学位論文要旨



No 215911
著者(漢字) 岡山,裕
著者(英字)
著者(カナ) オカヤマ,ヒロシ
標題(和) アメリカ二大政党制の確立 : 再建期における戦後体制の形成と共和党
標題(洋)
報告番号 215911
報告番号 乙15911
学位授与日 2004.02.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第15911号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,武士
 東京大学 教授 馬場,康雄
 東京大学 教授 久保,文明
 東京大学 助教授 浅香,吉幹
 東京大学 助教授 中山,洋平
内容要旨 要旨を表示する

アメリカ合衆国の政党政治は、19世紀半ば以来特定の2政党が政党制の主要政党であり続けているという、世界的に見て類例のない特徴を持つ。本論文はそれが生み出されたことを二大政党制の「確立」と呼んで、その要因と過程を、南北戦争後の再建期を対象にした歴史分析を通じて明らかにした。それはこの時期、共和党と民主党の二大政党制が成立後最大の試練を経験したとみられるため、その克服過程の検討が二大政党制の確立の要因を解明するのに不可欠だからである。

南北戦争後19世紀末にかけて、共和党は安定的に多数派の地位を占めたとされてきた。しかし同党は、南北戦争を通じて奴隷制の廃止や連邦の再統一という目的を達成したがために、戦後党の方針をめぐって深刻な分裂を抱えるようになった。ここでは、共和党の多数派の地位を自明視せず、それがいくつかの危機を乗り越えて初めて維持されえたという見方に立っている。再建期については、後の時期との断絶が強調がちだが、以上からは、この危機が克服されるなかで戦後の政治体制が形成されたと考えられる。本論文の中核は、第三党をも交えて競争的な政党制の展開した北部における、共和党を軸とした政党政治についての歴史分析である。

以上の問題関心を明らかにした序章に続き、第1章では二大政党制の確立に関する先行研究の見解とその限界を提示し、本論文の分析枠組と主張を明らかにした。二大政党制の確立は、主要政党の入れかわりや多党制化が生じなくなることと言い換えられる。従来は、第三党に不利に働く小選挙区制と、選挙への立候補制限に代表される、20世紀に導入された第三党に不利な選挙制度の効果が強調されてきた。しかし、19世紀に後者は存在せず、小選挙区制の影響についても限界が指摘されている。

ところが、アメリカの政党制の変化について支配的な地位を占めてきた政党再編成論は、以上の説明を受け入れており、そのため再検討が必要となる。そこでは、既存の政党間対立軸を横断するような対立軸を持つ争点が重要化して、政党制の変化につながるとされてきた。しかし、政党再編成と呼ばれる約30年に一度の大規模な政治連合の組み換え以外は、有権者の強固な政党帰属意識に従って選挙結果が決まると考えられている。つまり政党制の安定期については一種の無風状態が想定されてきたのである。再建期は、第3次政党制を成立させた再編成期から安定期への移行期とされているが、安定期に関するこのような静態的な見方はやや非現実的であろう。

それに対して、ここでは政党制の不安定化要因として特定の政治争点を想定しつつ、それらが安定期にも政党制を変化させようとし、にもかかわらず、それに対抗する安定化要因が働いて政党制の安定が動態的に再生産されるという、新しい説明を提示した。そしてその安定化要因として、19世紀の政党政治が持っていた2つの構造的特徴に着目した。第1は、連邦レベル争点の州レベル争点に対する優位である。当時の主要政党指導者は、多くの場合州レベルの争点よりも、連邦レベルの争点に重きを置いて行動した。ある州レベル争点について党の方針に不満があっても党の団結を維持すべく妥協し、選挙でも州レベル争点より連邦レベルの争点を強調したため、州レベル争点が党の支持者を分裂させる程度は限定されていたとみられるのである。

もう1つの特徴は、各州内の政党政治が持っていた高い自律性である。19世紀当時、各州の党組織は州レベルのみならず連邦レベルの争点についても、州毎に自律的に独自の立場を示すのが普通だった。その結果、主要政党は各州内の党指導者や有権者の選好に即して態度を決められたため、全国で一律の立場を表明する場合に比して、党や支持者の分裂する度合いが小さかったのである。本論文では、政党制を不安定化するような争点への主要政党の対応がこれらの特徴に根ざしており、それが二大政党制の確立につながったという見解をとる。ただし、それだけで政治争点の不安定化作用の影響が完全に殺されるとまで考えられるわけではない。そこで歴史分析にあたっては、それ以外の要因も含めつつ、具体的にいかなるプロセスを通じて戦後体制が生み出されていったのかを解明した。

歴史分析の最初の2章では、南北戦争の戦後処理をめぐるいわゆる南部再建の争点が政党制に与えた影響とそれへの主要政党の対応を検討した。従来南部再建については、共和党の民主党に対する圧倒的優位を前提にして、連邦政府対南部という図式で連邦議会を中心とする政策形成過程が分析されてきた。本論文ではそれに対して、共和党が内戦を通じてその所期の目的を達したため、政党制の変化に向けた気運が生まれ、また再建政策が共和党を深刻に分裂させたのが政党制の流動化につながったことを示した。なかでも、南部連合の支配層の影響力復活を阻止する有力策とみられた、黒人(男性)への選挙権付与をめぐる政治過程を集中的に分析した。というのも、当時は北部でも大半の州で黒人は選挙権を持たず、共和党支持者も強い人種偏見を持っており、選挙権付与への反対派が離反する恐れもあったためである。

第2章では、終戦後の約1年半について、南部再建をめぐる共和党の危機が顕在化していく過程を検討した。まず党指導者のレベルでは、暗殺されたリンカン大統領の跡を襲って大統領となったジョンソンが共和党と対立するようになった。そこで終戦の翌年にかけて、彼を中心に結集した共和党内の保守派指導者が、南部占領の即時終結を訴えて新党の結成と政党再編を目指した、ナショナル・ユニオン運動の展開とその挫折の要因を明らかにした。一方有権者レベルについては、支持者を分裂させる黒人選挙権の争点が重要化するのを恐れた共和党指導者が、当初それを避けようとしたにもかかわらず、南部の不服従にあって黒人に選挙権を付与せざるをえない状況に追いこまれていった過程を解明した。

この争点は、連邦レベルでありしかも共和党のみが内部分裂を抱えたため、19世紀の政党政治の構造的特徴によってもその影響が減殺されにくかったと考えられる。1867年にかけて黒人選挙権を支持するようになった共和党は、選挙で後退していき、南部再建をめぐる危機が深刻化していった。本論文では、にもかかわらず同党が多数派としての地位を維持できた要因を、1868年末からの連邦議会で発議された、人種による選挙権の差別を禁じた合衆国憲法第15修正に求めた。第3章では共和党が、黒人選挙権を全国的に導入することで、この厄介な争点を非政治化するという賭けに出、一定の犠牲を伴いながらもそれに勝った、という主張を提示した。従来は、南部諸州の再建策を定めた1867年の再建法が南部再建の区切りとされてきたのに対し、本論文では憲法第15修正が成立し、黒人選挙権をめぐる共和党の危機が解消した1870年が最大の画期だったという、新しい再建期観を示した。

しかし、南部再建の解消によって政党制が安定をみたわけではない。終戦後、政党間対立軸と直接関わりを持たない、その他の政治争点が徐々に重要化していったため、政党制の不安定化する可能性がむしろ高まったと考えられる。本論文ではこれらの争点を平時の争点と総称し、それらについて特定の立場を掲げる、二大政党内外の諸勢力による政党制の挑戦が、19世紀の政党政治の特徴に根ざした主要政党の対応によっていかに克服されていったのかを解明した。1870年代半ば以降は、主要政党の政治家が政策を省みず党組織の発展に奔走した、腐敗した時期とされてきた。本論文ではそれに対して、平時の争点とそれに伴う危機をめぐる政治過程において、政党制に挑戦した諸勢力がいずれも社会改革を目標に掲げていた点に着目し、この時期の政治が「改革の政治」という特徴を帯びていた点を明らかにした。

第4章では、「改革の政治」とその特徴を概観したうえで、古典的自由主義に基づく連邦政府の行財政改革を目指す共和党内の勢力が、1870年代初頭にかけて当時のグラント政権と対立するようになり、1872年の選挙で第三党を結成して政党制に挑戦するまでを分析した。第三党化する過程で統制を失い半ば自壊する結果となったものの、このリベラル・リパブリカン党は政党制を大きく変化させる可能性を持っていた。実際、同党は民主党に全国綱領および大統領候補を受け入れさせるというように、政党制に深刻な影響を与えたのである。本章では、その過程で二大政党の党内構造が変容し、民主党内が平時の争点を重視する方向で一致をみたのに対して、人種をめぐる争点についてすら緩やかな合意しかなかった共和党が、平時の争点に関して深刻な内部対立を抱えるようになったことも明らかにした。

歴史分析の最後となる第5章では、1870年代半ばにかけて重要化した平時の争点の持ちえた影響がいかに減殺され、政党制の動態的安定化が達成されたのかという、世紀末まで続く戦後体制の典型的な政治過程のパタンを抽出した。具体的には、禁酒法、8時間労働、鉄道規制、連邦財政という問題のいずれについても、特定の立場から改革を掲げる社会運動が第三党化した点に注目し、彼らがそれぞれの争点を元にした政党再編成を目指して政党制に挑戦しながらも、主要政党の対応によって挫折していった過程を明らかにした。

終章では、再建期を経て生み出された、政党制の動態的安定性を特徴とする戦後体制が19世紀末まで維持されたことを、大統領、州知事、連邦議会下院議員という主要な公職の選挙結果を対象とする統計分析を通じて確認した。そのうえで、論文全体の議論をまとめ、その含意を元に確立後の二大政党制の安定性が20世紀を通じていかにして維持されたのかを概観して、本論文は締めくくられる。

審査要旨 要旨を表示する

アメリカの政党制は、二大政党制が建国期の一八世紀末以来二百年以上にわたって続いており、国際的にみてもアメリカ政治史独特の伝統となっている。なかでも一八五〇年代に始まった、民主および共和両党が構成する二大政党制の第三次政党制は、それ以前の第一次および第二次政党制とは違って構成する政党が入れ替わることなく、第三次から第六次へと変容を遂げながらも、今日に至るまで約一世紀半の長きにわたって存続している。その結果、民主、共和両党が構成する二大政党制は、アメリカ政治の本質的な特徴として存続するのが当然な、あたかも「第二の自然」であるかのようにみなされてきた。

本論文は、そのようなアメリカ政治についての常識的な見方に対して根底的な疑問を投げかけ、民主、共和両党が構成する二大政党制といえども、十九世紀においては存続するのが必ずしも当然だったわけでなく、南北戦争後さまざまな存続の試練に見舞われたことを指摘している。そのうえで、そうした試練をいかに克服し、長期間存続する基盤を築いたのかを、十九世紀の政党政治の構造に焦点を当てながら解明している。

本論文の構成は、まず序でアメリカの二大政党制が全国的な広がりを持ちながら、民主、共和両党という同一政党が構成し、現在に至るまで存続していることを指摘し、両党が構成する二大政党制がいかに「確立」したかを、十九世紀後半の政党政治の構造、なかでも北部の共和党に焦点を当てて解明することを、テーマとして設定している。

第一章では、初めにアプローチについて二大政党制に関すデュヴェルジェなどの学説や、約三〇年周期で変化するアメリカの二大政党制に関する有力な学説の政党再編論等の先行学説を検討したうえで、本論文のアプローチとしては、政党制の安定期に関するものが必要であることを指摘する。そのうえで、本論文独自のアプローチとして、二大政党内部で生じる勢力関係の変化を収斂させて安定化させる面を「対内的安定性」、二大政党制に挑戦する第三党との間で生じる勢力関係の変化を収斂させて安定化させる面を「対外的安定性」の問題と捉えて、考察する分析枠組みを提示している。

この分析枠組みに沿って十九世紀後半の政党政治については、各政党を分裂させるような争点が発生する一方で、各州の政党の自律性が強い分権的な構造があり、支持者の反発を買う恐れのある分裂的な争点に対しては、各州の事情に応じて自らの立場を明確にしない「日和見行為」を取るなど、党内の対立が全国的に広がり、深刻化するのを抑制する内在的なメカニズムが働いていた点を、その特徴とみている。

それに次いで、南北戦争後政権を保持し続けた共和党についても、対内的安定性で脆弱な面があったことを指摘し、本論文のテーマを改めて提起する意義を明らかにしている。その理由は、共和党がもともと奴隷制を争点にしてさまざまな勢力が結集したものであり、南北戦争の結果所期の目的が達成されたことによって、諸勢力が連帯する目標が希薄になったことである。

しかも、共和党は南北戦争中ですら、北部においても有権者の圧倒的な支持を得ていたわけでなく、南北戦争後も、政治的課題として浮上した、奴隷制を廃止したうえで南部諸州を連邦に復帰させる再建(Reconstruction)をめぐる争点群は、民主党よりも共和党にとって分裂を惹き起こしやすい傾向があったのである。それに加えて、平時の到来とともに、「平時の争点」とも呼ぶべき新たな争点群が登場するが、そのうち禁酒問題は、共和党が内部に深刻な対立を抱える争点であった。

第二章では、再建政策のうちでも共和党の存続にとって最も深刻な争点になった、黒人の選挙権問題を取り上げている。共和党が黒人への選挙権付与を推進したのに対して、北部でも黒人に対する人種差別意識が強かったことから、北部諸州の選挙ではこの問題が最も関心を集める争点となり、民主党が反対して共和党を攻撃する材料にする一方、共和党では内部対立が激化した。

リンカンの暗殺後大統領に昇格したジョンソンも、南部出身であり、再建ではなく南部諸州の連邦への復帰、つまり「復旧」を重視したことから、連邦議会の共和党多数派と対立した。こうしたことから、親ジョンソン派の共和党有力者は民主党の一部と連携し、ナショナル・ユニオン・クラブを結束して一八六六年の選挙に臨んだものの、無残な敗北に終わったことが明らかにされている。

第三章では、共和党の危機がいかに深刻化したのかを、合衆国憲法第一四修正の批准が南部諸州によって拒否された後の過程について考察している。共和党は一八六六年に選挙で大勝すると、テネシー以外の南部諸州に対して軍事占領を断行した。その結果、黒人の選挙権が実現していないのは、むしろ大半の北部諸州と境界州ということになり、一種の「ねじれ現象」が生じることによって、翌六七年の選挙では、共和党が逆に大敗を喫した。

六八年の大統領選挙で共和党はグラントを擁立して勝利したとはいえ、連邦議会では三分の二の多数を維持できなくなった。そうした情勢の中で共和党は選挙の翌一二月に、人種による選挙権の差別を禁じる第一五修正の発議を敢行するに至った。この発議は、六八年選挙のおける共和党の全国綱領に明らかに違反しており、共和党が第一五修正をなぜ発議したのかはこれまで謎とされてきた。本論文では先行研究を吟味したうえで、憲法改正は共和党が多数派を占める州議会の批准だけですむことを考慮して、共和党が党内対立の激化を回避するために、懸案を一挙に解決しようとしたのがその理由だったとみる、独自の見解を打ち出している。

第四章と第五章では、平時の争点群が二大政党制にいかなる影響を及ぼしたのかを考察している。第四章では、平時の争点に関しては政党を結成して改革を目指す、二〇世紀以降の政党政治とはかなり違った動きが目立つことを指摘したうえで、共和党内部からの挑戦を取り上げている。一八七二年の大統領選挙では、党利を重視する強権派(Stalwarts)が主流派としてグラントの再選を支持したのに対し、グラント政権に不満を抱くリベラル派(Liberals)は叛旗を翻して、リベラル・リパブリカン党の結成を推進し、平時の争点に積極的に取組む民主党指導者にも新党への合流を働きかけた。そして、民主党は、リベラル・リパブリカン党が全国党大会で大統領候補を指名すると、候補者ばかりか全国綱領まで「丸呑み」したのである。こうして迎えた大統領選挙ではグラントが圧勝し、この政党再編の動きが挫折したものの、本論文は共和党の存続が当然でなかったことを例証する動きと位置づけている。またリベラル派がその後共和党に復帰して、平時の争点に取組む共和党の指導者を輩出させた点にも注意を喚起し、戦後体制の形成との関連でリベラル派が果たした歴史的役割の重要性を指摘している。

第五章では二大政党制に挑戦した第三党の動きを、禁酒、労働、農民、通貨のグリーンバックという四つの争点について考察している。本論文は禁酒運動の展開を南北戦争以前から概観したうえで、南北戦争後共和党の消極的な姿勢に業を煮やして第三党を結成し、既存の政党制を再編すべく運動を展開した過程を跡付けている。禁酒党が大統領選挙でさしたる得票を得られなかったことから、この挑戦は従来あまり重視されてこなかったが、本論文はその点をむしろ二大政党の側が争点を抑えるように対応した結果と捉えて、二大政党制が対外的安定性を確保するメカニズムをいかに働かせたのかを、各州の政党の禁酒問題に対する対応の違い、すなわち本論文でいう一九世紀型政党政治の構造的特徴を参照して説明している。

次いで労働運動や農民運動についても、全国政党として発達できなかった主要な要因の一つが、二大政党の対応にあったことを明らかにしている。労働運動では、一八六六年に全国労働組合が全国的な労働者政党の組織化を目指したが、労働運動には共和党を支持する勢力が根強く、一部の州でしか実現せずに挫折するに至った。農民運動の場合にも、鉄道規制をめぐって七〇年代には中西部の各州で農民政党が相次いで結成され、州レヴェルでは民主党と提携して共和党の優位を脅かすに至ったが、それは逆に民主党に吸収される結果を招いたのであった。

通貨問題でのグリーンバック運動は、それと違って連邦レヴェルでも二大政党制への脅威となった。本論文では南北戦争中に連邦政府が発行した財務省手形−緑色だったことからグリーンバックと呼ばれた−が、実質的に紙幣として流通し、戦後償還をめぐって政治問題化した経緯を概観したうえで、共和党が正貨支払いの再開法を制定したのに反対して、農民運動がソフト・マネー政策を掲げて政党の結成に踏み切り、運動を展開した過程を考察している。民主、共和両党が正貨主義を支持していたのに対して、ソフト・マネー政策を推進する農民運動のグリーンバック運動は労働運動とも提携して独自の党を結成し、大統領候補を擁立した。しかし、この場合にもソフト・マネー支持の有権者が多く、二大政党の勢力が伯仲していた州では、各州の二大政党が明確な方針を提示しない「日和見行為」を行なったり、正貨主義に反発する有権者を懐柔することによって、グリーンバック運動を中核とする政党の勢力拡大を阻止したのであった。

終章では南北戦争後、民主、共和両党が構成する二大政党制が内外からの挑戦を受けながらも、「動態的安定性」を保持して戦後体制を形成したことを、大統領、連邦下院議員、州知事の各選挙における共和党の勝利および議席獲得率と、第三党の及ぼした選挙効果に関して、計量的に検証している。また二〇世紀以降も民主、共和両党が構成する二大政党制が存続した理由として、一九世紀後半の政党政治とは異なり、政党政治の全国化の傾向や第三党の進出に不利な選挙制度の導入、二大政党間の勢力格差の拡大など別の要因が存在することを指摘して、本論文を締め括っている。

本論文の長所としては、

第一に、従来アメリカにおいても注目されずに本格的な研究が十分なされてこなかった、民主、共和両党の構成する二大政党制の存続という、アメリカ政治史の研究上最も基本的な問題の一つについて、その二大政党制も存続の危機に直面したことを指摘し、そうした危機がいかに克服されたのかという独自のテーマを設定して、体系的に解明しようとした点である。また日本においては、アメリカにおける研究の蓄積にもかかわらず、十九世紀後半のアメリカ政治史の研究は手薄であり、本論文が先行研究を体系的に、しかも明快に整理していることは、研究上の「空白」を埋めるものとして高く評価できる。

第二に、本論文のテーマを解明するために、アメリカの政党制の構造的な特徴に着目して、独自の分析枠組みを設定している点である。とりわけアメリカ政党史の研究で有力な学説となっている政党再編成論を批判的に検討し、政党制の移行期ばかりでなく「安定期」とみなされている期間についても、政党制が変容しなかった理由を解明する必要を説いている点は注目に値する。また十九世紀後半の政党制に関して、連邦と州それぞれの政治の関係に着目して、十九世紀型政党政治という分析枠組みを提示し、二大政党内での再編の動きや第三政党からの挑戦の影響が抑制される、メカニズムが働いていたことを明らかにしている。従来アメリカの政党制は、他の先進諸国の政党制と比較する比較政治学的な研究が行ないにくかったのに対して、本論文のアプローチは比較政治学的な研究の可能性を高めるものになっていると評価できる。

第三に、独自のテーマを設定して十九世紀後半のアメリカ政治史を体系的に考察することで、随所に新たな解釈がちりばめられている点である。従来謎とみられてきた、黒人に選挙権を認める連邦憲法第一五修正の制定経緯についても、共和党が分裂を招く恐れのある争点を解消するために敢えて推進したとする、斬新な解釈を提示している。また従来の研究では、南北戦争後の政治史を一八七七年までの再建期とそれ以降を明確に区別する時代区分を行なってきたのに対して、両者を関連づけて捉える視点を提示していることなどは注目に値する。

本論文にも、さらに検討すべき短所がないわけではない。

第一に、本論文では南北戦争後共和党が存続の危機に直面していたと捉えて、それが主として共和党の結党の目的が南北戦争によって達成されてしまったからだと解釈しているが、この解釈は危機の深刻さを過大に評価しているのではないかと思われる点である。

第二に、第一の点とも関連して、アメリカの政党制の組織的な構造をさらに究明する必要があると考えられる点である。つまり、政党制の存続は、争点ばかりでなく既得権益にも支えられており、分権的な構造の強いアメリカの政党内にどのような既得権益の体系や人的なネットワークがあったのかを解明することが、問題として残っているといえる。

第三に、十九世紀後半の二大政党制が二〇世紀のものとは異なり、法的に制度化されていないことなど、二〇世紀の政党制との性格的な違いを明確に示してはいるものの、今日まで存続していることを論拠づけられるどのような条件があり、また今後どのような問題をさらに解明しなければならないのかを、必ずしも十分明らかにしていない点である。望蜀の感があるとはいえ、こうした点についてももう少し掘り下げる必要があるといえる。

しかし、これらの短所は、いずれも本論文の学術的な価値を大きく損うものではない。本論文は、アメリカの十九世紀の政党政治について、アメリカでも本格的に解明されてこなかった独自のテーマを設定し、体系的な探求を行なうことによって、日米両国の学界に多大な貢献をなしており、博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと評価できる。

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