,またその探索行動によって得られる価格知識を将来の価格判断に用いる意図が高い傾向が見られた。したがって,販売価格と内的参照価格の乖離はその時点における購買意思決定だけでなく,将来実施される価格判断や購買意思決定にも影響を与えることを明らかにした。

最後に,第7章において,本研究をまとめ,問題点を指摘し,今後の研究課題を展望した。

審査要旨 要旨を表示する

概要

本論文は、消費者の価格評価の心理プロセスとその購買決定への効果に関するものである。表題にある「参照価格」とは、消費者が製品・サービスを購入するにあたってそれが高いか、安いかを判断するときの基準となる価格値のことである。「通常価格***のところを###」というようときの***のようにそれが外から明示的に与えられる場合に「外的参照価格」と呼ばれるのに対して、本論文のテーマである「内的参照価格」は、消費者が外的刺激を受けながら自分の内側に心理的に形成する基準値のことを指している。

川俣氏の非常に包括的なサーベイからも明らかなように、この問題についてはマーケティング論と消費者行動論の双方の分野で非常に多くの先行研究がある。しかしながら、その分野の問題が研究され尽くされたというわけではなく、残されている問題も多い。本論文はそのような未解決な問題のうちつぎの四つの点に焦点を当てて検討を加えている。

内的参照価格形成に影響を与える価格情報として、通常価格、前回購入価格など多くのものが提起されてきているが、それらのうちどれがどのような状況下で有効なのか

価格情報を含めた製品知識のない消費者が内的参照価格をどのように形成するのか

内的参照価格は企業のマーケティング活動、特に製品価格の動的変動、の影響を受けるのか、受けるとするとどのような影響を受けるか

内的参照価格形成は消費者の個人特性とどう関係するのか

本論文は全体で一つのまとまりを持った研究を展開しているというよりは、上記の各点に対応した個別の論文を5本集めたかたちになっている。それらのうち3本は査読つきのジャーナルに収録されており、それなりの高い評価を受けたものである。まず、各章ごとに審査に当たっての評価を紹介し、最後に総合的な評価を示したい。

文献レビュー

非常に丁寧、適切、かつ包括的で、複数の委員から、これだけで「参照価格」の独立したサーベイ論文として成立する水準に達している、との評価を得た。また、先行研究と本論文の問題意識との関係も明確である。論文全体のバランスから見ると1章が量的に突出していて重すぎるのが気になる。

内的参照価格の多面性

消費者は内的参照価格のための価格情報として複数のものを用いているかどうか、そして、どのような状況下でどのような価格情報を用いるのかを実証的に明らかにしている。より具体的にはつぎの3つの仮説を提起して、検証を行った。

仮説1:消費者の用いる内的参照価格(のための価格情報;評者)の種類は製品に対する割高感(これは単に「高価格品になればなるほど」と言い換えた方が適切;評者)と関与が高くなるほど多くなる。

仮説2:消費者の用いる内的参照価格(のための価格情報;評者)の種類は製品によって異なる。特に、留保価格と公正価格の重要性は製品に対する割高感と関与が高くなるほど高まる。

仮説3:過去に支払った価格の重要性は相対的に低い。この傾向は購買頻度が低い製品の方が高い製品よりも強い。

以上の仮説に対して、アンケートによる直接質問で内的参照価格として用いる価格情報の種類とそれらの使用頻度を割高感と関与度の異なったカテゴリー(パソコン/携帯電話/シャンプー)で検証している。価格情報の種類としては、公正価格(メーカーのコストを考慮したときに公正と思われる価格)、留保価格(これ以上の価格では高すぎると考える価格)、期待価格(現在、このぐらいで販売されているだろうと予想する価格)、通常価格(通常この価格で販売されているだろうと思う価格)など9つのものを取り上げている。

分析結果としては、3つの仮説はほぼ支持されたかたちになっている。用いられる価格情報の種類はカテゴリー間で異なるものの、期待価格と通常価格はカテゴリーを超えて用いられる傾向にあることも判明した。本論文のユニークな貢献としてつぎの2点を挙げることができる。

消費者は内的参照価格形成のための価格情報として複数のものを用いている

どのような価格情報を用いるかは製品カテゴリーによって異なる。ただし、期待価格と通常価格はどのカテゴリーでも用いられる傾向がある

本研究の問題点は、製品カテゴリー間の違いを問題としていながら、分析対象として3つのカテゴリーしか含まれていないことである。そこでは製品の高価格性と関与はほぼ完全に相関しており「割高感&関与」という1要因を扱っているに過ぎない。また、購買頻度についても例えばそれを技術変化のスピードと読み替えても同じことが言えてしまう。他の要因についてコントロールした上で「購買頻度だけが違う」という製品の組み合わせ、例えば、牛乳とシャンプーという組み合わせで比較を行うという配慮が望まれる。

細かいことだが、「割高感」という言葉の使い方は正しくない。「高価格品−低価格品」とでも言うべきで、このようなキーとなる概念で誤った言葉を用いるのは、形式的なこととはいえ論文全体のクォリティを引き下げる危険がある。

内的参照価格の形成プロセス

本章では、多属性商品カテゴリーで、事前に製品知識のまったくない消費者がどのように製品の属性情報を統合して内的参照価格を形成するのか、またその形成の仕方が、知識の蓄積に伴いどのように進化するのかを分析している。対象商品はマウンテンバイクで、調査対象者はマウンテンバイクに詳しくない米国ビジネススクールの学生146人である。実験はやや複雑で、5つの2水準属性を組み合わせて16個の仮想的製品を作り、PC上で順次それを提示しながらそれぞれの「期待価格」を尋ねる一方、現実の製品価格から逆算した価格関数により「真の」製品価格を計算し、期待価格を答えた後でそれを回答者に提示して回答者の学習を促す、という手順を取っている。この手順は16回繰り返されるが、各ステップで製品属性と回答された期待価格からもっとも妥当な価格形成モデルを特定している。

その結果、つぎの2点が確認された。

製品に関する知識を持たない消費者の内的参照価格の形成プロセスは、経験の蓄積により複雑な非加法型から単純な加法型に移行する

価格判断の精度は経験とともに改善するが、改善速度は遅く、ある水準を越えると飽和する

最初の点は、川俣氏が当初設定した、単純モデルから複雑モデルへという仮説の逆の結果であり、直観にも反している。これの解釈については、川俣氏も苦慮しているが、十分な注意を要する

早い段階では、複雑な非加法型ルールを用いているようにみえているが、単にこれは学習途中の試行錯誤によるノイズとそのプロセスに対しての消費者間の異質性を反映したものと考えられる。複雑型から単純型に進化したのではなく、ノイズ、異質性を反映した結果によって複雑型のように見える結果が、一貫性が高まってノイズが減り同質化したために単純型の結果に変化したと見たほうが妥当であろう。

その意味で今回の結果は中間的なものと考えられるが、参照価格のダイナミックな形成過程という困難な問題に果敢に取り組み、十分に工夫された実験をデザインして、課題の解明に向けて大きく前進したのは評価に値する。この問題については今後の一層の取り組みに期待したい。

値引きパターンによる内的参照価格の管理

4章と5章は、内的参照価格の形成が企業のマーケティング施策によってどう影響を受けるかを分析したものである。本論文の中でも特に実務家への示唆に富んだパートである。4章は、購入頻度の高い日用品の価格戦略に関わるもので、値引きの動態的パターンによって、形成される内的参照価格がどう変化するかを検証している。

総値引きコストが一定の値引き

値引き原資を一定にした上でそれを16期にわたって異なった配分をした値引きパターンをPC上で毎期順次被験者に提示し、最後に被験者に期待価格を聞く、という実験を行った。検証される仮説は以下のようなものである:

仮説1:(動態的価格変化に露出された後に観察される)内的参照価格は 低頻度大幅値引き戦略、中頻度ミックス幅値引き戦略、高頻度小幅値引き戦略の順に高くなる

仮説2:(動態的価格変化に露出された後に観察される)内的参照価格は、前期集中型値引き戦略、時間分散型値引き戦略、後期集中型値引き戦略の順に高くなる

実験の結果、仮説1、仮説2ともに支持されることが明らかとなった。同じ総量の値引き額でありながら、その時間配分を変えることにより消費者の内的参照価格が変わることを示すことができたのは、この分野では新しい発見であり、実務上も非常に意義深い。

値引きにバリエーションがある場合とない場合の内的参照価格の違いこれは値引き原資を一定としないで、値引きの諸特性と内的参照価格の関係を分析しようという試みである。購入頻度の高い日用品カテゴリーで値引き幅と値引き頻度が内的参照価格にどう影響するかを分析した研究にKalwani and Yim (1992)がある。本研究はそれに値引き幅の変動を加えてそれ自身の影響と、それの、他の2要因との交互作用を見ようというものである。

分析の結果つぎのいくつかのことが確認された。

(平均)値引き幅が同じ場合には、値引き幅に変動がある場合の方がない場合より内的参照価格が高くなる

値引き幅が大幅の場合の方が、値引き頻度の違いおよび値引き幅の変動の有無による内的参照価格の差が大きい

内的参照価格が一番高くなるのは、値引き低頻度、値引き幅小の場合で、その場合には、幅の変動の有無はほとんど影響しない驚くほど画期的な結果ではないが、着実な成果として評価できる。

この章の研究は、マーケター側が同じ負担の値引きでもその動態的パターンにより消費者の頭の中に形成される内的参照価格の水準に差異が生じることを実験により明確に示したことで大きな意味がある。この分野の研究は上で紹介したKalwani and Yunの他わずかしかなく、その実務的重要性を考えると、この研究の持つ意味は小さくはない。

内的参照価格の管理:印刷広告

4章が価格をコントロール変数としたときの実務的インプリケーションを目指目指したのに対して、この章は印刷広告のコンテンツの効果を導出しようというものである。

販売価格の表示方法に関する研究

ここでは印刷広告において、価格情報の提示の仕方が内的参照価格の形成にどう影響するかを検証している。分かったことは、他のコンテンツを同一とすると、メーカー希望小売価格、オープン価格などの価格情報を含まない場合の方が、内的参照価格が高くなるというものである。

製品情報に関する研究

ここでは、乗用車を対象にして、印刷広告のコンテンツが内的参照価格をどう動かすかを見ようとしている。取り上げたコンテンツは、環境への配慮についての情報、音響システムの品質情報とキャシュバック情報の三つである。環境情報と、音響システムについての専門誌の推薦情報が合わさると、形成される内的参照価格が有意に高くなることが示されたものの、全体にクリアな結果は得られていない。

この章は広告情報コンテンツに注目して、内的参照価格を高く保つための方策を探ろうとしたものだが、クリアな結論は、価格情報に関して、それに触れない広告の場合の方が内的参照価格は高くなるという平板なもののみであり、他の章の研究と比べると見劣りするものになっている。一層のチャレンジを期待したい。

内的参照価格に影響を及ぼす消費者特性

この最後の章では、内的参照価格形成における個人差を検証している。

製品態度と利用経験の効果

ここでは個人差を表わす変数として個人の各製品への態度とその製品カテゴリーの利用経験の有無を用いる。ここで実験に用いられた対象商品はハワイへの旅行パッケージである。仮説としては、

製品に対する態度と内的参照価格は独立である

製品の利用経験は内的参照価格に影響する

の二つを設定した。前者は、選好は主観的であるが内的参照価格は客観的なもので個人の選好には左右されないという考えによるもので、後者は利用経験による製品知識の差が内的参照価格に影響するという自明の主張である。

結果は、前者は棄却され、後者が成立というもので、内的参照価格は選好に影響されることが実証された。川俣氏は、内的参照価格は市場で成立している価格をどう認識するか、であるので選好からは独立であると主張するが、実際にはその認識に選好が混入する結果が示されたわけで、はじめから「製品の選好が内的参照価格を高める」としていた方が自然であろう。

また、後者の利用経験の影響であるが、結果は利用経験のある場合の方が有意に高く出ている。このことについての説明が不十分でこの結果がどの程度一般的であるのかについて説得的ではないのが気になる。

追加的価格情報探索の効果に関する研究

ここでは、内的参照価格の形成そのものではなく、それが消費者の情報探索行動にどう影響するかに焦点を当てる。仮説、結果ともに明快で、実際の価格と内的参照価格が乖離したときには、前者が後者を上回った場合(これを「価格ロス」と呼ぶ)には、その逆の場合(これを「価格ゲイン」と呼ぶ)よりも、追加的探索を行おうとする意図がより強くその市場価格を将来の価格評価に用いようという意図が強いというものである。これ自体は、特に驚くべき知見ではないがそれを手堅く実証したことは評価できる

結論

以上見てきたように、本論文は内的参照価格という比較的地味な領域に焦点を絞り、いくつかの未解決な課題に取り組んだ意欲作である。論文全体を通しての主張は、消費者が形成する内的参照価格は、直接、間接に企業の行動に影響される内的参照価格は消費者の行動に影響を与える企業が消費者の内的参照価格のしくみを正しく理解することは、消費者の支持を獲得するために非常に重要であるという諸点である。いくつかの角度から「内的参照価格のしくみ」を実証的に解明したことで当初の目的は達成できたと評価できる。

しかしながら、いくつかの基本的問題点も指摘しておく必要がある。

本論文では、冒頭で内的参照価格のための価格情報として複数のものがあることを指摘しておきながら、それ以降の分析では一貫して、内的参照価格として期待価格を用いている。そのことの正当性について、十分に説得的な論述はない。本論文の基礎を築く点であるので十分な議論がなされるべきであったと考える

各章の実証結果の良し悪しに濃淡があるのはやむをえないこととして、その一般的妥当性についての吟味は必ずしも十分ではない。それぞれの個別の研究は1つか2つ、せいぜい3つの対象製品を扱っているに過ぎないので、その結果のどこまでが一般的に他の分野でも成立するのかについてはもちろん自明ではない。もう少し丁寧な議論が求められるところであり、この点が不十分なことにより、研究自体の評価を必要以上に損なう危険がある

非常に包括的な先行研究のレビューにより、未解決の問題領域を特定した作業は高く評価できる。しかしながらこのことにより、個別の研究は個々にはそれなりに評価できるものの、全体を通して有機的なシナジーが生まれているとは言いがたい。少なくとも個別の諸問題を位置づけるメタモデルとしての全体枠組みの議論がもう少しなされる必要があるだろう

最後に結論として、本論文は指摘されたようないくつかの問題点を含んではいるものの、その十分に絞り込まれた問題意識に基づく一連の実証研究の先進性、重要性、適切性と、これらの諸研究が学会に与えた貢献と刺激は高く評価できる。以上から本審査委員会は全員一致で川俣美由里氏が経済学博士号を授与されるのに適格であると判断した。

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