学位論文要旨



No 215943
著者(漢字) 伊藤,研児
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ケンジ
標題(和) 葉たばこに含まれる高極性フレーバー関連成分の分析と生成機構に関する有機化学的研究
標題(洋)
報告番号 215943
報告番号 乙15943
学位授与日 2004.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15943号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 大久保,明
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 渡邉,秀典
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、たばこのフレーバー関連成分の内、高極性配糖体成分及び非酵素的褐変反応生成物について検討を加えた。配糖体成分は、近年フレーバー成分前駆体としての役割が注目されており、植物性食品・飲料の製造工程における酵素反応・化学反応によるフレーバー成分の生成メカニズムが示されているため、たばこにおいてもフレーバー成分前駆体として重要な役割を果たしていることが推定される。また、非酵素的褐変反応生成物は特徴的なフレーバーを持ち閾値が低い成分を多数含むことから、香料・食品科学分野を中心に精力的に研究が進められており、たばこにおいても製造工程におけるこの反応の関与が示唆されている。しかしながら、これらの高極性フレーバー関連成分は、単離・精製あるいは分析が困難で、さらに非酵素的褐変反応に関しては複雑な反応を伴うため、たばこ成分としてのみならず他の食品・飲料その他の分野においても未解明の部分が多く残されている。著者は、これらのたばこにおける役割を明らかにすることを目的として、高極性フレーバー関連成分の研究を行った。

第1章においては、黄色種葉たばこを素材として、分離が困難な高極性配糖体成分と他の高極性成分との分離に対して有効な分画手法を構築し、この方法を用いて配糖体成分を単離・同定した。さらに、同定した配糖体のフレーバー成分前駆体としての効果を評価するため、各配糖体成分をたばこへ添加してその香喫味効果を調べた。

たばこ中には、ニコチン等の塩基性成分、糖・アミノ酸等の高極性成分他多数の成分が共存し、配糖体成分の精製が非常に困難であった。そこで、これら成分の分離に効果的な溶媒系として、葉たばこのメタノール抽出(タンパク質等ポリマー成分との分離)、塩基性条件におけるエーテル抽出(ニコチン等塩基性成分の除去)、酢酸エチル/エタノール/水(2/1/2)混合液の上相部による抽出(高極性成分との分離)を適用した。さらに逆相系カラムクロマトグラフフィー(ダイアイオンHP 20)により分画することで、高極性配糖体成分を効率的に精製することを可能とした。

この分画法を黄色種葉たばこに適用し、分取高速液体クロマトグラフィーにより12種の配糖体成分を単離、そのうち10種を同定した。これら配糖体の内、ホモバニリル-β-D-グルコシドは植物での存在がはじめて確認され、シリンギン、コニフェリン、p-ヒドロキシフェネチル-β-D-グルコシド、テルペン(イオノン)系配糖体であるキウイオノシドがたばこ新規の配糖体(図1)として、ベンジル-β-D-グルコシド及びベンジルアルコール二糖配糖体2種、m-ヒドロキシフェネチル-β-D-グルコシドに関してはアグリコンとしては報告があるが配糖体としてはじめて単離された。既知のチコリン及びテルペン(イオノン)系配糖体であるブルメノールA β-D-グルコシド(ロゼオシド)、5,6-エポキシ-5,6-ジヒドロ-3-ヒドロキシ-β-イオニル-β-D-グルコシドについても単離されたが、ロゼオシドにつては2種の異性体の存在が示唆された。

単離された配糖体の中で芳香族アルコール配糖体に関しては、たばこにおける香喫味効果が不明であったため、香料を添加していない低タール・低ニコチンたばこへ添加して調べたところ、各配糖体とも黄色種たばこに特徴的なフレーバーを有し、喫煙時におけるたばこフレーバー生成の中で重要な役割を果たしていることが明らかとなった。これらの香喫味効果として、シリンギル構造を有するものはたばこ的インパクト、グアイアシル構造を有するものはバニラ様の甘臭味、フェノール(フェニル)構造を有するものはフローラルな甘臭味を付与する効果を有し、芳香環に付く置換基の位置によって香喫味効果をおおまかに分類することができた。そこで、同様の官能基を有する化合物についても、その香喫味効果を確認したところ、同様の香喫味効果が得られた。

第2章では、たばこ製造工程で起こりうる成分変化の1つとして非酵素的褐変反応に着目した。たばこ製造工程におけるこの反応の関与は幾つかの報文で指摘されているが、その詳細については明らかになっていない。また、非酵素的褐変反応に関する既往の研究の問題点として、(i)多数成分を定量的に扱う良い方法が無い、(ii)反応へのpHの影響をpH一定条件で調べたものがほとんど無い、(iii)マルトース等還元末端をもつ二糖・オリゴ糖の反応に関する情報が少ない、(iv)特徴的なフレーバーを有するピラジン類の比較的低温(100 ℃以下)における生成を糖-アミノ酸モデルで調べたものが無い、等の問題点が挙げられる。そこで、まず非酵素的褐変反応で生成する高極性揮発性成分を一斉に定量する分析法を構築した。この分析法及び反応溶液のpHを一定に保つ装置を用いて、糖-アミノ酸水溶液加熱モデル反応で生成するフレーバー成分の糖種による差異及びpH依存性を調べ、これら反応で生成する主要フレーバー成分の生成経路を推定した。

非酵素的褐変反応で生成する揮発性成分は、極性が高く容易に分解する性質を持つ成分を多数含み、微量の上、前処理の過程でさらに変化することが想定されたため、固相抽出(SPE)-ガスクロマトグラフィー(GCMS)法の適用を検討した。その結果、試料溶液のpHと内部標準物質の異なる3種のSPE前処理と2種のGC条件を用いるにより、代表的な非酵素的褐変反応生成物である有機酸・レダクトン・フラン・ピロール及びピラジン類がほぼ定量的に分析可能となり、糖-アミノ酸モデル反応生成物を定量的に取り扱うことができるようになった。また、有機酸・レダクトン・フラン類に関しては、アルコール飲料への適用も考慮し、エタノールのSPE回収率への影響も調べ、分析する化合物によって回収率の低下の度合いは大きく異なるものの、適当な希釈によって分析可能であることが示された。

モデル系を用いた実験では、100 ℃以下の温度条件下におけるマルトース(二糖)の反応を中心として、そのプロリン、グルタミンとの主要反応生成物を扱い、単糖と二糖の生成物の差異と化合物生成のpH依存性に着目した。その際、反応液の急激なpHの低下の影響を防ぐため、滴定装置とpH電極を組み合わせた反応中のpHを一定に保つ装置を用いて実験した。

マルトースのプロリン共存下及び非共存下における揮発性生成物の主な差異として、マルトールがプロリン共存下でのみ生成したのに対し、2-フランメタノールではプロリン共存下及び非共存下双方とも顕著に生成したことが挙げられる。そこでこれら揮発性生成物のpH依存性について詳細に調べ、さらにメイラード反応の中間体であるプロリン-マルチュロース(アマドリ化合物)及びカラメル化反応中間体と考えられるマルチュロースを用いた同様のモデル系についても生成する揮発性成分を比較し、マルトールは既知のごとく主にメイラード反応を経由して生成するのに対し、2-フランメタノールの生成では糖のカラメル化反応が大きく関与し、3-デオキシペンチュロースを経由して環化・脱水する経路が主要経路の1つであることが示唆された。また、2-フルフラールは3-デオキシペントスロースを経由して、環化・脱水により生じると考えたが、Canizzaro型の反応を介した2-フルフラールの不均化による2-フランメタノールの生成経路は、本モデル反応条件下においては否定された(図2)。

一方、糖とグルタミンとの反応では、今まで報告の無い100℃以下でのピラジン類の生成に着目し、揮発性反応生成物を分析した。その結果、フラクトース、グルコース、マルトースいずれの系においても、90 ℃と比較的低温の条件下でアルキル・アセチル・ビスフリルピラジン類が他の揮発性成分(フラン・レダクトン類)と共に検出され、“煮る”“蒸す”といった調理条件下においても、特徴的なフレーバーを有するピラジン類が生成することが示された。

pH 8一定条件下の反応ではフラン・レダクトン類に較べピラジン類の生成が優勢となったが、単糖ではアルキルピラジン類、二糖ではアセチルピラジン類の生成が顕著となり、単糖と二糖で異なる生成パターンを示した。また、ピラジン類生成のpH依存性を調べたところ、アルキル・アセチルピラジン類は中〜弱塩基性側(pH 7〜8)、ビスフリルピラジン類では弱酸性側(pH 4〜6)で生成しやすい傾向にあった。マルトースの系で顕著に生成したアセチル/ビスフリルピラジン類の生成においては、糖の4位につく糖鎖のβ-脱離、レトロアルドール反応の関与が示唆され、4-デオキシグルコソンを中間体とする経路を推定した(図2)。

今回取り扱った配糖体成分及び非酵素的褐変反応により生成する揮発性成分は、たばこに限らず多数の植物性食品・飲料中に存在しているものである。本研究では、これら成分の効果的な単離・精製法及び分析法を確立し、これを葉たばこ及び糖-アミノ酸モデル反応系に適用することで新たな知見を得た。ここで得られた知見及び新たに構築した方法は、たばこ香喫味の理解に重要な情報となると共に、他の食品・香料分野の研究にも幅広く応用可能であると考える。

黄色種葉たばこからはじめて単離された配糖体

マルトースの非酵素的褐変反応

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、葉たばこ中の香気に関連した高極性配糖体成分及び非酵素的褐変反応生成物に対して行った研究で2章よりなる。配糖体成分は、近年フレーバー成分前駆体としての役割が注目されており、たばこにおいてもフレーバー生成に対して重要な役割を果たしていることが推定される。また、非酵素的褐変反応生成物は特徴的なフレーバーを持ち閾値の低い成分を多数含むことから、たばこの製造工程におけるこの反応の関与が示唆されている。しかしながら、これらの高極性フレーバー関連成分は、単離・精製あるいは分析が困難で、さらに非酵素的褐変反応に関しては複雑な反応を伴うため、未解明の部分が多く残されている。

まず第1章では黄色種葉たばこに含まれる配糖体成分の単離・同定とフレーバー前駆体としての役割について述べている。まず高極性配糖体の単離にあたり、ニコチン等の塩基性成分や糖・アミノ酸等の高極性成分と効果的に分離する有効な分画手法を構築し、その方法で黄色種葉たばこから12種の配糖体成分を単離、そのうち10種を同定した。このうち下図の5化合物がたばこから新規に見出された化合物であった。これらの配糖体をたばこへ添加して加香効果を調べたところ、各配糖体とも黄色種たばこに特徴的なフレーバーを付与し、たばこのフレーバー生成にこれら配糖体が重要な役割を果たしていることを明らかにした。また、芳香族アルコールの配糖体の香喫味効果は、芳香環に付く置換基の位置によって分類することができ、シリンギル構造を有するものはたばこ的インパクト、グアイアシル構造を有するものはバニラ様の甘臭味、フェノール(フェニル)構造を有するものはフローラルな甘臭味を付与する効果を有していた。そこで、同様の官能基を有する化合物についても、その加香効果を検討した結果、同様の香喫味効果が得られ、たばこ香喫味増強剤あるいは改良剤として有効であることを示した。

第2章では非酵素的褐変反応生成物分析法の確立とその生成経路の解明について述べている。筆者は、たばこ製造工程で起こりうる成分変化の1つとして非酵素的褐変反応に着目し、検討を行った。非酵素的褐変反応で生成する揮発性成分は、極性が高く容易に分解する性質を持つ化合物を多数含むため、その定量分析法としてSPE-GCMS法を適用し、糖とアミノ酸の主要反応生成物である有機酸・レダクトン・フラン・ピロール及びピラジン類を定量可能にした。この分析法及び反応溶液のpHを一定に保つ装置を用いて、100℃以下における糖(マルトース/グルコース/フラクトース)-アミノ酸(プロリン/グルタミン)水溶液加熱モデル反応生成物の糖種による差異とpH依存性を調べ、これら反応で生成する主要フレーバー成分の生成経路を推定した。プロリン共存下及び非共存下におけるマルトースの反応では2-フランメタノールが顕著に生成し、マルチュロースを経由する糖のカラメル化反応が大きく関与して3-デオキシペンチュロースを経由して環化・脱水する経路が主要経路の1つであることが示唆された。一方、糖とグルタミンの反応ではピラジン類が多数検出された。マルトースからは、アセチル及びビスフリルピラジン類の生成が顕著であったことから、糖の4位につく糖鎖のβ-脱離、レトロアルドール反応の関与が示唆され、4-デオキシグルコソンを中間体とする経路を推定した。

以上、本論文で対象とした配糖体成分及び非酵素的褐変反応生成物は、たばこに限らず多数の植物性食品・飲料中に存在しており、得られた知見及び新たに構築した方法は、たばこ香喫味の理解に重要な情報となると共に、他の食品・香料分野の研究に幅広く応用可能であり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク