学位論文要旨



No 215934
著者(漢字) 佐藤,鈴子
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,レイコ
標題(和) 人工呼吸器を装着した配偶者の在宅介護を行う中高年女性の睡眠に関する研究
標題(洋)
報告番号 215934
報告番号 乙15934
学位授与日 2004.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第15934号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村嶋,幸代
 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 講師 山崎,あけみ
 東京大学 講師 村山,陵子
内容要旨 要旨を表示する

緒言

医療費の抑制という面からだけでなく、長期療養者の「生活の質(QOL)」の維持・向上の面でも在宅療養が勧められており、医療的依存度の高い在宅療養者は増加すると予測される。一方、在宅介護の担い手は、大部分が中高年女性である。人工呼吸器を装着している在宅療養者は、医療的依存度が高くケア量が多い。介護者は日中だけでなく夜間も途中で起きて、療養者のニードを確かめながらケアをする必要があるため、介護者は夜間の睡眠が充分とれず疲労感を訴えている。そこで、人工呼吸器を装着した配偶者の在宅介護を行う中高年女性の睡眠と疲労を調べることを目的に本研究を行った。

方法

人工呼吸器を装着した在宅療養者である夫を終日介護している中高年女性介護者(「介護者」と呼ぶ)10名と、家庭外で勤務をしていない女性の中から、介護者毎に近似の年齢の者を1名ずつ選択した10名の女性(「非介護者」と呼ぶ)を対象に、実生活のなかで睡眠ポリグラフィを実施するとともに、主観的睡眠評価、疲労および生活時間の調査を行った。

睡眠ポリグラフィ:自宅で連続2夜実施し、第2夜のポリグラフィを分析した。測定には携帯型生体アンプを使用し、基準電極に左右の耳朶(A1、A2)を用い、単極誘導で左右頭頂部(C3、C4)と後頭部(O1、O2)から導出した脳波(EEG)の他に、オトガイ筋筋電図(EMG)、左右の眼球運動(EOG)、および心電図(ECG)を同時に入力した。時定数は0.3、較正は50μVを5mmとした。睡眠段階の判定は国際基準に従い、視察的に30秒毎に判定した。EEG分析には周波数解析(spectral analysis)を加え、多用途生体情報解析プログラムを用いて高速フーリエ変換(FFT)を行い30秒毎に周波数パワーを算出し、0.5Hz〜20Hz帯域の総和に対する各帯域の含有率を求めデータとした。

主観的睡眠評価:自己記入式睡眠評価尺度(SEQ)を用いた。SEQは10項目からなる visual analogue scales (VAS)で睡眠の評価が良いほど高得点である。3日間3回測定した平均点を評価値とした。

疲労:主観的な疲労感の調査は、日本産業衛生学会疲労研究会撰「自覚症状しらべ」を用い、生理学的な疲労はフリッカー値の測定をした。これらは睡眠ポリグラフィ実施前日の朝から第2夜終了までの朝と夜に計5回行った。フリッカー値は、デジタル式フリッカー値測定器を使用し下降法で繰り返し5回測定し、最高値と最低値を除外し、3回の平均値を解析用データとした。「自覚症状しらべ」は症状があると回答した割合を評価値とした。

生活時間:2日間の生活時間を独自に作成した調査用紙に介護、家事、休憩・自由、食事について経時的に記入することを依頼し、2日間の平均時間(分)をデータとした。

結果

対象の概要

介護者の平均年齢は59.6歳(50〜70歳)、非介護者は59.8歳(50〜70歳)であった。介護者の就寝場所が要介護者と同室の者は7名、別室が3名であり、介護期間は3ヵ月〜11年と幅が広かった。要介護者の疾病はALS(amyotrophic lateral sclerosis)が9名、珪肺が1名であり、人工呼吸器装着時間は24時間が9名、夜間の約12時間が1名であった。介護内容は、人工呼吸器による換気の管理をはじめ、療養者との意思伝達、経管栄養あるいは経口摂取の管理・介助、排泄の介助、体位変換など生活全般にわたる介助・管理であった。夜間の介護は、主に気管内吸引、蛇管に貯留した水の排除、体位変換と療養者のコールベルに対応して排泄の介助、体位の微調整などであるが、常に人工呼吸器が正常に作動しているかどうかに気を配っていた。介護者は、介護と平行して家事を担っていた。

睡眠変数

介護者は非介護者に比べてケアのために夜間離床する頻度が高く、離床時間も長かったが、各種睡眠変数では介護者と非介護者に有意差はなかった。しかし、睡眠周期内睡眠段階出現率では、非介護者のstagel(S1)は第2周期で最低値を示したのに対し、介護者のS1の最低値は第4周期であった。非介護者のstage wake(SW)は第3周期で最低値であったのに対し、介護者のSWは最終周期の第4周期で最低値を示した。stage3+stage4(S3+4;徐派睡眠)は、介護者も非介護者も第1周期から第4周期にかけて減少したが、介護者での減少は第2周期から第3周期にかけて急峻となり、第3周期から第4周期にかけて減少度合いが緩徐になった。第4周期では介護者は非介護者に比べてS3+4が高い傾向を示した。また、個人の睡眠周期内睡眠段階出現率を経時的データとして、群、個人×群、睡眠周期、睡眠周期×群を要因とするモデルで分散分析(「×」は交互作用を表す)を行った結果では、S1の出現率のパターンには睡眠周期の効果と睡眠周期×群の交互作用が認められ、S3+4の出現率のパターンには睡眠周期の効果と個人×群の交互作用が認められた。

脳波の周波数解析

FFTパワーの含有率については、介護者は非介護者に比べて第3周期では1〜2Hzの帯域が有意に低かったのに対し、12〜13Hz、13〜14Hzの帯域は有意に高く、4〜5Hz、5〜6Hz、14〜15Hz、18〜19Hz、19〜20Hzの帯域は高い傾向があった。また、第2周期では12〜13Hz、13〜14Hzの帯域が介護者は非介護者に比べて高い傾向があった。

主観的睡眠評価

介護者は非介護者に比べ主観的睡眠評価が低く、睡眠の質については、快適感が低く、途中覚醒が多いと感じる傾向があった。起床時では起床が容易でなく、起床するまでに時間がかかり、起床時の心身のバランスが悪く、起床時にすっきりした感覚が得られず、その後も疲れが残っていた。

疲労と生活時間

自覚症状訴え率は、朝夕5回の測定のうち3回で、介護者は非介護者に比べて訴え率が高く、他の2回でも訴え率が高い傾向を示した。フリッカー値では、介護者は非介護者に比べ5回測定のうち2日目と3日目の朝2回で低い傾向を示した。生活時間では、介護者の介護時間は490.2分であり、介護者は非介護者に比べて食事、家事、自由・休憩の時間が短かった。

考察

対象者の睡眠

本研究は実験室内での睡眠ポリグラフィではなく、在宅で家事やその他の生活を営みながら人工呼吸器を装着した夫の介護を終日行うために夜間も睡眠を中断しているという在宅介護の環境下で測定したことに特徴がある。対象者の年齢層の女性の終夜睡眠ポリグラフィを生活の場で測定した報告は少ない。今回の非介護者の睡眠は、Reynolds ら(1985)の中高年女性(58-69歳)の睡眠と大きな違いはなかった。

介護者の睡眠パターン

介護者は就床後も介護をするために、非介護者に比べて離床した頻度は高く、時間も長かったが、全就床時間、睡眠時間、入眠潜時、睡眠率などの睡眠変数は非介護者とは統計上の有意差はなかった。しかし、睡眠周期内の睡眠段階出現率では第2周期以降に介護者と非介護者が乖離していく傾向が見え、第3周期で介護者のS3+4が急峻に下降していた。周波数解析において第3周期で介護者は非介護者に比べ1〜2Hzの帯域の含有率が低いことが示されており、第2周期から第3周期にかけてS3+4が急峻に減少した証左と考える。また、介護者は非介護者に比べて12〜13Hz、13〜14Hzが第2周期で高い傾向があり、第3周期で有意に高かったことは離床回数の多さと関連があると考えられた。

介護者の睡眠と疲労

生活時間では、介護者は非介護者に比べ自由・休憩時間が少なく、食事時間さえ少なかった。その上、夜間は離床して人工呼吸器を装着した夫のケアを行っている。主観的疲労測定では介護者の疲労感は非介護者に比べて高く、生理学的な疲労度の測定でも介護者の疲労の方が高い傾向が認められた。

疲労の回復にはS3+4が重要な役割を担い、S3+4は睡眠第1周期に最も多く出現する。介護者は非介護者に比べて疲労度が高かった故に、介護者のS3+4は非介護者に比べて高くなるであろうと推測される。しかし、介護者は第1周期で延べ4回、第2周期で10回、第3周期で10回、第4周期で2回、離床してケアをしていた。介護者は就眠前に一連のケアをし、睡眠第1周期でもケアのために離床していた。就眠直前の運動はS3+4を抑制すると考えられている。また、睡眠を中断し離床してケアをすることによってS3+4は抑制されると考えられる。さらに人工呼吸器と療養者の状態を気にかけていること、人工呼吸器の機械音などが影響してS3+4が抑制されたと考えられる。一方、睡眠欲求が高いとSW、S1が減少することが知られている。介護者は離床してケアをしているにも関わらず、睡眠欲求によってSW、S1は抑制され、結果として介護者と非介護者の睡眠段階出現率は近似したと考える。

介護者のS3+4(徐派睡眠)は第2周期から第3周期にかけて、非介護者よりも急峻な下降をした。第3周期では、ケアのための頻回の離床が影響してS3+4の出現が抑制され、次の第4周期では離床回数がやや少なくなったために、S3+4が出現しやすくなったと考える。しかし、本研究では離床回数や人工呼吸器の機械音、夫の状態を気にかけていることがS3+4の抑制にどの程度影響するかは明らかにできない。

また、中途覚醒時間(介護者25分、非介護者33.9分)はどちらかと言えば非介護者より介護者の方が短く、日中の介護による疲れに加えて毎夜の睡眠不足が重なって介護者の睡眠欲求は高いと考えられた。

上記のような睡眠は介護者にとって不充分な睡眠である。それ故、介護者は非介護者に比べて、睡眠の質について快適感が低く、起床に困難を感じ、起きるまでに時間がかかり、起床時の心身のバランスが悪く、起床後にすっきりした気分が得られず、その後に疲れが残っている感覚があったと考える。また、介護者のフリッカー値は、夜ではなく朝の測定値に非介護者と比べて低い傾向が現われたと考える。

人工呼吸器装着療養者の在宅介護支援政策への提言

人工呼吸器を装着した在宅療養者は、医療的依存度が高く、気管内吸引、経管栄養の管理、体位変換時に人工呼吸器との接続は大丈夫か等、人工呼吸器が正常に作動しているかを含めたケアと観察をする必要があり、身体的にも精神的にも負担が大きい。介護者は非介護者に比べて、食事時間や休憩・自由時間が少なかった。しかし、夜間に安心して充分な睡眠がとれれば、疲労は回復すると考えられる。ところが、介護者の多くは夜間も在宅療養者のベッドの傍で人工呼吸器の機械音を聞きながら就床し、警報音や療養者のコールベル、その他必要に応じて睡眠を中断して介護を行っている。介護者の睡眠不足や疲労は介護者の健康を損ねたり、介護者と在宅療養者の双方の「生活の質」を低下させ、延いては在宅介護の継続を断念することにつながる懸念がある。人工呼吸器装着在宅療養者の家族介護者に夜間の睡眠継続を保障する支援体制を整えることが急務である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、人工呼吸器を装着した配偶者の在宅介護を行う中高年女性の睡眠と疲労を明らかにする目的で、人工呼吸器装着在宅療養者の妻である介護者(介護者と呼ぶ)10名と介護はしていない同年齢の女性10名を対象に実生活における夜間睡眠ポリグラフィと主観的睡眠評価、疲労度、生活時間を調査し、介護者と非介護者の睡眠と疲労について以下の結果を得ている。

介護者は非介護者に比べてケアのために夜間離床する頻度が高く、離床時間も長かった。介護者の睡眠パターンは、徐派睡眠(Stage3+4)が第2周期から第3周期にかけて急激に減少し、第3周期から第4周期にかけて減少度合いは緩徐になり、第4周期では非介護者に比べて徐派睡眠が高い傾向にあることが示された。

周波数解析では、第3周期で介護者は非介護者に比べて有意に1〜2Hzの帯域が低く、12〜13Hz、13〜14Hzの帯域が高いことが示され、第3周期における介護者の徐派睡眠の減少が確認された。

介護者は非介護者に比べて睡眠欲求は高いが、介護のための頻回の離床が影響して睡眠が浅くなっていることが睡眠段階の判定および周波数解析から示唆された。

介護者は非介護者に比べ、生活時間のうち自由・休憩時間と食事時間が有意に短く、主観的睡眠評価が有意に低く、疲労の自覚症状訴え率が有意に高いことが示され、生理学的疲労測定のフリッカー値では夜ではなく朝の疲労度が高い傾向が示された。

介護者の睡眠パターンは、主観的睡眠評価の低さや疲労度の高さと関係があることが示唆され、人工呼吸器装着在宅療養者の介護をする家族介護者の睡眠継続を保障する支援体制を整えることの重要性が示された。

以上、本論分は人工呼吸器装着在宅療養者の介護をする配偶者の睡眠パターンと疲労との関連性を示した。本研究は医療的依存度の高い在宅療養者の介護支援を考える上で、学術的および実際的な意義を持ち、学位の授与に値するものと考えられる。

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