学位論文要旨



No 215941
著者(漢字) 川手,督也
著者(英字)
著者(カナ) カワテ,トクヤ
標題(和) 家族経営協定の今日的意義と課題に関する研究
標題(洋)
報告番号 215941
報告番号 乙15941
学位授与日 2004.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15941号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 小田切,徳美
 東京大学 助教授 木南,章
内容要旨 要旨を表示する

近年、女性や青年農業者の地位の向上・役割の明確化などを図り、家族関係における個の確立を通じて経営・生活の近代化を実現する手法として、家族経営協定が提唱され、農業改良普及組織(特に生活関係改良普及員)や農業委員会などの関係機関を中心に普及推進が図られている。

家族経営協定とは、「経営・生活の目標、役割分担や意志決定のあり方、就業・生活条件、経営委譲など自らの経営・生活に関して世帯員相互が話し合いに基づいて締結した取り決め」のことを指すが、典型的には、社会的認知を受け、実効性を増すことなどを目的として、(1)取り決めを文書化し、(2)農業委員会など第3者の立ち会いの下調印を行うというスタイルをとっている。そのため、地域的な運動としての性格を強く有している。

家族経営協定は、1960年代に農業後継者対策の一環として普及推進が図られた家族協定に端を発する。協定の当事者は経営主と後継者とに限定されており、そのため、しばしば親子協定、父子協定などと呼ばれた。家族協定は、1970年代に入ると、一度衰退していったとされる。しかし、1990年代に入り、担い手対策や男女共同参画、経営体育成などの有力な手法として見直された結果、女性を含む家族全員を協定の当事者とする家族経営協定としてグレードアップが図られ、普及推進が行われている。こうした中で、現在、園芸の産地などを中心に、各地で家族経営協定の取り組みが広がりつつある。

そうした中で、家族経営協定をめぐる歴史的経緯や今日的意義、関連する制度や普及推進のあり方、協定の取り組みの紹介などについては、一定の論議が見られる。しかし、家族経営協定の実際を掘り下げた分析やそれに基づく協定の意義や効果、課題といった考察については実証的研究がほとんどなく、十分に解明されているとはいえない。

本論文は、以上のような研究の背景の下、家族経営協定の歴史的意義や今日的意義、制度面を含む課題について、主として事例分析によりながら、実証的なアプローチを試みたものであり、以下に示す5つの章から構成されている。

第1章では、関連研究のレビューを含む研究の背景を踏まえ、研究の課題として、(1)家族経営協定の全国的動向および協定締結農家の特徴や協定締結の経緯、締結の内容、締結後の経営・生活の変化などについての実証的分析、(2)(1)に基づく家族経営協定の今日的意義と今後の課題についての考察、(3)(1)(2)の前提としての家族経営協定の歴史的沿革の今日的視点からの見直しを摘出し、章別構成を示している。

第2章では、わが国における家族経営協定の歴史的沿革について今日的視点から概観し、先行研究では、家族協定の衰退期とされてきた1970年代以降に、実際には今日の家族経営協定につながる様々な新しい取り組みが各地で見られたことなどを明らかにしている。

第3章では、農林水産省経営局普及課調査および(社)農山漁村女性・生活活動支援協会による家族経営協定関連アンケート調査の分析に基づき家族経営協定の動向を整理し、協定の締結件数は、地域的偏りはあるものの増加傾向が続いていること、締結者の範囲が経営主−後継者から経営主夫妻に変化していること、締結内容が経営委譲から役割分担や就業条件を中心に、経営全般、さらには、生活面にまで広がりつつあり、締結の項目数も増えていること、締結農家はビジネスサイズの大きい専業的家族経営が多いこと、全体として協定に対する満足感や評価は高いが、後継者世代、特に後継者の配偶者でやや冷やかであること、その理由としては、協定の推進の中心が経営主世代、特にその配偶者と言うこともあり、後継者世代の意見が十分に反映されていないことなどを明らかにしている。

第4章では、家族経営協定の実際について掘り下げるため、30年以上の歴史を有する先駆的な取り組みとして群馬県高崎市、今日の代表的取り組みとして熊本県鹿本町と長野県中野市、愛知県安城市の取り組みを取り上げ、事例調査に基づき、(1)締結農家の特徴、(2)協定締結の経緯、(3)締結の内容、(4)締結後の経営・生活の変化に着目して分析・考察を試みている。その中で、家族における口頭の取り決めは、協定の締結のための話し合いの過程で、かならずしも相互了解になっておらず、しばしば食い違いがあることが家族の間で認識され、そのため、役割分担や就業・生活条件の確認にとどまる場合でも、実質的に改善されたと意識されるケースが多いこと、そのことが、さらに、経営・生活における波及効果的な変化を生み出していることなどを明らかにしている。

第5章では、前章までの分析をもとに、第1に、家族経営協定の特徴および親子協定との相違、その背景にある農家の家族構造の変化について考察している。第2に、家族経営協定の今日的意義について論じている。第3に、制度面を含む課題の考察を試みている。

このうち、第1の家族経営協定の特徴については、(1)協定締結農家は、園芸や畜産の産地の専業的農家が多いこと、(2)協定の様式は、基本的部分は似かよっているが、地域の実情などに合わせて様々な工夫が加えられていること、(3)推進の中心でありモデルとなる先進的経営においても、協定の締結を家族で経営・生活のあり方を見直すよい機会として活用し、家族のニーズに応じた条項を加えて、一層内容豊かなものにしていること、(4)農業改良普及センターや市町村農業委員会など関係機関の支援の下、経営主世代、特に妻の主導で協定の締結が行なわれ、締結者の範囲も夫婦のケースが多くなっていること、(5)協定の締結以上に協定を結ぶプロセスがポイントとなっていることの5点をあげている。

また、親子協定との相違については、(1)協定の当事者として、親子協定では経営主と後継者に限定されていたのに対して、女性が加わり、さらに、協定の締結に際して、家族の中で、中心的な役割を果たしている点、(2)協定の内容が、親子協定では報酬及び経営移譲に限定されていたのに対して、報酬のみならず休日や労働時間など就業条件全般や役割分担、さらに生活面に関わる項目が盛り込まれている点の2点を指摘している。

以上の相違の背景にある農家の家族構造の変化については、形態は直系家族ではあるが、内実は夫婦単位での暮らしを重視しながら、多世代での暮らしも大切にし、同時に自らの自己実現にも志向した「直系家族形態をそのままにしての個人化」を指摘している。

第2の家族経営協定の今日的意義については、(1)役割分担や就業・生活条件の改善を通じた個を尊重した農家の家族関係形成の促進、(2)女性・青年のモラール・アップや意識変革、組織的原理による運営方式の導入を通じた経営改善、(3)個を尊重した経営継承の円滑化、(4)個を尊重した家族パートナーシップ型経営の形成の4つをあげている。

このうち、経営改善の前提条件としては、意欲の増大をテコにして能力のアップを図ること、責任分担を行うこと、経営内での役割を明確化し、責任分担できる役割を経営内部に生み出すこと、他の経営改善対策との有機的に結び付けることの4つをあげている。

また、協定締結のあり方については、地域や農家の状況に合わせた多様なタイプの協定の必要、協定の締結そのものよりも締結に至るプロセスの重視や「約束」の実現、きめ細やかな家族への配慮の必要を指摘している。

第3の家族経営協定の課題については、(1)協定の内容、(2)普及推進の課題、(3)制度的課題の3点に分けて論じている。このうち、制度的課題として、協定推進のための制度的支援、税制との不整合性の解消、女性の経営権・財産権の確立、協定の公的な登録制度の新設を前提としたパートナーシップ型経営実現のための新しい法制度の創設などの必要性について指摘している。

審査要旨 要旨を表示する

複数の人々が参加する組織の運営のためには、その運営に関わるルールが必要であり、必ず規約や定款などが定められている。しかし、わが国の農業の9割以上を占める家族農業経営には、それが数千万円の売上高を有する事業体であっても、このような規約あるいは定款のようなものは存在しない。いわゆる家族ぐるみの集団として伝統的・慣習的に農業が行われているのである。そのため、女性や青年農業者の地位の向上・役割の明確化などを図り、家族関係における個の確立を通じて経営・生活の近代化を実現する手法として、家族経営協定が締結されている。

家族経営協定とは、「経営・生活の目標、役割分担や意思決定のあり方、就業・生活条件、経営委譲など自らの経営・生活に関して世帯員相互が話し合いに基づいて締結した取り決め」のことであり、取り決めを文書化し、農業委員会など第3者の立ち会いの下で調印を行うという手続きがとられている。

本論文は、全国の2万7千の農家で締結され、現在もその件数が増加しつつある家族経営協定の歴史的経緯や社会的意義、その制度面を含む今後の課題について、主として社会学的、経営学的アプローチによる実証的研究の成果をまとめたものであり、以下の5つの章から構成されている。

第1章では、これまでの関連研究のレビューを行うとともに、家族経営協定の歴史的沿革の見直しによる課題の摘出を行い、第2章では、わが国における家族経営協定の経緯について今日的視点から整理している。この中で、家族経営協定は1960年代に農業後継者対策の一環として普及推進が図られた家族協定にその起源があり、当時は経営主と後継者とに限定され親子協定・父子契約などと呼ばれていたこと、家族経営協定は1990年代に入り、経営体育成や男女共同参画などの有力な手法として見直され、女性を含む家族全員を協定の当事者とする家族経営協定として普及推進が行われたこと、そして1970年代以降に今日の家族経営協定につながる様々な新しい取り組みが各地域で見られたこと、などの点を明らかにしている。

第3章では、家族経営協定関連アンケート調査の分析に基づき、その動向を整理する中で、協定の締結件数は地域的偏りはあるものの増加傾向が続いていること、締結者の範囲が経営主−後継者から経営主夫妻に変化していること、締結内容が経営委譲から役割分担や就業条件を中心に、経営全般、さらには生活面にまで広がりつつあり、締結の項目数も増えていること、締結農家はビジネスサイズの大きい専業的家族経営が多いこと、などを明らかにしている。

第4章では、家族経営協定の実態について分析するため、30年以上の歴史を有する群馬県高崎市や熊本県鹿本町、長野県中野市、愛知県安城市の先駆的な取り組みを取り上げ、地域の悉皆調査に基づき、締結農家の特徴、協定締結の経緯、締結の内容、締結による経営・生活の変化などに関する分析・考察を行っている。

第5章では、前章の実態分析をもとに、家族経営協定の特徴と社会的意義、その背景にある農家の家族構造の変化について分析し、家族経営協定の制度面を含む課題を摘出している。このうち、協定締結のあり方については、地域や農家の状況に合わせた多様なタイプの協定の必要、協定の締結そのものよりも締結に至るプロセスの重視、協定内容の実現の努力、きめ細やかな家族への配慮の必要などを指摘している。

また、家族経営協定の社会的意義は、役割分担や就業・生活条件の改善を通じた個を尊重した農家の家族関係形成の促進、女性・青年のモラール・アップや意識変革と組織的原理による運営方式の導入を通じた経営改善、個を尊重した家族パートナーシップ型経営の形成と経営継承の円滑化にあるとしている。

その背景にある農家の家族構造の変化は、形態は直系家族ではあるが、内実は夫婦単位での暮らしを重視し、しかも自らの自己実現も志向した「直系家族形態をそのままにしての個人化」であること、また、経営改善の前提条件としては、意欲の増大をテコにした能力アップ、責任分担と経営内での役割の明確化、他の経営改善対策との有機的な結合などを実態的に明らかにしている。

最後に、家族経営協定の今後の制度的課題については、協定推進のための制度的支援、税制との不整合性の解消、女性の経営権・財産権の確立、協定の公的な登録制度の新設を前提としたパートナーシップ型経営実現のための新しい法制度の創設の必要性を指摘している。

以上、本論文は全国の家族農業経営で締結されつつある家族経営協定の社会学的・経営学的意義とその制度的課題について実証的に明らかにしたものであり、その研究成果はこれからの家族農業経経営の近代化にとって有効な知見を提供するものであり、学術上、応用上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50242