学位論文要旨



No 215942
著者(漢字) 阿部,淳
著者(英字) Abe,Jun
著者(カナ) アベ,ジュン
標題(和) イネ根系の形態と機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 215942
報告番号 乙15942
学位授与日 2004.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15942号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森田,茂紀
 東京大学 教授 坂,齋
 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 教授 小林,和彦
 東京大学 助教授 山岸,徹
内容要旨 要旨を表示する

イネ(Oryza sativa L.)は世界の三大作物のひとつで、とくに日本を含むアジア地域における重要な穀物であるため、収量を安定的に向上させることを目指して多くの研究や現場での努力が積み重ねられてきた。作物栽培における管理作業の多くは、耕起や施肥のように、土壌の理化学的特性を改変することによって作物の生育を改善するものであり、土壌環境の変化に直接反応する根系へ働きかけることを通して、作物の生育を制御し、収量・品質を改善する営みと考えることができる。実際、水稲栽培農家の多収穫事例では、土壌表層の根量や土壌深層への根域の拡大と収量との関連が示唆されている。したがって、根系の形態と機能を理解して改善することは、イネの収量を安定的に改善していくうえで重要な課題のひとつと考えられる。これまでにも根系に関して少なくない調査事例があるが、直接、観察・測定ができる地上部と異なり、定量的な解析はほとんど進んでいない。そこで本研究では、根系の形態的特徴を根量と分布の組み合わせによって定量的に把握し、根系を構成する個々の冠根(個根)のどのような形質が、根量と分布を規定しているかを発育形態学的視点から明らかにするとともに、これらの形態的形質が根系の生理的機能にどのように係り、収量形成に寄与しうるかを検討した。

イネにおける収量性と根系形成

イネの収量性に対する根系の係りについて検討した。すなわち、水稲については、半矮性穂重型多収品種を対象に穂ぞろい期に剪根処理を施して、ワラ重・穂重への影響を検討した。その結果、穂重型多収品種は下方に伸長する根が多く、登熟期にも新たに形成される根があること、剪根処理による収量低下は茎葉から穂への補償的な再転流によって緩和されることがあるものの、ワラ重・穂重は最大2割程度減少することが明らかとなった。また、陸稲については耐乾性の異なる品種の根系分布を比較検討した。その結果、耐乾性が強いとされる品種は根量が多く、特に土壌深層の根量は旱魃条件下における稔実率と関係しており、深根性が耐乾性の向上に重要であることが確認された。以上のように、水稲、陸稲いずれの場合も、収量形成に根系が深く係っていること、その場合、根系の形態が機能と密接に関係していることが示唆された。

ファイトマーと水稲の根系形成

根系の形態的特徴を、根の量と分布という2つの特性に還元して検討した。すなわち、根量は単位面積当たりの総根長、また分布は深さ別の根量から算出される根の深さ指数によって評価したうえで、根量と分布が個根のどのような発育形質によって規定されるかについて検討した。その結果、根量は個根の数と大きさによって、また、分布は個根の伸長角度と大きさによって、それぞれ規定されることが検証できた。さらに、イネの体を構成する基本単位であるファイトマーに着目し、これらの個根の形質に関わるであろう茎葉部の発育との関係を検討した。その結果、草型の大きく異なる水稲品種の総根長は1次根数と平均根長から、また、深さ指数は平均伸長角度と平均根長から推定できることが明らかとなった。さらに、品種や条件を変えて栽培した水稲について、出現総葉数から推定したファイトマー数と根数との間、および1ファイトマー当たりの地上部乾物重や茎の直径で評価されるファイトマーの大きさと平均根長との間に、それぞれ密接な関係が認められ、茎葉部の形態を規定するファイトマーの数と大きさから推定した総根長は、実測された総根長ときわめて近い値を示した。このことは、茎葉部の発育が個根の形態を規定し、根系の形態とも密接に関わっていることを示している。

陸稲の根系構造と個根の生育

陸稲の耐乾性向上に必要と考えられる深根性を実現するには、個根の伸長角度と長さがともに重要であることが品種間の比較により示された。個根の長さについては、伸長速度と伸長期間の両者が関係しており、いずれかが不充分な品種は深根性の獲得が困難であると推察された。また水稲の場合と同様、茎の直径と根の分布との間には密接な関係がみられ、茎直径の大きい品種が土壌深層に多くの根を分布させる傾向が認められた。以上は、根系のいわば枠組みを決める冠根に関する検討であるが、個根の吸水機能や耐乾性に関わると予想される側根の発達や内部構造についても解析した。側根については、陸稲品種と水稲品種をともに畑条件で栽培して、根軸上の位置別に側根の形成量と土壌水分条件への反応を調べた。陸稲品種では水稲品種に比べて、とくに根軸の中央部分から先端部分にかけての1次側根の数・長さ、および2次側根の数が大きく、土壌深層での総根長の拡大に寄与していると考えられた。土壌乾燥に対する反応は、太くて長いL型1次側根と細くて短いS型1次側根との間で、また品種間で異なっていた。すなわち、陸稲品種では、L型1次側根の伸長は若干抑制され、S型1次側根が顕著に長くなったのに対して、水稲品種では、L型1次側根の伸長抑制が顕著で、S型1次側根の補償的伸長はあまり認められなかった。このため、土壌乾燥条件下では、陸稲品種と水稲品種の間における総側根長の差がさらに拡大し、とくに根の先端側で両者間の差が顕著であった。この結果は、陸稲の側根形成が深根性と関連しながら、乾燥条件下で根量の維持・増加に貢献していることを示すものであり、陸稲では個根の直径が大きいことが、側根形成が発達していることと関係している可能性が考えられる。また、根の内部における水の通導や乾燥時の中心柱保護に関与していると予想される内皮細胞について、細胞壁の肥厚程度を品種間で比べたところ、耐乾性の強い陸稲品種は、水稲品種に比べて中心柱側の細胞壁の肥厚が著しいことが認められた。

個根および根系形成と出液速度

収量形成に対する根系の寄与を解析していくためには、根系形態の発育形態学的な解析に加えて、根系の機能や生理的活性を経時的に評価し、根系形態との関係を検討することが必要である。しかし、根系の機能や生理的活性を測定しようとする場合、労力や機材に制約があることに加えて、根を掘って洗い出すという作業にともなう根の損傷や時間経過が問題となり、形態の研究以上に手法上の制約が大きい。したがって、イネの根について機能形態学的な視点からの研究事例を増やし知見を蓄積していくためには、実際の圃場でも容易に応用できる評価方法の確立が必要である。水稲の茎葉部を切除した際にみられる切口からの出液現象は、根が生体エネルギーを用いて作り出す根内外の浸透ポテンシャル差を原動力とする積極的吸水によって生じると考えられており、根の能動的な活動による現象であることから、簡便で根系自体を破壊しない活性の評価法として有用と考えられる。そこで、まず個根の出液速度と形態との関係を検討したところ、1次根長や側根数、側根も含めた総長と出液速度との間に相関関係が認められ、根が伸長して側根が発達するのに伴って、能動的吸水能力も増大することが示された。一方、老化の進んだ根では、根量に関係なく出液速度が著しく小さい例がみられた。さらに葉ざし法を用いて、ファイトマー単位での出液速度と根の形態との関係を検討したところ、出液速度は冠根およびL型1次側根の総長と密接な関係を示した。この両者の関係は、品種によらず同じ回帰直線で近似できたことから、ファイトマー単位での根の生理的活性における品種間差異は、主に根量の差によって生じると考えられる。また、出根開始から45日以上経ったファイトマーでは根量によらず出液速度が小さくなったことから、この程度の日数で根の活性が低下すると考えられ、ファイトマーの集合体としてのイネの個体全体における根系の生理的活性を考える場合には、ファイトマーのエイジ構成が強く影響することが予想された。農家水田において株単位の出液速度の調査を行なったところ、午前中にピークとなる日変化を示すこと、個体の生育に伴って増大するが、その増加は次第に緩やかとなり出穂期頃をピークに、以後は急激に低下することを明らかにした。一方、根数と比例的な関係にあることが明らかとなっているファイトマー数に基づいて、生育に伴う出液速度の推移を根系形成との関係に着目して検討したところ、根1本当たりの出液速度は生育の早い段階にピークがあり、以後は漸次低下することが明らかとなった。これは、生育に伴って株全体の根量が増大する一方で、エイジが進んで老化した根の割合が増えていく過程を反映しているものと考えられ、葉ざし法によるファイトマー単位での出液速度の検討結果と符合した。

根系の生理的活性と収量の形成

さらに、出液速度が急激に低下する出穂期以降について、穂の登熟との関係を検討したところ、穂重の増加と密接に関連しながら出液速度が低下していることが明らかとなった。両者の関係は品種によりやや異なっており、半矮性穂重型多収品種では根系の生理的活性を比較的高く維持しながら穂の登熟が進行していた。また、タイにおける水稲施肥試験において、処理区間で穂ぞろい期の出液速度を比較したところ、出液速度と籾収量との間には密接な相関関係が認められた。とくに有機質肥料の施用は、直径の先細りの少ない健全な冠根の割合を増加させており、これが根系の活性を高く維持した一因と推察された。

以上、本研究では、イネを構成しているファイトマーに着目することで、根系の形成を茎葉部の発育と関連づけて定量的に把握することを可能にし、根系形態を特徴づける根量と分布の組み合わせが個根の形態的特性に規定される様相を明らかにした。また、個体の発育にともなう構成ファイトマーの数や大きさの推移が、根系を形成している個根の量とエイジの変化を介して、根系全体の生理的活性に大きな影響を及ぼすことが示唆された。さらに、出液速度は根系機能を評価するための有効な指標となり、収量向上のための改善を検討する場合の手がかりとなることが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

イネ(Oryza sativa L.)は世界的に重要な穀物であり、増産のための研究が行なわれてきた。実際の管理作業の多くは、土壌を介して根系へ働きかけ生育や収量を改善するものといえる。したがって、根系の形態と機能を理解することは、収量を安定的に向上させるための重要な課題であるが、定量的解析は進んでいない。本研究では、根系の形態的特徴を定量的に把握し、それが冠根の形質によって規定される様相を発育形態学的に明らかにするとともに、それが根系の生理的機能や収量形成にどう関係しているかを検討した。

本論文は6章からなり、まず第1章で、イネの収量性に対する根系の係りについて検討した。水稲品種を穂ぞろい期に剪根処理すると、茎葉から穂への補償的な再転流によって収量の低下は緩和されることがあるが、乾物重は最大2割程度減少した。また、耐乾性の異なる陸稲品種の根系分布を比較検討した結果、耐乾性が強い品種は根量が多く、深根性が重要であることが確認された。以上のように、水稲と陸稲では、収量形成に根系が深く係っていること、その場合、根系の形態が機能と密接に関係していることが示唆された。

第2章では、根系の形態的特徴を根量と分布から定量的に捉えたうえで、個々の冠根の形質に着目して検討し、根量は冠根の数と長さによって、分布は冠根の伸長角度と長さによって規定されることを検証した。稲体を構成するファイトマーに着目して検討した結果、根量は1次根数と平均根長から、分布は平均伸長角度と平均根長から推定できた。品種や条件を変えて栽培した水稲では、ファイトマーの数と根数の間、ファイトマーの大きさと平均根長の間にそれぞれ密接な関係が認められ、茎葉部の形態を規定するファイトマーの数と大きさから総根長を推定できた。このように、茎葉部の発育が冠根の形態を規定し、根系の形態とも密接に関わっていることを明らかにした。

第3章と第4章では、陸稲の根系構造と冠根の生育について検討した。耐乾性の向上に必要な深根性には、冠根の伸長角度と長さが重要なことを明らかにした。冠根の長さには伸長速度と伸長期間が関係することと、茎が太い品種が土壌深層に多くの根を分布させる傾向が認められた。また、水稲品種より陸稲品種で側根が発達し、土壌深層での総根長の拡大に寄与していると考えられたが、土壌乾燥に対する反応は品種や側根の種類によって異なる場合があった。また、水分生理に関係すると考えられる内皮細胞の細胞壁は、水稲品種に比べて耐乾性の強い陸稲品種で、中心柱側の肥厚が著しいことが認められた。

第5章では、冠根・ファイトマー・株単位で出液速度を解析した。冠根の出液速度は根が伸長して側根が発達するのに伴って増大したが、エイジが進んだ根では根量に関係なく出液速度が著しく小さい例があった。ファイトマー単位の出液速度は冠根およびL型側根の総長と密接な関係を示した。エイジが進んだファイトマーでは根量に関係なく出液速度が小さかったことから、ファイトマーの集合体である個体としての根系の生理的活性には、ファイトマーのエイジの構成が強く影響すると考えられた。農家水田における株単位の出液速度は午前中にピークとなる日変化を示し、個体の生育に伴って増加するが、出穂期頃をピークにそれ以後は急激に低下した。一方、ファイトマー当たりの出液速度は出穂期より早い段階にピークがあった。生育に伴って株全体の根量は増加するが、エイジが進んだ根の割合が増えるためと考えられ、ファイトマー単位の検討結果と符合した。

第6章では、出液速度が急激に低下する出穂以降について検討したところ、出液速度は穂重の増加と密接に関連しながら低下していたが、半矮性穂重型多収品種では根系の生理的活性を比較的高く維持しながら穂の登熟が進行していた。また、タイにおける水稲施肥試験において、穂ぞろい期の出液速度を処理区間で比較したところ、出液速度と籾収量との間には密接な相関関係が認められた。とくに有機質肥料の施用は直径の先細りの少ない健全な冠根の割合を増加させており、これが根系の活性を高く維持した一因と考えられる。

以上、本研究ではファイトマーに着目して根系形成を茎葉部の発育と関連づけて定量的に把握すると同時に、根系形態を特徴づける根量と分布の組合せが冠根の形態特性に規定される様相を解明した。また、発育に伴うファイトマーの数や大きさの推移が根系を形成している個根の量とエイジの変化を介して、根系全体の生理的活性に大きな影響を及ぼすことを明らかにした。出液速度は根系機能を評価するための有効な指標となり、収量向上を検討する場合の手がかりとなることを明らかとしたことも含めて、学術上また応用上、きわめて価値が高い。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/40224