学位論文要旨



No 215924
著者(漢字) 岡本,保
著者(英字)
著者(カナ) オカモト,タモツ
標題(和) 石灰系下水汚泥の農業利用に関する研究 : 汚泥連用圃場における土壌pHと重金属類の存在形態および挙動
標題(洋)
報告番号 215924
報告番号 乙15924
学位授与日 2004.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15924号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 助教授 吉村,悦郎
 東京大学 助教授 西山,雅也
内容要旨 要旨を表示する

下水汚泥は有機物とともに窒素やリン等の有効成分を含有し、農業利用が可能な資源である。一方で亜鉛等の重金属濃度が、他の有機物に比べ高い。このため肥料取締法による普通肥料の基準値の他に、環境省による土壌管理基準により利用規制を受けている。しかし現行の規制は重金属の量的な規制であり、重金属の質すなわち土壌中での可給性や移動性、およびそれらを規定する土壌中での重金属の存在形態までを考慮した規制ではない。重金属の可給性および移動性を評価する上で、その存在形態を把握することは重要である。また土壌中の重金属の行動にはpHが深い関わりを示し、pH低下により可給性や移動性は増し、その逆は逆の結果を生じることが知られている。しかし、重金属の行動を規定しているその存在形態の、土壌pH変化に伴う再配分について、これまで研究はされてない。

本論文は、(1)7年間の圃場での汚泥連用試験、(2)その連用土壌を用いた4年間のpH変化影響試験、(3)神奈川県内562地点の農耕地土壌の亜鉛濃度の実態調査、(4)微生物を利用した汚泥からの重金属除去法についての研究により構成されている。得られた結果を基に、下水汚泥のより安全な農業利用法について考察した。

石灰系下水汚泥の長期連用により土壌に蓄積する重金属の存在形態と挙動

脱水助剤として石灰を18%含有する下水汚泥脱水ケーキ0, 0.5, 1.0, 2.0 kg m-2(乾物換算)を、試験圃場に毎作施用しながら、ホウレンソウおよびキャベツを7年間、計14回作付けした。汚泥及び汚泥連用土壌に蓄積した重金属の存在形態を、交換態、炭酸塩態、Fe-Mn酸化物態、有機結合態、鉱物態の5形態に分別し、重金属の蓄積形態およびその経時変化を調査した。また土壌の重金属濃度上昇が頭打ちとなる、いわゆるプラトー現象発現の、石灰系汚泥連用土壌に独特の理由について考察した。

下水汚泥の連用により、土壌の亜鉛およびカドミウム濃度は明らかに上昇し、銅およびニッケル濃度はわずかに上昇した。それらの重金属は主に作土層に留まった。一方で、作物による亜鉛、カドミウムおよびニッケルの吸収量は、汚泥施用により逆に減少した。

作物の収量は、汚泥施用量が毎作haあたり5 Mg、年間10 Mg程度までは、無施用区よりも増収した。それ以上の施用量では凝集剤として含まれる石灰の影響で土壌pHが極端に上昇するため、キャベツでは増収したが、ホウレンソウでは減収した。

供試した汚泥中の重金属の主要な存在形態は、ニッケル、亜鉛およびカドミウムにおいては炭酸塩態、銅においては交換態次いで有機結合態であった。

汚泥の14回連用後、土壌中に蓄積した重金属の主要な存在形態は、ニッケル、亜鉛および銅ではFe-Mn酸化物態次いで炭酸塩態、カドミウムでは炭酸塩態次いでFe-Mn酸化物態であった。Fe-Mn酸化物態は、汚泥連用土壌における、上記4元素に共通の蓄積形態であった。可給性や移動性の高い交換態の亜鉛およびカドミウム濃度は、汚泥の連用により逆に減少した。このため、これらの重金属の移動性や可給性は低かったと思われた。

汚泥施用に伴う、Fe-Mn 酸化物態の亜鉛およびニッケル、並びに炭酸塩態のカドミウムの濃度上昇は、汚泥の多量施用を繰り返すことにより、その上昇程度が頭打ちとなるプラトー現象が観察された。これはpH上昇の停滞と連動していたことから、土壌のCECを上回る過剰なカルシウムと重金属との、土壌固相への吸着に対する競合に加え、汚泥施用により蓄積した有機物と重金属との可溶性有機複合態としての流亡により、石灰系汚泥連用土壌に独特の、高pH条件でのプラトー現象が発現すると考えた。

汚泥連用中止後の土壌pH低下に伴う重金属の存在形態の変化と挙動

前章で石灰系下水汚泥の長期連用により、重金属が一部は下層土へ移行するものの、多くは作土層に滞留した。また作物への吸収移行性も低いことを明らかにした。しかし汚泥の施用を中止し、その後の施肥の影響等により土壌pHが低下した場合、土壌に蓄積した重金属の存在形態が変化し、その結果、移動性や可給性に変化を来す可能性がある。そこで汚泥の連用を中止し、生理的酸性肥料を施用しながら、ホウレンソウおよびキャベツを4年間、合計8回作付けした。土壌pHが低下した場合の重金属の形態変化を調査した。

汚泥の施用を中止し生理的酸性肥料の施用等により土壌pHが低下すると、土壌に炭酸塩態として蓄積した重金属が、水溶態・交換態へと形態変化し、下層土への移動性や作物への吸収移行性が促進された。

ニッケル、亜鉛およびカドミウムにおける、炭酸塩態から交換態への形態変化は、土壌pH(H2O)が7.2から6.2の範囲で起こった。銅の形態変化は他の3元素よりも低pH条件で起こった。ニッケルおよび亜鉛の下層土への溶脱はpH6.4および6.3以下に低下したとき開始した。カドミウムの溶脱はpH7.0以下で開始した。

神奈川県内農耕地土壌の亜鉛濃度の実態

下水汚泥の農業利用に伴う、農地の重金属汚染を事前に回避するため、環境省は土壌の亜鉛濃度の上限を120 mg kg-1(過塩素酸分解)とする土壌管理基準を通達した。しかし基準値設定の基礎となった重金属の自然賦存量についての知見は十分とは言えない。また過塩素酸分解に代わる簡易な調査法の検討も必要である。そこで神奈川県内の農耕地土壌の亜鉛濃度を詳細に調査し、土壌の種類や地目及び地域による変動並びに一部の畑地土壌における経年変化について解析した。

地目別には樹園地土壌の亜鉛濃度が水田および畑地土壌に比べて高かった。

畑地土壌の亜鉛濃度は腐植質または多腐植質黒ボク土において高く、淡色黒ボク土において低かった。

総亜鉛濃度が環境省基準の120 mg kg-1を越えた地点の、県内における分布を見ると、畑地土壌ではそれらが県東部に偏在した。これらの高濃度地点はCECが高い細粒質の火山灰土壌の分布点と一致した。水田土壌では高濃度地点が県内全体に分布した。

総亜鉛濃度の高い黒ボク土壌では、Fe-Mn酸化物吸蔵態の亜鉛濃度が高かった。

畑地土壌の総亜鉛濃度は土壌のCECと正の相関を示した。重金属相互間では銅、カドミウムおよび鉛濃度と総亜鉛濃度との間に正の相関が見られた。

作物の亜鉛濃度は、土壌の総濃度とは多くの場合無相関であった

同一ほ場の亜鉛濃度は集約的な露地野菜栽培を23年間続けても変化しなかった。

農地の亜鉛濃度は母材の影響とともに、水田土壌では灌漑水の影響、樹園地土壌では農薬散布の影響を受けていた。これに対して畑地土壌の亜鉛濃度は長年の野菜栽培によっても影響を受けず、自然の状態を示していると思われた。しかし県内の亜鉛濃度はすでに120 mg kg-1を越える圃場が多く、これは母材の特性によるものと考察した。

バクテリアリーチングによる汚泥からの重金属除去

鉱業の分野で活用されているバクテリアリーチング法を汚泥に適用し、嫌気消化汚泥からの重金属除去を試みた。硫黄を添加した嫌気消化汚泥に硫黄酸化細菌(Thiobacillus thiooxidans)および鉄酸化細菌(T. ferrooxidans)を接種した場合と、pHを4に調整した嫌気消化汚泥に菌を接種したと場合で、重金属の除去率を比較した。

嫌気消化汚泥に硫黄を添加し、硫黄酸化細菌および鉄酸化細菌を接種し培養すると、重金属の除去率は8日後から急増し、ニッケルおよび銅は最大で40 %、亜鉛は同80 %、カドミウムは同70 %程度、汚泥固形物から除去された。このとき汚泥のpHは菌により同時に生成される硫酸の影響で2.5まで低下した。

2)これに対して硫黄を添加しないで、希硫酸でpH4に調整した汚泥に硫黄酸化細菌および鉄酸化細菌を接種した場合、重金属の除去率はニッケルが最大35 %、亜鉛およびカドミウムが50 %程度であった。銅は殆ど除去されなかった。しかし汚泥のpH低下はなく、処理後の汚泥の農業利用は1)の場合より容易と思われた。バクテリアリーチング法は現行の下水処理システムに組み込み可能な、汚泥からの重金属除去の一つと思われた。

石灰系下水汚泥の農業利用上の留意点

以上の結果から、石灰系下水汚泥の農業利用における留意点を次のように要約した。(1)汚泥の年間施用量はhaあたり10 Mg程度に止める。(2)土壌pHは6.3以下にならないように管理する。(3)土壌の重金属濃度を、pH5・1規定酢酸アンモニウム可溶性(炭酸塩態)亜鉛濃度で監視する。

石灰系下水汚泥を7年間・通算0,7,14,28kg/m2連用した土壌の層位別pH、石灰、亜鉛濃度および、栽培作物の亜鉛濃度

石灰系下水汚泥を7年間・通算0,7,14,28kg/m2連用した土壌の形態別亜鉛濃度

汚泥の連用により作土(0-15cm)に持ち込まれた重金属の形態別積算量の理論値と実測値の比較(1回あたり汚泥施用量2kg/m2)

汚泥連用中止後、尿素または硫安を4作施用した作土層のpH

汚泥連用中止後尿素または硫安を施用しホウレンソウ・キャベツを計4回作付け後の作土の亜鉛の形態変化

汚泥連用中止後に尿素・硫安を施用し栽培したホウレンソウ・キャベツ計8作の積算亜鉛吸収量(土管あたりmg

汚泥連用中止後の施肥を異にする土壌の亜鉛濃度

汚泥連用土壌の亜鉛が溶脱を開始する土壌pH

神奈川県内の畑地及び水田土壌の土壌群別総亜鉛濃度

審査要旨 要旨を表示する

下水汚泥は農業利用可能な有機資源であるが、重金属濃度が高いという欠点がある。汚泥由来の重金属の行動、すなわち作物への可給性や下層土への移動性には、土壌pHが影響を及ぼすことが知られている。また重金属の行動を理解する上で、土壌中での存在形態を明らかにすることが重要である。ところがpHの変化が著しい石灰系汚泥連用土壌において、重金属の存在形態と可給性および移動性について、これまで研究は行われていない。本論文は、7年間の圃場での石灰系汚泥連用試験と、その連用土壌を用いた4年間のpH低下影響試験により、土壌pHの上下に伴う重金属の存在形態と可給性、移動性の変化について明らかにした。また農耕地土壌の亜鉛濃度の実態調査、微生物を利用した汚泥からの重金属除去法についても検討した。

第1章の序論では、下水汚泥の農業利用に関する研究の歴史と背景、および土壌中の重金属の存在形態に関するこれまでの知見と、本研究の目的について述べた。

第2章では、石灰を18%含有する下水汚泥を試験圃場に施用しながら、ホウレンソウおよびキャベツを7年間、計14回作付けし、その間の土壌に蓄積した重金属の存在形態を、交換態、炭酸塩態、Fe-Mn酸化物態、有機結合態、鉱物態の5形態に分別定量した。石灰系汚泥連用土壌では、Fe-Mn酸化物態および炭酸塩態が、蓄積した重金属の主要な存在形態であった。一方で、可給性や移動性の高い交換態の重金属濃度は、汚泥の連用により逆に減少した。このため、重金属の移動性や可給性は低かった。汚泥施用に伴う、Fe-Mn 酸化物態および炭酸塩態重金属の濃度上昇は、汚泥の多量施用を繰り返すことにより、上昇程度が頭打ちとなるプラトー現象が観察された。汚泥由来のカルシウムと重金属とが、土壌固相への吸着に対して競合することに加え、汚泥施用により土壌に蓄積した有機物と重金属とが、可溶性有機複合態として流亡することで、石灰系汚泥連用土壌独特の、高pH条件でのプラトー現象が発現すると考えた。

第3章では、石灰系下水汚泥の施用を中止し、生理的酸性肥料を施用しながらホウレンソウおよびキャベツを4年間、合計8回作付けし、土壌pHが低下した場合の、汚泥連用土壌に蓄積した重金属の存在形態の再変化と、移動性や可給性について調査した。その結果、土壌pHが低下すると、土壌に炭酸塩態またはFe-Mn 酸化物態として蓄積した重金属が、水溶態・交換態へと形態変化し、下層土への移動性や作物への吸収移行性が促進されることが明らかになった。

第4章では、神奈川県内の農耕地土壌の亜鉛濃度を詳細に調査し、土壌の種類や地目及び地域による変動並びに畑地土壌における経年変化について解析した。その結果、地目別には樹園地土壌の亜鉛濃度が高かった。土壌群別には腐植質または多腐植質黒ボク土の亜鉛濃度が高かった。亜鉛濃度が環境省基準値を越えた地点の、県内における分布を見ると、畑地土壌では県東部に偏在した。これらの高濃度地点はCECが高い細粒質の火山灰土壌の分布点と一致した。水田土壌では高濃度地点が県内全体に分布した。これらのことから、農地の亜鉛濃度は母材の影響とともに、水田土壌では灌漑水の影響、樹園地土壌では農薬散布の影響を受けていた。これに対して畑地土壌では人為的な影響が少ないと考えた。

第5章では、微生物を利用した嫌気消化汚泥からの重金属除去を試みた。硫黄を添加した嫌気消化汚泥に、硫黄酸化細菌(Thiobacillus thiooxidans)および鉄酸化細菌(T. ferrooxidans)を接種した場合と、pHを4に調整した嫌気消化汚泥に菌を接種した場合とで、重金属の除去率を比較した。その結果、嫌気消化汚泥に硫黄を添加し、両細菌を接種し培養すると、重金属の除去率は8日後から急増し、ニッケルおよび銅は40 %、亜鉛は80 %、カドミウムは70 %程度、汚泥固形物から除去された。しかしこのときの汚泥pHは、硫黄細菌により同時に生成される硫酸の影響で2.5まで低下した。これに対して硫黄を添加しないで、希硫酸でpH4に調整した汚泥に硫黄酸化細菌および鉄酸化細菌を接種した場合、重金属の除去率は、ニッケルが35 %、亜鉛およびカドミウムが50 %程度であった。銅は殆ど除去されなかった。しかし汚泥のpH低下がないため、処理後の汚泥の農業利用は、硫黄添加の場合より容易と思われた。

第6章では総合考察として、石灰系下水汚泥を安全に農業利用するための留意点と今後の方向について述べられている。第7章では本研究の成果を要約している。

以上本論文は石灰系下水汚泥の農地への長期連用により土壌に蓄積する重金属の存在形態と挙動、ならびに汚泥連用中止後のそれらの変化を圃場試験にて解析するとともに、神奈川県内農耕地土壌の亜鉛濃度の実態の調査、汚泥からの重金属除去の新たな方法の開発を行い、それらの結果に基づいて石灰系下水汚泥の農業利用上の留意点についての提案を行ったものであり、学術上、応用上貢献する所が少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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