学位論文要旨



No 215945
著者(漢字) 石崎,享
著者(英字)
著者(カナ) イシザキ,ススム
標題(和) 重要香気成分の分析と合成に関する化学的研究
標題(洋)
報告番号 215945
報告番号 乙15945
学位授与日 2004.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15945号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 大久保,明
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 渡邉,秀典
内容要旨 要旨を表示する

本論文は重要香気成分の分析と合成に関するもので、4章より成る。

第1章では著者らが開発した新規ヘッドスペース捕集方法であるSPACETM法により得られた香気成分のGCピーク面積値とマススペクトルデータを、それぞれ変数とした多変量解析により6種類のコーヒー豆の分類を試み、分類に寄与する重要成分について述べた。

第2章では嗜好性の高いローストサクラエビの香りに寄与する成分のスクリーニングを行い、その分析結果について述べた。

第3章では、動物保護の考えから、入手が困難となったアンバーグリスティンクチャーの再構築を目指し、その天然ティンクチャー中より見出された新規化合物の分析同定とその合成について述べた。

第4章では、新たな香料素材の探索を目的に調合原料として有用なα-イソメチルイオノンの微生物変換生成物の分析確認とその合成について述べた。

(1) 第1章: SPACETM 法で捕集したコーヒー香気のGCおよびGC-MS分析の結果、140成分を同定あるいは推定した。6種類のコーヒー間の匂いの特徴を調べる研究を行う際には、ある程度の試料数が必要となるため、簡便かつ迅速性、再現性のあるSPACETM 法は最適な手法と思われた。各試料について5回測定したため試料数は30となり、同定ピークが113であったことから、データ数は30×113と膨大になった。そこで多変量解析の一手法である主成分分析法を用いて113次元の情報を3次元に圧縮して情報の抽出を行なった。はじめにSPACETMロッドの吸着能力を活用してGC-Olfactometry (GC-O)を行うことで、官能的にコーヒー豆の香りに寄与すると思われる成分の存在を確認した。GC-Oで官能的に重要と思われた25ピークのうちの7ピーク(メタンチオール、2,3-ペンタンジオン、ジメチルジスルフィド、ピリジン + シクロペンタノン、酢酸 + 3-エチル-2,5-ジメチルピラジン、1-アセトキシ-2-プロパノン + 2,5-ジエチルピラジン + 2-エチル-3,5-ジメチルピラジン + メチオナール、フラネオール + 4-エチルグアヤコール)の面積、あるいは8つの特徴マスフラグメントイオン(m/z 47、79、81、86、94、107、108、109)を変数として多変量解析を行うことで、6種類のコーヒー豆を識別して分類することができた。多変量解析の一手法である正準判別分析の結果得られた正準判別関数式の判別的中率は、いずれも100%であった。これらの分類のパターンは、官能評価結果の分類パターンと類似していた。特に試料数が多く分類を要する分析では、SPACETM法による香気濃縮とマスセンサを利用した多変量解析が簡便、且つ迅速な分析手法として有効であった。

(2) 第2章: ローストサクラエビと素干しサクラエビのヘッドスペース分析をSPACETM法で行なった。GCおよびGC-MS分析により、それぞれ約90成分を同定あるいは推定した。それぞれの総ピーク面積を比較することにより、ローストサクラエビの香気量は素干しサクラエビの約3倍であることが示された。特にトリメチルアミンがローストサクラエビの香気中、約50%と多く存在していた。トリメチルアミンがローストサクラエビの香りに寄与していることは間違いないが、好ましい香りに寄与しているとは思われなかった。また、ヘッドスペース中にトリメチルアミンが多いため、その他の成分が吸着されにくいとも考えられた。そこでトリメチルアミン以外の成分を濃縮することにより、ローストサクラエビの香りに寄与する成分の探索を行なうこととした。その手法は、サクラエビ焙焼時に生成するロースト臭をTenax TA樹脂に吸着して濃縮する方法で、極性の高いトリメチルアミンがTenax TAに吸着されず破過することを利用したものである。吸着された香気成分を溶剤脱着し、得られた香気濃縮物より約160成分を同定あるいは推定した。ローストサクラエビの香りに寄与する成分を見出すために、この香気濃縮物についてAroma extract dilution analysisを行った。その結果ロースト臭を有する成分、海産物様の匂いを有する成分、そしてグリーンな香りを有する成分など29成分がローストサクラエビの香りに寄与していることを明らかとした。このうちサクラエビ中に多く含まれる遊離アミノ酸であるプロリンに由来すると思われる1-ピロリン(17)、N-(2'-メチルブチル)ピロリジン (18)、N-(3'-メチルブチル)ピロリジン(19)がGC-Oにおける匂いの記述から特に重要な香気成分であった。

(3) 第3章:アンバーグリスティンクチャー蒸留物より74成分を同定した。このうち14成分は今回初めてアンバーグリスティンクチャーより見出された。中でもGC-Oでアンバーグリスティンクチャーの香りに大きく寄与していた67と68はそれぞれ、柔らかい動物的で後残りの長いアンバーグリス様の香気および甘く暖かいアンバーグリス様の香気を有していた。これらについて機器分析による構造推定を行なった。推定成分の合成品はアンバーグリスティンクチャー中の成分の機器分析結果と一致し、それぞれ12-エトキシ-8α,12-エポキシ-13,14,15,16-テトラノルラブダン (67) と13-エトキシ-8α,13-エポキシ-14,15,16-トリノルラブダン (68) と同定された。特に68は全くの新規な化合物であった。同定された2成分はアンバーグリスティンクチャーの穏やかで温かな香りに大きく寄与しているものであった。天然に代わる合成アンバーグリスあるいは人工アンバーグリスの開発が必要となりつつある今、これらの成分が重要な役割を果たすことが期待される。

(4) 第4章:α-イソメチルイオノンの微生物変換により主成分として生成した化合物の匂いをGC-Oで確認したところ、花様、果実様の特徴ある香気であり、香料としての有用性が示唆された。そのため生成物を単離して機器分析による構造推定を行った。推定成分の合成品は、微生物変換生成物の機器分析の結果と完全に一致し、 1-(2,6,6-トリメチル-2-シクロヘキセン-1-イル)プロパン-2-オン(69) と同定された。この化合物69はラセミ体であったが、両鏡像体を合成してそれぞれの香気を比較することで、花様で果実様の香気は(S)-体に起因することを明らかにした。さらに化合物69の類縁体を合成することにより、それぞれが化合物69と同じく花様、果実様の特徴ある香気を有しており、香料素材としての有用性が示唆された。この様な種々の微生物の混合培養系である活性汚泥による生物学的変換と化学合成的手法を組み合わせた研究を行うことにより、新たな香料素材が開発できるものと考えられる。

(5) まとめ:以上本論文は、分析機器と嗅覚を組み合わせた手法を基本として、分類に寄与する重要香気成分と香りに寄与する重要香気成分について分析を行ったものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は香気中の重要成分に関して行った分析と合成研究に関するもので4章よりなる。香料研究において、重要香気成分の解明は、調香による香りの再構築に不可欠である。また、微妙な成分比の違いやバランスによって産地等の特徴を持たせることも可能となる。筆者はこの点に着目し、香料の分析データ解析に新しい手法を取り入れ、また新規香気成分の同定や創製を行った。

まず第1章では、新規ヘッドスペース捕集方法であるSPACETM法(solid-phase aroma concentrate extraction 法)を用いて6種類のコーヒー豆の香気捕集を行なった。GCおよびGC-MS分析で得られたGCピーク面積値とマススペクトルデータをそれぞれ変数とした多変量解析により6種類のコーヒー豆の分類を試みた。はじめにSPACETMロッドの吸着能力を活用してGC-Olfactometry (GC出口での匂いかぎ、GC-O)を行うことで、官能的にコーヒー豆の香りに寄与すると思われる成分の存在を確認し、官能的に重要と思われた25ピークのうちの7ピークについて面積、あるいは8つの特徴マスフラグメントイオンを変数として多変量解析を行うことで、6種類のコーヒー豆を識別して分類することを可能にした。これらの分類のパターンは、官能評価結果の分類パターンと類似しており、特に試料数が多く分類を要する分析では、SPACETM法による香気濃縮とマスセンサを利用した多変量解析が簡便、且つ迅速な分析手法として有効であることを示した。

第2章では嗜好性の高いローストサクラエビの香りに寄与する成分の探索を行なった。ローストサクラエビのヘッドスペース中にはトリメチルアミンが多量に存在し、それが他の微量成分の分析を困難にしていたが、Tenax TA樹脂を吸着剤に用いることで極性の高いトリメチルアミン以外の香気を効率よく捕集することが出来た。香気濃縮物についてAroma extract dilution analysisを行った結果、ロースト臭を有する成分、海産物様の匂いを有する成分、そしてグリーンな香りを有する成分など29成分がローストサクラエビの香りに寄与していることを明らかにした。このうちサクラエビ中に多く含まれる遊離アミノ酸のプロリンに由来すると思われる1-ピロリン(1)、N-(2'-メチルブチル)ピロリジン (2)、N-(3'-メチルブチル)ピロリジン(3)がGC-Oにおける匂いの記述から特に重要香気成分であることを明らかにした。

第3章では香料素材として重要なアンバーグリスティンクチャーの香気分析を行い、その香気組成を明らかにした。本研究でアンバーグリスティンクチャーより新たに14成分を見出し、中でもGC-Oでアンバーグリスティンクチャーの香りに大きく寄与していた12-エトキシ-8α,12-エポキシ-13,14,15,16-テトラノルラブダン (4) と13-エトキシ-8α,13-エポキシ-14,15,16-トリノルラブダン (5) を新規香気天然物として見出した。これらは、柔らかい動物的で後残りの長いアンバーグリス様の香気、および甘く暖かいアンバーグリス様の香気を有しており、香料としての価値の高い成分であった。

第4章では新規な香料素材の開発を目的として、活性汚泥を用いたα-イソメチルイオノンの微生物変換を行った。微生物変換で得られた主生成物の匂いをGC-Oで確認したところ、花様、果実様の特徴ある香気であり、香料としての有用性が示唆された。生成物を単離して機器分析による構造解析を行い、推定された化合物を合成して1-(2',6',6'-トリメチル-2'-シクロヘキセン-1'-イル)プロパン-2-オン(6)であることを確認した。さらに立体化学による香気の違いを明らかにするために両鏡像体を合成した。それぞれの香気の比較により、花様で果実様の香気は(S)-体に起因することを明らかにした。加えて化合物6の類縁体を合成し、それらが化合物6と同じく花様、果実様の特徴ある香気を有しており、香料素材としての有用性が高いことを示した。

以上本論文は、分析機器と嗅覚を組み合わせた手法を基本として、分類に寄与する重要香気成分と香りに寄与する重要香気成分について分析を行ったもので、複雑な成分からなる香気の分類を正確かつ簡便にし、また多くの重要香気成分を見出しており、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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