学位論文要旨



No 215914
著者(漢字) 渡辺,裕文
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ヒロフミ
標題(和) 下等シロアリ類のセルラーゼに関する生化学・分子生物学的研究
標題(洋) Biochemistry and Molecular Biology of Cellulases of Lower Termites
報告番号 215914
報告番号 乙15914
学位授与日 2004.02.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15914号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,忠夫
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 嶋田,正和
 東京大学 助教授 伊藤,元己
 農業生物資源研究所 チーム長 野田,博明
内容要旨 要旨を表示する

序論

セルロースは地上で最も豊富なバイオマスであるが,水に不溶性な上,強固な結晶構造をもつため酵素による分解が難しい。このためか,一般に動物はセルロースを利用せず,セルラーゼも持たないとされてきた。その中で”例外的に”セルロースを分解することで知られるのがシロアリ類である。Cleveland (1924)はシロアリReticulitermes flavipesが後腸原生生物を除去されると死滅することから,本種が原生生物によってセルロースを消化すると結論した。これ以降,今日に至るまで,共生原生生物は,シロアリ類のセルロース消化に関する教科書的な解答である。しかしながら,後に同属のヤマトシロアリ(R. speratus)では原生生物をもたないカーストや,それらを除去したワーカーからもセルラーゼ活性が検出され,シロアリ自身がセルラーゼを生産すると推測されている。その後,ヤマトシロアリで,唾液腺抽出液が水溶性セルロース(carboxymethylcellulose = CMC)を分解するが,濾紙(結晶性セルロース)の分解活性は原生生物相のみがもつことが示され,加えてオーストラリア産シロアリCoptotermes lacteusでも二元的(シロアリおよび原生生物起源)と考えられるセルラーゼ活性が認められている。

シロアリ類(約2600種)は,後腸内に原生生物相をもつ下等シロアリ類ともたない高等シロアリ類(全体の約8割)に大別される。これら高等種からは,セルロース分解性共生者は見つかっていない。このため一部の高等シロアリ類のセルラーゼは内源性であると推測されてきた。一方,巣内でキノコを栽培するキノコシロアリ類(高等種)は菌糸体より結晶性セルロース分解酵素を得ていると推測され,その後,「内源性セルラーゼは例外であり,通常高等動物のセルロース消化は獲得酵素説で説明される」と総括されている。

このように活性分布による状況証拠が根拠である動物セルラーゼは,高等動物はセルラーゼ(遺伝子)をもたないとするセルロース共生消化説に対し十分に反論するに至っていない。一方では,シロアリ類の共生原生生物が生産するセルラーゼの本質も明らかになってはいない。本研究は,シロアリ類の内源性および原生生物起源双方の本質を明らかにすることを目的とした。加えて,高等動物における内源性セルラーゼの特性および進化起源についての考察を行った。

ヤマトシロアリReticulitermes speratus 唾液腺セルラーゼの精製とカイネティクスの解明

ヤマトシロアリ虫体 (10g) より粗酵素液を抽出,ゲル濾過,ハイドロキシルアパタイト吸着クロマトによりセルラーゼ(エンド-β-1,4-グルカナーゼ; YEG1およびYEG2,41kDaおよび42kDa)を精製した。この後精製セルラーゼに対するマウス抗血清を得て免疫組織化学観察を行ったところ唾液腺で特異的反応が観察され,同酵素が唾液腺組織で生産されている可能性が強く示唆された。

YEG1およびYEG2は,40℃(30分間)までは活性が安定である一方,50℃で最大活性を示し, 55℃で完全に失活した。また,両酵素ともpH6.0で最大活性を示した。YEG1はpH5.3〜7.4で,YEG2は4.9〜7.4で80%以上の活性を示し,pH9.0でもそれぞれ最大活性の32および46%の活性を保っていた。酸性側ではYEG1が4.0,YEG2がpH3.5で完全に失活した。

YEG1およびYEG2は, CMCおよび結晶性セルロースの双方に単独で活性を示した。結晶性セルロースからの主産物はセロビオースであったが,副産物としてYEG1およびYEG2それぞれセロビオースに対してモル比で1/25および1/8に上るグルコースを生成した。YEG1およびYEG2はセロペンタオース(G5)を主にセロビオース(G2)とセロトリオース(G3)に,セロテトラオースをG2にそれぞれ分解した。また,G5およびG4双方から副産物として少量のグルコースも得られた。G3に対しては,YEG2のみが活性を示し,ほぼ等量のG3およびG2,少量のグルコースを生じた。両酵素ともKm値はG3(YEG1は∞)>G4>G5>>CMC(CMCは平均分子量による換算値で比較)の順に低下しており,比較的鎖長の長い水溶性のセルロースに親和性が高いことを示した。

ヤマトシロアリセルラーゼ遺伝子のクローニングと塩基配列の解明

ヤマトシロアリワーカーのcDNAライブラリーをYEG2に対するマウス抗血清によりスクリーニングしたところ333bpのcDNAを得た。これに続くRACE法によりの全長cDNA(RsEG:1522bp)を得た。加えて,この遺伝子が唾液腺で発現していることを逆転写PCRにより確認した。cDNA特異的なプライマーを使ったゲノミックDNAのPCRからはイントロンが増幅され,同遺伝子が真核生物起源であることが確認された。さらに,シロアリ頭部より抽出したゲノミックDNAに対するサザンブロッティングによりヤマトシロアリゲノム上にRsEG遺伝子が存在していることが確認された。

近年,セルラーゼ遺伝子を含む糖質分解酵素類はアミノ酸列の相同性を基に87のファミリー(Glycosyl-hydrolase family:GHF)に分類されているが,RsEGのコードするアミノ酸配列は植物・細胞性粘菌・バクテリアのGHF9セルラーゼにアミノ酸配列上で30%以上の相同性を示し,同遺伝子がこれらのGHF9セルラーゼ遺伝子と進化的起源を同じくすることが示唆された。

下等シロアリ類の原生生物起源セルラーゼの精製とクローニング

イエシアリ(Coptotermes formosanus:下等シロアリ)近縁種(C. lacteus:オーストラリア産)の後腸内容物からエンド-β-1,4-グルカナーゼを精製し,そのN末端アミノ酸配列を解読した。本種後腸内容物よりmRNAを抽出し,アミノ酸情報よりクローニングを行ったところ307および303アミノ酸からなるセルラーゼをコードするcDNAを得た。その後,イエシロアリ後腸内容物を材料として再びクローニングを試みたところ,328および326アミノ酸からなるGHF7セルラーゼcDNAを得た。イエシロアリ後腸内で確認できた3種のイエシロアリ共生原生生物(Pseudotriconympha grassii,Holomastigotoides mirabileおよび Spirotrichonympha leydi)のうちP. grassii が前者をH. mirabileが後者を発現していることを逆転写PCRにより確認した。これらのcDNAのコードするアミノ酸配列は最低68%は互いに保存され,GHF7の中で単系統群を形成した。イエシロアリではRsEG相同遺伝子が唾液腺および中腸で発現していること,それらが原生生物の生息する後腸に流れこんでいないことが確認されており,Coptotermes属の原生生物は,内源性セルラーゼとは独立して作用する(同時には作用しない)セルラーゼをもっていると結論された。また,それらはホスト起源のセルラーゼとはGHFレベルで異なるためホストへ遺伝子が水平伝搬してはいないと考えられる。

総合考察

動物セルラーゼの遺伝子情報の蓄積により,多くの動物セルラーゼが活性ドメインのみから構成されていることが近年解明されている。一般に結晶性セルロースに対して高い活性をもつセルラーゼは活性ドメイン以外にセルロース結合ドメインやそれらをつなぐリンカーなどの構造をもっている。動物セルラーゼの構造は一見,結晶部分を含む天然セルロースの分解には向かないようであるが,そしゃく器官が酵素分解以前に基質を破壊し酵素の接触面積を増やすことや,消化管が分泌された酵素と基質を高濃度で長時間反応させることが単純な動物セルラーゼの構造の弱点を補っていると考えられる。加えて,きわめて高度にセルロース食に適応し,共生原生生物を後腸に有するに至った下等シロアリ類は,シロアリ自身のセルラーゼで消化できなかった基質を原生生物がさらに消化することによって,より高い消化効率を可能としていると考えられる。

現在までに,シロアリ類を中心としたGHF9セルラーゼ遺伝子に加え,植物寄生性線虫類からGHF5,甲虫類と二枚貝からGHF45に属するセルラーゼ遺伝子が高等動物からクローニングされている。これらの遺伝子のコードするセルラーゼは,動物以外のセルラーゼとの間でファミリーごとに構造がよく保存されており,同じファミリーに属する他のセルラーゼと進化的起源を同じくすると考えられる。しかしながら,これらの動物セルラーゼ遺伝子は高等動物の近傍に生息する微生物などから直接伝搬したとは考えにくい。たとえば,シロアリ類の内源性セルラーゼ(GHF9)と共生原生生物のセルラーゼ(GHF7)は相同性が全くなく,シロアリセルラーゼ遺伝子の進化的起源を共生原生生物に求めることはできない。現段階では各々の動物セルラーゼ遺伝子の進化的起源を解明するには遺伝子情報が十分ではないが,その様な状況の中,近年,ゴキブリ類,ザリガニ(節足動物等脚類),アワビ(軟体動物),ユウレイボヤ(原索動物)等からシロアリ類と同様なGHF9セルラーゼ遺伝子が発見され,動物GHF9セルラーゼ遺伝子の起源が高等動物の放散時期にさかのぼる可能性があることが示唆されている。今後,他のファミリーを含め多くの動物セルラーゼ遺伝子がクローニングされることにより動物セルラーゼ遺伝子の進化的起源は徐々に明らかになると予測される。

審査要旨 要旨を表示する

木材の主要成分であるセルロースは地球上で最も豊富な生体物質であるが、水に不溶性な上、強固な結晶構造を持っているため、酵素によって分解されはするものの、その分解速度は遅く、一般の動物ではセルロースを栄養とすることはできない。しかし、本研究で対象にしたシロアリ類は、木材などのセルロースを分解し栄養として利用している。特に下等シロアリでは、後腸内に生息している多数の原生生物の働きによってセルロースを消化するのであると古くからされてきた。また、下等シロアリの唾液腺からの抽出液が水溶性セルロースを分解すること、そして結晶性セルロースに対する分解活性は原生生物相のみが持つことから、セルラーゼの生産場所は、原生動物とシロアリ唾液の両方であると、近年になって考えられてきた。一方、高等シロアリの腸内からは,セルロース分解微生物は見つかっておらず、中腸におけるセルラーゼ活性は、シロアリ起源のものであるとされてきた。

しかし、シロアリ自身がセルラーゼを生産しているとする説は、活性分布による状況データが根拠であり,セルラーゼが共生生物から由来しているとする「セルロース共生消化説」に対して、十分に反論する研究がなかった。また,共生の根拠となる共生原生生物が生産するセルラーゼの実態も明らかになっていなかった。

そこで、本研究は,シロアリ類の腸内におけるセルラーゼ類に関して、シロアリ起源のものおよび原生生物起源のものの双方について、それらの生化学的・分子生物学的な実態を明らかにすることを目的としている。加えて,体制の複雑な多細胞生物におけるセルラーゼ生成の普遍性についての考察を行っている。

第1部では、下等シロアリであるヤマトシロアリの唾液腺に存在しているセルラーゼ類の精製と、その酵素活性の解明を行っている。その後、精製したセルラーゼ類に対するマウス抗血清を得て、免疫組織化学的な観察を行い、セルラーゼ類が唾液腺組織で確実に生産されている事実を明らかにした。そして、これらの酵素群の温度およびpHに対する活性変化を調べている。さらに、水溶性セルロースおよび結晶性セルロースの双方にそれらのセルラーゼを作用させ、得られたさまざまな分解産物を同定している。

第2部では、ヤマトシロアリのセルラーゼ遺伝子のクローニングと、発現部位の特定を行っている。結果として、448アミノ酸をコードした2つのcDNAをクローニングしているが、それがコードしているアミノ酸配列は、互いに99%以上一致していて,植物,細胞性粘菌,一部のバクテリア由来の糖質分解酵素ファミリー9に属するセルラーゼにもアミノ酸配列上で30%以上の相同性を示していた。逆転写PCRによって、これらの遺伝子が唾液腺で発現していることを確認し、サザンブロットによりゲノム上での存在を確認している。また、それらは高等シロアリのタカサゴシロアリから由来する相同遺伝子とイントロンの位置が完全に一致し,下等及び高等シロアリ類のセルラーゼが、共通祖先に起源をもつ可能性を示唆している。

第3部では、下等シロアリ類の腸内における原生生物セルラーゼの精製と、クローニングを行っている。イエシアリの後腸内容物から、セルラーゼを精製し,そのN末端アミノ酸配列を解読している。また、後腸内容物よりmRNAを抽出し,アミノ酸情報よりクローニングを行ったところ、307および303アミノ酸からなるセルラーゼをコードするcDNAを得ている。イエシロアリの後腸内で確認できた3種の共生原生生物(Pseudotriconympha grassii,Holomastigotoides mirabileおよび Spirotrichonympha leydi)のうち、P. grassii が前者を、H. mirabileが後者を発現していることを逆転写PCR法により確認している。これらのcDNAのコードするアミノ酸配列は、最低68%は互いに保存され,ファミリー7の中で単系統群を形成した。イエシロアリで、この相同遺伝子が唾液腺および中腸で発現していること,それらが原生生物が生息している後腸に流れこんでいないことを確認している。このことから、イエシロアリ属における共生原生生物は,シロアリ内源性セルラーゼとは独立して作用するセルラーゼをもっていて、また,それらは宿主起源のセルラーゼとはファミリーレベルで異なるため遺伝子の水平伝搬でないと考察している。

第4部では、体制の複雑な多細胞生物起源のセルラーゼ類に関する総合考察を行っている。現在,知られている動物セルラーゼ類とそれらの遺伝子は,ファミリー9に加えて,線虫類から見いだされたファミリー5,甲虫類と二枚貝から見いだされたファミリー45などが知られている。これらの遺伝子がコードしているセルラーゼ類は,活性中心を構成するアミノ酸の多くが,動物以外の生物に由来するセルラーゼとの間で、ファミリーごとによく保存されている。そして、酵素としての機能があること,他のセルラーゼと進化的起源を同じくすることが示唆されている。しかし,多くの動物セルラーゼ遺伝子が宿主動物の祖先種に取り入れられた後に、相当の年月が経過していると考えられ,各動物種が成立してから,微生物等から水平伝搬したことを明確に示す事例はない。特にファミリー9については,昆虫類と進化的起源を同じくする等脚類のザリガニからもイントロンの位置までも一致する相同遺伝子が得られており,その起源は昆虫類の成立以前にさかのぼると考察している。

以上のように本論文では、下等シロアリ類およびその共生原生生物が生成するセルラーゼ類に関して、その生化学、分子生物学的研究を精緻に行い、複雑なセルラーゼ群の性質や機能を世界で初めて詳細に明らかにしている。また、昆虫類、軟体類、甲殻類、ホヤ類などのさまざまな動物が保有するセルラーゼ遺伝子群の分子系統学的な位置に関して、総合的な考察を行い、それらの起源が昆虫類の成立以前にさかのぼる事を明らかにしている。よって本審査委員会は、本研究が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50239