学位論文要旨



No 215904
著者(漢字) 原,隆人
著者(英字)
著者(カナ) ハラ,タカヒト
標題(和) 前立腺癌におけるホルモン療法抵抗性獲得のメカニズムの解明に関する研究
標題(洋)
報告番号 215904
報告番号 乙15904
学位授与日 2004.02.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15904号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 影近,弘之
 東京大学 助教授 青木,淳賢
内容要旨 要旨を表示する

前立腺癌は米国で最も多い癌であり、男性の癌死要因としては第2 位の癌である。前立腺癌の増殖はアンドロゲンに依存しているため、アンドロゲン作用をブロックするホルモン療法が非常に有効である。しかし、ホルモン療法の前立腺癌抑制効果は一時的であり、2 から3 年後には半数程度、最終的にはほとんどすべての患者で再燃が起こる。再燃癌の出現部位は80%程度が骨、20%程度がリンパ節である。このホルモン療法抵抗性獲得のメカニズムは未だ解明されておらず、ホルモン療法抵抗性癌に対する有効な治療法は全くないのが現状である。ホルモン療法抵抗性獲得のメカニズムが未解明であることの最大の理由は、臨床癌を反映する細胞株がほとんどないことである。これまでは、ホルモン療法抵抗性癌はホルモン非依存性癌と呼ばれ、その増殖はもはやアンドロゲンに依存しないと考えられてきた。しかし、近年、ホルモン非依存性癌でアンドロゲン受容体 (AR)の発現量が増加していることが明らかにされ、ホルモン療法抵抗性とAR との密接な関係が示唆されている。前立腺癌のホルモン療法には大きく分けて2種類ある。一つは、去勢単独療法、もう一つは去勢療法とAR アンタゴニストの併用療法 (CAB(Combined Androgen Blockade))療法)である。私はそれぞれのホルモン療法抵抗性癌に対応する細胞モデルを構築し、AR に着目し抵抗性獲得のメカニズムを解明することを試みた。

去勢単独療法抵抗性獲得のメカニズム

去勢療法抵抗性の臨床癌でAR 発現量が増加しており、また、再燃癌患者でアンドロゲン誘導性であるProstate specific antigen(PSA)の血中濃度が上昇することから、去勢療法抵抗性獲得にAR シグナルの亢進が関与するとの仮説に基づき実験を行った。はじめに臨床での去勢療法を模した細胞実験モデルを構築した。ステロイドホルモンを除去したメディウム(DCC メディウム)中で培養することにより、ホルモン依存性ヒト前立腺癌細胞株であるMDA PCa 2b 細胞の増殖を抑制し、およそ35 週間の持続的な増殖抑制後、このメディウム中でも増殖するようになったホルモン抵抗性癌細胞をMDA PCa 2b-hr と名付けた。この細胞株はAR 陽性、PSA 陽性であり、臨床の去勢療法抵抗性癌の特徴を有していた。

これらの細胞を用いて、ステロイドホルモン除去処理中のアンドロゲン反応性の変化を調べた。ステロイドホルモン除去処理4 週間後までにアンドロゲン反応性は徐々に低下した。増殖が再開していた48 週後には、アンドロゲン感受性が亢進し、低濃度のテストステロンによって増殖が促進された。この結果はAR のシグナルと増殖とが密接に関係することを示しており、ホルモン抵抗性獲得にAR シグナルの亢進が関与することを示唆している。

次に、ステロイドホルモン除去処理中のAR 蛋白発現量の変化を調べたところ、AR 発現量と増殖とが密接に相関していた。ステロイドホルモン除去処理により増殖が抑制される時にはAR 発現量も低下しており、増殖が再開した時にはAR 発現量も回復していた。MDA PCa 2b-hr のAR 発現量はMDA PCa 2b より多かった。この結果は、AR 発現量と増殖が密接に関係することを示しており、ホルモン抵抗性の獲得におけるARシグナルの亢進にAR 発現量の増加が関与することを示唆している。

ホルモン抵抗性増殖におけるAR シグナルの関与を調べるため、DCC メディウム中でのMDA PCa 2b-hr 細胞の増殖に対するAR アンタゴニストの作用を調べた。ビカルタミドはMDA PCa 2b-hr 細胞の増殖を有意に抑制した。この結果は、ホルモン抵抗性増殖にAR のシグナルが関与することを示している。

次に、in vivo におけるアンドロゲン反応性を調べるため、デヒドロエピアンドロステロン(DHEA)の徐放性ペレットを埋め込んだ去勢ヌードマウス内におけるMDA PCa 2b 腫瘍およびMDA PCa 2b-hr 腫瘍の増殖率を比較した。DHEA を用いたのは、去勢療法で抑制されない副腎性アンドロゲンを利用することが去勢療法抵抗性のメカニズムであるとの仮説に基づく。MDA PCa 2b 腫瘍は100 mg/3weeks 未満のDHEA ペレットにより増殖が促進されなかったが、MDA PCa 2b-hr 腫瘍は1.5 mg/3weeks のDHEA ペレットでも有意に増殖が促進された。この結果は、in vivo においてもMDA PCa 2b-hr 腫瘍のアンドロゲン感受性が亢進していることを示している。

以上の結果はAR シグナルの亢進により、去勢療法で抑制されない低濃度の副腎由来のアンドロゲンを利用することが去勢療法抵抗性獲得のメカニズムであるとの仮説を裏付ける。

CAB 療法に対する抵抗性獲得のメカニズム

CAB 療法抵抗性の臨床癌の中にはAR アンタゴニストを休薬すると腫瘍が退縮し、患者の血中PSA 濃度が低下するケースがあることから、CAB 療法抵抗性獲得にAR の機能変化によるAR アンタゴニストのアゴニスト化が関与するとの仮説に基づき実験を行った。臨床のCAB 療法抵抗性癌を反映する細胞モデルが全くなかったので、はじめに、臨床でのCAB 療法を模した細胞実験モデルを構築した。1μM のビカルタミドを含むDCC メディウム中で培養することにより、ホルモン依存性ヒト前立腺癌細胞株であるLNCaP-FGC 細胞の増殖を抑制し、およそ6 週間の持続的な増殖抑制後、このメディウム中でも増殖するようになったCAB療法抵抗性癌細胞株をLNCaP-cxD2 と名付けた。臨床のCAB 療法抵抗性癌と同様に、メディウム中のビカルタミドを除去するとLNCaP-cxD2 細胞の増殖が抑制されたので、この細胞株は臨床のCAB 療法抵抗性癌の特徴を有すると考え、この細胞株および親株を用いて、抵抗性獲得のメカニズムの解明を試みた。

LNCaP-cxD2 細胞の増殖に対するビカルタミドの作用を調べ、親株の反応性と比較した。親株の増殖はビカルタミドにより用量依存的に抑制されたが、LNCaP-cxD2 細胞の増殖はビカルタミドにより1μM をピークとし二相性に促進された。親株のテストステロンによる増殖促進作用も同様の二相性を示すことが確認されているので、この結果は、LNCaP-cxD2 細胞に対しビカルタミドがアンタゴニストではなくアゴニストとして作用することを示唆している。次にPSA の産生を調べた。親株ではビカルタミドによりPSA 産生が抑制されたのに対し、LNCaP-cxD2 細胞ではビカルタミドにより用量依存的にPSA 産生が促進された。この結果は、LNCaP-cxD2 細胞に対しビカルタミドがアンタゴニストではなくアゴニストとして作用することを示している。

ビカルタミドがアゴニストに変換されたことの分子メカニズムを調べるため、AR 遺伝子の塩基配列を決定した。LNCaP-cxD2 細胞のAR 遺伝子に親株ではなかった新たな変異がコドン741 に見つかった。トリプトファンを指定するTGG が、システインを指定するTGT に変異していた(W741C)。LNCaP-cxD2 細胞と同様に樹立した他の細胞株の中には、コドン741 がロイシンを指定するTTG に変異していたものもあった。

このコドン741 の変異によりビカルタミドのアゴニストへの変換が起こると考えられたので、W741C およびW741L 変異型AR の転写活性を、AR 遺伝子および、ARE をもつルシフェラーゼ遺伝子のコトランスフェクションアッセイにより調べたところ、ビカルタミドはW741C およびW741L 変異型AR の転写活性を刺激した。この結果はコドン741 の変異によりビカルタミドがアンタゴニストからアゴニストへ変換されることを示している。最近、ビカルタミド抵抗性癌にW741C 型AR が検出されたとの報告が発表され、この実験モデルの妥当性が示された。

以上の結果はAR の変異により、AR アンタゴニストをアゴニストとして利用することがCAB 療法抵抗性獲得のメカニズムであるとの仮説を裏付ける。

以上まとめると、本研究において、私は、臨床における前立腺癌のホルモン療法を模した新たな細胞モデルを構築し、去勢単独療法抵抗性獲得のメカニズムとしては、AR 発現量の増加を伴うAR シグナルの亢進により去勢療法で抑制されない副腎性アンドロゲンを利用して癌が再燃する可能性を示し、一方、前立腺癌のCAB 療法に対する抵抗性獲得のメカニズムとしては、AR の変異を介しAR アンタゴニストをAR アゴニストとして利用することにより癌が再燃する可能性を示した。今後は、低ステロイド環境におけるAR 発現量の増加およびAR アンタゴニスト存在環境におけるAR の変異が起こるメカニズムを解明し、ホルモン療法抵抗性を誘発しない薬剤の開発につなげたいと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

前立腺癌は米国で最も多い癌であり、男性の癌死要因としては第2 位の癌である。前立腺癌の増殖はアンドロゲンに依存しているため、アンドロゲン作用をブロックするホルモン療法が非常に有効である。しかし、ホルモン療法の前立腺癌抑制効果は一時的であり、2 から3 年後には半数程度、最終的にはほとんどすべての患者で再燃が起こる。再燃癌の出現部位は80%程度が骨、20%程度がリンパ節である。このホルモン療法抵抗性獲得のメカニズムは未だ解明されておらず、ホルモン療法抵抗性癌に対する有効な治療法は全くないのが現状である。ホルモン療法抵抗性獲得のメカニズムが未解明であることの最大の理由は、臨床癌を反映する細胞株がほとんどないことである。これまでは、ホルモン療法抵抗性癌はホルモン非依存性癌と呼ばれ、その増殖はもはやアンドロゲンに依存しないと考えられてきた。しかし、近年、ホルモン非依存性癌でアンドロゲン受容体 (AR)の発現量が増加していることが明らかにされ、ホルモン療法抵抗性とAR との密接な関係が示唆されている。前立腺癌のホルモン療法には大きく分けて2種類ある。一つは、去勢単独療法、もう一つは去勢療法とAR アンタゴニストの併用療法 (CAB(Combined Androgen Blockade))療法)である。申請者はそれぞれのホルモン療法抵抗性癌に対応する細胞モデルを構築し、AR に着目し抵抗性獲得のメカニズムを解明することを試みた。

去勢単独療法抵抗性獲得のメカニズム

去勢療法抵抗性の臨床癌でAR 発現量が増加しており、また、再燃癌患者でアンドロゲン誘導性である Prostate specific antigen(PSA) の血中濃度が上昇することから、去勢療法抵抗性獲得にAR シグナルの亢進が関与するとの仮説に基づき実験を行った。はじめに臨床での去勢療法を模した細胞実験モデルを構築した。ステロイドホルモンを除去したメディウム(DCC メディウム)中で培養することにより、ホルモン依存性ヒト前立腺癌細胞株であるMDA PCa 2b 細胞の増殖を抑制し、およそ35 週間の持続的な増殖抑制後、このメディウム中でも増殖するようになったホルモン抵抗性癌細胞をMDA PCa 2b-hr と名付けた。この細胞株はAR 陽性、PSA 陽性であり、臨床の去勢療法抵抗性癌の特徴を有していた。

これらの細胞を用いて、ステロイドホルモン除去処理中のアンドロゲン反応性の変化を調べた。ステロイドホルモン除去処理4 週間後までにアンドロゲン反応性は徐々に低下した。増殖が再開していた48 週後には、アンドロゲン感受性が亢進し、低濃度のテストステロンによって増殖が促進された。この結果はAR のシグナルと増殖とが密接に関係することを示しており、ホルモン抵抗性獲得にAR シグナルの亢進が関与することを示唆している。

次に、ステロイドホルモン除去処理中のAR 蛋白発現量の変化を調べたところ、AR 発現量と増殖とが密接に相関していた。ステロイドホルモン除去処理により増殖が抑制される時にはAR 発現量も低下しており、増殖が再開した時にはAR 発現量も回復していた。MDA PCa 2b-hr のAR 発現量はMDA PCa 2b より多かった。この結果は、AR 発現量と増殖が密接に関係することを示しており、ホルモン抵抗性の獲得におけるARシグナルの亢進にAR 発現量の増加が関与することを示唆している。

ホルモン抵抗性増殖におけるAR シグナルの関与を調べるため、DCC メディウム中でのMDA PCa 2b-hr 細胞の増殖に対するAR アンタゴニストの作用を調べた。ビカルタミドはMDA PCa 2b-hr 細胞の増殖を有意に抑制した。この結果は、ホルモン抵抗性増殖にAR のシグナルが関与することを示している。

次に、in vivo におけるアンドロゲン反応性を調べるため、デヒドロエピアンドロステロン(DHEA)の徐放性ペレットを埋め込んだ去勢ヌードマウス内におけるMDA PCa 2b 腫瘍およびMDA PCa 2b-hr 腫瘍の増殖率を比較した。DHEA を用いたのは、去勢療法で抑制されない副腎性アンドロゲンを利用することが去勢療法抵抗性のメカニズムであるとの仮説に基づく。MDA PCa 2b 腫瘍は100 mg/3weeks 未満のDHEA ペレットにより増殖が促進されなかったが、MDA PCa 2b-hr 腫瘍は1.5 mg/3weeks のDHEA ペレットでも有意に増殖が促進された。この結果は、in vivo においてもMDA PCa 2b-hr 腫瘍のアンドロゲン感受性が亢進していることを示している。

以上の結果はAR シグナルの亢進により、去勢療法で抑制されない低濃度の副腎由来のアンドロゲンを利用することが去勢療法抵抗性獲得のメカニズムであるとの仮説を裏付けるものであった。

CAB 療法に対する抵抗性獲得のメカニズム

CAB 療法抵抗性の臨床癌の中にはAR アンタゴニストを休薬すると腫瘍が退縮し、患者の血中PSA 濃度が低下するケースがあることから、CAB 療法抵抗性獲得にAR の機能変化によるAR アンタゴニストのアゴニスト化が関与するとの仮説に基づき実験を行った。臨床のCAB療法抵抗性癌を反映する細胞モデルが全くなかったので、はじめに、臨床でのCAB 療法を模した細胞実験モデルを構築した。1μM のビカルタミドを含むDCC メディウム中で培養することにより、ホルモン依存性ヒト前立腺癌細胞株であるLNCaP-FGC 細胞の増殖を抑制し、およそ6 週間の持続的な増殖抑制後、このメディウム中でも増殖するようになったCAB療法抵抗性癌細胞株をLNCaP-cxD2 と名付けた。臨床のCAB 療法抵抗性癌と同様に、メディウム中のビカルタミドを除去するとLNCaP-cxD2 細胞の増殖が抑制されたので、この細胞株は臨床のCAB 療法抵抗性癌の特徴を有すると考え、この細胞株および親株を用いて、抵抗性獲得のメカニズムの解明を試みた。

LNCaP-cxD2 細胞の増殖に対するビカルタミドの作用を調べ、親株の反応性と比較した。親株の増殖はビカルタミドにより用量依存的に抑制されたが、LNCaP-cxD2 細胞の増殖はビカルタミドにより1μM をピークとし二相性に促進された。親株のテストステロンによる増殖促進作用も同様の二相性を示すことが確認されているので、この結果は、LNCaP-cxD2 細胞に対しビカルタミドがアンタゴニストではなくアゴニストとして作用することを示唆している。次にPSA の産生を調べた。親株ではビカルタミドによりPSA 産生が抑制されたのに対し、LNCaP-cxD2 細胞ではビカルタミドにより用量依存的にPSA 産生が促進された。この結果は、LNCaP-cxD2 細胞に対しビカルタミドがアンタゴニストではなくアゴニストとして作用することを示している。

ビカルタミドがアゴニストに変換されたことの分子メカニズムを調べるため、AR 遺伝子の塩基配列を決定した。LNCaP-cxD2 細胞のAR 遺伝子に親株ではなかった新たな変異がコドン741 に見つかった。トリプトファンを指定するTGG が、システインを指定するTGT に変異していた(W741C)。LNCaP-cxD2 細胞と同様に樹立した他の細胞株の中には、コドン741 がロイシンを指定するTTG に変異していたものもあった。

このコドン741 の変異によりビカルタミドのアゴニストへの変換が起こると考えられたので、W741C およびW741L 変異型AR の転写活性を、AR 遺伝子および、ARE をもつルシフェラーゼ遺伝子のコトランスフェクションアッセイにより調べたところ、ビカルタミドはW741C およびW741L 変異型AR の転写活性を刺激した。この結果はコドン741 の変異によりビカルタミドがアンタゴニストからアゴニストへ変換されることを示している。最近、ビカルタミド抵抗性癌にW741C 型AR が検出されたとの報告が発表され、この実験モデルの妥当性が示された。

以上の結果はAR の変異により、AR アンタゴニストをアゴニストとして利用することがCAB 療法抵抗性獲得のメカニズムであるとの仮説を裏付けるものである。

以上をまとめると、本研究において申請者は、臨床における前立腺癌のホルモン療法を模した新たな細胞モデルを構築し、去勢単独療法抵抗性獲得のメカニズムとして、AR 発現量の増加を伴うAR シグナルの亢進により去勢療法で抑制されない副腎性アンドロゲンを利用して癌が再燃する可能性を示し、一方、前立腺癌のCAB 療法に対する抵抗性獲得のメカニズムとして、AR の変異を介しAR アンタゴニストをAR アゴニストとして利用することにより癌が再燃する可能性を示した。これらの結果は、低ステロイド環境におけるAR 発現量の増加およびAR アンタゴニスト存在環境におけるAR の変異が起こるメカニズムの解明に手掛かりを与え、ホルモン療法抵抗性を誘発しない抗腫瘍薬の開発に重要な情報をもたらすものであり、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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