学位論文要旨



No 215939
著者(漢字) 寺戸,淳子
著者(英字)
著者(カナ) テラド,ジュンコ
標題(和) ルルド巡礼の宗教学的研究 : 傷病者巡礼の展開と意義
標題(洋)
報告番号 215939
報告番号 乙15939
学位授与日 2003.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第15939号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金井,新二
 東京大学 教授 鶴岡,賀雄
 東京大学 助教授 市川,裕
 大正大学 教授 星野,英紀
 国立民族学博物館 教授 竹沢,尚一郎
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、19世紀にフランス・ピレネー地方に成立したカトリックの巡礼地ルルドを「傷病者」の存在によって特徴づけられる聖地とみなし、その成立史、巡礼における傷病者とかれらの「苦しむ肉体」の位置づけ、そして巡礼世界のもつ社会的意義を、考察する。またアーヴィング・ゴッフマンの研究に依拠しながら、人々はルルドの巡礼世界に「相応しい」言動を遂行すべく注意を払い、適切な言動の実践能力を示すことで、その世界への帰属の資格と意志をアピールし、かつ、帰属を実感している、という作業仮説を立て、これを検証しつつ、ルルドの巡礼世界における集団の約束事としての適切な自動のルールの束を確定しようとするものである。なお、そのルールはフランス共和国の掲げる理念と価値に対する異議申し立てとなっているため、対峙するルールの世界として、共和国的・近代市民社会的価値世界についても論じていく。

序章ではルルド研究史を概説し、問題点を整理して、本論文の目的と構成を述べる。

第1章では、聖地の空間構成とそこで繰り広げられる巡礼の概略を述べる。ルルドは傷病者の存在、特に、その肉体に見て取られる苦しみのしるしを中心に据えたスペクタクルによって特徴づけられる、原則的にあらゆる人々に開かれた空間であり、またそこは、性格を異にするグループが、別々に、あるいは協同して各種の共同行為を行う空間であることを示す。また、19世紀フランス・カトリック世界の霊性は、聖体神学とマリア神学の進展を背景に、神の恩寵の授受を強調する傾向を強めていたことを述べ、ルルド巡礼もまた、恩寵の授受を動機付けとする運動であったことを示す。

第2章では、「傷病者巡礼」という独特の巡礼形態がいかにして成立したのかを、〈全国巡礼〉の歴史をたどりながら振り返る。19世紀フランス・カトリック世界では、フランス共和国の秩序が形成されていくのに対抗して旧体制を復興しようとする人々により、フランス革命を神との契約を破った罪に対する罰と考えその赦しを求める目的で、巡礼が盛んに行われていた。その一環として始まったルルド巡礼では、傷病者は「フランスの救い」のための「苦しみの捧げもの」とみなされ、そのような傷病者を共に捧げる行為を通して、〈全国巡礼〉やそれに倣った司教区巡礼団は、「わたしたち」意識を堅固なものにしようとした。このような巡礼運動は、フランスの罪という過去・苦しみという現在・未来の救いという運命を共有する「記憶の共同体」としての「わたしたち」の構成を目指すものであり、共和国の掲げる「自由のための戦いへの参加者」という「わたしたち」イメージと対立しつつ、「帰属グループ」の正当性と人々の広範な支持をめぐって、争った。かれらは巡礼運動を通して、自分たちが生きている世界についての通事的枠組みを提示し、多数の参加者を得て社会的影響力を持つ共同行為を実践することで、「記憶の共同体」としての日常生活世界を統括しようとしたのである。

第3章では、傷病者巡礼の実現に必要不可欠となる奉仕組織〈オスピタリテ〉について分析を行う。フランス・カトリック王国の復興が現実味を失っていく過程で、傷病者巡礼のイニシアチブをとった人々の関心は、貧困問題と適切な社会関係の構築という課題に向かっていった。共和国が、「福祉」という個人の権利に基づく救済事業によって問題を解決しようとしていたのに対し、ルルド巡礼に参加した上流階級の男性たちは、上流階級に付随する社会的義務としての「ノブレス・オブリージュ」の理念に基いて、適切な社会関係についての共時的モデルを提供し、「わたしたち」高貴な富者と「かれら」貧者の間に献身と敬愛からなる社会的紐帯を構築することにより、問題を解決しようとした。傷病者巡礼においてその理念は、巡礼に参加した貧しい傷病者を「わたしたちの主」とみなし、かれらに高貴な階層が仕えることで、「諸聖人の通功」の観念に依拠した神の愛の授受に基づく隣人愛の世界を作り出そうとする、〈オスピタリテ〉の活動として実践された。そこでは傷病者の利便を図ること以上に、過剰な肉体労働による祭儀的な奉仕を行うことで、傷病者巡礼の場合と同じように奉仕者が「苦しみの捧げもの」となることがめざされた。だがその実践の過程で、旧体制の復興という目的は薄れ、かわって「disponible[他者の必要に応えられるよう準備ができた状態]」という心身の構えが「適切な言動のルール」として確立されていった。その結果オスピタリテ活動は、奉仕者と奉仕対象者のいずれもが社会的身分によってあらかじめ規定されることのない無条件の開かれた支援活動へと変化していったが、私人の無償の行為によって社会的紐帯を創り出すことにより共和国の公的活動を覆い尽くしているかに見える経済的・外部的関係を批判するという立場は、一貫していた。また「disponible」という規範は、19世紀フランス社会において、「女性」に求められた美質や、「家庭」の構成原理とみなされていた「感受性」に近しいものであったことから、それが男女両性に適用されたことにより、巡礼世界における「男性」イメージはその影響を受けて変化していった。

第4章の前半では、奇蹟的治癒の認定過程に関わったカトリック医師団の形成の経緯と、かれらが巡礼運動を擁護するうえで果たした役割を分析する。医師は、奇蹟的治癒の医学的調査を行うことで、巡礼世界が迷妄に基づくものだという批判に対抗した。また、19世紀フランスにおいて、生産性の高い社会の実現のために人間身体の健康管理を通して市民社会の秩序維持に当たるという社会的な務めをはたしていた医師は、生産性の見地からは承認しがたいルルド巡礼の公益性を、傷病者の自由意志を根拠に擁護した。このように傷病者巡礼は、社会の医療化・経済関係化に対抗するという側面を持った。そこでは私人による無償奉仕だけが適切な行為とみなされ、医療活動と経済関係が否定された結果、医師は巡礼に同行しても医療行為をすることができず、傷病者と関わりを持とうとするときにはオスピタリテになるはかなかった。ルルド巡礼においては、社会的責任を負った上流階級の男性と公僕である医師団が、「生産性」という社会的な価値に異議を申し立てる活動に参加しているのである。

第4章の後半では、ルルド巡礼の世界において適切な「奇蹟的治癒」とはどのようなものであるのかを分析する。医学的審査の内容と治癒者の証言から浮かび上がるのは、奇蹟的治癒が、神の恩寵に開かれた世界と人間というイメージを打ち出すことで、科学的世界をささえる根本原理であり「近代的人間」に求められる価値である「同一性」を否定するものだということである。適切な奇蹟的治癒とは、原因と結果の連鎖からなる世界の同一性を突破し「わたし」の同一性を破る、「外来の恩寵」を被り受け入れる経験なのである。

第5章では、傷病者巡礼というスタイルと「苦しみの捧げ物」の観念の第二次世界大戦後の展開を、巡礼同行調査の成果を盛り込みつつ概説する。第二次世界大戦後、傷病者団体の発言権が強まり、傷病者巡礼における「健常者に都合のよい傷病者イメージ」が批判されていく。聖域でも傷病者の司牧改革が行われ、自由な話し合いの奨励と「傷病者の塗油の秘跡」改革という成果が上がった。この改革によって傷病者巡礼の主題は、「苦しみの捧げもの」から、他者の苦しみを発見しそれを「被る」ことへの転換を果たした。また、病・老・苦・死という非生産的なものを排除せず、それと向き合って生きるという社会的ヴィジョンが明確になった。現在ルルドには、近代社会において秘匿を義務づけられた肉体的苦痛や死という「私事」を「公の場」に持ち出すことで、苦しみを「わたし」一人のものにせず共に生きる場が作られようとしている。そこでは、人々の利害の調整と合意形成が為される「公共圏」とは異なる「公共空間」の創出が目指されている。

このようにルルド巡礼の世界では、傷病者はまず、「わたしたち」の救いのため、十字架上のキリストに類比される犠牲として神に捧げられるために必要とされた。次に社会的紐帯が主題となったときには、神の愛の授受に基づく隣人愛を実践するために、上流階級の男性が仕えるべき「わたしたちの主」として必要とされた。そしてその実践の中で生まれた「disponible」という適切な言動のルールが、ルルドの巡礼世界の方向を決定づけた。こうして傷病者は、苦しみの中から他者に救いを求め、「disponible」という規範が必要になる事態を生むために、ルルドになくてはならない存在となった。傷病者は人々を「disponible」にすることで恩寵の授受を活性化する、人と人を関係づける紐帯の要に当たる存在であり、また、神と恩寵と苦しみと他者を受け入れる存在、それらに対する「disponibilite」の実践者・モデルなのである。

また「disponible」という規範が、何者も排除することのない、参加資格を問わない公開空間を実現したことで、ルルドは、日常生活世界において社会から排除されている人々が参入することのできる空間となった。その結果そこは、現行の社会的規範に対し、他の選択肢を公にする場として機能することが可能となったのである。

審査要旨 要旨を表示する

寺戸淳子氏の博士学位申請論文「ルルド巡礼の宗教学的研究-傷病者巡礼の展開と意義-」は、19世紀フランス、ルルドにおける聖母出現と、それ以降同地がフランス屈指の巡礼地となってゆくプロセスを、豊富な資料を駆使しつつ多角的に分析した労作である。

序章でルルド研究史を概観し、問題点を整理して本論文の目的および構成を述べた後、第1章では、聖地ルルドの空間構成と巡礼自体の概略を述べている。ルルド巡礼は何よりも、肉体的苦しみをもつ傷病者たちの巡礼であることが最大の特徴であると述べられ、また、カトリック神学思想の文脈としては、聖体神学とマリア神学の発展を背景に、神の恩寵の授受を強調する流れの中にルルド巡礼は位置づけられる。

第2章では、傷病者巡礼という巡礼形態がいかにして成立したのかが述べられる。ここで特に重要なことは、ルルド巡礼はフランス共和国による近代フランスの建設に対する対抗軸として形成されたことである。それゆえ、かれらは革命と共和制を神にたいしてフランスがおかした罪と考え、ルルド巡礼はそのための「苦しみの捧げもの」なのであった。このようにして、カトリック教会は、ルルド巡礼をとおして、失われた古き良き伝統秩序を回復しようとしたのである。

第3章では、傷病者巡礼を実現するために必要不可欠な奉仕組織である<オスピタリテ>が分析される。かれらの意識においては、カトリック王国の再建の願望はしだいに退き、かわって、貧困問題の解決など、適切な社会関係の追求が前面に現れてきた。しかし共和国がいわゆる福祉社会を追究したのにたいして、かれらは社会的上位者によるノブレスオブリッジとして隣人愛の実践を強調した。そのような社会実現を表現するキータームは<ディスポニブル(他者の必要に応えられるよう準備ができた状態)>である。

第4章では、ルルドにおける奇跡的治癒の問題が扱われる。奇跡的治癒をそのようなものとして認定することはカトリック医師団が関わっている。医師団は治癒が迷妄にもとづくものではないことを示し、かつ、傷病者の奇跡的治癒は、共和国社会がよって立つ健常者の生産性の原理をこえた原理が存在することを示しているという。すなわち、傷病者の奇跡的治癒をともなう傷病者巡礼は、生産性原理による社会に対して、ある根本的な問いを突きつけるものなのである。

最終章である第5章は、このようなルルド巡礼が第二次世界大戦後に辿ったあらたな展開について、また最後に、今後の展望について述べて終る。ここでの新たな展開とは、傷病者巡礼が前途の「苦しみの捧もの」の要素をほぼ払拭して、他者の苦しみを見出してそれを自ら「被る」ことへの転換であった。寺戸氏によれば、ルルド巡礼は常にそこに参加する人々を深く変えずにはおかなかったのであるが、その近年の姿が「被る」ことなのだと言う。「被る」とは、傷病者の苦しみを私事性から解放して公共性へともたらしつつ、それを共有することを意味している。

以上のような内容をもつ本論文は、きわめて多面的にルルド巡礼の全体を扱っており、それゆえに論点が拡散する傾向がありはするが、論文博士として十分な質と量とを兼ね備えていることは明らかである。よって本審査委員会は本論文を博士(文学)にふさわしいものと判定する。

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