学位論文要旨



No 215910
著者(漢字) 末吉,秀二
著者(英字)
著者(カナ) スエヨシ,シュウジ
標題(和) 南ヨルダン農村部のアラブ集団における高出生力と非効果的家族計画に関する生物文化的メカニズム : 集団生態学的アプローチ
標題(洋) BIOCULTURAL MECHANISMS OF HIGH FERTILITY AND INEFFECTIVE FAMILY PLANNING PRACTICES IN A RURAL ARAB COMMUNITY OF SOUTH JORDAN : A POPULATION-ECOLOGICAL APPROACH
報告番号 215910
報告番号 乙15910
学位授与日 2004.02.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第15910号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 助教授 松山,裕
 東京大学 助教授 黒岩,宙司
 東京大学 講師 神馬,征嶺
内容要旨 要旨を表示する

背景

これまでのフィールド・ワークに基づく出生力研究は,生物学的/行動学的要因,あるいは社会経済的/社会文化的要因のいずれかに焦点をあて,出生力パターンの解明に寄与してきた。しかし,アラブ諸国のように伝統的な規範が再生産行動に大きな影響を与える社会を対象とする研究は,両視点からともに検証がなされることが重要である。

アラブ諸国の多くは,既に出生力転換を完了したが,出生力転換のパターンは,他の発展途上国とは異なることが指摘されている。その背景には,イスラムに起因する女性の低い地位,そして再生産の決定に対する男性の優位性があるとされる。

近年,ヨルダンにおける出生率は,他のアラブ諸国と同様に低下したが,国内における出生率の地域格差が顕しいことが指摘されている。本研究の対象地である南ゴール郡を含む南ヨルダンは,国内においても出生率が最も高く,とくに南ゴール郡はアラブの伝統的な慣習が強いことが知られている。

出生力に影響を与えるアラブの伝統的な慣習には,血族結婚や一夫多妻婚のような婚姻システムがある。先行研究によれば,血族結婚は,女性の初婚年齢や初産年齢を低下させて,出生力を上昇させる。一方,一夫多妻婚は,性交頻度の低下や産後の無月経期間の伸長,性病の罹患率の上昇,そして男性の妊孕力を低下させて,出生力が低下するとされるが,両者が出生力に与える影響を同時に検証した研究はない。

1970年代までアラブ諸国の多くは,自然出生力(意図的な出生抑制および人工妊娠中絶がない状況下の出生力)を維持していた。したがって,アラブの伝統的な社会において,出生力パターンを十分に理解するためには,自然出生力を考慮する必要がある。その後,近代的な避妊方法の実行率の上昇とともに,アラブ諸国の出生率は低下した。しかし,避妊実行率の国,地域,あるいは集団による違いが顕しいこと,避妊の実行期間,避妊の心理社会的な受容,そして効果的な避妊の実行などが,出生率の低下に影響を与えることが先行研究で指摘されているが,アラブ諸国において詳細なデータに基づく出生力研究は極めて少ない。

目的

本研究は,南ゴール郡の集団の出生力パターン,およびその要因を解明するために,(1)血族結婚と一夫多妻婚がともに,出生力に与える影響を明らかにすること,(2)避妊実行率と避妊の実行期間が, 出生力に与える影響を明らかにすること,そして(3)文化と伝統,ジェンダー,リプロダクティブ・ヘルス/ライツを考慮しながら,伝統的なアラブ社会の高出生率を低減させるための方策を示すことを目的とする。

また本研究は,出生力転換の解明に関するミクロ人口学的な方法論の発展に寄与すること,そして出生と関連した健康問題が報告されているアラブ諸国の女性の健康改善に資することになる。

対象と方法

南ゴール郡はヨルダン渓谷の南端に位置し,年間降雨量150mmの極乾燥地域に属するが,点滴灌漑による果菜類の栽培と生産を主な生業としている。1996年における南ゴール郡の人口は30,100人であったが,人口密度は45.7人/km2であり,南ヨルダンの平均9.7人/km2に比べて極めて高い。

本研究は,再生産年齢の既婚女性3,046人からランダムに抽出した750人を対象に聞き取り調査を行い,有効回答を得た608人を対象女性とした。分析したデータは,(1)出生年月日(対象女性の子供を含む),(2)婚姻年月日,(3)三世代前まで遡った配偶者との血族関係,(4)同居する妻の数と婚姻の順番,(5)出生地や教育歴などの社会文化的な経歴,(6)避妊方法, 開始時期, 実行期間などの再生産歴である。

本研究の分析方法は,次のとおりである。血族関係を,従弟婚,又従弟婚,非血族結婚の女性の3群に,また婚姻形態を,一夫一婦婚の女性,一夫多妻婚の第一婦人,第二夫人以下の女性の3群に分け,年齢階級別有配偶出生率 (ASMFR)(15〜19, 20〜24,…, 45〜49の5歳ごとの7階級別)を比較した。また,コール=トラッセルの有配偶出生率制限指数 (m) を用いて,避妊による意図的な出産抑制を評価した。さらに,平均出生児数を避妊経験者と未経験者間で比較した。避妊の実行期間については,カプラン=マイヤー推定法から,避妊開始から12/24ヶ月後の避妊中断率を求めて評価した。

結果

主な結果は,以下のとおりであった。

血族結婚と一夫多妻婚の婚姻女性割合は,それぞれ58.1%と28.0%であり,とくにアラブの伝統的な慣習とされる父方平行従弟婚の割合は,23.0%であった。

対象女性の94.4%は南ゴール郡出身者,59.2%は未就学者,82.2%は初婚年齢が20歳未満の者であった。

ASMFR は,全ての年齢階級において,一夫一妻婚の女性が一夫多妻婚の女性に比べて高かった。合計有配偶出生率は,一夫一妻婚の女性において10.5,一夫多妻婚の第一婦人において8.1,第二婦人以下の女性において8.6であった。しかし,非血族結婚,従弟婚,又従弟婚の女性間では出生率の差異はみられなかった。

コール=トラッセルの定義によれば,mが0.2を超える場合は,意図的な出生抑制が行われていないことを表すが,対象女性のmは-0.082であった。

避妊実行率は19.7%であり、そのうち近代的な避妊方法は14.3%(3.7%は避妊手術),伝統的な避妊方法は5.4%であった。対象集団においては,人工妊娠中絶は行われていなかった。

累積避妊実行者の割合は,20〜29歳において29.7%, 30〜39歳において22.6%, 40〜49歳において21.8%であった。

平均出生児数は,40〜44歳および45〜49歳を除く全ての年齢階級において,避妊経験の有る女性の方が避妊経験の無い女性に比べて高かった。

12/24ヶ月後の避妊中断率は,年齢階級の上昇とともに低下する傾向があり,とくに15〜19歳と20〜24歳における24ヶ月後の中断率は,約90%であった。

考察

自然出生力と出生力転換

対象女性の m (-0.082) の低さから,避妊が出生力に与えた影響は限られていたことが示された。先行研究によれば,出生力転換前における自然出生力集団の合計特殊出生率 (TFR) は4から8の範囲にあるが,ASMFR と婚姻率から推定した対象女性のTFRは7.2であった。この高出生率の要因は,婚姻率が高いこと,そして産後の不妊期間が短いことが考えられる。とくに妊孕力への生物的・社会的な制約は弱まったが,出生に関する規範が避妊の受容を阻害していた近代化初期の発展途上国を対象とした出生力研究において,産後の不妊期間の短縮が出生力の上昇に強い影響を与えることが示されており,対象集団においても社会文化的規範による影響が強いことが考えられる。

アラブ諸国における出生力転換は,近代的な避妊方法の受容と関連し,ヨルダンでは1985年から1990年にかけて始まったとされる。しかし,対象集団においては,社会文化的規範の強い影響が出生力転換に遅れを生じさせたことが考えられる。このように,社会文化的規範が出生力転換の前後にわたって出生力に影響を与え,集団間に差異を生じさせる可能性を理解することは重要である。本研究は,ミクロ人口学が必要とする出生力転換前の集団における高出生力のメカニズムの解明に寄与したといえる。

一夫多妻婚と血族結婚が出生力へ与える影響

対象集団における血族結婚,および一夫多妻婚の婚姻女性割合の高さは,女性の早婚や低い教育水準,そして結婚や離婚に対する女性の決定権の制限などに代表されるイスラム法の解釈による社会文化的規範と関連すると考えられる。アラブ諸国においては,宗教の世俗化により社会文化的規範が衰退していることが指摘されているが,対象集団ではその現象がみられなかった。

本研究は,非血族結婚,従弟婚又,および従弟婚の女性間では,出生力に差がなかったこと,並びに一夫多妻婚の女性が低出生力であったことを明らかにした。前者については,対象集団の低い乳幼児死亡率,そして血族結婚が何代にもわたり慣行され続けた影響と考えられる。後者については,アラブ社会においては,第一婦人が不妊症の場合に,夫は後妻を娶る傾向があり,とくにヨルダン農村部において顕著なことが報告されている。したがって,第一婦人の低出生力の要因は,不妊,あるいは低妊孕力などの女性の生理的再生産能力の低下が考えられる。また,第二婦人以下の女性の低出生力の要因は,配偶者の高齢による再生産能力の低下が考えられる。

避妊効果の低さとその原因

避妊実行率は若年層において高かったが,集団全体の出生力には殆ど影響を与えなかった。その要因は,(1)妊孕力の高い若年層において避妊の実行期間が短かったこと,(2)自分の年齢に見合った子供数を出産したと判断した女性のみが避妊を実行したこと,そして(3)伝統的な社会文化的規範に基づいた“義務的”子供数を出産した女性のみが避妊手術を行ったことが考えられる。

家族計画の受容

対象集団の平均希望子供数が,男性において7.5人,女性において4.4人であったことに示されるように,男女間の意識に著しい違いがみられた。さらに,アラブの伝統的な社会においては,出産あるいは家族計画の受容に関して,男性が大きな決定権を持つことが指摘されている。したがって,このような社会において出生率の低減を図るためには,女性よりも男性に対して家族計画の啓蒙を行うことが重要であると考える。

社会文化的規範およびリプロダクティブ・ヘルス/ライツ

発展途上国における高出生力集団の貧困を緩和するための方策は,出生率を低減させることとされる。南ゴール郡は厳しい水不足の問題に直面しており,出生率の低減は早急に解決すべき課題であり,その際,集団固有の社会文化的規範,およびリプロダクティブ・ヘルス/ライツへの考慮が必要である。

本研究は,女性の健康の改善とともに出生率の低減を図るためには,伝統的な社会文化的規範に基づくジェンダー不平等を軽減する必要があることを結論とする。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は南ヨルダン農村部におけるアラブ集団を対象に、社会文化的および生物学的側面から本集団が維持する高出生力のメカニズムの解明を試みたものであり、以下の結果を得ている。

本集団の出生率は、他の自然出生力集団の出生率と比べて高いことが示された。この高出生率の要因は、社会文化的規範による産後の不妊期間の短縮によるものと考えられる。

アラブ社会特有の婚姻形態が出生力に与える影響に関し、一夫一婦婚の女性に比べて一夫多妻婚の女性の出生率が低いことが示された。第一婦人における低妊孕力、第二婦人以下の女性の配偶者における再生産能力の低下がその要因と考えられる。

本集団では避妊の効果が低く、避妊が出生率の低下に寄与しないことが示された。その要因は、社会文化的規範による男性の女性に対する優位性、そして女性の避妊行動にあると考えられる。

以上、本論文は人口学研究が極めて遅れているアラブ社会において体系的に収集したデータに基づき、出生力転換初期における高出生力維持のメカニズムを社会文化的および生物学的要因により明らかにしており、本研究成果は、ミクロ人口学における方法論の発展に貢献するとともに、出生率が高いアラブ諸国において効果的な家族計画の普及を図るための重要な基礎資料となることが考えられる。したがって、本論文は学位の授与に値するものと考える。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50059