学位論文要旨



No 215918
著者(漢字) 伊藤,智幸
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,トモユキ
標題(和) 太平洋クロマグロの回遊生態に関する研究
標題(洋)
報告番号 215918
報告番号 乙15918
学位授与日 2004.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15918号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 小松,輝久
 東京大学 助教授 木村,伸吾
内容要旨 要旨を表示する

太平洋クロマグロ Thunnus orientalis は、主に北太平洋温帯域に分布するマグロ属魚類の一種であり、食文化上、高級刺身食材として極めて重要である。高度回遊性魚類であるマグロ類の多くは、国際漁業機関の下で資源評価ならびに管理が行われており、太平洋クロマグロでも最近、ISC(北太平洋におけるマグロ類及びマグロ類類似種に関する暫定科学委員会)において資源評価がなされるようになった。しかし、その基礎となる生物学的情報の蓄積や漁獲統計の整備は不十分であり、精度の高い資源評価を行うには、まず漁獲データベースの統合と整理が必要である。また、生活段階や季節により変化する分布、回遊形態の違いを含む生物学的特性を理解することが重要である。

本種の回遊については、これまで漁業データと標識放流結果の解析から、いくつかの回遊パターンが簡略に示されているに過ぎず、信頼性のある定量的データに基く回遊経路やその変動性については未だ明らかにされていない。そこで本研究では、本種の回遊経路を生活史段階別に詳細に明らかにし、さらに季節変動の影響を含めた動的な回遊像を構築することを試みた。また、漁獲特性、産卵生態、鉛直遊泳行動や摂餌について検討した。

従来の回遊の研究に用いた漁獲データは、漁法や期間、年齢が限られたものであったが、本研究では、若齢魚から成魚にわたる全漁法による漁獲データを用い、生活史段階毎の分布を詳細に分析した。また、異なる個体の群の分布をスナップショット的に見ているに過ぎない漁業データの解析上の問題点を解決するために、アーカイバルタグによる行動調査を実施し、個体レベルでの連続した回遊動態情報を統合した。アーカイバルタグは、近年開発された魚類行動追跡用電子機器であり、遊泳水深、水温、腹腔内温度、および位置を推定するための照度データを連続的に記録する。産卵の時期・海域については、これまで、漁獲した親魚の生殖腺や仔魚の出現から推定されていたことから、サンプリングに偏りがあり、全体像や定量性が明らかでなかった。そこで、新たに耳石による日齢査定と、0歳魚漁獲物の体長組成の解析から、産卵時空間の全体像と資源への定量的貢献度を推定した。

得られた成果の大要は以下の通りである。

国別・年齢別・漁法別の漁獲特性

農林水産省の公式統計、各種漁法の漁獲成績報告書、市場情報、水揚調査データ、魚体測定データを用い、1951年から1997年にわたる47年間の本種漁獲データベースを作成した。本種の漁獲量は、特に若齢魚で不明であったが、近年の水揚調査で得られた詳細な情報を元に、漁獲海域と漁法を詳細に検討することで、本種の漁獲量を他のマグロ属魚類の漁獲量と区分した。その結果、太平洋全体の漁獲量のうち、日本が重量で73%、尾数で81%を占め、米国・メキシコが重量で25%、尾数で19%を占め、年齢別では1950年代から1990年代に至るまで、0-2歳の若齢魚が平均93%と漁獲の大部分を占めていることが分かった。また、日本における漁法別漁獲尾数はまき網 46%、曳縄 14%、延縄 12%、竿釣 8%、流網 2%であり、漁獲重量割合でも全年でまき網が最大であった。その割合は、東シナ海における若齢魚の漁獲量の増加により、1990年代以降、増加している。したがって、本種の資源管理には、日本における0-2歳魚を対象とするまき網の漁獲管理が重要であることが分かった。

産卵時期・海域と加入の特性

耳石日輪形成に関して、人工孵化飼育魚を用いて、耳石の第1輪紋が受精から約5日後に形成されることと、尾叉長20cm までの輪紋形成周期が1日であることを明らかにした。野生魚の耳石日輪から、産卵期が3月中旬から12月上旬に及び、従来の想定よりも長いこと、産卵期は0歳魚の体長組成から4つに区分され、産卵海域と産卵親魚の体長、資源への貢献がそれぞれ異なることが分かった。5月中旬以前は、フィリピンのルソン島から台湾にかけての太平洋および南シナ海で、大型成魚(尾叉長210cm 以上)が産卵するが、ここで生まれたものは加入魚の4%と少ない。5月中旬から6月は、南西諸島近海で中型成魚(尾叉長160-210cm)と一部の大型成魚が産卵し、75%を占める。また、7-8月は、日本海および東経133度以東の本州南方沖の太平洋で、中型成魚と小型成魚(尾叉長120-160cm)が産卵し、加入魚の19%(そのうち日本海が18%)を占める。9月以降は、日本海で産卵があり加入魚の2%を占める。

0歳魚は、環境水温が高いほど成長が速く、最大成長を遂げるための高水温を長期間にわたって得るには5-6月に産卵するのが最適であることを、沿岸水温データを使って示した。これは実際の産卵盛期と一致している。また、この時期に産卵するためには、産卵海域は北緯30度以南に限定され、これも実際の産卵海域と一致している。従って、生まれた0歳魚が半年間で尾叉長 45cm に達する急成長を遂げることを目的として、上述のように限定された時期・海域で産卵することが、本種の産卵戦略の一つであると考えられる。

若齢魚の鉛直行動と摂餌

若齢魚の鉛直行動と摂餌、および回遊動態を調べるために、1995-1997年の11-12月に、対馬近海において、アーカイバルタグを腹腔内に装着した0-1歳魚166個体を放流した。そのうち29個体が再補され、128秒ごとに収集された遊泳深度、環境水温、腹腔内温度の時系列データが得られた。若齢魚は、主に水面付近を遊泳するが、昼間は夜間よりも深くを遊泳することが分かった。日の出の約80分前から深度約80mまでゆっくり潜行した後、日の出の40分前に水面まで急浮上する。また、日没40分後に深度約80mまで急潜行した後、日没約80分後までゆっくり浮上する潜水行動が見られ、これは特定の低照度を嫌っての鉛直移動であることが推定された。腹腔内温度は、摂餌時に一旦低下した後に上昇することから、若齢魚は朝(27%)と昼間(69%)に摂餌するが、夕方(1%)と夜間(3%)にはほとんど摂餌しないことが分かった。また、鉛直分布が、季節水温躍層以浅に限定されたことと、水温躍層深度の季節変化に対応して変化したこと、および水平分布が水温14-20℃の範囲を選択していたことから、本種の分布は環境水温の制限を強く受けていることが分かった。

若齢魚と成魚の回遊特性

アーカイバルタグの位置データを解析した結果、回遊には移動期と滞在期があり、滞在期が85%の期間を占め、移動期には平均104km/日の速さで一定方向に700km以上も移動することが分かった。また渡洋回遊においては、7000km余の距離を2ヶ月間で一気に移動することと、その経路が分かった。長距離移動は1.3-4.1ノットの持続的遊泳で容易に行われ、移動期における鉛直移動などの多くの行動は滞在期と同様である。また、移動期には筋肉温度が高く、筋肉への酸素運搬能力が高い状態にあり、長距離を一気に移動することで移動に必要なエネルギーが集中的・効率的に使用されていることが分かった。なお、移動開始の数日前、春から夏には水温が上昇し、秋から冬には下降することが、12例中の10例において見られたことから、水温の急変が移動の引き金になっていることが示唆された。

本種の生活史段階は、 (1)産卵場から日本沿岸に来遊するまでの卵・仔稚魚期、(2)日本沿岸に来遊して滞在している0歳7月から0歳10月までの沿岸滞在期、(3) 0歳11月から4歳で成熟するまでの若齢期、(4) 4歳で成熟してからの成魚期、の4期に区分できる。0歳の沿岸滞在期は、高い遊泳能力を獲得しつつある時期であるが、若齢期になると、明瞭に区分される移動期と滞在期からなる回遊パターンを取り、その回遊範囲は広く東部太平洋までに及ぶ。しかし、成魚期になると、毎年、産卵回遊をするようになるので、東部太平洋沿岸に及ぶ回遊はしなくなる。また、成魚は大型になるほどより南方で産卵するようになり、低緯度海域に回遊する機会が増えることで、5-20%の個体が南半球を含む南方域まで移動することが分かった。これらを統合して、回遊動態と分布量を盛り込んだ生活史段階別の回遊模式図を提案した。

以上のことから、本種は、死亡率の高い小型魚の時期を短期間に通過し、回遊能力を有する若齢期に早く達するような再生産戦略を持ち、そのため親魚は、0歳魚の成長に最適な産卵時期と海域を選定する産卵回遊をしていると考えられる。また、不適な環境を短期間で通過して、好適環境に長期間滞在する成長戦略を持ち、そのため若齢魚や成魚は、移動期と滞在期を明瞭に区分して索餌回遊していると考えられる。従って、本種は、環境が大きく季節変動する温帯海域において、こうした生活戦略を最適に実現するために、広域回遊しているものと推論される。

審査要旨 要旨を表示する

太平洋クロマグロ Thunnus orientalis は、主に北太平洋温帯域に分布するマグロ属魚類の一種であり、高級刺身食材として極めて重要である。高度回遊性魚類であるマグロ類の多くは、国際漁業機関の下で資源評価ならびに管理が行われている。しかし、回遊については、これまで漁業データと標識放流結果の解析から、いくつかの回遊パターンが簡略に示されているに過ぎず、信頼性のある定量的データに基く回遊経路やその変動性については未だ明らかにされていない。そこで本研究では、本種の回遊経路を生活史段階別に詳細に明らかにし、さらに季節変動の影響を含めた動的な回遊像を構築することを試みた。また、漁獲特性、産卵生態、鉛直遊泳行動や摂餌について検討された。

従来の回遊の研究に用いた漁獲データは、漁法や期間、年齢が限定されたものであったが、本研究では、若齢魚から成魚にわたる全漁法による漁獲データを用い、生活史段階毎の分布を詳細に分析した。また、異なる個体群の分布をスナップショット的に見ているに過ぎない漁業データの解析上の問題点を解決するために、遊泳水深、水温、腹腔内温度、および位置を推定するための照度データを連続的に記録するアーカイバルタグによる行動調査を実施し、個体レベルでの連続した回遊動態情報と統合した。産卵の時期・海域については、これまでは漁獲した親魚の生殖腺や仔魚の出現から推定されていたことからサンプリングに偏りがあり、全体像や定量性が明らかでなかった。そこで、新たに耳石による日齢査定と0才漁獲物の体長組成の解析から、産卵時空間の全体像と資源への定量的貢献度を推定した。得られた研究成果の大要は以下の通りである。

国別・年齢別・漁法別の漁獲特性

1951年から1997年にわたる47年間の漁獲データベースを作成した結果、太平洋全体の漁獲量のうち、日本が重量で73%、尾数で81%を占め、米国・メキシコが重量で25%、尾数で19%を占め、年齢別では1950年代から1990年代に至るまで、0-2歳の若齢魚が平均93%と漁獲の大部分を占めていること、従って、本種の資源管理には日本における0-2歳魚を対象とするまき網の漁獲管理が重要であることが分かった。

産卵時期・海域と加入の特性

野生魚の耳石日輪から、産卵期が3月中旬から12月上旬に及び、従来の想定よりも長いこと、産卵期は0歳魚の体長組成から4つに区分され、産卵海域と産卵親魚の体長、資源への貢献がそれぞれ異なることが分かった。中でも、5月中旬から6月は、南西諸島近海で中型成魚(尾叉長160-210cm)と一部の大型成魚が産卵し、75%を占め、7-8月は日本海及び東経133度以東の本州南方沖の太平洋で中型成魚と小型成魚(尾叉長120-160cm)が産卵し、加入魚の19%を占めることがわかった。

0歳魚は環境水温が高いほど成長が速く、最大成長を遂げるために高水温を長時間にわたって得るには5-6月に北緯30度以南で産卵するのが最適であることを水温データを使って示した。

若齢魚の鉛直行動と摂餌

若齢魚の鉛直行動と摂餌及び回遊行動を調べるために、1995-1997年の11-12月に対馬近海においてアーカイバルタグを腹腔内に装着した0-1歳魚166個体を放流し、再捕された29体から遊泳深度、環境水温、腹腔内温度の時系列データを得た。遊泳水深が季節水温躍層以浅に限定され、水平分布が水温14-20℃の範囲を選択していたことから、本種の分布は環境水温の制限を強く受けていることが分かった。

アーカイバルタグの位置データを解析した結果、回遊には移動期と滞在期があり、滞在期が85%の期間を占め、移動期には平均104km/日の速さで一定方向に700km以上も移動することが分かった。また、移動期には筋肉温度が高く、筋肉への酸素運搬能力が高い状態にあり、長距離を一気に移動することで移動に必要なエネルギーが集中的・効率的に使用されていることや、移動開始の数日前、春から夏には水温が上昇し、秋から冬には下降することが12例中の10例において見られたことから、水温の急変が移動の引き金になっていること等が示唆された。

以上のことから、太平洋クロマグロの回遊動態と分布量を盛り込んだ生活史段階別の回遊模式図を提案するとともに、その回遊、再生産戦略を明らかにした。本研究の成果は、太平洋クロマグロの全生活史にわたる回遊生態と再生産機構の解明において、学術上、応用上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49203