学位論文要旨



No 215871
著者(漢字) 片山,圭二
著者(英字)
著者(カナ) カタヤマ,ケイジ
標題(和) 建築プロジェクト間の知識継承に関する研究 ITを適用したビジネスプロセスを題材として
標題(洋)
報告番号 215871
報告番号 乙15871
学位授与日 2004.01.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15871号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野城,智也
 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 助教授 湊,隆幸
 東京大学 助教授 大岡,龍三
 東京大学 助教授 堀田,昌英
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景と目的

建築プロジェクトにおいて生産活動に関する「知識」に着目すると、法令、各種基準、設計図書、マニュアルなどのように普遍的に共有化できる「形式知」と、現場における試行錯誤などの経験によって得られる「暗黙知」が共存している。そして、単品受注生産であるためプロジェクトごとに制約条件が異なり、生産活動に携わる人間もそのつど編成されるため、建築プロジェクトでは「暗黙知」が複雑多岐に存在し、形式知化されることが少ないと考えられる。しかしながら、実際には建築プロジェクトにおいて「暗黙知」は何らかの方法で、例えば、人間やツールなどの成果品がプロジェクト間を移動することによって、インフォーマルに水平展開され、新しいプロジェクトの制約条件を満足するように継承されている。

本論では、このインフォーマルに水平展開されている「知識」の一つとして、建築生産プロセスにおける「IT(Information Technology)を適用したビジネスプロセス」を取り上げた。

ITを適用したビジネスプロセスには「属人的な暗黙知の形式知化」、「知識の習得」、「企業としての(知識)の整理、提供」、「プロジェクト参加者の経験・ノウハウやセンス」といったキーワードが含まれており、これらが建築の生産活動を支えている部分でもあると考えられる。つまり、建築生産を担う企業のコア・コンピタンス(中核的な能力、他社に模倣・複製・代替されにくい、企業特有の資源や能力:core-competence)の一つには、組織が整理・提供する形式知と個人に属している暗黙知の融合による知識の継承にあると考え、本研究では、その知識継承プロセスのモデル化を試み、知識継承の支援方法について考察と提案を行う。

研究の目的は大きく分けて2つあり、第一の目的は、「ITを適用したビジネスプロセス」について「知識」として共通認識できるように記述モデルを提案することである。このモデルはプロジェクト参加者の役割分担やコンピュータリテラシーの変化を柔軟に表現でき、生産情報の合意にいたる過程のリードタイム(所要時間)を評価できる記述モデルを提案し、その有意性を検証することである。

第二の目的は、第一の目的で提案した記述モデルを使って、実プロジェクトの継承事例を記述・分析し、建築プロジェクト間の知識継承プロセスについてモデル化を行ない、知識継承の支援手法(満足化手法)を提案することである。

ITを適用したビジネスプロセスのリードタイムの記述モデル化

近年、生産情報の電子化を進め、マネジメント業務の効率向上などを目的としてさまざまな取り組みが行われてきたが、他プロジェクトへの適用が阻害されている原因として、プロジェクト間あるいは組織間のコンピュータ環境の整備やコンピュータリテラシー(Computer Literacy)の差異が存在すること、初期投資は確実に増えるもののビジネスプロセスの変化やプロジェクトの進捗に対する影響について、事前にシミュレーションできないことなどが考えられる。そこで、多様化する建築プロジェクトにおいて関係者間の役割分担の変化やITによるマネジメントツールの変化も柔軟に表現でき、生産情報の合意にいたるプロセスのリードタイム(所要時間)を評価できる記述モデルについて提案を行った。

記述モデルはビジネスプロセスにおいて個人の単独かつ基本的な行為(アクティビティ)とそれぞれのアクティビティ間を流通(ロジスティクス)する生産情報から構成した。

次に、このモデルの有効性を検証するために実プロジェクトにおける情報確定プロセスにおいて、アナログベースとデジタルベースが混在した場合とデジタルベースだけで遂行した場合について記述、比較し、IT適用の程度がリードタイムに与えている影響を考察した。

その結果、デジタルベースだけでビジネスプロセスを遂行するとリードタイムが短縮することが説明できるとともに、このモデルは次のような可能性をもち、リードタイムの最小化を検討できるツールとして有効であると考えられる。

プロジェクトの規模や参加者のコンピュータリテラシーに配慮したビジネスプロセスの比較が可能となる

生産情報を伝達するロジスティクスでは、プロセスが進捗しない時間を「idle time(情報の滞留時間)」として明示的に表現することができ、その対応について検討することができる

ビジネスプロセスの電子化の程度を視覚的に表現し、「hidden time(内面での情報処理時間)」をプロジェクト毎に把握することが可能となるとともに、共同作業、同時並行作業が各役割に対するアクティビティの集中化を避け、リードタイムの延長を防ぐことも検討できるただし、リードタイムの定量的評価の精度をさらにあげるためには、標準的なアクティビティや生産情報のロジスティクスのベンチマーキングを行ない、モデルに適用していくことが必要である。

知識継承プロセスのモデル化

建築生産におけるITを適用したビジネスプロセスは、企業が共有している明示的な業務フロー、マニュアルなどを電子化しただけでなく、プロジェクトの制約条件を満足し、プロジェクトの参加者が経験的に所有している独自の手法・知識なども暗黙的に含まれていると考えられる。そして、継承は新しいプロジェクトにおける新たな制約条件を満足するために何らかの規則的な試行錯誤(trial and error)が行われた結果であるという仮説を立て、そのプロセスのモデル化に取り組んだ。

最初にITを適用して議事録を作成するというビジネスプロセスについて、10件のプロジェクト間の継承事例を取り上げ、継承前後のビジネスプロセスについて役割分担の変化やITによるマネジメントツールの変化が比較検討できるように前述のモデルを利用して記述した。そして記述から、各ビジネスプロセスの変化(ルール)とその要因(制約条件、個人の気付き、情報技術、コンピュータリテラシー、経験等)を抽出した。

これらの変化要因を整理したところ、継承プロセスにおいて、整合性を検討した方が良いと考えられる共通の要素が存在し、7つの要素グループに分けることができた。その7つ要素とは、「IT関連設備」、「ビジネスプロセスの参加者」、「コンピュータリテラシー」、「所要時間」、「投資費用」「マネジメントの品質」、「IT適用の動機」に関するものである。

次に各要素が継承プロセスにおいて、どのタイミングで検討されたか、制約条件を満足しない場合にどのようなフィードバックが行われるか、制約条件に対してどのような状態になったときにプロセスが終了するか、などを明らかにするために各継承事例について図式記述化を行った。そして、各図式記述における共通および類似の要素に着目して、プロセスの規則性を見出し、標準的と思われる知識継承プロセスのモデル化を行った。この継承プロセスは、明示的に認識できる形式的要素、個人に内在している暗黙的な要素、形式的な要素と暗黙的な要素の複合要素から構成されていることが判明した。

知識継承支援方法の提案

知識継承プロセスのモデル化によって満足化された状態までの諸要素の相関を表現したところ、個別性の強い暗黙的な諸要素に気付くまでの時間が、円滑な知識継承を妨げていることが考えられる。そこで、知識継承支援フローを記述して「どのタイミングに、どのような支援が必要となるか」を考察した。

また、継承プロセスは建築プロジェクトが有期限であることから、その試行錯誤が終了となる満足化状態を定義する必要がある。この概念について、横軸にイニシアルコストとランニングコストの合計を、縦軸にビジネスプロセスにおける短縮できる時間(所要時間のメリット)を示したグラフ上に、制約条件を満足し、継承される(Acceptable)の状態を示す領域を定義した。ただし、どちらの評価尺度も「ITを適用したビジネスプロセス」を導入した動機や獲得できたマネジメントの品質により、「幅」を持っていると考えられ、その領域を「条件付終了(Conditional Acceptable)」で表現した。

この支援方法の有効性と範囲を確認するために、実際の個別のビジネスプロセスへの適用を行った。その結果、繰り返し行われるビジネスプロセスにおける効果の考え方が理解でき、モデルの妥当性が検証できた。また、情報関連設備に関する初期投資費用の考え方や、ビジネスプロセスに参加する各役割別の満足度についてもこのモデルによって説明できる可能性があることが判った。

今後の研究課題

知識継承の支援方法をより充実させるには、第一に継承プロセスにおける諸要素間の関連性(例えば、動機と評価の相関、プロジェクト規模と投資費用、投資費用と所要時間など)について、実例を蓄積し、規則性を見出すなど満足化の状態について分析を行ない、モデルに適用していくこと、第ニに継承プロセスの諸要素のうち、個人に蓄積される暗黙知について、組織(コーポレートベース)としてその記述単位、収集方法を検討し、知識データベースとして個別のプロジェクトに提供する手法(ITによる支援方法の可能性も含む)を考案することなどが挙げられる。また、知識継承終了モデルのパラメーター(満足度に影響する要素)は、「所要時間」、「投資費用」、「マネジメントの品質」、「IT適用の動機」としたが、情報関連設備の低価格化、コンピュータリテラシー教育が進んだ場合、満足度に影響する要素について変化して行く可能性があり、この点についても留意して研究を進める必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

建築生産は、特定個別の目的を実現するための有期の技術的・経済的活動であるプロジェクトを基盤としている。個々別々のプロジェクトにおいては、目的を実現するために、情報と知識の集積と融合と創造がなされる。しかしながら、個々別々のプロジェクトにおいて生成された情報・知識は、条件の異なる他のプロジェクトではそのまま適用することできず、プロジェクトを基盤とした技術的・経済活動における知識継承は、技術者個人レベルや、個人的関係を媒介にした非定型的方法で行われてきたのが現状であった。組織レベルでの体系的な知識継承を促していくために、プロジェクトの母体組織(例えば建設会社)の中枢部門に、プロジェクトで得られた情報・知識を集積させ、これを他のプロジェクトで利用することも試みられてきたが、必ずしも期待された成果を挙げてこなかった。

本論文は、このようなプロジェクトを基盤にした技術的・経済活動における知識継承のありかたにかかわる現状を踏まえて、ITを適用したビジネスプロセスのプロジェクト間での進化過程にかかわるケーススタディをもとに、建築プロジェクト間の知識継承に関するモデル化を試みたものである。

本論文については以下の点が高く評価できる。

第一に、プロジェクト母体組織の中枢部門へ情報・知識集積という垂直型の知識継承ではなく、プロジェクトからプロジェクトへという知識の水平的継承方法が垂直的展開よりも有効に機能すること示したうえで、プロジェクト間の水平的な知識継承方法について分析を進めている点である。これは、国内外のナレッジマネジメントにかかわる既往研究には殆ど見られなかった新しい視点である。

第二に、「ITを適用したビジネスプロセス」そのものを知識としてとらえ、10のプロジェクト間におけるビジネスプロセスの変化とその要因を抽出したうえで、それらの要因が知識の継承プロセスにおいてどのタイミングで作用したのかを図式化することでモデル化している点である。この図式モデル化により、プロジェクト参加者の役割分担やコンピュータリテラシーの変化を柔軟に表現し、かつ、生産情報の合意にいたる過程のリードタイム(所要時間)を評価できるものである。従来の研究では、新たに導入されたITツールの潜在的なメリットは評価できたが、それが現実のビジネスプロセスの無理無駄をどれだけ省けるのか表現できなかった。しかしながら、ここで開発されたモデルは、このような無理無駄を検討段階で事前に予測評価し、改善策を練ることに供することができるものである。

第三に、上記の図式表現にとって構造化表現されたモデルは、多様化する建築プロジェクトにおける関係者間の役割分担の変化やITによるマネジメントツールの変化も柔軟に表現できることから従来研究では得られなかった新たな知見を提供している点である。例えば、プロジェクト間の知識継承プロセスには、明示的に認識できる形式的要素、個人に内在している暗黙的な要素、形式的な要素と暗黙的な要素の複合要素から構成されていることを明らかにした点である。従来の既往研究においても個人に内在している暗黙的な要素の作用については漠然と記述されてきたが、本論文のように、具体的かつ明確に記述された例は極めて少ない。

第四に、以上の成果を踏まえて、建築プロジェクト間の知識継承プロセスについてモデル化を行ない、知識継承の支援手法を提案している点である。本論文では、プロジェクト間の知識の継承プロセスは建築プロジェクトが有期限であることから、評価関数の値が満足できる(acceptableな)領域内にはいりうる解が得られた場合に意志決定がなされることに着目して、プロジェクト間の知識継承のあり方を当事者が決めていく意志決定プロセスをモデル化した。これによって、どのタイミングで、どのような知識支援及び知識継承支援が必要となるかを解析している。

このように、本論文は、「ITを適用したビジネスプロセス」がプロジェクト間で知識継承されながら進化していくプロセス、及びそこに作用する要因を明確にモデル化することによって、プロジェクトを基盤とした技術的・経済的活動における知識継承をシステム化するための重要な手がかりを与えることに成功している。この成果は、単に建築生産だけではなく、ソフトウエアの開発など、プロジェクトを基盤とした他種の技術的・経済的活動においても適用可能であると考えられる、このように、本論文の成果は、学術的価値のみならず、社会的・実務的意義ももっている。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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