学位論文要旨



No 215952
著者(漢字) 福田,大輔
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,ダイスケ
標題(和) 社会的相互作用が交通行動に及ぼす影響のミクロ計量分析
標題(洋)
報告番号 215952
報告番号 乙15952
学位授与日 2004.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15952号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森地,茂
 東京大学 教授 家田,仁
 東京大学 教授 桑原,雅夫
 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 教授 原田,昇
 東京工業大学 教授 屋井,鉄雄
内容要旨 要旨を表示する

交通計画が分析対象とする人間行動の多くは,個人の私的動機のみならず,集団への同調傾向や社会規範,慣習等といった各種の社会的要因の影響を強く受けている.事実,行動原理が比較的単純である交通手段選択のような現象においてさえ,他者の意思決定が当該個人の意思決定に有意に影響を及ぼしていることは,実証的にも明らかにされている.

そして,個々の交通行動主体間の相互作用(社会的相互作用)は,マクロな交通現象に対しても多様な影響を及ぼす.例えば,社会的相互作用は,同一の集団に対しても複数の安定した社会状態を生じさせ,各種の交通ジレンマ問題(違法駐輪・駐車の慢性化,新技術の普及阻害,政策賛同意識の硬化等)を引き起こす一要因と指摘される場合がある.また,社会的相互作用の影響により,極めて弱い政策介入であっても集団行動に劇的な変化が生じる場合もあれば,逆に,一定以上の強い介入を行わなければ集団行動が変化しない場合もあり,政策実施にあたっては慎重を期す必要がある.このような理由から,交通計画・交通政策においても,人間行動の社会的側面(社会性)を考慮した行動予測や政策評価を行うことが望まれる.

しかし,非集計行動モデルに基づく伝統的な交通需要予測は,当該意思決定に直面した個人が周囲とは独立した意思決定主体であることを暗に想定しており,個人の意思決定に他者の行動が及ぼす影響を明示的に考慮していない.従って,社会的相互作用の影響が大きい交通現象を分析する場合,その影響によって社会全体がどのような状態に達し得るのかを正しく把握できないことが危惧される.一方,地域計量モデルでは,近隣環境の影響が一説明変数として考慮されることもあるが,社会的相互作用の文脈の中で体系的に位置付けられることは無かった.さらに,個人の選択モデルと集計需要を統合的に用いる手法も存在するが,その狙いは行動モデルのパラメータ推定値の修正にあり,ミクロな個人間相互作用とと,そのマクロ的帰結として得られる集計需要の関係に関しては明示的に考慮されていない.

一方,社会心理学や社会学では,準拠集団の持つ集合的な諸性質は個々の構成員の行動を規定する主要な要因と考えられており,社会的ジレンマ,対人関係,集合行動等を中心に膨大な研究の蓄積がある.また,ミクロ計量経済学においては,社会的相互作用を明示的に考慮した計量分析が進展しつつある.社会的相互作用に関する社会科学の諸知見を交通行動分析のフレームに導入できれば,従来とは異なる新たな行動予測,政策評価が可能になると期待される.

以上のような問題意識のもと,本論文は,人間行動の社会的側面が交通行動・交通現象に及ぼす影響を計量的に分析するための方法論を開発し,社会的相互作用の影響が支配的であると思われる幾つかの交通現象を対象として,開発した手法の妥当性に関する実証的考察を行うことを目的としている.さらに,それらの実証分析を通じて,社会的相互作用の存在を前提とした場合に,人々の行動変容を狙いとする交通政策は具体的にどうあるべきかについて論じている.

以下,本論文を構成する各章に関して,その内容を要約する.

第1章では,本論文の背景並びに目的について詳述している.

第2章では,社会的相互作用という言葉の定義,及び,関連する諸概念の体系的な整理を行っている.端的に言うと,社会的相互作用という言葉は,“個人の享受する効用あるいは利得が,自身の帰属する準拠集団内の他者の行動に依存して決定される状況”を指している.同様の概念が,経済学ではバンドワゴン・スノッブ効果,戦略的補完性,ネットワーク外部性等と称され,社会心理学や社会学では,同調行動,頻度依存行動,社会的圧力等と称されている.また,社会的相互作用は,社会規範の形成とも密接に関連する構成概念である.本章では,それらの諸概念を体系的に整理し,社会的相互作用が個人の交通意思決定を規定する主要因であることを確認している.

第3章では,社会的相互作用の計量分析を行っている既往研究を概観し,本論文の分析方法論の基本的な立場を明らかにしている.近年,ミクロ計量経済学においては,教育や社会病理現象のように,集団行動の傾向に地域間格差が見られる社会現象の理解と,格差発生メカニズムの実証的把握を目指して,非市場的な主体間相互作用を定量的に分析する手法の開発が進展している.本章では特に,パラメータの識別可能性,データの取得方法,非線形の行動モデルと複数均衡解の存在,実証分析例を中心にレビューを行い,最新の研究動向を取りまとめている.

第4章では,社会的相互作用を考慮した離散選択モデルの定式化と,モデルの同定方法について述べている.具体的には,社会的相互作用の内生性を考慮した二項ロジットモデルに関して,その導出手順や集合的性質,統計モデルとしての同定方法に関して説明している.構築したモデルは,構造パラメータの識別問題に対する柔軟性,複数の社会的均衡解の表現等といった諸性質を有しており,ミクロな個人行動とマクロな社会現象の相互作用について,整合的かつ実証的に分析することが可能となっている.最後に,この一連の分析フレームを構築したことを,本章の成果として述べている.

第5章から第7章においては,第4章で構築したモデルを実際の交通現象へ適用した結果について説明している.

第5章では,違法駐輪行動を対象とした実証分析の結果を示している.違法駐輪は,大都市の駅周辺を中心に日本各地で観察される社会問題であり,しかも,個人の駐輪場所決定行動が他者の行動状況に大きく依存して,深刻な社会的ジレンマの様相を帯びている.本章では,取締り頻度という具体的な政策変数に着目し,取締りをどの程度の強度で実施すれば社会的ジレンマの状況から脱却できるのかについて,定量的な考察を行っている.具体的には,東京都内の代表的な鉄道駅周辺部における駐輪行動のミクロデータを取得し,駐輪場所選択モデルを同定している.その上で,社会的ジレンマの状況に陥っていると考えられる駅の違法駐輪状況を大幅に改善するために必要な臨界取締り頻度,及び,介入レベルの限界的な政策効果を推計している.

第6章では,施策の実施に対する賛否意見を形成する場面において,集団の賛否傾向が当該個人の意思決定に及ぼす影響を実証的に分析している.構造的改変を伴う広域的交通政策の導入を巡る公共受容ジレンマでは,他者の同調の程度が個人の意思決定を規定する主要因と考えられている.このような認識のもと,本章では,ロード・プライシング導入に対する選好意識調査を首都圏で実施し,得られたデータを用いて,他者の賛同傾向が個人の賛否意識(投票行動)に及ぼす影響を考慮したミクロ計量モデルを同定している.その上で,ロード・プライシングの導入に対する合意形成が円滑に進むために必要な,政策導入時点において少なくとも達成しておくべき賛同率を推計している.

第7章では,交通行動主体が新技術に適応するか否かを意思決定する場面における,社会的相互作用の影響について考察している.具体的には,個々の道路利用者によるETC(Electronic Toll Collection)専用車載器を購入する行動と,社会全体として見た普及レベルの関係についての実証分析を行っている.システムの利用者が多いほど個々の利用者の享受する便益が多くなるという性質より,ETCは,正のネットワーク外部性を有するサービスと解釈することができる.本章では,首都圏在住の自動車保有者から得られた選好意識データを用いてミクロな購入モデルを同定し,さらに,それを動的なマクロ普及モデルへと展開している.さらに,構築した普及モデルを用いて,導入初期時点における一時的な価格低下によるシェア確保政策等,各種普及促進政策の影響分析を行っている.

最後に,第8章では,本論文で得られた知見を総括し,今後の課題について述べている.

以上を要するに,本論文では,社会的相互作用が各種の交通行動に及ぼす影響を計量的に分析する方法論を構築した.また,構築した分析フレームを実際の交通現象に適用し,社会的相互作用によって生じた各種の交通ジレンマ状態から脱却するために必要な政策介入レベルを推計した.これらの成果を通じて,本論文は,第一に,社会的相互作用が交通行動に及ぼす影響を高い精度で計測すること,第二に,社会的相互作用がマクロな集団現象に及ぼす影響を定量的に評価すること,第三に,社会的ジレンマの状況から脱却するために必要な政策介入レベルを推計することを実現したものである.

審査要旨 要旨を表示する

交通計画が分析対象とする人間行動の多くは,個人の私的動機のみならず,集団への同調傾向や社会規範,慣習等といった社会的要因(社会的相互作用)の影響を強く受けている.事実,行動原理が比較的単純である交通手段選択のような現象においてさえ,他者の意思決定が当該個人の意思決定に有意に影響を及ぼしていることは,実証的にも明らかにされている.

そして,主体間のミクロな社会的相互作用は,マクロな交通現象にも多様な影響を及ぼす.例えば,社会的相互作用は,同一の集団に対しても複数の安定的な社会状態を生起させ,各種の交通ジレンマ問題(違法駐輪・駐車の慢性化,新技術の普及阻害,政策賛同意識の硬化)を引き起こす要因と考えられている.また,社会的相互作用の存在下では,極めて弱い政策介入で集団行動に劇的な変化が生じる場合もあれば,逆に,一定以上の強い介入を行わなければ集団行動が変化しない場合もあり,政策介入を行うにあたっては慎重を期す必要がある.すなわち,交通計画・交通政策においても,社会的相互作用の影響を考慮した予測や評価を行うことが望まれる.

しかし,非集計行動モデルに基づく伝統的な交通需要予測は,当該意思決定に直面した個人が周囲とは独立した意思決定主体であることを暗に想定しており,個人の意思決定に他者の行動が及ぼす影響を明示的に考慮していない.従って,社会的相互作用の影響が大きい交通現象を分析する場合,その影響によって社会全体がどのような状態に達し得るのかを正しく把握できないことが危惧される.

一方,社会心理学や社会学では,準拠集団の持つ集合的な諸性質は個々の構成員の行動を規定する主要な要因であると考えられており,社会的ジレンマ,対人関係,集合行動等を中心に膨大な研究の蓄積がある.さらに,ミクロ計量経済学においては,社会的相互作用を明示的に考慮した計量分析が進展しつつある.社会的相互作用に関する社会科学の諸知見を交通行動分析のフレームに導入できれば,従来とは異なる新たな行動予測,政策評価が可能になると期待される.

以上のような問題意識のもと,本論文は,人間行動の社会的側面が交通行動・交通現象に及ぼす影響を計量的に分析するための方法論を開発し,社会的相互作用の影響が支配的であると思われる幾つかの交通現象を対象として,開発した手法の妥当性に関する実証的考察を行うことを目的としている.さらに,それらの分析を通じて,社会的相互作用の存在を前提とした場合に,人々の行動変容を狙いとする交通政策は,具体的にどうあるべきかについて論じている.

第1章では,上記のような本論文の背景並びに目的について詳述している.

第2章では,社会的相互作用という言葉の定義の説明,及び,関連する諸概念の体系的整理を行っている.最も端的に言うと,社会的相互作用という言葉は,“個人の享受する効用あるいは利得が,自身の帰属する準拠集団内の他者の行動に依存して決定される状況”を指しており,同様の概念が,経済学ではバンドワゴン・スノッブ効果,戦略的補完性,ネットワーク外部性等と称され,社会心理学や社会学では,同調行動,頻度依存行動,社会的圧力等と称されている.加えて,社会的相互作用は,社会規範の形成とも密接に関連する.本章では,それらの諸概念を体系的に整理し,社会的相互作用が個人の交通意思決定を規定する主要因であることを確認している.

第3章では,社会的相互作用の計量分析を行っている既往研究を概観し,本論文の分析方法論の基本的な立場を明らかにしている.近年,ミクロ計量経済学においては,教育や社会病理現象のように,集団行動の傾向に地域間格差が見られる社会現象の理解と,格差発生メカニズムの実証的把握を目指して,非市場的な主体間相互作用を定量的に分析する手法の開発が進みつつある.以上の概略を説明した上で,特に,パラメータの識別可能性,データの取得方法,非線形の行動モデルと複数均衡解の存在,実証分析例を中心にレビューを行い,最新の研究動向を取りまとめている.

第4章では,社会的相互作用を考慮した離散型選択モデルの定式化と,モデルの同定方法について述べている.具体的には,社会的相互作用の内生性を考慮した二項選択モデルを導出し,モデルの導出過程や同定方法について説明している.構築したモデルは,構造パラメータの識別問題に対する柔軟性,複数均衡解の表現,パラメータの統計的推測の可能性等といった諸性質を有しており,ミクロな個人行動とマクロな社会現象を,整合的かつ実証的に分析することが可能となっている.以上の分析フレームを構築したことを,本章の成果として最後に述べている.

第5章から第7章では,第4章で構築したモデルの適用事例について述べている.

第5章では,違法駐輪行動を対象とした実証分析の結果を示している.違法駐輪は,大都市の駅周辺を中心に日本各地で観察され,しかも,個人の駐輪場所決定行動が他者の行動状況に大きく依存して,深刻な社会的ジレンマの様相を帯びた問題である.本章では,取締り頻度という具体的な政策変数に着目し,取締りをどの程度の強度で実施すれば,社会的ジレンマの状況から脱却できるのかを定量的に考察している.具体的には,東京都内の代表的な鉄道駅周辺部における駐輪行動のミクロデータを取得し,社会的相互作用を考慮した離散選択モデルを同定している.そして,社会的ジレンマの状況に陥っていると考えられる駅の違法駐輪状況を大幅に改善するために必要な臨界取締り頻度,及び,介入レベル毎の限界的な政策効果を推計している.

第6章では,人々が広域的交通施策の導入に対して賛否の意識を形成する際に,他者の賛否傾向が及ぼす影響を分析している.構造的改変を伴う交通政策の導入を巡る公共受容ジレンマでは,他者への同調が個人の意思決定を規定する主要因であると考えられている.このような認識のもと,本章では,東京都のロード・プライシング導入を対象とする選好意識調査を首都圏で実施し,他者の賛同傾向が個人の賛否意識の決定行動(投票行動)に及ぼす影響を考慮したミクロ計量モデルを構築している.そして,ロード・プライシングの導入に対する合意形成が円滑に進むために,政策導入時点において少なくとも達成すべき賛同率(限界質量解)を推計している.

第7章では,交通行動主体が新技術に適応するか否かを決定する場面における,社会的相互作用の影響について考察している.具体的には,個人のETC車載器購入行動と,社会全体としての普及現象との関係について分析している.システムの利用者が多いほど個々の利用者の享受する便益が多くなるという性質から伺えるように,ETCは正のネットワーク外部性を有するサービスと解釈することができる.本章では,首都圏在住の道路利用者から得られた選好表明データを用いてミクロな購入行動モデルを同定し,さらに,それを動的なマクロ普及モデルへと展開している.そして,構築した普及モデルを用いて,導入初期時点における一時的な価格低下によるシェア確保政策等,各種普及促進政策の影響分析を行っている.

最後に,第8章では,本論文で得られた知見を総括し,今後の課題について述べている.

以上を要するに,本論文は,社会的相互作用が各種の交通行動に及ぼす影響を計量的に分析する方法論を構築した.また,構築した分析フレームを実際の交通現象に適用し,社会的相互作用によって生じた各種の交通ジレンマ状態から脱却するために必要な政策介入レベルを推計した.これらの成果を通じて,本論文は,(I) 社会的相互作用が交通行動に及ぼす影響を高い精度で計測すること;(ii) 社会的相互作用がマクロな集団現象に及ぼす影響を定量的に評価すること;(iii) 社会的ジレンマの状況から脱却するために必要な政策介入レベルを推計すること;を実現したものである.これからの交通計画においては,社会実験,合意形成,社会的信頼形成等,人間行動の社会性を考慮することが不可避となる場面がますます多くなると想像されるが,本論文で提案したミクロ計量分析の手法は,そのような実務的検討の場面においても,多大な貢献を成すことが期待される.

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49035