学位論文要旨



No 215879
著者(漢字) 前川,竜男
著者(英字)
著者(カナ) マエカワ,タツオ
標題(和) メタンハイドレートの生成条件と同位体分別に関する実験的研究
標題(洋) Experimental Study on the Condition and Isotopic Fractionation of Methane Hydrate Formation
報告番号 215879
報告番号 乙15879
学位授与日 2004.01.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15879号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野津,憲治
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 松本,良
 東京大学 助教授 中井,俊一
 東京大学 講師 小畑,元
内容要旨 要旨を表示する

天然に産するメタンハイドレートはメタンを主成分とする天然ガスと水の化合物で、その結晶は水分子が構成する籠状結晶格子の空隙にガスを内包している構造をしている。1960年代から、大陸周辺海域の深海堆積物中など低温・高圧の地質環境に、多量のメタンハイドレートの存在が推定され、地球表層におけるメタンの巨大な貯蔵庫として注目されるようになった。天然のメタンハイドレートにはその結晶内に多量の天然ガスが濃集していることから、次世代のエネルギー資源として有望視されている。一方、メタンが強力な温室効果ガスの一つであることから、メタンハイドレートが膨大な温室効果ガスの放出源となる可能性も危惧されている。このようなメタンハイドレートが天然環境でどのような温度・圧力条件のもとに、どれくらいの量存在しているのか推測することは将来のエネルギー資源や地球環境の観点から重要である。天然のメタンハイドレートの存在量の推定に資するために、室内合成実験を用いて、メタンハイドレートの生成条件や同位体分別の化学的性質の解明を行った。本研究の目的として、1) 堆積物中のメタンハイドレートが、どのような温度・圧力条件で存在しているのか、堆積物間隙水の塩濃度および内包する天然ガスのガス組成を考慮したメタンハイドレートの相平衡条件を室内合成実験により決定した。また、得られた実験結果を用いてガスハイドレートの統計熱力学的モデルを構築し、任意の塩濃度・ガス組成のメタンハイドレート相平衡条件の推定を可能とした。2) 天然から回収された堆積物試料中にメタンハイドレートはどのくらいの量が存在していたのか、近年提案された堆積物間隙水の酸素同位体組成を用いた推定法の確立のために、メタンハイドレート生成にともなう水の酸素・水素同位体分別について実験的に検討した。

【ガスハイドレート相平衡条件に関する実験的研究】

天然のメタンハイドレートの安定な温度・圧力条件を求める目的のために、堆積物間隙水の塩濃度がガスハイドレートの相平衡条件にどのような影響を与えるか調べた。さまざまな塩類を溶解した水溶液よりメタンハイドレートを生成し、水溶液中のメタンハイドレートの相平衡条件を実験的に決定した。また、内包するガス種の違いが溶存塩類のガスハイドレート相平衡条件に異なる影響を及ぼすかどうかについても検討するため、メタンのほかエタンのガスハイドレートについても実験を行った。実験に使用した塩類は、NaCl、NaBr、NaI、Na2SO4、KClおよびMgCl2である。その結果、塩類を含む水溶液中のガスハイドレート相平衡条件は、純水中の相平衡条件と比較して、低温側へ平行にシフトしていることがわかった。また、水溶液の陰イオンのモル分率が高くなるにしたがって、より低温側へ温度シフトしている。一方、陰イオンの種類による温度シフトの違いは小さかった。また、メタンおよびエタンのガス種の違いによる温度シフトの差は、ほとんど見られなかった。このことより、水溶液中のガスハイドレート相平衡条件の温度シフトは、おもに陰イオンのモル濃度に依存し、陰イオンの種類やガスの種類にはほとんど影響されていないと推測された。

次に、ハイドレート結晶に内包されるガス組成が相平衡条件に与える影響を調べるため、メタン-エタンの混合ガスを用いてガスハイドレートを生成し、ガス組成の違いによる相平衡条件の変化を調べた。その結果、気相の混合ガスのエタン濃度が増加すると、混合ガスハイドレートの相平衡条件は高温・低圧側にシフトした。また、混合ガスのメタン濃度と相平衡圧力の関係から、メタンに微量のエタンが混合することによって生成するガスハイドレートの結晶構造が変化することが示唆された。他文献の分光学的な研究結果も考慮すると、メタンのモル分率が0.98〜0.99の混合ガス組成において、結晶構造が構造Iから構造IIへ変化していると推測された。3wt%NaCl水溶液を用いて行った同様の実験からは、純水中のメタン-エタン混合ガスハイドレートの相平衡条件と比較して、約1℃低温側ヘシフトしていることが示された。

【ガスハイドレート相平衡条件の統計熱力学的推定】

本研究で得られた実験結果を用いて、van der WaalsとPlatteeuwによって提案されたガスハイドレート統計熱力学的モデルを改良し、メタン-エタン混合ガスのハイドレート相平衡条件が推定できるように拡張した。彼らのモデルでは、ガスハイドレート結晶内の空隙へのガスの取り込みは吸着過程であると仮定している。本研究ではメタン-エタン混合ガスハイドレートにおける結晶構造変化を考慮して、内包ガス分子と水分子間の分子間力ポテンシャル(Kiharaポテンシャル)のパラメータの値を新たに推定した。その結果、メタン-エタン混合ガスハイドレートの相平衡条件が、他文献の計算結果と比較して、精度よく推定できるようになった。

【ガスハイドレート生成にともなう水の酸素・水素同位体分別に関する実験的研究】

堆積物試料中のメタンハイドレート量の推定に関連して、メタンハイドレートを胚胎する深海堆積物の間隙水では、塩濃度の低下とともに、重い酸素同位体の濃集が観察されることがあり、その理由として堆積物の回収中にメタンハイドレートが分解し、塩類を含まない重い同位体が濃集しているメタンハイドレートの分解水が、堆積物間隙水に付加したためと推測されている。従来行われてきたハイドレート分解水の付加による塩濃度の減少から堆積物中メタンハイドレート量を推定する方法と同様に、メタンハイドレート分解水が付加した間隙水の重い酸素同位体の濃集の程度からメタンハイドレートの存在量を推定する方法が新しく提案されている。しかし、ガスハイドレートと水間の酸素同位体分別についての実験的研究例は少なく、また水素同位体分別については報告がない。そこで本研究では、メタンハイドレートの生成にともなう水の酸素・水素同位体の分別係数を実験的に推定した。実験には、ガスハイドレートの結晶構造の違いを考慮して、構造Iおよび構造IIのガスハイドレート生成のため、それぞれメタンとクリプトンを用いた。実験中に生成したガスハイドレートの量は、ガス圧力の減少量および水溶液の塩濃度変化より推定した。その結果、ガスハイドレートの生成量が増加すると、水の酸素・水素の同位体組成の変化量が大きくなり、ガスハイドレート-水間の酸素および水素同位体分別係数はそれぞれ、1.0023〜1.0032および1.014〜1.022の範囲であると推定された。これらの値は、これまで報告されている氷-水間の分別係数とほぼ同じであった。

NaCl水溶液中のメタンハイドレートの相平衡条件

NaCl水溶液中のエタンハイドレートの相平衡条件

メタン-エタン混合ガスハイドレートの相平衡条件

メタン-エタン混合ガスハイドレートのメタン濃度と相平衡圧力の関係

メタンハイドレート生成時の水の酸素・水素同位体組成変化:(a)酸素同位体 (b)水素同位体横軸はメタンハイドレート生成量、縦軸は同位体組成変化。実線・点線は、同位体分別係数一定とした場合に予想される同位体組成変化。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、第1章は本研究の背景と目的、第2章はガスハイドレートの相平衡条件の実験的研究、第3章はガスハイドレート相平衡条件の統計熱力学的研究、第4章はガスハイドレート生成に伴う水の同位体分別に関する実験的研究、第5章は本研究のまとめについて述べられている。

第1章では、大陸周辺海域の深海堆積物中に多量の存在が推定され、次世代のエネルギー資源として有望視されているメタンハイドレートについて、その資源的な価値や、結晶構造、メタンの起源、天然における安定性などこれまでの研究をまとめた。その上で、天然のメタンハイドレートの存在量の推定のため、室内合成実験により、天然の系に近い条件下での相平衡条件を決めることや、水の水素、酸素同位体分別係数を決めることなど本研究の目的が述べられている。

第2章では、まずガスハイドレートの生成条件を実験的に決めるための装置について述べられており、高圧低温セルに透過光を通してその強度変化でガスハイドレート生成を判定するなど実験的な工夫がされている。従来から溶解塩類が相平衡条件を低温側へシフトさせることは知られていたが、陽イオンの違いを扱った研究が多く、本研究では陰イオンの違いとハイドレートに内包されるガスの違いに着目して系統的に実験を重ねた。その結果、低温側への相平衡条件のシフトは陰イオンのモル濃度に依存し、陰イオンの種類(Cl-, Br-, I-, SO42-)やガスの種類(メタン、エタン)によらないことを見つけた。また、メタン-エタン混合系でのガスハイドレートの相平衡条件の実験から、1〜2%のエタン濃度でも結晶構造が構造Iから構造IIへ変化している可能性を指摘した。このことは最近のラマン分光の研究からも支持されている。

第3章では、本研究で得られた実験結果を用いて、Van der Waals and Platteeuw (1959) によって提案されたガスハイドレートの統計熱力学モデルを改良し、内包ガス分子と水分子間の分子間ポテンシャル(Kihara ポテンシャル)のパラメータ値を新たに推定したことを述べている。この結果、メタン-エタン混合ガスハイドレートの相平衡条件が、従来の文献値より精度よく推定できるようになった。

第4章では、まず、堆積物中のメタンハイドレートの存在量を見積もる方法として堆積物の間隙水の酸素同位体組成から求める方法が新たに提案されていることをまとめている。しかし、この方法の基礎となるガスハイドレートと水の間の酸素同位体分別の実験例はほとんど無く、水素同位体分別は報告が皆無であるため、本研究で始めて分別係数を求めた。その結果、酸素および水素の同位体分別係数は、それぞれ1.0023-1.0032および1.0014-1.0022であることが求められ、この値はすでに報告のある氷-水間の分別係数とほぼ同じであることを新たに示した。

第5章では以上をまとめているが、本論文では、ガスハイドレートの相平衡条件を天然の条件に合うように溶解塩類やガス種をかえて詳細に測定し、低温側への相平衡条件のシフトは陰イオンのモル濃度に依存し、陰イオンの種類やガスの種類によらないことを見つけた。また、メタン-エタン混合ガスハイドレートにおいて、相平衡条件から構造変化を指摘した。さらに、ガスハイドレートと水の間の酸素同位体、水素同位体の分別係数を求めたことは、堆積物中のメタンハイドレートの存在量を見積もるための基礎データを提供したこととなり、固体地球-海洋間の地球化学の分野に多大な貢献を行った。

なお、本論文の第2章の一部は伊藤司郎博士、坂田将博士、猪狩俊一郎博士、今井登博士との共同研究、第4章の一部は今井登博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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