学位論文要旨



No 215946
著者(漢字) 杉山,雅一
著者(英字)
著者(カナ) スギヤマ,マサカヅ
標題(和) 微生物変換によるキシリトール新製法開発に関する研究
標題(洋)
報告番号 215946
報告番号 乙15946
学位授与日 2004.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15946号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 助教授 大西,康夫
内容要旨 要旨を表示する

本研究の背景と目的

キシリトールは天然に存在する炭素数5の糖アルコールである。ショ糖に匹敵する甘味を呈し、虫歯の原因菌であるStreptococcus mutansを減少させる抗う蝕性を有している。これらの特徴により、甘味料やオーラルケア製品、輸液などの食品・医薬用途で日本を含む世界各国で認可を受けており、その市場は拡大を続けている。現在のキシリトールの工業的製法は、木材のチップやとうもろこしの芯などの植物体を加水分解して得られるD−キシロールを化学的に接触水素化する方法である。しかし現行製法は、原料が農産廃物であるためD−キシロースの供給が不安定である点、増産に向けた設備の新設・増設のためにはD−キシルロースの化学的還元工程の設備投資が大きい点において、拡大するキシリトール市場に対応する際の課題を有していた。

本研究の目的は、安価で安定供給可能な炭素源であるグルコースを出発原料とした微生物変換(発酵法・酵素法)によるキシリトール新製法の開発である。我々は、キシリトールの2'-エピマーであるD−アラビトールをグルコースから効率的に発酵生産可能な酵母を採取している。従って、D−アラビトールをキシリトールに高収率でエピメリ化することが出来れば、グルコースからキシリトールが生産可能になると考えられた。即ち、本研究の課題は微生物変換によるD−アラビトールのキシリトールへのエピメリ化工程の開発である。

G. oxydans AJ 2847によるD−アラビトールからのキシリトール変換

まず菌体粗抽出液を酵素源としてD−アラビトールをキシリトールへ変換する活性を有する微生物を探索したところ、NAD添加条件下で細菌23株においてキシリトール生成活性を見出した。これらの菌株による変換反応の中間体はD−キシルロースであった。1つの微生物を作用させることによるD−アラビトールからのキシリトール生産としては、今回の結果が初めての例あった。さらに、休止菌体反応による変換活性菌を探索したところ、Gluconobacter oxydans AJ 2847株などの酢酸菌3株において、キシリトール生成活性を見出した。G. oxydansでは高活性の膜結合型アラビトールデヒドロゲナーゼ(AraDH)によりD−アラビトールが不可逆的にD−キシルロースに酸化され、さらにNADH依存型可溶性キシリトールデヒドロゲナーゼ(XDH)により、D−キシルロースがキシリトールへと還元されていた(Fig. 1)。一方で酢酸菌以外の細菌ではAraDHがNAD依存型の可溶性酵素であり、その反応平衡はD−アラビトール側に向いていた。即ち、酢酸菌以外の菌株では、D−アラビトールからのキシリトール収率は最大で50%程度であり、AraDHが膜結合型酵素で反応が不可逆に進行する酢酸菌型の方が有利であると考えられた。

次に、菌体反応でのキシリトール収率が高かったG. oxydans AJ 2847を選抜して反応条件を検討した。10% (w/v)の洗浄菌体を用いることにより、52.4 g/lのD−アラビトールは6時間以内に速やかにD−キシルロースへと変換された後、29.2 g/lのキシリトールが生成した(収率56%)。D−アラビトールの酸化は膜結合型AraDHにより高収率で進行するが、これは酢酸菌特有の酸化発酵と呼ばれる反応である。一方でD−キシルロースが反応液に残存し、キシリトール収率向上のためにはXDHによるD−キシルロースのキシリトールへの還元反応へのNADHの供給が必要であると考えられた。そこで還元力NADHを供給するために種々炭素源の添加効果を検索したところ、エタノールとグルコースの添加が効果的であることを見出した。還元力源として、5 g/lのグルコースと5% (w/v)のエタノールを追添したところ、反応27時間後のD−アラビトールらのキシリトールの生成量は51.4 g/l(収率98%)に達した。変換反応条件を整えてG. oxydansを作用させることにより、高収率でD−アラビトールからキシリトールが生産可能であることが明らかとなった。

さらに、キシリトール生成量向上に最も効果のあったエタノールからのNADH再生経路について検討した。酢酸菌におけるエタノール代謝酵素としては、膜結合型アルコールデヒドロゲナーゼ(mADH)とNAD依存型可溶性アルコールデヒドロゲナーゼ(sADH)が存在する。キシリトール生産におけるNADH供給経路を明らかにするためにmADHの破壊株を作製した。その結果、mADH破壊株においてもエタノール添加によるキシリトール生成量の増加が認められ、エタノールからの還元力の大部分はNAD依存型sADHによって供給されていることが強く示唆された。

G. oxydansのキシリトールデヒドロゲナーゼ高発現株の構築と生産性の向上

G. oxydansによるキシリトール変換反応の実用化に向けてD−キシルロースのキシリトールへの還元反応の収率、生産性を上げることが望まれた。そこで遺伝子組み換えによる菌株育種を行い、キシリトール収率・生産性の向上を試みた。

まずG. oxydansでの形質転換系を開発した。近縁種であるセルロース生産性酢酸菌(Acetobacter xylinum)のベクターpSA19の導入を試み、G. oxydans AJ2847に適応可能であることを見出した。また、パブリックアクセプタンスの観点から、セルフクローニングベクターとして利用可能なプラスミドを検索し、G. oxydans AJ 2851株に約5.5kbのプラスミドpAG5を見出し、セルフベクター構築の可能性を見出した。

次に、D−キシルロースをキシリトールへと還元する酵素であるXDHをG. oxydans AJ 2847株より精製し、その諸性質を明らかにした。XDHはキシリトールとD−ソルビトールに対して基質特異性を示し、NAD(H)のみを補酵素とした。精製したXDHに充分量のNADHを供給した条件での平衡点はキシリトール生成側に寄っていることを確認した。また、XDHによるD−キシルロース還元反応の至適pHはpH5〜6であり、AraDHによるD−アラビトール酸化反応の至適pHとほぼ同じ範囲であった。

決定したN末アミノ酸配列に基づきxdh遺伝子をクローニングし、プラスミド上でxdh遺伝子をG. oxydansに導入することにより、XDH活性を親株の11倍に増強した菌株を造成することに成功した。次に作製したXDH高発現株でのD−アラビトール→キシリトール変換反応を検討した。S型ジャーで低通気条件(3/4vvm,400rpm)に制御して休止菌体1% (w/v)を添加して変換させたところ、225 g/lD-アラビトールからの生成キシリトール量がコントロール株の20 g/l対してXDH高発現株では33 g/lに向上した。さらに、還元力(NADH)源としてエタノール添加条件で変換させたところ、コントロール株の27 g/lに対して導入株で57 g/lのキシリトールが生成した。以上の結果より、XDH高発現によるキシリトール生産性が向上した菌株の造成に成功した。

G. oxydansにおける還元力NADH生成経路の解明

工業化菌株育種への残る課題は還元力NADH供給能の向上であると考えられた。一般的にはNADからのNADHの再生は解糖系とTCA回路で行われる。しかしG. oxydansにおいてはこれらの経路は共に不完全であると報告されており、G. oxydansでのNADH再生系路については不明であった。そこで更なる菌株育種に向けて酢酸菌のNADH再生経路の解明を行った。

まず、G. oxydansの膜画分と可溶性画分からなるD−アラビトールからのキシリトール変換反応系を構築した。本アッセイ系を用いて、キシリトール生成量増加因子としてペントースリン酸回路の酵素であるtransaldolase/glucose-6-phosphate isomerase bifunctional enzyme(TAL-PGI)とribulokinaseを単離・同定した。TALとPGIが一つのポリペプチドとして活性発現している例は報告がなく、ペントースリン酸回路(PPP)が主要な糖代謝系路である酢酸菌に特有の性質であると考えられた。

次に、PPPの強化によりNADH供給能が強化された可能性が考えられたことから、酸化的PPPの鍵酵素であるglucose-6-phosphate dehydrogenase(ZWF)と6-phosphogluconate dehydrogenase(GND)をそれぞれクローニングして解析した。結果、これらの酵素の両方がNADPのみでなくNADも補酵素として反応することを明らかにした。一般的にはこれらの酵素はNADPに特異的であるが、本研究の結果から、G. oxydansでは一般的な生物とは異なり、ペントースリン酸回路でNADHの生成が可能であることが強く示唆された。さらにtal-pgi, zwfおよびgnd遺伝子をG. oxydansに導入し、これら酵素の発現強化によって若干ではあるがキシリトール生成量が増加することを確認した。Gluconobacterにおいては菌体内代謝の主要ルートであるペントースリン酸回路においてNADPHのみでなくNADHも生成可能であることが明らかになったが、この知見は、G. oxydansによるキシリトール生産菌の更なる育種も含めて、工業的に重要な微生物である酢酸菌を用いた微生物変換の開発において有用な知見として利用されることが期待された。

G. oxydans AJ 2847によるD−アラビトールからのキシリトール生産

審査要旨 要旨を表示する

キシリトールは炭素数5の糖アルコールである。甘味料やオーラルケア製品、輸液などの食品・医薬品用途で用いられ、その市場は拡大を続けている。現行の工業的製法は植物体を加水分解して得られるD−キシロースを化学的に接触水素化する方法である。本研究の目的は、安価で安定供給可能な炭素源であるグルコースを出発原料とした微生物変換によるキシリトール新製法の開発である。グルコースから、キシリトールの2位のエピマーであるD−アラビトールを発酵生産するプロセスがすでに開発されており、アラビトールをキシリトールに高収率で異性化することが出来れば、グルコースからキシリトールが生産可能になると考えられた。本論文はキシリトール新製法確立に向けた、微生物変換によるD−アラビトールのキシリトールへのエピメリ化工程の開発に関するものである。

G. oxydans AJ 2847によるD−アラビトールからのキシリトール変換

アラビトールをキシリトールへ変換する活性を有する微生物を探索し、細菌23株においてキシリトール生成活性を見出した。変換の中間体はD−キシルロースであった。1つの微生物を用いたアラビトールからのキシリトール生産は、本研究が初の知見であった。これら1次選抜株より、変換活性の最優良株としてGluconobacter oxydans AJ 2847株を選抜した。本菌株では高活性の膜結合型アラビトールデヒドロゲナーゼ(AraDH)とNADH依存型可溶性キシリトールデヒドロゲナーゼ(XDH)の2つの酵素の連続反応により変換されていた。

反応条件を検討したところ、10% (w/v)の洗浄菌体を用いることにより、52.4 g/lのアラビトールから29.2 g/lのキシリトールが生成した(収率56%)。ここで残存するキシルロースの還元に必要な還元力NADHを供給するために種々炭素源の添加効果を検索したところ、エタノールとグルコースの添加が効果的であることを見出した。5 g/lのグルコースと5% (w/v)のエタノールを追添したところ、キシリトールの生成量は51.4 g/l(収率98%)に達した。即ち、変換反応条件を整えることにより、本菌株を用いて高収率でアラビトールからキシリトールが生産可能であることが明らかとした。なお、エタノールからのNADH再生はNAD依存型可溶性アルコールデヒドロゲナーゼとのNADHのカップリングであることが強く示唆された。

G. oxydansのキシリトールデヒドロゲナーゼ高発現株の構築と生産性の向上

Gluconobacterを用いたキシリトール変換の工業化に向けては、キシルロースのキシリトールへの還元反応の生産性向上が望まれた。このために、XDH高発現株の構築を行った。まずG. oxydans AJ2847株での形質転換系を開発した。次に、XDHを精製し、諸性質を明らかにすると共に、N末アミノ酸配列に基づきxdh遺伝子をクローニングした。プラスミド上でxdhをAJ2847株に導入することにより、XDH活性を親株の11倍に増強した菌株を造成することに成功した。また、実際にXDH高発現によるキシリトール生産性向上の効果を見出した。

G. oxydansにおける還元力NADH生成経路の解明

残る課題は還元力NADH供給能の向上であると考えられたが、G. oxydansでのNADH再生系路については不明瞭であった。そこで更なる菌株育種に向けてNADH再生経路の解明を行った。まず、in vitroでのアラビトール→キシリトール変換反応系を構築し、この系を用いて、キシリトール生成量増加因子としてペントースリン酸回路の酵素であるtransaldolase/glucose-6-phosphate isomerase bifunctional enzyme(TAL-PGI)とribulokinaseを単離・同定した。さらにペントースリン酸化回路の鍵酵素であるglucose-6-phosphate dehydrogenaseと6-phosphogluconate dehydrogenaseをそれぞれクローニングして補酵素特異性を解析し、これらの酵素の両方がNADPのみでなくNADも還元することを明らかにした。これにより、G. oxydansでは一般的な生物とは異なり、ペントースリン酸回路でNADHの生成が可能であることが強く示唆された。

本研究で得られた知見はG. oxydansによるキシリトール生産菌の更なる育種も含めて、工業的に重要な微生物である酢酸菌を用いた微生物変換の開発において有用な情報を提供するものである。よって審査委員一同は、本論文が、博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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