学位論文要旨



No 215884
著者(漢字) 川田,剛士
著者(英字)
著者(カナ) カワダ,ツヨシ
標題(和) 無脊椎動物タキキニン関連ペプチドUru-TKに関する研究
標題(洋)
報告番号 215884
報告番号 乙15884
学位授与日 2004.02.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15884号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 助教授 足立,博之
内容要旨 要旨を表示する

タキキニンは生体内で多様な作用を引き起こす脳腸ペプチドである。このペプチドは哺乳類に対して血圧降下作用や唾液分泌効果、腸管収縮作用などの末梢作用を示す。また神経内では痛覚などの侵害情報を伝達する神経ペプチドとして機能している。さらに脊椎動物から単離されたタキキニンペプチドはC末端に[-Phe-X-Gly-Leu-Met-NH2]という共通配列を有していることが特徴である。一方、無脊椎動物の神経組織からもタキキニンと同様に腸管収縮作用を誘起し、かつタキキニンの共通配列と相同性のある[-Phe-X-Gly-Y-Arg-NH2]という配列がC末端に保存されているペプチドが確認されていた。これらのペプチドはその生物活性の特徴とアミノ酸配列の類似性から、タキキニン関連ペプチドと総称されていた。しかし、このタキキニン関連ペプチドは無脊椎動物の腸管に対しては収縮を促すが、脊椎動物の腸組織に対する収縮活性はほとんどない。またタキキニンの共通アミノ酸配列においても、類似性は認められるが同一ではない。加えて、既存のタキキニン関連ペプチドに関する研究はペプチドの一次配列決定、生物活性検定や免疫学的組織染色がほとんどであるため、タキキニン関連ペプチドとタキキニンとの分子進化学的関連や機能レベルでの進化や多様性を解明する上で不可欠な分子生物学的知見が全く存在しない状況であった。そこで筆者は、まず、

(1)これまで明らかにされていなかった無脊椎動物のタキキニン関連ペプチドの前駆体構造を明らかにすること(2)哺乳類タキキニン前駆体との共通点または相違点を調べること(3)タキキニン関連ペプチドの受容体を同定して、アミノ酸配列、ゲノム構造、ペプチドリガンドとの反応性を決定し、脊椎動物のタキキニンおよびその受容体と構造や機能を比較することにより、タキキニン関連ペプチドの構造と機能の進化、多様性を解明することを

目的とし、以下の研究を行った。

ユムシはユムシ動物門に属する無脊椎動物であり、環形動物門の近縁である。このユムシの神経索から2種類のタキキニン関連ペプチド、Uru-TK Iと Uru-TK IIが以前に同定されていた。そこで、ユムシ神経索からUru-TK IおよびUru-TK IIをコードするcDNAのクローニングを試みた結果、Uru-TK IとUru-TK IIは同一の前駆体にコードされていることが明らかになった。さらにこの前駆体にはUru-TK IとUru-TK II以外にも、タキキニン関連ペプチド特有の配列(-Phe-X-Gly-Y-Arg-Gly- : Glyはプロセシングによりアミド化)を含むペプチドが5つ(Uru-TK III-VII)コードされていた(図1)。これら5つの新規仮想ペプチドの存在を、質量分析測定によって検出したところ、Uru-TK III-V,VIIが実際に神経索内に存在することが判明した。またゴキブリ後腸収縮活性の測定を行った結果、これら4つのペプチドはUru-TK IとUru-TK IIとほぼ同等の生物活性を示すことが明らかになった。以上の実験結果から、Uru-TK前駆体は少なくとも6つのタキキニン関連ペプチド(表1)をコードおよび産生することが証明された。哺乳類タキキニンの前駆体にはタキキニンが1つまたは2つしかコードされておらず、前駆体構造においてタキキニンとUru-TKの間には明らかな差異が認められた。またタキキニン遺伝子では選択的スプライシングが起こる例が確認されるが、Uru-TK遺伝子ではこの選択的スプライシングは確認されなかった。この結果から転写様式においてもUru-TK遺伝子はタキキニン遺伝子とは異なることが判明した。これらの知見から、タキキニン関連ペプチド遺伝子は、タキキニン遺伝子とは先祖遺伝子が異なるか、もしくはそれぞれが別々の経路で進化してきたことが示唆され、従来のアミノ酸配列比較や生理学実験から示唆されていたタキキニンとタキキニン関連ペプチドを同族とする見解を覆すものである。

生理活性ペプチドの機能や特徴を解析するに際し、その生物活性を媒介する分子である受容体を同定し活性化機構を明らかにすることは重要である。そこで筆者はUru-TKの受容体をコードするcDNAをクローニングし、タキキニン受容体と比較することを試みた。タキキニン受容体は多くの脊椎動物から同定されているが、それらのアミノ酸配列には相同性の高い領域が存在する。この相同性の高いアミノ酸配列に対応するdegenerate primerを作成し、ユムシ神経索cDNAを鋳型にPCRを行うことにより、タキキニン受容体と相同性をもつ1つの受容体候補遺伝子を取得した。この受容体候補蛋白質をアフリカツメガエル卵に発現させ、Uru-TK I と反応させたところ、生物活性を促したことから、この候補蛋白質がUru-TKの受容体であることが示された(以後、この受容体をUTKRと呼ぶ)。タキキニン受容体はG蛋白質結合型受容体であり、タキキニンとの結合によりPLCの活性化、IP3の生成、細胞質Ca2+イオン濃度の増加等を誘起する。ツメガエル卵における生物活性はこのPLC活性化由来のものであり、UTKRはタキキニン受容体と同じシグナル伝達を引き起こすことが示された。またタキキニン受容体は3種類(NK1受容体、NK2受容体、NK3受容体)存在するが、それぞれの受容体に対応するリガンドがある。哺乳類には3種類のタキキニン(substance P, NKA, NKB)が存在するが、NK1受容体はsubstance Pと、NK2受容体はNKA、NK3受容体はNKBとそれぞれ選択的に相互作用する。しかしながら、UTKRと6種類のUru-TK(表1)の反応性を確認したところ、全ペプチドともほぼ同等の活性を示すことが判明した。したがってUTKRにはリガンド選択性がないか非常に弱いことが示唆され、タキキニンとタキキニン受容体に特徴的な強いリガンド選択性はないことが証明された。

タキキニンとタキキニン関連ペプチドではC末端アミノ酸残基が前者ではMet残基、後者ではArg残基である。そこで、Uru-TK IのC末端アミノ酸残基をArg残基からMet残基に置換したアナログペプチドを、UTKRを発現させたアフリカツメガエル卵に反応させて活性が促されるかを確認したところ、このUru-TK IアナログはUTKRを活性化させないことが示された。さらにタキキニンであるsubstance PのC末端アミノ酸残基をMet残基からArg残基置換したアナログペプチドを用いて同様の実験を行った結果、substance PアナログはUTKRを活性化することが示された。これらの結果からUTKRを活性化させるにおいてペプチドC末端アミノ酸残基が重要な影響を及ぼしていることが確認された。

タキキニン受容体とタキキニン関連ペプチド受容体の分子進化レベルでの関連性を考察する上で、タキキニン関連ペプチド受容体のエクソンーイントロン構造を決定することは必須である。そこで筆者はUTKR受容体をコードする染色体領域の配列決定を行い、イントロン領域の配列および挿入部位を決定した。その結果、UTKR受容体コード領域には4つのイントロン領域が含まれており、そのイントロンの挿入位置はタキキニン受容体遺伝子における挿入位置と一致していた。この事実からタキキニン受容体遺伝子とタキキニン関連ペプチド受容体遺伝子は同一の祖先遺伝子を起源にすることが示唆され、タキキニン受容体とタキキニン関連ペプチド受容体は同族の受容体であることが立証された。一方、この受容体の保存性とは対照的に、ペプチドではタキキニンとタキキニン関連ペプチドの間に前駆体構造や転写様式に明確な差異が認められた。特にペプチドの前駆体構造の相違は、タキキニン遺伝子とタキキニン関連ペプチド遺伝子が異なる祖先遺伝子から派生してきた可能性を示唆している。それぞれ別々の進化過程を経てきたタキキニンおよびタキキニン関連ペプチドと、共通の祖先から派生したそれぞれの受容体が、1つのリガンド-受容体システムを構築して生体反応制御に関与することとなり、非常に興味深い知見である。

以上、本研究によって従来のアミノ酸配列や生理活性測定では明らかにされなかったタキキニン関連ペプチドおよびその受容体の一次構造、活性化機構、ならびにタキキニンとその受容体の分子進化的関連において新規かつ重要な知見が明らかになった。

Uru-TKペプチドのアミノ酸配列

Uru-TK前駆体模式図。タキキニン関連ペプチド共通配列を含むペプチドを点画で、プロセシングサイトを黒地で、シグナルペプチドを斜線でそれぞれ表している。

審査要旨 要旨を表示する

タキキニンは、哺乳類で腸管収縮などの末梢作用をもち、痛覚伝達にも関わる、脊椎動物の神経ペプチドで、C末端に-Phe-X-Gly-Leu-Met-NH2という共通アミノ酸配列をもつ。一方、昆虫など無脊椎動物の神経組織からも、昆虫の腸管収縮を誘起し、C末端に-Phe-X-Gly-Y-Arg-NH2という、類似したアミノ酸配列をもつペプチドが見出されているが、アミノ酸配列と特定の生物活性以外の研究はきわめて乏しい。本論文は、このような無脊椎動物のタキキニン関連ペプチドの機能的、進化的特徴を明らかにすべく行った、ユムシのUru-TK及びその受容体に関する分子生物学的研究をまとめたもので、5章からなっている。

第1章の序論では、サブスタンスPを端緒に見出された脊椎動物のタキキニンと、ゴキブリの腸管収縮活性から同定された無脊椎動物の関連ペプチドに関する、研究開始時までの知見、未解明の問題点について述べられている。ユムシは、環形動物門に近いが独自のユムシ動物門をなす生物で、わが国にはUrechis unitinctus1種のみが棲息し、多様化が狭いことや分子進化的位置から対象として興味深い。ユムシからはUru-TKI及び IIの2種類のタキキニン関連ペプチドが同定されている。

第2章では、ユムシのタキキニン関連ペプチド前駆体について解析した。ユムシ神経索からmRNAを抽出し、逆転写後、Uru-TKIをコードする配列に基づき設計したプライマーを用いて3'-RACEを行った。さらに3'-RACEにより得られた配列からプライマーを設計し、5'-RACEも行うことによって、前駆体をコードするcDNAのクローニングに成功した。243アミノ酸からなる前駆体ペプチドには、Uru-TKIに続いて、Uru-TKII並びにこれらと類似した5つのペプチドが、プロセシングに関わる連続した塩基性アミノ酸を挟み、コードされていた。新規な仮想ペプチドを、Uru-TKIIIからVIIと命名した。ノーザンブロット及びRT-PCRとサザンブロットから、このUru-TK遺伝子は、腸管並びに体壁筋では発現が認められず、神経索で特異的に発現していることが判明した。

第3章では、上記の前駆体の解析から予想された、7つのペプチドについて、神経索抽出物からの検出を試みた。Uru-TKVI以外の6つについて、合成標準ペプチドと同一物の存在が、質量分析によって認められた。これらは、Uru-TKIとほぼ同等の、ゴキブリ腸管収縮活性をもっていた。

第4章では、タキキニン関連ペプチドの受容体について解析した。タキキニン受容体は、多くの脊椎動物からは既に同定され、相同性の高い領域をもつ、Gタンパク質結合型受容体であることが知られている。タキキニンの結合により、受容体は、ホスフォリパーゼCの活性化から細胞質カルシウム濃度上昇などを誘起する。しかし、無脊椎動物からはペプチドと受容体がセットになった解析はこれまでになく、申請者の研究が初めてのものである。脊椎動物で相同性が高い領域の配列に基づくプライマーによって、ユムシ神経索cDNAを鋳型にPCRを行い、さらに3'-ならびに5'-RACEによって哺乳類タキキニン受容体と相同性を持ち、431アミノ酸からなる、1つの7回膜貫通型受容体候補を見つけた。この候補タンパク質を、アフリカツメガエル卵母細胞へのmRNA注入により発現させた。これにUru-TKIを反応させたところ、カルシウムイオン濃度上昇による塩素イオン流入の電気的シグナルを検出することができた。このことから、候補タンパク質がUru-TKI受容体として働くことが分かった。他の5種類のUru-TKについて調べたところ、同等の反応を引き起こし、哺乳類タキキニンの場合のようなリガンド-受容体間の高い選択性はないことが示唆された。C末端アミノ酸は、脊椎動物ではMet-NH2、無脊椎動物ではArg-NH2だが、それに対する選択性は極めて高いことが、置換体による解析から示された。染色体DNAの部分配列も決定して比較した結果、遺伝子は5つのエクソンと4つのイントロンから構成されており、その位置は哺乳類タキキニン受容体遺伝子のものと一致していた。ペプチド前駆体側の進化的多様性に対し、受容体は共通の祖先遺伝子をもつことが強く示唆された。

第5章では、本研究のまとめと今後の展望が述べられている。

以上、本論文は、不明な点が多かった無脊椎動物ユムシのタキキニン関連ペプチドについて、前駆体ペプチドの分子生物学的解析と、それによって見出された新規関連ペプチドの機能、並びにこれまで未知であったその受容体について明らかにしたものであり、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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