学位論文要旨



No 215932
著者(漢字) 伊藤,幸彦
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,サチヒコ
標題(和) 黒潮暖水塊の動態に関する力学的研究
標題(洋) Behavior and dynamics of Kuroshio Warm-Core Rings
報告番号 215932
報告番号 乙15932
学位授与日 2004.03.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15932号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日比谷,紀之
 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 助教授 川邉,正樹
 東京大学 助教授 新野,宏
 東京大学 助教授 安田,一郎
内容要旨 要旨を表示する

本州及び北海道の東方沖合の黒潮親潮移行域には、黒潮続流から切離し、黒潮暖水塊として知られる半径100kmスケールの黒潮系の水塊が、しばしば高気圧性の渦として存在している。黒潮暖水塊は、中規模傾圧渦として特徴的な力学過程を有する一方、高水温・高塩分の黒潮系の中核水と周辺水との間に形成される顕著な前線に、この海域を南北に回遊する浮魚類が集約するという側面もあるため、その動態のメカニズムの理解は非常に重要である。黒潮暖水塊の挙動の大きな特徴としては、長いもので数年に及ぶ存続期間と、海溝に沿って親潮域へと侵入する北上傾向が挙げられる。過去の観測結果からは、大型の黒潮暖水塊が5年以上にわたって存続し、南の黒潮続流及び他の暖水塊、北の親潮と相互作用しながら、海溝に沿って徐々に北上するという挙動が報告されている。

この移動・発展に影響を及ぼす力学的過程としては、孤立的な暖水塊としての観点からは惑星β効果と、地形性β効果や鏡像効果といった地形の効果がある。これに加えて、他の海況との相互作用による移流・変形・融合等の影響など、傾向の異なる様々な過程があり、各挙動に対してどの過程がどのように作用しているかについての詳細には不明な点が多い。そこで本研究では、黒潮暖水塊の構造と孤立渦、場の中の渦としての挙動、およびそれらの力学的機構を包括的に明らかにすることを目的にして、観測データの解析と数値実験を行った。得られた結果の大要は以下の通りである。

暖水塊の力学的構造・水塊としての性質

東京大学海洋研究所の白鳳丸の3回の航海で1997年から1999年に観測された、暖水塊のCTDとADCPによる、水温、塩分、流速の6鉛直断面、及び当該時期の海水面温度分布と、気象庁函館海洋気象台の高風丸の144°Eの定線観測で暖水塊が捉えられた40のCTDデータの解析を行った。標準的な暖水塊を観測した白鳳丸のデータからは、黒潮系水を中核に有する高気圧性渦としての構造が確認され、400-500m深で密度アノマリが最大値0.4-0.6kgm-3、中心からの距離が40-50kmの表層で流速が最大値0.6-0.9ms-1を取ることが見出され、また実測流と地衡流の比較から、準定常的な流動構造としては傾度流が適切であることが示唆された。

高風丸で観測された水温・塩分データについては、水塊の性質と深層の密度偏差の解析を行った。T-Sダイアグラムを用いた解析では、暖水塊の中心部において、100m深の水塊には主に黒潮系の性質が現れていたに対し、500m深の水塊では親潮系の性質も見られ、中核水の深度が500mスケールであることが示唆された。また、中核水より十分深い1000m深でも、中心部の密度が縁辺に比較して0.1kgm-3のオーダーで小さいことが見出されたほか、2000m基準の表層地衡流の15%が1000mから2000m層の寄与であることが示され、1000m以深の密度偏差及び流れが無視できない大きさを持っていることが明らかになった。

孤立暖水塊としての力学過程

過去に行われた渦と陸岸境界との相互作用に関する数値実験は、モデルの境界条件により挙動が異なる等結果は必ずしも一貫しておらず、また前述の黒潮暖水塊の北上傾向についても、斜面を考慮したモデルでは再現できていなかった。そこで、高解像度のσ座標モデルを用いて、西岸付近の孤立暖水塊の動態とその力学を調べた。

急勾配の海底斜面を備え、上述の観測結果からパラメータを見積もって現実的渦構造を再現した実験においては、暖水塊は準定常的に北上し、黒潮暖水塊の移動傾向が再現された。暖水塊は、海底斜面に沿うように鉛直軸が傾き、また水平面が半円状に変形し、これにより生じた非対称な流れによって水温偏差が移動していた。減衰時間は100日スケールと見積もられた。一方、流体粒子は北上速度に比べて循環が強い中心部でのみ保持され、縁辺部では南側へ漏出していた。縁辺部の粒子が逐次交換されつつも水温偏差が準定常的に伝搬するのは、直接的には鉛直変位によるものであった。準定常性は、渦位偏差が中心部に局在し、暖水塊内部に保持されていることからも説明された。

移動が西岸境界付近に沿って北向きであることに加え、海底付近では渦構造が半円状に変化することは、力学過程が非粘着壁の非線形作用である鏡像効果と等価であることを示唆したが、これをさらに検証するために、5つのパラメータについての感度解析実験を合計13種類行った。変化させたパラメータは、暖水塊の強度、斜面の勾配、基本成層(水温躍層の深さを変化)、β効果(f面により対比)、及び斜面(鉛直の非粘着壁により対比)である。鏡像効果による2次元渦の移動速度は、渦の循環に比例し、境界までの距離の反比例することが知られているが、最初の2つの感度実験グルーブは、この性質を直接的に検証するものである。結果は、強度(流速)が強いほど、また斜面が急勾配であるほど北上速度は大きく、鏡像効果の性質に整合していた。斜面の勾配をある程度以上小さくすると、北上は見られず、不安定が卓越した。成層は斜面の効果に大きな影響を与えるが、深い(浅い)密度躍層深度は、渦位の水平偏差の分布を深く(浅く)し、鏡像効果は潜在的に強く(弱く)なると考えられる。実験では、深い(浅し)密度躍層が大きい(小さい)北上速度を与えるという結果になり、やはり北上過程が鏡像効果と等価であることを示した。

β-面をf-面に、また斜面を非粘着壁に変更した実験は、それぞれ惑星β、地形性β効果の影響を検証するために行った。f-面では、暖水塊は50日間程度は北上したが、次第に東向きに移動し斜面を降り(離れ)、北上は停止した。また、非粘着壁を用いた実験では、北上は発現したものの、壁と強く相互作用するために暖水塊の中核水は斜面の場合と比べて多くが南側へ漏出してしまい、定常性は低かった。惑星β効果と海底斜面を共に考慮したケースでは、惑星β効果の西進傾向が、地形性β効果の非線形的な2次流による東進傾向と釣り合い、準定常的な北上に貢献していると考えられた。

さらに、スケール解析により、変形半径スケールの暖水塊において鏡像効果が地形性β効果よりも卓越するためには、斜面勾配が暖水塊のアスペクト比より大きいことが必要であることを示した。日本海溝の海底斜面の勾配は0.05のスケールで、黒潮暖水塊のアスペクト比のスケール0.01より十分大きいことから、北上の基本機構が海底斜面による鏡像効果であると結論づけられた。

周辺の海洋現象との相互作用過程

2.5層のダブルジャイア風成循環モデルを用いて、逐次的に発生する暖水塊と各現象との相互作用について調べた。黒潮親潮移行域に見られる渦や前線の基本的な変動パターンは、北太平洋の風応力を亜熱帯優勢の東西一様・定常に単純化した分布により、矩形の海洋に再現することができた。暖水塊は、主に亜熱帯循環の北側の前線から切り離されて発生し、前線・他の渦等と相互作用しながら移動し、その後減衰、または亜熱帯循環や他の暖水塊に吸収されて消滅するという挙動を示した。存続期間は、孤立過程と異なりしばしばエネルギーの供給を受けるため、2000日間の計算期間で、約700日に達するものが出現した。個々の暖水塊は複雑に変動したが、全体として見ればその挙動には、発生してから西岸付近における亜熱帯・亜寒帯循環の境界領域に向かって、惑星β・鏡像効果によって西進・北進する局面と、この境界領域において亜寒帯循環や冷水塊と相互作用して準周期的に変動する局面の2つが見出された。

亜熱帯の風応力振幅を変化させた感度実験では、暖水塊の発生個数・強度が変化する等、主として第1の局面での挙動が変化したが、融合過程の増加(減少)により境界領域に達する暖水塊の勢力が強化(弱化)されることから、鏡像効果による西岸に沿った北上が強まる(弱まる)傾向も見られた。一方、亜寒帯の風応力を変化させた場合、第2の局面に分類された境界付近における暖水塊の挙動が大きく変化した。亜寒帯循環が強化された場合は、暖水塊は西岸に沿った北上を阻害され、貫入する亜寒帯循環西岸境界流および冷水塊の東側を移動する傾向があったが、逆の場合はこれらを押しのけるようにして北上を続けた。

亜熱帯循環の強度と暖水塊の個数の関係、亜熱帯・亜寒帯循環の相対的な強度と境界領域における暖水塊の挙動の関係に関しては、それぞれ黒潮続流の勢力、親潮第1分枝の南限緯度との関係の解析結果から、現実と整合していることが示された。黒潮暖水塊の北上の基本機構として鏡像効果が提示されたが、他の暖水塊や黒潮続流・親潮との相互作用過程は、長命性・境界領域における停滞・振動、また親潮域における北東進を説明した。

以上のように本研究では、黒潮暖水塊について、観測・既往データによる力学構造の解析と、孤立暖水塊、及び相互作用する渦としての両側面からの数値モデル研究を行った。データ解析からは、黒潮暖水塊の特徴的な力学構造・水塊性質が示され、この結果から見積もったパラメータを用いた数値実験により、暖水塊の基本的挙動が再現され、それらの力学機構が示された。黒潮暖水塊の動態は、この海域の低次生態系構造や浮魚類の回遊と密接に関連しており、本研究で得られた知見は、基礎生産の分布・変動、及び漁海況の予報の基礎としても有用であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本州および北海道の東方沖合の黒潮親潮移行域には、黒潮続流から切離した半径100kmスケールの高気圧性の渦が存在している。この黒潮暖水塊は、中規模傾圧渦として特徴的な力学過程を有するが、その高水温・高塩分の黒潮系の中核水と周辺水との間に形成される顕著な前線に、この海域を南北に回遊する浮魚類が集まるという側面もあり、暖水塊の動態に関する理解は非常に重要である。黒潮暖水塊の挙動の大きな特徴としては、数年に及ぶ長い存続期間と、海溝に沿って親潮域へと侵入する北上傾向の2つが挙げられる。実際、過去の観測結果からは、大型の黒潮暖水塊が5年以上にもわたって存続し、黒潮続流や他の暖水塊、さらに、親潮と相互作用しながら海溝に沿って徐々に北上するという挙動が報告されている。しかし、これらの特徴的な挙動の背後にある物理機構については依然として不明な点が多い。本論文は、詳細な数値実験を行うことによって、黒潮暖水塊の孤立渦としての挙動、および、海況場の中の渦としての挙動を再現するとともに、それらを支配している物理機構を力学的に明らかにしたものである。

本論文は5つの章と付録から成立している。第1章は導入部であり、過去の観測結果から、黒潮暖水塊の存在する海域・期間が調べられるとともに、その長期的な北上傾向の実態が紹介され、それに基づいて、本論文の目的と構成が述べられている。

第2章では、観測結果の解析から、黒潮暖水塊の構造が明らかにされるとともに、第3章における数値モデル研究に用いるための構造パラメータが見積もられている。

第3章では、まず、孤立暖水塊としての力学機構を調べるために、高解像度の数値モデルを用いたシミュレーションが行われている。急勾配の海底斜面を仮定し、上述の観測結果から決めた現実的な渦構造を考慮した実験においては、暖水塊は準定常的に北上していく。移動が西岸境界付近に沿って北向きであること、そして、海底付近で渦構造が半円状に変化することから、伝播を支配している物理機構が非粘着壁による鏡像効果と等価であることが示されている。一方、暖水塊の強度、斜面の勾配、基本成層、β効果、側壁境界条件の5つのパラメータについての感度解析から、定常な北上のためには惑星β効果と地形性β効果の寄与による東西方向の安定性が重要であること、さらに、スケール解析から、鏡像効果が地形性β効果よりも卓越するためには、斜面勾配が暖水塊のアスペクト比より大きいことが必要であることも結論されている。

第4章では、2.5層のダブルジャイア風成循環モデルを用いて、逐次的に発生する黒潮暖水塊と黒潮親潮移行域に見られる渦や前線などとの相互作用が調べられている。この場合、黒潮暖水塊は、主に亜熱帯循環の北側の前線から切り離されて発生した後、前線および他の渦等と相互作用しながら伝播し、その後、減衰、または亜熱帯循環や他の暖水塊に吸収されて消滅するという挙動を示す。伝播途上でエネルギーの供給を受ける事例もあり、その存続期間は2000日間の計算期間で、約700日に達するものも出現する。亜熱帯循環・亜寒帯循環の強度をそれぞれ変化させた感度実験では、暖水塊の発生個数や強度、移動経路などが変化するが、これらは、それぞれ、黒潮続流の勢力、親潮第1分枝の南限緯度と関係づけられ、実際の観測結果とよく整合している。第3章の結果から、黒潮暖水塊の北上の基本機構として鏡像効果が提示されたが、第4章の結果は、黒潮暖水塊の長命性・境界領域における停滞・振動、また、親潮域における北東進が、他の暖水塊、黒潮続流や親潮との相互作用過程の観点から矛盾なく説明できることを示している。

以上述べてきたように、本論文は、黒潮暖水塊の孤立暖水塊としての側面、および、海況場と相互作用する渦としての側面から、詳細な数値実験を行い、その動態を明らかにすることで、当該海域の熱や物質の輸送交換過程に関する研究に大きく貢献したもので、学位論文として十分な水準に達していると判断できる。なお、本論文の第3章および第4章は海洋研究所の杉本隆成教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、その寄与が十分であると判断できる。

したがって、審査員一同は、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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