学位論文要旨



No 215935
著者(漢字) 山口,光峰
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,ミツネ
標題(和) 単球系腫瘍細胞に存在するグリセルアルデヒド-3-リン酸脱水素酵素の効率的な分解系に関する研究
標題(洋)
報告番号 215935
報告番号 乙15935
学位授与日 2004.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15935号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

グリセルアルデヒド-3-リン酸脱水素酵素 (GAPDH) は古くからグリセルアルデヒド-3-リン酸から1,3-ビスホスホグリセリン酸への反応を触媒する解糖経路に重要な働きをする酵素として知られてきた。近年ではそれに加えチューブリンの重合、膜融合、転写因子の調節などにも関与する多機能酵素であるという報告が数多くなされている。そのうえ、ある種のアポトーシス誘起過程で増減することが示されて以来、細胞内GAPDH含量の変動することが様々な細胞機能に影響を与えると考えられている。細胞内の多くのタンパク質はリソソームに取り込まれ分解される。GAPDHの場合にも栄養飢餓時に誘導されるシャペロン分子hsc73と複合体を形成し、リソソーム膜上のLAMP2分子を介してリソソームに取り込まれアミノ酸まで分解されることが報告されている。このようなシャペロン介在性オートファジーによるGAPDH分解がある程度促進されても細胞内のGAPDH含量は多いため、GAPDHの機能が低下する可能性は少ないと考えられている。多くの研究者が未知なるGAPDHの生理機能の解明を試みているが、シャペロン介在性オートファジー以外のGAPDH分解経路について解明されていないのが現状である。

筆者は細胞内のN末端アシル化タンパク質の分解に関与するアシルペプチドハイドロラーゼ (ACPH) の細胞内機能を研究する中でその阻害剤アセチルロイシンクロロメチルケトン (ALCK) により単球系腫瘍細胞株U937細胞中のGAPDH分解が促進されることを見いだした。この現象はhsc73量が変動することの無い細胞抽出液で検出されたことよりU937細胞中にはシャペロン介在性オートファジーとは異なるGAPDH分解経路が存在することが推測された。新たなGAPDHの分解経路を解明することは細胞内の様々なGAPDH機能を理解するために役立つと考えられる。

そこで本論文ではまずALCKにより促進されるGAPDHの分解現象を見出した研究について触れ、その分解がALCKによって生じる構造変化が引き金となって誘導されることについて論述する。さらに、その構造変化したGAPDHの分解に関与する酵素の性状を解析した結果を述べ、最後にそのGAPDH分解経路の意義について過去の報告などを参考に考察を行う。

1)ALCKにより促進されるU937細胞抽出液中のGAPDH分解現象

筆者は様々な白血病細胞を用いてACPHの細胞内機能を研究する中でその酵素阻害剤アセチルロイシンクロロメチルケトン(ALCK)が試験したすべての白血病細胞株(U937、Jurkat、K562およびMOLT-3)にアポトーシスを誘起することを見いだした。すべての細胞中のACPH活性はALCKにより同程度の阻害であったにも関わらず、ALCKは単球系腫瘍細胞株U937細胞に対しては顕著に抑制効果を発揮した。このため、U937細胞中にはACPHとは異なるALCK感受性の標的分子が存在することが考えられたのでその解析を行うこととした。

まず、ALCKをU937細胞抽出液に添加し加温することで細胞内タンパク質に変化が生じるか否かをSDS-PAGEにより解析したところ、37℃で処理した場合に36kDaタンパク質バンドの減少がALCKの濃度依存的に観察された。しかし、この変化はALCKの合成原料であるLCKや4℃で処理した場合には認められなかった。また、他の細胞抽出液をALCK処理してもこの変化は認められなかったため、このタンパク質を解析することがACPHとは異なるALCK感受性の標的分子の解明につながると考え、その同定を試みた。未処理のU937細胞抽出液よりタンパク質の精製を行ったところ、目的のタンパク質は等電点が塩基性であったため、比較的容易に単離することができ(図1A)、29残基のN末端アミノ酸配列の情報 (GKVKVG…) が得られた。そこでこの配列をProtein Database Search Programs (BLAST)にて検索した結果、ヒト肝臓由来のcDNAから決定されたGAPDHのN末端付近配列と100%一致していた(図1B)。そのうえ、抗GAPDHモノクローナル抗体を用いたWestern blotting法によるGAPDHタンパク質ならびにNADH生成活性の低下も確認できたことより、ALCK処理によりU937細胞抽出液中で減少した36kDaタンパク質はGAPDHであると判明した。

ここで認められたGAPDH分解現象は明らかにシャペロン介在性オートファジーによって行われているとは考えにくく、U937細胞中にはこれとは異なるGAPDH分解系が存在することが示唆された。そのため、筆者はこの分解経路を解明することが多機能酵素であるGAPDHをより理解することにつながると考え、ALCKにより促進されるU937細胞抽出液中のGAPDH分解現象の解析を行った。

2)ALCKによって生じるGAPDHの構造変化

ALCKにより促進されるGAPDH分解機序を探るために、ALCKを添加することで生じるU937細胞抽出液中のGAPDH活性阻害と分解の経時的変化を観察した。その結果、両者は同時に生ずるのではなく酵素活性の阻害が酵素の分解に先行して起こることが明らかになった。そこで、ALCKが直接GAPDHに影響を与えるか否かを検討した。精製したGAPDHをALCKで処理すると活性は阻害されたが分解は起こらなかった。このALCKによるGAPDHの阻害様式はGAPに対しては非拮抗阻害、NAD+に対しては不拮抗阻害であった。さらに、ALCKでGAPDHを処理するとその内部蛍光は増加することなどよりALCKはGAPDHの構造変化を誘起することを明らかにした。

さらに、1mM ALCKをヒト赤血球由来GAPDHに処理しゲルろ過で過剰のALCKを除いたALCK修飾GAPDH(構造変化したGAPDH)をU937細胞抽出液に添加することで、23kDaの分解断片を伴うGAPDH分解が観察されたため、ALCKにより生じるGAPDHの構造変化はその分解を誘起する上で重要であると考えられた。従って、この構造変化を何らかの分解酵素が認識し23kDaの分解断片を形成すると考え、この分解酵素の性状解析を行った。

3)ALCK処理GAPDHの分解に関与する酵素の性状

ALCKにより促進される細胞抽出液中でのGAPDH分解は、セリンプロテアーゼの広域阻害剤であるdiisofluorophosphate(DFP)の併用で強力に阻害されたため、ALCK処理GAPDHの分解には何らかのセリンプロテアーゼが関与することが明らかになった(図2)。

3×108個の細胞抽出液を出発原料としてSuperose6によるゲルろ過及びhydroxyapatiteカラムを用いてGAPDH分解活性を示す粗画分を得た。本酵素活性はゲルろ過により超高分子量(500万以上)画分に回収された。U937細胞中には高分子量プロテアーゼとしては2種類(プロテアソームとトリペプチジルペプチダーゼII)の存在が報告されているが、これらは各カラムでの挙動、そして阻害剤に対する阻害特性が本酵素とは異なっていた。

また、ALCK処理GAPDHを分解する酵素活性は至適pHが塩基性で幅広く認められることや、GAPDH中のTrp195-Arg196間を切断し23kDaと17kDaの分解断片を形成することまでを明らかにした。

最後にALCKにより促進されるGAPDH分解系の細胞特異性を検討した。各種がん細胞株より得られた細胞抽出液にALCKを添加し、GAPDH分解が生じるかを検討した。また同時にGAPDH活性への影響を検討した。その結果、ALCKは試験したすべての細胞のGAPDH活性を阻害したが(表1)、単球系腫瘍細胞株であるU937細胞ならびにTHP-1細胞でのみ23kDa形成を伴うGAPDH分解を起こした(表1、図3)。この酵素の細胞内局在については今後の検討課題である。

まとめ

これまでにGAPDHの分解経路としてシャペロン介在性オートファジーが知られてきた。しかし、今回の研究で単球系腫瘍細胞中にはオートファジーの経路とは異なるGAPDH分解系が存在することを明らかにした。この分解系はALCKによってGAPDHの構造変化が誘起され、それが引き金となってプロテアソームやTPPIIとは異なる未知の超高分子量セリンプロテアーゼが関与することが分かった。この酵素は塩に不安定であるなど精製に困難さを伴うが今後単離同定の実験を引き続き行う予定である。

ALCK処理で減少した36kDAタンパク質(A)とそのN末端アミノ酸配列(B) (A)ALCKを添加することでU937細胞抽出液で減少した36kDAタンパク質の単離に成功した。(B)36kDAタンパク質のN末端アミノ酸配列を分析し、既知タンパク質比較したところ、ヒト肝臓由来細胞のcDNAから得られたGAPDHの配100%一致していた。

ALCK処理で分解するGAPDH分解機構に対する各種プロテアーゼ阻害剤の影響 U937細胞抽出液にALCKならびに各種プロテアーゼ阻害剤を添加した時の分解抑制効果

様々な細胞抽出液中でのGAPDH活性の阻害の分解活性

単球系腫瘍細胞の抽出液中での23kDa分解断片の形成 それぞれの細胞抽出液に80μM ALCKまたはLCKを添加し37℃1時間加温し、抗GAPDH抗血清を用いたWestern blotting法たて23kDAの分解断片の形成を試験した。

このALCK処理GAPDHの分解は、予備的な実験ではあるが単球でも観察されたことから、以下のような生理的役割を有するのではないかと推測している。ALCKによりGAPDH分解が促進されるのは何らかの内因性因子による疑似反応であると考えている。単球系細胞は、酸化ストレスを受ける機会が多くGAPDHがS-ニトロ化やS-チオニル化などにより様々な修飾変性を受けることが知られている。

著者は、今回の研究で見出したGAPDH分解系は炎症部位などで変成したGAPDHを除去するために働く可能性を提案している。実際、主要な脂質過酸化産物である4-hydroxynonenalがGAPDHの分解を促進することを示すデータも得ている。今後は酸化障害時におけるこのGAPDH分解系の意義及び細胞死との関係について解析する予定である。

審査要旨 要旨を表示する

グリセルアルデヒド-3-リン酸脱水素酵素 (GAPDH) はグリセルアルデヒド-3-リン酸から1,3-ビスホスホグリセリン酸への反応を触媒する酵素として、解糖経路の要である。チューブリンの重合、膜融合、転写因子の調節などにも関与する多機能酵素でもあることが最近判明した。アポトーシス誘起過程で増減することも示され、細胞内GAPDH含量の変動が様々な細胞機能に影響を与えることが 提案されはじめている。この酵素の細胞内レベルは生合成と分解によって調節されるが、学位申請者は分解経路に注目した。GAPDHはシャペロン介在性オートファジーによって分解されるが、細胞内のGAPDH含量が他の蛋白質よりも遥かに高いため、これ以外のGAPDH分解経路があるのではないかと考えた。この推論に至ったのは、細胞内のN末端アシル化タンパク質の分解に関与するアシルペプチドハイドロラーゼ (ACPH) の阻害剤アセチルロイシンクロロメチルケトン (ALCK) によりヒト単球系U937細胞のGAPDH分解が、シャペロンであるhsc73量が変動すること無く誘導されたことによる。本論文ではまずALCKにより促進されるGAPDHの分解のメカニズムを解析する試み、分解に関与する酵素の性状を明らかにする試み、分解経路の生物学的な意義について述べられている。

第一章では、ALCKが白血病細胞株にアポトーシスを誘起することを見いだし、その際に細胞内レベルが顕著に減少する蛋白質があることが発見された経緯が述べられている。この分子量36kDaの蛋白質はACPHとは異なるので、ユニークな標的分子であると考えてその精製を行い、N末端のアミノ酸配列解析を行った。その結果、ヒト肝臓由来のcDNAから決定されたGAPDHのN末端付近配列と100%一致していることが見い出された。抗GAPDHモノクローナル抗体を用いたWestern blotting法によるGAPDHタンパク質ならびにNADH生成活性の低下も確認できたことより、ALCK処理によりU937細胞抽出液中で減少した36kDaタンパク質はGAPDHであると判明した。ここで認められたGAPDH分解現象は明らかにシャペロン介在性オートファジーによって行われているとは考えにくく、U937細胞中にはこれとは異なるGAPDH分解系が存在することが示唆された。

第二章では、ALCKにより促進されるGAPDH分解機序を探るために、GAPDH活性阻害と分解の経時的変化を観察した結果、酵素活性の阻害が酵素の分解に先行して起こることを明らかにし、精製したGAPDHを用いてALCKが直接GAPDHに影響を与えるか否かを検討した。ALCKによるGAPDHの阻害様式はGAPに対しては非拮抗阻害、NAD+に対しては不拮抗阻害であり、ALCKでGAPDHを処理すると内部蛍光が増加したことなどよりALCKはGAPDHの構造変化を誘起することが示唆された。さらに、ALCKにより生じるGAPDHの構造変化はその分解を誘起する上で重要であることを示唆する結果を得た。

第三章では、学位申請者は、ALCKにより促進される細胞抽出液中でのGAPDH分解が、セリンプロテアーゼの広域阻害剤であるdiisofluorophosphate (DFP)の併用で強力に阻害されたため、ALCK処理GAPDHの分解には何らかのセリンプロテアーゼが関与することを予想し、これを証明した。すなわち、ALCK処理GAPDHを分解する酵素活性は至適pHが塩基性で幅広く認められることや、GAPDH中のTrp195-Arg196間を切断し23kDaと17kDaの分解断片を形成することなどを見出した。超高分子量であり、既知のセリンプロテアーゼとは異なる可能性が高く、その精製を試みたが達成されなかった。最後にALCKにより促進されるGAPDH分解系の細胞特異性を検討し、単球系腫瘍細胞であるU937細胞ならびにTHP-1細胞でのみ23kDa断片の形成を伴うGAPDH分解が見られることが示された。

以上の様に、単球系腫瘍細胞中には特徴的なALCKによって誘導されるGAPDH分解系が存在することが今回の研究で明らかにされた。このGAPDH分解系の生物学的な意義は明らかでないが、細胞死に伴って起こる可能性、炎症部位で酸化障害時に生成する変性したGAPDHを除去するという可能性などが提案されている。本研究はこれまでほとんど顧みられなかった細胞特異的なGAPDHの調節機構の解明に端緒を開いたものであり、生化学、免疫学の領域で新しい知見を与えるものである。従って、本研究は学位論文として十分な内容を含むと判断し、また本研究を行なった山口光峰は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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