学位論文要旨



No 215928
著者(漢字) 平澤,明彦
著者(英字)
著者(カナ) ヒラサワ,アキヒコ
標題(和) 世界各国の穀物自給率の規定要因と日本の位置づけ
標題(洋)
報告番号 215928
報告番号 乙15928
学位授与日 2004.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15928号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大賀,圭治
 東京大学 教授 黒倉,壽
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 本間,正義
 東京大学 助教授 川島,博之
内容要旨 要旨を表示する

我が国の食料自給率は先進国中で最低水準にあり、その維持向上は政策目標となっている。自給率は国際競争力と密接に関連するので、日本のおかれた状況を適切に把握するには広範な国際比較が有効である。しかしこれまで世界各国を比較した要因分析はあまりなされていない。

そこで本研究は主要な食料・農作物である穀物について、基礎的な規定要因である土地資源賦存、経済発展、農業保護、国の規模が自給率に及ぼす影響を統計的に分析し、世界各国間における自給率の変動パターンとその要因を把握して、日本の位置づけを明らかにした。また個別の要因に関わる既存の各種理論との対応関係を整理し、より一般的なパターンや仮説を提示した。自給率は貿易の指標でもあるので、本研究は世界各国の貿易パターンとその要因の分析にもなっている。

1章〜3章はサーベイとアプローチの検討、4章〜7章は統計分析である。

1章では食料・農業・農村基本法及び関連資料に基づき、新基本法農政における食料自給率の目標の位置づけとその導入に至る経緯を概観したうえで、農業の基本的なあり方に関して意見の対立があり、日本農業の比較劣位の程度と改善の可能性について広範な国際比較に基づく議論が欠けていることを指摘した。

2章では国際比較の観点から農業経済学の現状を整理した。我が国の農業経済学はその発達の経緯からおもに国民経済の枠組みによっている。そのため国際比較研究においても少数の国を深く研究するアプローチが主流であり、メタ生産関数などの例外を除いて広く「浅い」国際比較分析があまり発達していない。とくに土地資源賦存による比較劣位の程度についてはそうした分析が十分になされていない。経営規模の拡大や農産物貿易の自由化といった重要な政策課題について、ひろく世界各国の比較に基づく評価が求められる。

3章では国際貿易論と既存の実証研究を検討したうえで、本研究のアプローチを提示した。

本研究の対象領域は理論化が未だなされていない、あるいは不十分な領域を多く含んでいる。各種規定要因が穀物の自給率に与える複合的な影響を、多国間比較により総体的かつ実証的に調べるための枠組みは、比較優位論ないし国際貿易論からは見出し難い。農産物貿易におけるクロスカントリー分析の蓄積は重要な示唆を有するものの、貿易理論の不備を反映して不明な点が多い。資源賦存と技術の関係についてはメタ生産関数による説明がなされているものの、国際貿易論との接続は成功していない。

そこで本研究は厳密な貿易理論モデルから離れて、自給率と各種規定要因の関係を探索的・帰納的に調べることとした。このアプローチは、非線形性や交互作用の検出、貿易パターンと各国に共通した需給傾向の一体的な把握、要素賦存と技術の関係の明示的な分析、因果関係が一方的でない場合の相関パターンの探索などを可能にする。

4章では統計分析の構成とデータについて説明し、予備的分析を行った。

穀物は食料生産・供給の主要部分をなしており、国際比較に適している。統計分析はおもに穀物合計値を対象とするが、解釈の際はアジアにおける水田稲作の特徴、とくに近代化以前に実現した高い土地生産性を背景とする、耕地の希少性を考慮する。

次章以降の分析には以下の2つのデータセットを用いた。一方の主要なデータセットは157カ国の1994-98年平均値である。この対象国数は国際貿易論に基づく実証研究の1.5〜2.5倍と大きく、詳細な分析を可能にするとともに分析結果の一般性を高めている。他方、農業保護の指標を含む補助的なデータセットは27カ国・地域の1982-87年平均値である。データセット間の時点の違いには大きな問題がないとみなせる。

独自に考案した自給率の要因分解とその対世界平均指数により、日本の低い自給率を主に規定するのは土地資源の制約であることが端的に示された。日本の一人当り耕地面積は人口1千万人以上の国の中で最も小さい。

5章では主要なデータセットにより、土地資源賦存(一人当り耕地面積)と経済発展(一人当りGDP)が穀物自給率に及ぼす複合的な影響を調べた。世界全体の傾向と、日本の位置づけ、資源賦存の広範な影響を明らかにしたことは本章の貢献である。

ノンパラメトリック回帰と2次式回帰によって、非線形な相関パターンと、説明変数間の交互作用が初めて明らかとなった。(1)一人当りGDPの大きい国々ほど穀物の自給傾向が崩れており、自給率の国際間格差が大きい。その格差は一人当り耕地面積に依存する。耕地の豊富な国々では所得水準が高いほど自給率が高く、耕地の希少な国々では所得水準が高いほど自給率が低い。(2)耕地の希少な国々では一人当りGDPがある水準を超えると、一人当りGDPに対する自給率の傾きが低下から上昇に転じる。耕地が希少になるほど自給率が反転する所得水準は高くなる。

また、耕地賦存と所得水準が自給率の構成要素である生産技術(単収と土地装備率)、資源配分(農業人口シェアと穀物耕地シェア)、消費水準(一人当り国内供給量)に及ぼす影響が確認された。耕地の希少な高所得国における低い自給率は、比較劣位と絶対的な耕地不足の両方によっていることが示された。これらのいずれについても日本の特徴は世界的な傾向と一致している。

耕地賦存による自給率の序列が上記(1)のように固定的なのは、一人当りGDP(資本の豊富さとみることができる)が大きくいほど、耕地の希少な国がもつ単収の優位は縮小するのに対して、耕地の豊富な国がもつ土地装備率の優位は固定的であることによる。こうしたパターンは、穀物生産において労働力、土地、資本のうち相対的に豊富な要素が集約的に用いられる傾向を示唆している。この見方は、労働と土地の2要素の相対的賦存により各国間の技術差を説明する先行研究(メタ生産関数)の枠組みを、資本を含む3要素に拡げるものである。各国の技術選択の自由度はそれだけ低下する。

世界的にみて、日本における自給率と土地装備率の低さは耕地賦存と所得から説明できる水準であることがわかった。日本の耕地賦存は、穀物供給のほとんどを輸入に依存する国々を若干上回る程度である。耕地の希少性からみて、日本の土地利用型農業において経営規模拡大による比較劣位の解消には自ずと限界があると考えざるを得ない。

また、日本の自給率を下支えしている高い単収と、先進国としては低い消費水準についても、少なからず耕地賦存と所得水準の影響を受けていることが示された。

耕地の希少性はモンスーンアジアの水田稲作地帯に共通しており、今後経済成長とともに多くの国で日本と同様の影響が出てくる可能性が高いと考えられる。

6章では、農業保護が自給率に及ぼす影響を補助的なデータセットにより検証した。これは前章で見出された相関パターン(2)の要因分析である。

これまで経済発展に伴う農業保護の増大が世界の貿易パターンに及ぼす具体的な影響は明らかになっていなかった。この章ではa)農業保護による穀物自給率の反転上昇を検出し、b)既存の政治経済学的な研究が示唆するとおり自給率の低い国ほど農業保護が高率であることを確認し、さらにc)これら2つの傾向を整合的に説明する仮説を構築した。すなわち、低い自給率は高率の農業保護をもたらすが、農業保護がある水準を超えるとその影響は比較劣位を上回り、自給率は上昇に転じる。

日本の農業保護水準の高さは国際的な傾向により十分説明できる範囲内にある。日本に限らず耕地の希少な国、高所得の国にみられる高率の農業保護は自給率を下支えする重要な要素であることが示唆された。

7章では国の規模(おもに人口)が自給率に与える影響を調べた。必ずしも明らかでなかった規模効果の一般性を確認し、これまで不明であった規模効果の内容を明らかにし、その源泉を調べた。

人口は本研究における国の規模の適切な指標であることを示したうえで、主要なデータセットにより耕地賦存と所得水準をコントロールして2つの分析を行った。まず回帰分析により、穀物自給率に対する人口の正の寄与を確認した。次に人口と各種自給率構成要素の偏相関分析を行った。その結果、人口の多い国では、土地節約的技術による高水準の生産を伴った輸入代替的な需給パターンにより、人口の少ない国と同程度の消費水準を保ちながら、高い自給率を実現していることが明らかとなった。また、規模効果はi)国レベルの外部効果であり、ii)輸送コスト以外の自給促進的要因であり、iii)比較優位や競争優位に貢献しないことも示された。

こうした特徴は政策介入、とくに国内農業保護の影響を示唆するものと考えられる。そこで補助的データセットを用いて回帰分析を行った結果、農業保護に対する人口の正の寄与が確認された。

統計分析の結果は、国際貿易論で通常挙げられる規模効果の源泉と合致しない。大きな国ほど国際市場の供給制約が厳しいため、安全保障上の理由から自給思考が強く、それが高い保護率にも反映していると解釈できる。

人口の大きさを勘案すると日本の自給率は世界的な傾向よりもかなり低く、耕地賦存と所得水準にしたがって特化した小国のような様相を呈している。人口の大きさの割には一人当り耕地面積が異例に少ないことがその理由だと考えられる。人口の多い国の自給傾向が安全保障上の理由をもつとすれば、日本の特異な輸入依存には、少なからずリスクが存在している可能性がある。この点で、日本はアジアの水田稲作地帯の中でも特異な存在である。

8章では全体を総括した。日本の自給率は引き上げが望ましいが条件は厳しい。競争力を高め納税者の支持を得るため、生産性が高く安全な食料を供給する生産技術とそのための制度が求められる。

審査要旨 要旨を表示する

我が国の食料自給率は先進国中で最低水準にあり、その維持向上は「食料・農業・農村基本法」に規定された重要な政策目標となっている。自給率は国際競争力と密接に関連しており、日本のおかれた状況を適切に把握するには広範な国際比較が有効である。しかしこれまで世界各国を比較した食料自給率の要因分析はほとんどなされていない。

本論文はこうした空隙を埋めるため主要な食料・農作物である穀物について、基礎的な規定要因である土地資源賦存、経済発展、農業保護、国の規模が自給率に及ぼす影響を統計的に分析し、世界各国間における自給率の変動パターンとその要因を把握することにより、日本の位置付けを明らかにした。自給率は貿易の指標でもあるので、本研究は世界各国の貿易パターンとその要因の分析にもなっている。

本論文の対象としている食料自給率については、国際貿易論において未だ理論化がなされていない、あるいは不十分な領域を多く含んでいるため、本論文の分析では、厳密な理論モデルからは離れて、穀物自給率と既知の各種規定要因の関係を探索的・帰納的に分析している。また、相関パターンの定式化が恣意的となることを防ぐためノンパラメトリック回帰と線形回帰を併用していることに独自性がある。

分析に用いられた主要なデータセットは157カ国の1994-98年平均のクロスセクションの国別集計値であるが、この対象国数は国際貿易論に基づく先行研究の数倍も大きく、詳細な分析を可能にするとともに分析結果の一般性を高めている。

世界各国の穀物自給率について、本論文ではクロスカントリー分析によって以下の交互作用と非線形な相関パターンを明らかにしている。

(1)土地資源賦存と経済発展が穀物自給率に及ぼす複合的な影響について、(1)一人当りGDPの大きい国ほど自給傾向が弱く、一人当り耕地面積によって規定される比較優位に従い特化が進んでいる。(2)耕地の希少な国々では一人当りGDPがある水準を越えると、自給率の傾きがマイナスからプラスに転じる。また、自給率の構成要素である技術、資源配分、消費水準は従来考えられていたよりも広範に資源賦存の影響を受けている。

(2)経済発展に伴う農業保護の増大が世界の貿易パターンに及ぼす影響について、貿易データと整合的な仮説を提示している。すなわち、低い穀物自給率は高率の農業保護をもたらすが、農業保護がある水準を超えるとその影響は比較劣位を上回り、穀物自給率は上昇に転じる。

(3)国の規模(おもに人口)が自給率に与える影響(規模効果)について、必ずしも明らかでなかった一般性を確認した。また、これまで不明であった規模効果の内容を明らかにしたうえで、国際貿易論で通常挙げられる規模効果の源泉と合致せず、むしろ国際市場の供給制約と安全保障上の理由による自給傾向を示唆していることを示した。

本論文では国際比較から見た日本の穀物自給率について、人口の大きさを考慮すると世界的な傾向よりもかなり低く、小国のような特化を示していることを明らかにし、アジアの水田稲作地帯の中でも特異な存在であり、経営規模拡大による比較劣位の解消には限界があることを示唆している。

以上の考察から、アジア各国の食料の安全保障の展望について、本論文では、モンスーンアジアの水田稲作地帯の各国は、近代化以前の段階における高い土地生産性、比較的希少な耕地という点で日本と多くの共通性を有しており、今後経済成長につれて多くの国で日本と同様の影響が出てくる可能性が高いという注目すべき見解を示している。

本論文は、食料自給率とその基本的な規定要因について、現段階で可能な限りの多数の国のデータを統一的、かつ事前の予断を捨てて、統計的に分析する手段として、ノンパラメトリック分析を縦横に駆使し、また、これを伝統的な圓帰分析と巧妙に組み合わせて分析をおこない、その有効性を十分に示したものといえる。この分析によって今まで食料自給率と土地資源賦存、経済発展、農業保護、国の規模などについて断片的、直感的に言われてきた説明に経験的、統一的な裏づけを与えると共に、日本の穀物自給率が国際的に見て特異な位置づけにあることを、包括的国際データに基づき始めて統計的に確認したものである。

よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)として十分価値あるものと認めた。

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