学位論文要旨



No 215921
著者(漢字) 戸部,和夫
著者(英字)
著者(カナ) トベ,カズオ
標題(和) 中国の砂漠地域に分布する植物種の初期生長過程におよぼす環境要因の影響
標題(洋)
報告番号 215921
報告番号 乙15921
学位授与日 2004.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15921号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大政,謙次
 東京大学 教授 蔵田,憲次
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 助教授 富士原,和宏
 東京大学 助教授 後藤,英司
内容要旨 要旨を表示する

中国においては、砂漠化地域の緑化に関し、これまでに多くの経験が積み重ねられてきているが、砂漠化地域の緑化のための植物の導入は多分に試行錯誤的に行われることが多く、効果的・効率的な緑化手法が確立しているとはいえない。その最大の要因は、緑化に用いられる植物種の基本的特性が十分に解明されていない点にある。特に、播種による緑化を効果的に行ううえでは、種子発芽や実生の定着過程についての基礎的知見の確立が不可欠であるが、中国の砂漠植物の初期生長過程に関しての情報はきわめて限られている。そこで、中国の砂漠地域に自生する代表的な植物種の初期生長段階での環境応答特性を調べ、砂漠化した土地での植生の回復や砂漠地域での植生の保全のための基盤となるような知見の確立を目指して本研究を実施した。

重要な砂漠化の過程として、砂地の植被の減少にともなう砂の流動化の進行および土壌の塩性化の二つがあげられる。そこで、本研究では、中国の砂漠地域に生育している代表的な植物種18種を対象に、(1)砂地での植物の定着過程の解明、および、(2)塩性土壌での植物の定着過程の解明の2つの課題につき研究を実施した。研究のほとんどは、温度および光条件が制御されたインキュベータ内で行い、ペトリ皿内のろ紙上に播種した種子に水や塩水溶液などを給水したときの種子発芽や発芽後生じる幼植物の生長を観察するか、あるいは、小型ポット内の砂中や砂上に播種してポットに給水したときの実生の出現を観察することにより行った。それぞれの課題の研究結果は以下のように要約される。

砂地における植物の初期生長過程

中国の砂漠地域の砂地に分布する代表的な15植物種(一年生植物4種、潅木、小灌木および半潅木11種)を対象として、環境条件が種子発芽や実生の出現や生存におよぼす影響を調べた。その結果、15植物種のうち14種の植物種については、春季から秋季にみられる温度条件下で良好に種子が発芽することが明らかとなり、温度条件は、野外での発芽を大きく制約する要因とはなっていないことが分かった。また、種子の休眠が確認されたのは、15植物種中3種のみであり、これら3種の植物種においても、いずれもが種子を数か月間室温下で保存することにより休眠が解除され、休眠解除後の種子は良好な発芽能を維持することが分かった。また、6植物種につき種子寿命を調べたところ、室温(約23℃)保存した種子では、1植物種では7年以上の保存期間の経過後も比較的高い発芽能が維持されていたが、そのほかの5植物種では1年から7年の保存期間の経過後には大きく発芽能を失うことが分かった。以上の結果から、これらの植物種の多くでは、種子は容易に発芽する傾向があり、種子が未発芽のまま長期間保持される傾向はないものと推測された。このことは、中国の砂漠地域では、毎年一定の時季に降雨や融雪による多めの給水があり、種子の発芽はこの給水時に生じやすく、ここでの種子発芽により生じた実生はその後好適な水分条件のもとにおかれて生存しやすいことによっているものと推察された。

また、種子の砂中での埋もれ深さと実生の出現の関連性について検討した結果、種子の砂中での埋もれ深さに関係する環境要因のうち、光条件および砂中の水分と空気の含有割合が、植物の初期生長に影響をおよぼす重要な要因であることが分かった。光条件に関しては、一年生植物 Eragrostis poaeoides および3種の Artemisia 属の半灌木で発芽のための光要求性が認められたが、その他の11植物種では種子発芽の光要求性は実質的に認められなかった。発芽の光要求性の認められた Artemisia 属の3植物種では、砂漠地域と同程度の給水条件のもとでは、乾燥しやすい砂層の表面近くに種子が位置しているときおよび光の到達しない砂層の深めの位置に種子が埋もれているときのいずれでも種子発芽が抑えられ、種子が適度な深さの砂層に埋もれているときに実生の定着が最も有利であることが分かった。さらに、種子の砂中の埋もれ深さに関係する環境要因として、砂中の水と空気の含有割合が多くの植物種の初期生長に影響する重要な要因であることが分かった。発芽に光要求性のないいくつかの植物種で調べたところ、種子が表面近くに置かれたときには水分欠乏により種子が発芽しないが種子は発芽能を維持していること、および、種子が砂層の深めの場所に埋もれている状態下に給水したときには、種子や実生への酸素供給の不足により種子発芽の抑制や発芽後生じた実生の死滅などが生じ、実生の定着に結びつきにくいことが明らかとなった。これらの植物種の多くのものでは、種子が砂中10 mm程度の深さに埋もれているときが最も実生の定着のために有利であることや、種子が砂層深めの位置に埋もれているときには、砂への給水量が少なめのほうが実生が良好に出現しやすいことなどが分かった。

さらに、いくつかの植物種につき、砂中10 mm の深さに種子を埋めて、異なる量の水を異なる時間間隔で給水したときの実生の出現や出現した実生のその後の生存についても調べた。その結果、降雨量8 mmの1回の降雨では、種子が発芽しないか、あるいは、種子が発芽してもその後継続して数日間程度降雨がないと生じた実生は枯死するため、実生の定着には結びつきにくいことが分かった。また、16 mm の降雨に相当する量の給水では、多くの植物種で、種子が発芽して実生を生じ、その後継続して十数日間降雨がなくとも生じた実生の多くが生存し続けることが分かった。

以上の結果から、中国の砂漠地域の砂地においては、ここで実験に用いた植物種のうちの多くのものでは、種子が適当な深さで砂に埋もれることと、一定量以上の量の降雨がありその後降雨のない時期が長期間継続しないことが、実生の定着を決定づけるうえで重要性をもっていることが分かった。

塩性環境における植物の初期生長過程

中国の砂漠地域に分布する14植物種(非塩性環境のみに分布する植物種10種、非塩性環境および塩性環境の双方に分布する植物種2種、塩性環境のみに分布する植物種2種)を対象として、塩が種子発芽や幼植物の生存におよぼす影響を調べた。その結果、種子や幼植物の NaCl による影響の受けかたは、植物種間で大きく異なるものの、非塩性環境のみに分布する植物種と塩性環境に分布する植物種との間で、初期生長段階での NaCl に対する反応性についてのきわだった特性の相違は認められないことが明らかとなり、中国の砂漠地域においては、より後期の生長段階での植物の塩に対する反応性の種間差が塩濃度の異なる場所間での植物種の分布を決定づけていることが推測された。

初期生長段階できわだって高い NaCl 耐性を示した Haloxylon 属の2種の植物種(非塩性環境および塩性環境の双方に分布する H. ammodendron および非塩性環境のみに分布する H. persicum)については、若木の段階での植物の塩に対する反応特性を調べた。その結果、これら2植物種のいずれにおいても、若木の段階では、初期生長段階に比べ、植物の NaCl 耐性が低いことが明らかとなり、これらの植物種が塩性環境で優占種とならないのは、より後期の生長段階での塩耐性が低いことが原因していると推定された。さらに、発芽直後に生じた幼植物と若木につき、植物体内部に含まれる水分中の Na 濃度を比較した結果、若木では、発芽直後に生じた幼植物に比べ、植物体内水分中の Na 濃度が数倍程度高いことが明らかとなり、蒸散過程にともなう植物体中への塩の濃縮が、若木の段階で塩耐性がより低かったことの理由であると推定された。また、H. persicum は、H. ammodendron に比べ、若木段階での NaCl 耐性が低いことが明らかとなり、このことが、H. persicum のみの分布域が非塩性環境に限定されていることの理由となっているものと推測された。

一方、塩性土壌には多様な塩成分が含まれており、これらの塩成分の組成は場所ごとに大幅に異なる。異なる塩成分は植物に対しそれぞれ異なった生理作用をおよぼすはずであり、塩成分の組成は植物の定着の可否を決定づける重要な要因となりうる。そこで、塩性土壌中に含まれる代表的な塩成分(Na塩、Mg塩およびCa塩)が5植物種の発芽種子から生じた幼根の生存におよぼす影響を調べた。その結果、これら5植物種のいずれについても、(1)塩中に含まれるNa+やMg2+は、いずれも幼根の死滅の原因となるが、Mg2+はNa+の数分の一程度の低濃度で幼根の死滅を引き起こすこと、および、(2)Ca2+は、比較的低濃度でも、Na+やMg2+が幼根の生存におよぼす悪影響を緩和するが、Mg2+が幼根の生存におよぼす悪影響を緩和するためには、Na+が幼根の生存におよぼす悪影響を緩和するのに必要なCa2+濃度の数倍程度高い濃度のCa2+が必要であることが明らかとなった。一方、植物種間で比較すれば、多様な塩組成の条件下で幼根が生存可能な種(例:H. ammodendron)もあれば、ある程度高い割合のCa2+を含む条件下でしか幼根が生存できない種(例:Kalidium caspicum)もあり、実生の定着のために必要な塩組成の条件が種間で大きく異なっていることが明らかになり、塩性土壌中の塩成分の組成は植物種の分布を決定づける要因になりうることが分かった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、中国の砂漠化地域において、播種などにより効果的な緑化を行ううえで必要な基礎的知見を提供することを目的として、中国の砂漠地域に自生する代表的植物種の初期生長特性を環境制御装置を用いた実験により調べた結果を報告したものである。本論文の主要部分は、序、第I部および第II部により構成されている。重要な砂漠化の過程として、砂地の植被の減少にともなう砂の流動化の進行および土壌の塩性化の二つがあげられるが、第I部は前者の過程を、第II部は後者の過程をそれぞれ対象としている。

序では、研究の基盤的事項の提示や論述にあてられており、第1章で研究の背景や目的等が提示され、第2章で中国の砂漠地域の気象条件や地形等の特徴が概説され、最後の第3章で研究に用いた18植物種の特性が示されている。

第I部は、砂漠地域の砂丘の砂地での植物の初期生長過程を対象とした研究の報告であり、6章で構成されている。第1章では既往の研究の整理と問題点の提示などがなされ、続く第2章で研究方法が述べられている。そして、それ以降の4章が研究結果の報告にあてられ、各章ごとに、一年生植物4種(第3章)、Artemisia 属半潅木3種(第4章)、Haloxylon属潅木2種(第5章)、その他の潅木6種(第6章)についての研究結果が報告されている。第3章から第6章までの4章のいずれにおいても、主な研究内容は以下の3つである:(1)種子発芽におよぼす温度や光条件等の影響および種子休眠、(2)種子の砂中での埋もれ深さが実生の出現率におよぼす影響、および、(3)異なる降雨量に相当する量の水を異なる日間隔で給水したときの実生の出現率や出現した実生の生存率。これらの研究から得られた結果から、(1)実験に用いた15植物種中の多くの種では、種子発芽が温度条件や種子休眠により制約されにくく、現地での春季から秋季までの温度条件下では、ほとんどの植物種の種子は良好に発芽可能であること、(2)多くの植物種では、種子が砂中の適度な深さ(多くの植物種では深さ10 mm程度が最適)に埋もれることが、降雨後の実生の出現を決定づけるうえで重要であること、(3)種子発芽を引き起こすうえで必要な最小の降雨量は植物種ごとに異なるが、多くの植物種では、種子発芽は、集中的に多量の給水がなされる時季(中国の砂漠地域の東方よりの地域では降雨が集中する夏季、冬季にある程度の積雪のある西方の地域では雪解けの起こる早春)にのみ限られること、などが明らかになった。

第II部は、塩が植物の初期生長におよぼす影響に関しての研究を報告したものであり、8章より構成されている。そのうち、第1章で既往の研究の整理と問題点の提示がなされ、第2章は研究方法の記述にあてられ、それ以降の第3章から第8章までの6章で研究の結果が報告されている。そのうち、第3章および第5章においては、塩性環境あるいは非塩性環境に分布する14植物種の初期生長過程におよぼす NaCl の影響を調べ、種子や幼植物の NaCl による影響のうけかたは植物種間で大きく異なるものの、非塩性環境のみに分布する植物種と塩性環境に分布する植物種との間で、初期生長段階での NaCl に対する反応性についてのきわだった特性の相違は認められないことなどを明らかにしている。また、第8章では、2植物種につき初期生長段階とより後期の生長段階での植物の NaCl による影響のうけやすさの比較を行い、植物のより後期の生長段階での塩に対する耐性が塩性環境での植物の分布の可否を決定づけるうえで重要性をもつと推測している。そして、第4、6、7章では、塩性土壌中に含まれる異なる代表的な塩成分(Na塩、Mg塩およびCa塩)が5植物種の幼植物の生存におよぼす影響を調べている。その結果から、塩性土壌中の塩成分の組成は幼植物の生存の可否を決定づけるうえで重要な環境要因の一つであることや幼植物の生存のための塩組成に対する依存性は植物種間で大きく異なることが明らかとなり、塩性土壌での塩成分の組成はどの植物種が優占的に分布するかを決定づける要因になりうると推察している。

以上の2部で構成される本論文では、これまで未解明の部分が多かった中国の砂漠地域に分布する代表的植物種18種の初期生長特性を明らかにするとともに、初期生長過程での植物の塩に対する反応性の様相に関しての新たな知見を提示している。また、本論文に提示されている研究成果は、播種などによる中国の砂漠化地域の植生の効果的な復元等のために寄与するところが少なくないと判断される。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文としての価値あるものと認めた。

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