学位論文要旨



No 215889
著者(漢字) 朱,銀邦
著者(英字)
著者(カナ) ズ,インバン
標題(和) 細孔内水分の熱力学的状態量に基づくコンクリートの複合構成モデル
標題(洋)
報告番号 215889
報告番号 乙15889
学位授与日 2004.02.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15889号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前川,宏一
 東京大学 教授 東畑,郁生
 東京大学 助教授 岸,利治
 東京大学 助教授 松本,高志
 東京大学 助教授 石田,哲也
内容要旨 要旨を表示する

社会基盤ストックの維持管理時代の幕開けを迎え,コンクリート構造物の耐用期間にわたる過渡的応答予測に関する研究が精力的に進められている.その中で,硬化開始から長期間にわたるコンクリート複合材料の系統的かつ統一的な材料,構造および熱力学的モデル構築への期待感が高まっている.供用期間中のコンクリート構造物の耐荷力や耐久性に関連する照査技術が熟成するにつれ,コンクリートのクリープや体積変化,特に耐久性に関わるひび割れの発生原因の一つとなる収縮の精度の高い予測値を提供するコンクリート時間依存変形モデルの構築は,設計耐用期間における構造物と材料の品質保証の観点から,今後ますます重要な位置を占めるものと考えられる.

セメント硬化体のクリープ,乾燥・自己収縮の機構に関する既往の研究から,硬化体を構成する細孔構造と,その中に保持される水分が変形挙動に強く関与していることが既に明らかにされている.一方,細孔寸法は10-10m~10-3mほどの幅を有するため,水分の熱力学的状態は微細構造内で局所的には均一でなく,それぞれの細孔内の水分がセメント硬化体の変形に及ぼす機構も異なる.既往の微視的機構の考察は,現象に対する俯瞰的な視点からもたらされ,コンクリート固体科学の基礎を形成している.しかし,これらの知見が総合化,定量化されて設計等に用いられるまでには至っていない.配合,使用材料,養生などによって様々な細孔構造が形成され得るため,巨視的な応力−時間−変形関係を微視的機構モデルに立脚して,定量的に一般表記することは,これまで困難であった.

従来,時間依存変形に対しては,自己・乾燥収縮,基本・乾燥クリープに分離・独立して定量化し,各々の組み合わせで全体の挙動を記述する手法が取られてきた.実務設計上,このようなアプローチは高い利便性を有するが,現象論的な側面から見れば,異なる境界条件のもとでの一変形挙動を代表しているにすぎない.すなわち,各々の重ね合わせ則の妥当性は全ての場合に担保される訳ではなく,ある境界条件下での挙動を便宜的に抽出したものであると言える.

以上の背景から,本研究は,コンクリート材料を支配する物質・エネルギーの生成・移動に関わる熱力学連成システムDuCOMと構造力学挙動を支配する変形・応力場に関わる構造解析システムCOM3との連成により,内部状態量としての水分・水和・細孔構造に立脚して,巨視的に観察される時間依存変形を記述するコンクリートの一般化構成則を構築することを目的とした.短期間から長期間にわたるコンクリート構造物の性能,またはその挙動を予測するシステムを提案することを,念頭においた研究でもある.つまり,概ね10-7m~10-4mの細孔中の凝縮水に適用されると考えられる毛細管張力理論や滲出理論,水分子と同オーダー(10-10m~10-9m)の細孔空隙に関与する分離圧力理論などの知見を,それぞれ固有の空隙寸法に適用し,これらを積分することで巨視的な材料構成則の導出を試みるものである.

本研究の眼目は,細孔内水分の熱力学状態量(温度,セメント水和度,空隙径分布,空隙内飽和度,湿度,吸着分子層厚)に基づいて変形特性が規定される一般性に求められる.細孔内の水分分布を基に,セメント硬化体を構成するゲル粒子自体の変形と,ゲル粒子から構成される毛細管構造の変形特性を個別にモデル化し,同時に毛細管張力と吸着水離脱によるゲル粒子の固体表面エネルギーの変化を,変形の潜在駆動力として定量化することで,一般化構成則を導く方法論を提案する.ここで状態諸量の算出には,物質・エネルギーの生成移動に関する連成解析システムDuCOMを採用した.さらに,コンクリートを骨材とセメント硬化体の2相に代表させ,配合因子を構成モデルに陽な形で取り入れるようにした.

微視的機構と巨視的な変形特性を関連づける以上のスキームに,水和過程の過渡応答モデルを組み入れる必要がある.本研究でSolidification理論の考え方を導入した.水和の進行に伴うセメント硬化体の形成は,既に形成を終えた固体の周辺に付加される殻(クラスター)の集合として表現するものである.同じ殻の力学特性を仮定するが,生成時の状態諸量が個々の殻で異なることを履歴変数に記憶させることで,一見して複雑な履歴性状を合理的に数量化する方法を採用している.なお,高応力域の微細ひび割れ進展に起因する時間依存性は,本研究の対象外とした.

提案手法の適合性を総合的に検証するために,異なる配合と環境条件に対して,時間−応力−ひずみ−の組み合わせを多角的に変えた実験と解析結果との比較検討を行った.本手法によれば,例えば乾燥収縮変形は応力ゼロ,試験体表面で一定湿度条件の下に算出される特解に相当する.乾燥クリープはさらに応力固定の境界条件下での特解に相当する.ひずみを収縮やクリープ項等に分離する必要は無く,試験体の寸法に依存する変形は,水分の移動解析との連成を通じて構造特性として計算されるのである.検討の結果,コンクリートの各現象,自己収縮,乾燥収縮,基本クリープ,乾燥クリープ,及び種々の温度下におけるクリープ挙動を適切に追跡することに成功した.乾燥条件下においては,提案した収縮駆動モデルとコンクリートの材料モデルの連成により,コンクリートの収縮による変形が良好な精度で予測された.自己収縮の場合,主たる変形駆動力は毛細管空隙中の相対湿度の低下であること,また厳しい乾燥を受ける際の収縮変形はゲルの塑性挙動が顕著になりうることを解析的に示した.また,クリープ挙動の解析において,基本クリープが載荷時材齢とともに増大する現象,及び乾燥クリープが載荷時材齢の増大により減少する傾向等,適切に予測することに成功した.以上の検証を通り,提案のモデルに基づき,構造物の受ける環境条件,養生条件を解析条件として変化させることのみによって,短期間から長期間にわたるコンクリートの収縮による時間依存変形を自動的に予測されていた.

以上を項目ごとにまとめると,下記のようになる.

細孔構造を層間空隙,ゲル空隙,毛細管空隙に分類し,それぞれに保持される水分の熱力学的状態量と対応する細孔構造の変形モデルとを結合することで,時間−平均応力−平均ひずみの関係を自己完結型(数学上の完備性)に規定することが可能であることを示した.応力変形状態により化学反応過程は影響を受け,形成される固体組織も応力履歴の影響を理論的には受けるが,セメント水和反応過程での活性化エネルギーの水準を考慮すれば,対象とした応力範囲で十分に無視できるものとした.

提案した構成則自体は材料表面で規定される環境条件に依存することなく,対象地点での熱力学的諸量のみで規定され,自己収縮,乾燥収縮,乾燥クリープ変形等は,熱力学的境界条件の違いに対応した構造応答(結果)と位置づけられる.すなわち, 構成則導出においては,乾燥収縮とクリープといった異なる境界条件に対応する変形成分(特別解)の加算に依る必然は,必ずしも無いことを示した.

内在する体積収縮の駆動力に,凝縮水の圧力降下(主に毛細管空隙とゲル空隙)と固体表面エネルギーに代表されるVan der Waals 力(ゲル空隙)の両者を考慮することで,構成モデルの適用範囲を広い湿度域と温度の組み合わせに拡張することが可能となった.

細孔構造寸法の違いと,そこに貯留する水分の熱力学的状態を個々に評価することで,短期間に発生する時間依存性と長期間にわたって継続する時間依存変形の両者を,同じ計算スキーム上で扱い得ることが検証から示された.定性的に妥当な結果を与えるものの,個々の精度については,微細構造に立脚した特性モデルの精度向上が不可欠である.1950-60年代の実験データとの適合性は,近年のデータと比較して幾分,劣る傾向にある.本解析では,セメントの鉱物組成の違いは水和反応速度と細孔組織構造の違いに既に反映されてはいるが,更にゲル粒子の有する変形性と鉱物組成の関連が解明されなければならない.

自己収縮,乾燥収縮,基本クリープ,乾燥クリープごとに独立して変形を記述し,環境条件ごとに組み合わせることは,優れた設計実務上の手法である.適切な補正を施せば,所定の精度で材料の時間に依存する応答を評価できる.一方で,ひずみ成分の加算則が、硬化体組織の微視的レベルでの変形機構の解明を遅らせた側面も否定し難い.細孔構造変形モデルの適用範囲を拡げつつ,ひずみ加算則の適用範囲の再評価に繋げることも,今後の課題の一つである.

審査要旨 要旨を表示する

社会基盤施設の主要材料の一つである無機複合多孔材料は,常時の荷重・環境条件で発生する弾性変形の数倍にも及ぶ時間依存変形を僅か数年で呈する。そのため,設計段階で時間依存性を部材・構造レベルで予測して、適切な対策を事前に講ずることが肝要である。これまで、クリープに代表される時間依存変形特性は,温度応力と温度ひび割れリスクの評価、有効プレストレスの算定とその現場管理,部材の長期撓みの予測に不可欠なものとして位置づけられてきた。今日では,都市基盤の維持管理の合理的な策定と公的資金の戦略的な活用にあたって,現存する施設の残存性能や長期にわたる変形と損傷リスクの事前の算定が、ライフサイクルコストの評価等に益々必要となってきている。

一方,コンクリートなどの複合多孔体のクリープや乾燥収縮といった時間依存性は,ナノ〜マイクロスケールの空隙構造に捕捉される水分と極めて関連が高いことが知られており、細孔内の水分の熱力学的状態量を巨視的な時間依存変形と結びつけることが、過去10年にわたって試みられてきた。これまで常温下の短期−中期時間依存性(月オーダー)には一定の成果を挙げてきたが、年オーダーの長期と高温時さらに極低湿度環境下では、変形機構の定性的分析には一定の進展を挙げつつも、数量化モデルへのステップには、個々の細孔構造内の水分状態と固体変形のモデルの深化が急務となった。本研究は微細空隙内の水分モデル高度化の要請を受け、巨視的な材料時間依存性をCSH結晶層間空隙,ゲル粒子空隙,毛細管空隙内の水分状態とセメント硬化体自体の変形とを連動させる、マルチスケール構造材料モデルを提示することを目的とした。

第1章は序論であり,クリープ変形,乾燥収縮,自己収縮変形の発現機構に関する研究と,設計施工実務において従来から適用されてきた工学クリープモデルに関する研究の両者を整理し,微視的空間に捕捉される水分と巨視的な変形との関係が直接的に関連づけられていない現状を説明している。また、本研究の基盤を形成する細孔内水分の状態と移動に関わるモデルに言及し、既往の研究の有機的な結合が当該問題の一般化に不可欠であることを論じている。

第2章では,細孔内水分の熱力学的状態量を算定するマルチスケール材料モデルの詳細をまとめたものである。巨視的な無機複合多孔体の変形に寄与すると考えられる水分の平衡条件を厳格に各寸法の細孔空間で規定・検証すると共に、構造力学体系との連成解析の概要について論じている。

第3章は微細空隙構造と内部水分状態に立脚したコンクリート構成則を提示したものであり、本研究の中核をなす。砂利・砂の弾性体分散相と,それを包み込むセメントペースト媒体相の二相に複合体を単純化し,平均体積成分と平均偏差成分に現れる骨材固体粒子とセメント硬化体相の相互作用の数理モデルを提案している。砂利・砂の分散相は10-3-10-2mの寸法を有しており、構造解析に用いる基準体積にほぼ相当する。

媒体相は、さらに10-9-10-6mの寸法を有するゲル空隙および毛細管空隙から構成される多孔体の集合としてモデル化されている。本研究では、セメント硬化体の変形に強く関与する、ゲル空隙と毛細管空隙内に捕捉される水分(凝縮水,水蒸気,吸着水)の熱力学的平衡条件を規定する状態方程式を定め、含水率・平衡水蒸気圧・湿度・凝縮水圧力降下・吸着水層厚・凝縮水粘性の活性化エネルギー・温度を、硬化体変形の構成則で連成させる熱力学的指標とした。これを用いて短期および長期クリープ変形モデルを提案している。ここで、自己変形をもたらす内部作用機構として,凝縮水の表面張力と固体表面での分子間力を考慮している。外力,内力の機構に関わらず,水和によって生成される単位セメント硬化体層(クラスター)の力学特性を同一と仮定し,生成時間の異なるクラスター毎にそれぞれの初期ひずみと履歴依存性を代表する塑性パラメータを与えている。これにより、絶乾状態から完全湿潤状態までの自己収縮と乾燥収縮(自己変形)を統一的に表現することに成功している。

CSHトベルモライト板状結晶に挟まれる約3Åの層間空隙にある水分子は、一般の自然環境下では失われることは殆ど無く,極めて乾燥度の強い環境で影響を受ける。この水分は水蒸気との平衡状態に直接的に連動する成分と,遅れ変形(水分子の回転)に寄与する成分が存在すると考えられる。後者はゲル空隙モデルの温度依存型の粘塑性モデルに取り込み,前者は相関空隙内の水分移動と連結させた塑性変形成分を仮定することで,全体変形を記述するモデルを取り入れている。

第4章では,様々な環境におかれたセメント系複合材料の短期,中期および長期変形の実験結果との比較検証を行っている。検証に用いた水セメント比は30%から60%以上の範囲を網羅している。環境温度は20度〜70度を対象とし、使用状態の構造解析へ適用されることを鑑み,応力レベルはおよそ圧縮強度の40%以下を主に対象とした。ここでは巨視的なひび割れを許容しない範囲としている。応力保持期間は数時間から2-3年のオーダーである。自己乾燥変形、乾燥収縮変形、基本クリープならびに乾燥クリープ変形を,それぞれの環境条件に対してマルチスケールシュミレーションを実施して、実験結果との比較検討を行っている。温度応力制御ならびに中期構造変形解析に耐え得る適用範囲と工学精度を有していることを確認した。

第5章では結論であり、知見の適用範囲と今後の展開方向について概括している。

本研究は、コンクリートの応力ひずみ関係に現れる時間依存性のうち、微細空隙内の水分の平衡と移動に連動した中長期変形特性を予測する多段階型数値材料モデルを提示した。ここで、任意の自然環境条件に対応可能な一般性が付与され、社会基盤施設の中長期変形と損傷評価法を提示した。今日,マスコンクリートの温度応力制御ならびに鋼材腐食に伴う損傷劣化を内在する部材の中長期性能照査に適用されており,今後の都市再生と継続的な維持管理に貢献することが期待される。よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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