学位論文要旨



No 215967
著者(漢字) 高橋,朋子
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,トモコ
標題(和) 近代家族団体論の形成と展開
標題(洋)
報告番号 215967
報告番号 乙15967
学位授与日 2004.03.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第15967号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 能見,善久
 東京大学 教授 北村,一郎
 東京大学 教授 廣瀬,久和
 東京大学 教授 大村,敦志
 東京大学 助教授 松原,健太郎
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、近代民法典、個人主義的家族法の祖国であると考えられているフランスにおいて、意外にも隆盛であった家族財産関係の家族団体的解釈論の、生成、発展、収束の過程を、一九世紀から今日にかけてたどろうとするものである。

かつて川島武宜博士は、西欧近代の家族につき、それは主体性をもつ自由で平等な個人の結合であり、もはや権力によって結合される協同体ではないと論じた。しかしその後、近代西欧の家族は家父長制的家族であったという批判的研究が多く発表され、川島説はこの点においては今や否定されている。残された問題は、家父長制的な近代西欧家族が実態上は団体的であったにもかかわらず、ナポレオン民法典に見られるように、法典上は個人の関係として規律されていたことである。この近代西欧家族の実態における団体性と、民法典上の個人主義との間隙が、解釈論上いかにして埋められてきたかを、判例・学説の検討を通じて明らかにすることが、本論文の主題である。

1804年に制定された近代市民法典であるナポレオン民法典は、基本的には家族を夫婦とその未成年子の個人間関係から成るものとして構成した。このことは、現実の家族のあり方との関係で二つのことを意味した。一つは、かつて封建社会において貴族階層が営んでいた伝統的家を家族法のモデルにはしなかったということである。伝統的家とは、その長の地位が父系の血縁をたどって承継され、長およびその妻・子・その他の親族・奉公人から構成され、家産を基礎に家業を営み、対外的に家名によって表示される経営体であり、個人間の関係としての家族とは対蹠的なものであった。このような伝統的家を否定した民法典は、単独相続制ではなくして、均分相続制を採用し、また氏についての規定もおかなかった。いま一つは、伝統的家に代わってすでにアンシャン・レジ-ム期に登場していた、近代家族の実質上の団体性を法規範化しなかったということである。民法典がその基本的な対象として規定した家族は、夫、妻、その未成年子から成るいわゆる近代家族であるが、この近代家族は、単なる個人の集合以上の緊密性を有していた。しかし、このような家族は、法典において、団体ではなくして、それぞれの個人間の権利・義務の関係として構成されたのである。もっとも、法は父権・夫権を定めることにより、家族の人的・財産的統率権を父ないし夫に与え、そうすることで、家族が実質上、団体であることに配慮を示したが、法形式的には、家族はあくまで個人主義的に構成されていた。このような民法典の個人主義的構成に対して、家族を団体主義的に構成しようとする二つの異なる動きが判例・学説において登場してきたのである(本論 序)。

伝統的貴族の家を基礎とする家族団体論は、19世紀後半以降、判例・学説の積み重ねの中から生成した。紛争の対象となったのは、貴族の家の祖先ないし被相続人の人格と不可分に結びついている動産(想い出の品)、家族の墓、貴族の称号・氏であった。判例は、これらを通常の個人財産とは区別して、家族的所有の対象とする道を開き、学説は、理論の体系化を試み、やがて所有の主体としての家族を法人と構成するに至った(本論第一部第一章)。このような動向は、やがて一九四二年の立法研究会の草案の中に体系化された形で現れることになる。草案は、想い出の品などに精神的権利を有する家族を「家族集団」とし、これに法人格を与えようとした(本論第二部)。しかし、立法研究会草案は立法に至らず終息した。その後もなお、判例ならびに学説は従来の立場を維持している。しかし、紛争の類型には変化が見られ、想い出の品に関する紛争は減少している。今後、家族の実態の変化につれて、家観念の問題となる場面は益々減少し、そのとき学説も判例もともに益々個人主義的構成に変化していくように推測される(本論第三部第一章)。

他方、夫婦財産制を舞台とし、近代家族を基礎とする家族団体論は、19世紀後半以降の学説の積み重ねを経て生まれた。ナポレオン民法典は、法定財産制として動産・後得財産共通制を採用した。動産・後得財産共通制とは、夫婦それぞれが婚姻前から有する不動産と婚姻中に無償で取得した不動産とを夫婦それぞれの固有財産とし、それ以外の財産を共通財産とするものである。従って、家族には夫婦の共通財産、夫の固有財産および妻の固有財産の三つの財産体が存在することになる。しかし、財産の所有権を有する者が、当然にその管理権者・処分権者であるというわけではなかった。妻の管理権・処分権が制約されていたために、夫の固有財産の管理権・処分権は当然に夫に帰属したが、夫はこれに加えて、共通財産と妻の固有財産の管理権をも有していた。このように、民法典は、所有レベルでは共通財産の存在を認めながら、管理のレベルでは、管理権を夫に独占させるという構造を採ったために、共通財産の法的性質を曖昧なものとしてしまい、共通財産の法的性質につき、永年にわたる議論の種をまくことになった。

19世紀前半には、共通財産は夫の所有物であるとする説が主張されたが、これに対して、19世紀後半から20世紀前半にかけて、夫婦の共同体的性格に比重を置くところの、何らかの共同所有であるとする説(不分割説、合手説)、あるいは夫婦とは別の人格を有する法人の所有物であるとする説(法人説)などが主張された。なかんずく、法人説は、これまでの議論を総括した上で緻密な議論を組立てており、その後の学説に多大な影響を与えた。法人説の代表的論者であるカルボニエは、妻の利益保護の観点から、法人説を立論した(本論第一部第二章)。1938年・1942年には民法典の改正がなされ、夫に「家族の長」としての地位が与えられ、また、1942年の立法研究会草案においては、近代家族を対象とする法人としての「家族世帯」概念が提起され、夫婦共通財産を法人と見る説も、この概念の内に取り込まれ、法人説に有利な状況が現出した(本論第二部)。しかし、法人説や立法研究会草案が立法化される機会を持たないまま時が経過し、その後の民法典の諸改正により、夫婦の平等・独立が進められ(例えば、1985年改正により、妻にも共通財産の管理権が与えられた)、法人化ではない形で問題が解決されようとしている。法人説は未だ一部の論者に共感を持たれてはいるものの、夫婦共通財産の性質をめぐる議論は沈静化している(本論第三部第二章)。

以上の分析を通じて、川島博士の近代家族像に対する批判的諸研究によっては明らかにされていなかった、近代西欧家族の実態における団体性と民法典上の個人主義との間隙が、解釈論上いかに埋められてきたのかという問題を、一定程度解明できたかと思う。

本研究の問題意識の背景には、わが国の家族団体論の有する特徴がフランス家族団体論の特徴といかなる対照をみせるのかという、比較法的な関心が存在する。これを本論文の副題として、補論において検討した。

川島博士はわが国戦前の家族制度に対し、『家』という超個人的な全体的存在がもろもろの家族的関係を包み、『家』から分離した独立の関係としての家族的結合は存在しなかったと指摘した。そこで、この特徴が、両国の家族団体論にもあてはまるかどうかにつき、検討した。両者の差は、特に家族団体の構成原理について著しく、フランスにおける家族団体論の傾向は、団体を形成する家族員個人に基盤を置くものであり、団体の性格は構成員の契約から成る組合的なものであったのに対して、わが国の家族団体論の大勢は、「家」または生活共同体から成る団体を中心に置くものであり、その団体としての性格は社団的であった。川島博士が日本の「家」制度について論じた上記の特徴は、わが国の家族団体論には当てはまるものの、フランスの家族団体論には当てはまらないということができよう(補論第一節ないし第三節)。

このようなわが国の家族団体論の特徴が今日もなお見られるのかどうかという点につき、墓と氏をめぐる議論を素材にして検討し、補論の結びとした。その結果、個人主義的な傾向を示す判例や市民の運動にもかかわらず、現在のところは墓や氏をめぐる「家」制度的慣習が広範に残存する事実の中に、超個人的な全体的存在が家族関係を包むという、わが国家族制度についての川島博士の指摘が未だ妥当している現実を見い出すことになった(補論第四節)。

以上が本論文の要旨である。最後に、戦後の家族をめぐる歴史理論の道筋の中での本論文の位置づけを試みたい。家族をめぐる歴史理論が熱心に議論された時期は二つ見られる。一つ目は、「家」制度が廃止されてなお現実に根強く存続する「家」慣行を批判するために、川島博士があるべき理想として西欧近代家族像を提示した1950年代に始まり、川島説を批判的に検討する諸議論の続いた1980年代までの時期である。二つ目は、1990年代に入って盛んになったポスト・モダン論の中での家族に関する議論である。本研究は、第一の議論に触発されて始められたものであるが、対象としたフランスの家族団体論の展開を通じて、第二の議論にも関心を持つことになった。本論文は、従来の伝統を残しつつも、著しい変容を被ってきた日仏両国の家族の歴史の一端を、その法理論の側面から示し得たのではないかと思う。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、フランス民法典のもとで学説・判例上主張された家族団体論・家族法人論がどのようにして生まれ、どのような変遷をたどったかを考察し、そこからフランスにおける家族団体論・家族法人論の意義および機能を明かにしようというものである。このような問題意識のもとで行われた研究としては、本論文は初めての本格的な論文である。

全体の構成は、本論「フランスにおける家族団体論の形成と展開」と補論「日仏家族団体論の比較法的考察」からなる。そして本論は、さらに序「問題状況の概観」、第1部「家族団体論の生成」、第2部「立法研究会草案」、第3部「家族団体論のその後の展開」という構成になっている。

まず、本論「フランスにおける家族団体論の形成と展開」序「問題状況の概観」において、本論文の問題意識が提示される。すなわち、フランス民法典は、基本的には家族を夫婦とその未成年子の個人的関係からなるものと構成したが、そのことは、当時なお根強く残っていた貴族的・伝統的家族や当時漸く登場しつつあった近代的家族の実態からの乖離を生じさせ、そのため、フランス民法典制定直後からこのギャップを埋めるための動きが判例・学説において登場することとなった。これがフランス民法典の解釈として主張された家族団体論である。しかし、その家族団体論は、それが基礎とする家族の違いに応じて、2つの異なるものがあった。1つは、貴族的・伝統的家族を念頭においた家族団体論であり、もう1つは、親密圏として捉えることのできる近代的な家族に基礎をおいた家族団体論であった。こうした背景も基礎も異なる2つの家族団体論であるが、その両者が相まってフランス民法学説の中で、あるいは判例の中で、家族団体論として主張されてきた。本論文は、まず家族団体論の中に2つの異なるものがあることを明らかにしたうえで、それぞれの発生と展開の跡をたどり、またその分析を通じてフランスにおける家族団体論とは結局何であったのか、その構成原理は何であったかを解明することをテーマとして設定している。

本論第1部「家族団体論の生成-19世紀から20世紀初頭にかけて-」第1章「伝統的家族観念をめぐる家族団体論の生成」は、判例においてどのような形で伝統的家族観念を基礎とする家族団体論が登場したか分析する。本論文は、多数の判例を分析し、そこからどのような家族団体論が判例に影響を与えているかを明らかにする。たとえば、いわゆる勲章、手紙などの「家族の思い出の品(souvenirs de famille)」と呼ばれる財産が均分相続の対象から外され、また、血族間でその帰属が争われる場合には、直近の直系血族にこれを承継させるという解決をしている点に、伝統的家族観念に基づく家族団体論が影響しているとする。また、墓所についても、判例は、これを血族相続人の共同所有物として捉え、血族相続人以外の者へ遺贈されることを防ぐという解決をしている。さらに氏については、判例は、これを基本的にその血族集団全体に属する権利として保護し、第三者の僭称に対しては、血族集団の構成員各人に権利行使を認めるという扱いをしている。日本の民法典が祭祀承継財産について特別の規定を有しているのと異なり、個人主義的に構成されているフランス民法典においては、これらの財産について特別の扱いをする条文上の手がかりがないにもかかわらず、フランスの判例が家族団体的な要素を民法解釈の中に持ち込んで解決していることが指摘される。しかし、ここでいう家族団体とは夫婦と未成年子からなる現実の家族の範囲を超えた血族集団であり、そのため氏について典型的に見られるように、権利は家族団体全体に属するが、権利行使は構成員各人ができるというように、個人主義的な利益との調整も図られているところに特徴があると指摘する。ここには伝統的家族団体論の崩壊の過程も見られるという。

19世紀の学説も、判例の影響をうけつつ、「家族の思い出の品」等について一般財産と異なる扱いを認めるが、やがて20世紀に入り、ドゥモーグ、サヴァティエらによって、従来の扱いをより理論的に説明する方法として家族を法人として構成する説が登場するようになる。これらの家族法人説によれば、「家族の思い出の品」などは、一般の相続の対象にはならず、夫婦共通財産からも除外され、債権者による追及もできない。これらの財産は、現在および将来の家族員からなる永続的な法人の財産とされる。家族による集団的な所有が家族法人として構成されるのである。ドゥモーグは、これを「新しい法的装いのもとでの古いものの再現」と説明する。これは伝統的家族のもとでの家族的所有を考えていたものと考えられる。これに対してサヴァティエは、ドゥモーグと同様に家族を法人として捉えるが、この法人に帰属する権利の範囲は、氏、思い出の品などのほか、夫婦財産なども含むとしている。従って、サヴァティエの家族法人論は、夫婦共通財産を対象にしている点で、ドゥモーグらの家族法人論よりも広い対象を扱っている。サヴァティエの議論の中には、明確には区別されていないが、伝統的家族の団体性を念頭においた家族団体論と、近代的家族の団体性を念頭においた家族団体論の両方が含まれている。

第2章「夫婦共通財産をめぐる家族団体論の生成-19世紀から20世紀初頭にかけて-」では、夫婦共通財産の法的性質について展開された家族団体論の意味を検討する。フランス民法典において採用された動産・後得財産共通制は、所有レベルでは夫婦共通財産の存在を認めながら、その管理のレベルでは管理権を夫に独占させていたために、共通財産の意味を曖昧にしていた。なぜなら、共通財産であれば夫が勝手に処分することができないはずであるが、管理権が夫にのみに与えられるとすると、それが実際上できることになる。しかし、夫が自由に管理・処分できるとすると、共通財産といってもそれは何なのか、が問題となる。このような矛盾をフランス民法典の規定は有していたために、学説上、夫婦共通財産をどのように説明するかをめぐって多数の説が主張された。本論文は、複雑で錯綜した夫婦共通財産についての学説を、夫婦共通財産を個人主義的に構成するか、団体的に構成するかという視点から整理する。一方の極には、婚姻関係解消の際には妻が半分取得できる期待権を有するが、婚姻継続中はむしろ夫の単独所有財産であるという個人主義的な構成を徹底する説がある(トゥーリエ)。他方で、団体性を強調して、夫婦共通財産を法人であると構成する説がある(ポヌカーズ、カルボニエなど)。しかし、個人主義的な構成が必然的に夫婦の各当事者、特に妻の保護を強化することになるわけではない。また、団体性を強調する説が必然的に妻の保護を低下させるわけでもない。むしろ、個人主義的構成は、夫の単独所有説に見られるように、妻の保護という点では弱く、かえって団体的構成の中に妻の保護を図るものがある点に注目する。後者の立場の代表がカルボニエの家族法人論である。カルボニエは、夫婦共通財産の団体性に着目して、これを組合的性格を持つ法人と構成し、これによって、一方で夫の管理権を説明しつつ、他方でその管理権を法人目的によって制限する。たとえば、共通財産に対する債権者=婚姻費用債権者は、夫の個人的債権者に優先して共通財産から弁済を受ける、財産を管理する夫が共通財産に損害を与えた場合には、共通財産に賠償しなければならない、などの帰結を導く。このようにしてカルボニエは、夫婦共通財産の団体性を強調することで、妻の権利保護も導いている。要するに、夫婦共通制をめぐって主張される団体論は、当然には個人の権利を制限するものではなく、むしろ重要なのはどのような団体性を念頭に置くかである。伝統的・家父長的な家族団体を念頭に置く場合には、団体性の強調は個人、すなわち妻の権利を制限することとなりやすいが、近代的家族を基礎においた団体論では個人の権利を保護することになり、究極的には個人主義と対立するものではなかったという指摘がされる。

第2部「立法研究会草案(1942年)」では、1942年に発表された「家族の法人格研究委員会」作成の家族法改革草案について取り上げる(以下、立法研究会草案と呼ぶ)。この草案は、19世紀から20世紀にかけて主張された2つの家族団体論、すなわち伝統的家族に基礎をおく家族団体論と近代的家族を基礎におく家族団体論との両方に影響を受けて、家族に法人格を与える立法を計画したものである。本論文は、立法研究会草案が登場した当時の時代背景を分析し、そこに家族を団体的にとらえようとする思想だけでなく、当時の社会政策、特にヴィシー政府の家族政策があることも見逃さない(そして、それは同時に国家による家族への後見的介入という側面もある。)。しかし、立法研究会草案がこれまでのフランス民法学で論じられてきた家族団体論を発展させたものであることは確かであり、その意味で、従来の判例・学説における家族団体論の1つの頂点として立法研究会草案を位置づける。

この草案は、「家族世帯」と「家族集団」という2つの家族団体を柱としている。「家族世帯」とは、夫婦を中心とした家族形態であり、「家族集団」とは、共通の祖先からなる子孫たちの集まりである。

草案は、前述のように家族世帯に法人格を与えるが、その意味は、第1に、一定の非財産的権利が「家族世帯」そのものに帰属することである。人格権や教育権などは家族世帯そのものに帰属するので、家族世帯の構成員に対する侵害が家族世帯の有する人格権への侵害として構成されたり、家族員の死亡事故による精神的損害の請求権も家族世帯に帰属するものと扱われる。第2に、家族世帯に属する財産というものが観念され(世帯に留保された財産)、これは家族世帯全体のために使われるべきものとされる。たとえば、家族手当や家族の扶養の目的で家族に支払われた財産は、夫または妻の個人的財産ではなく家族世帯そのものに帰属する財産とされる。ここには、社会法的な諸立法の動向に対応して、社会法的な各種給付の受け皿としての家族世帯を作るという意味もこめられている。第3に、フランス民法典の規定のもとでは夫に固有の排他的管理権があるとされていたが、立法研究会草案では夫は家族世帯という法人の代表者の地位を有するにすぎないとされていた。以上のような家族世帯を法人とする考え方は、近代的家族における団体性を基礎としていると、本論文は分析する。

立法研究会草案によって、もう1つ法人と構成されたのが「家族集団」である。家族集団は、それに帰属するとされる権利が何であるかによって、その範囲も変動するので複雑であるが、たとえば「思い出の品」についていえば、「思い出の品」を創設した者を頂点として、その配偶者、直系卑属が家族集団を構成する(直系卑属の配偶者は含まれない)。創設者が死亡した後は、この家族集団がこれらの財産の所有者となる。そして、家族集団の代表者がこれを管理する。代表者は、創設者の意思、家族全員の合意、裁判所の決定によって選任される。代表者は、「思い出の品」を家族集団のために管理するのであるから、これを勝手に譲渡することができない。また、代表者の債権者もこれを差し押さえることができない。立法研究会草案の提示する家族集団の中身は、それまでの判例が「思い出の品」などについて認めてきた扱いをほぼ追認するものである。それは結局は、伝統的家族の団体性の強調である。しかし、家族集団を法人として構成することは、次のことをもたらした。すなわち、家族集団の所有物を管理する者は単に法人の代表者としてこれを管理するにすぎないことが明らかにされ、また、家族員は法人の構成員として位置づけられるようになることである。このように、法人化は家族集団の関係を法的な権利義務関係として明確化することになり、その結果、立法研究会草案の法人論は伝統的家族集団についても、判例より個人主義的要素を明らかにすることになったのである。

立法研究会に代表される家族団体論は、それでも、個人主義的な構成を徹底するダバンなどの学説から批判され、また、ヴィシー政府の崩壊により、結局立法化されるに至らず、第二次大戦後は姿を消すことになった。

第3部「家族団体論のその後の展開」では、第2次大戦後に家族団体論がどのような変遷をたどって行ったかを分析する。第1に、伝統的家族観に基礎をおく家族団体論は、「思い出の品」をめぐる戦後の判例に見られるように、なおも残存するが、その議論の仕方には変化が見られる。まず、かつては多かった「思い出の品」に関する紛争が減り、代わって家族の氏に関する紛争が増えた。それも氏の商業的な無断使用が問題となる紛争が増えた。また、学説においても、氏に関する紛争解決のために家族法人説を主張する学説はほとんどなくなった。こうした判例における具体的紛争の変化、学説における議論の変化は何を意味するのであろうか。ここには家族の団体性を直接の根拠として紛争解決を図ることが減少し、他の側面、たとえば、氏で言えば、その人格権的側面を根拠とする解決が主張されることが多くなった、と指摘される。

第2に、夫婦財産制の議論の際に用いられた家族団体論についても、もはや夫婦財産制に関する各種の問題を解決する際に直接的に援用されることが少なくなった。学説レベルにおいても、家族法人論に対する批判が強くなった。このような家族団体論に関する議論の変化の原因を、本論文の著者は、20世紀における家族の変化に求める。そして、重要なのは、家族の変化のどこに着目するかであるとする。家族団体論をなお強力に主張するグループは、伝統的家族の崩壊する一方で確立してきた親密圏としての家族に着眼し、この夫婦と子供からなる家族は確実に結合力が強まっていると見る。これに対して家族団体論・法人論の不要性を主張するグループは、まさに伝統的家族の衰退に着眼し、団体性の強調に反対する。家族団体論に対する賛否が分かれるのは、こうした各自が着眼する家族の違いも大きな原因である。しかし、それだけでなく、近代的家族自体も同棲の増加などによって求心力を失い、そのためこれを基礎とする家族団体論も後退することになったと分析する。

要するに、戦後のフランス家族は、多様性を包含した現代家族へと変容し、近代的家族を基礎とする家族団体論もその意義を失った。また、戦後の諸立法において、かつての家族団体論が実現しようとしていた効果のおおかたが実現され、その意味でも家族団体論・法人論の意義は低下せざるをえなかった。

補論「日仏家族団体論の比較法的考察」においては、日本とフランスの家族団体論の比較を行い、その違いを明かにする。日本においても、戦前における「家」制度を団体ないし法人で説明しようとした学説(穂積、美濃部)や現実の家族生活共同体を家団として捉える末弘説のほか、戦後においても借家権の承継を家団で説明しようとする説などが見られるが、これらはいずれもフランスにおける家族団体論とは異なるという分析がなされる。戦前の「家」を団体ないし法人としてとらえようとする説は、フランスの伝統的家族を基礎におく家族団体論に対応するものであるが、フランスの家族団体が実際の家族員の存在を前提とした、その意味ではやはり個人を基礎とした自然的な団体があるのに対して、日本の「家」=家族団体はきわめて技術的である。そのために日本の家は構成員がいなくなって「絶家」となっても、後から戸主および家族を補充して「再興」することができるが、フランスの家族団体は伝統的家族の場合であっても、家族員がいなくなれば消滅するものとされている。また、以上の点とも関連するが、日本の家は技術的に作られた器であるために、その構成員は必ずしも血族である必要はなく、また血族であっても分家によって家族団体の分割がなされる。これに対してフランスの伝統的な家族集団は、血族集団であり、血統という自然的なものに依拠している。そのために、団体の中にあってもかえって個人的要素が強くなる傾向がある。

現実の生活共同体としての家族を対象に家族団体性を主張する説は、日仏で共通する側面もあるが、総じて日本の家族団体論は、家族構成員の個人性を否定する形で家族団体性を主張する。たとえば、末弘は、家族構成員間の契約的な関係を否定し、家族構成員は組合契約的な持分を有しないものと捉える。これに対してフランスの家族団体論では、婚姻が契約であるという前提はもちろんのこと、家族の財産に対する構成員の関係も組合的に捉えられており、持分が認められる。従って、家族世帯が消滅するとき、あるいは成年子が家族を離れるときなど、その持分的権利が実現される。

このように、フランスの家族団体は、一言で言えば、契約的・組合的であり、それを前提にしての法人論が主張されたのである。日本における家族団体論とは構成原理の点で異なっている。

本論文の長所としては、次の諸点をあげることができる。

第1に、本論文は、フランス家族法において具体的な法解釈ないしその基礎付けのレベルで家族団体論が果たしてきた意味と機能を明らかにした点に意義が認められる。従来の研究においても、フランス家族法における家族の団体性を紹介する研究がなかったわけではないが、いずれも断片的であったのに対して、本論文は、フランス民法典の制定直後から戦後に至るまで、家族団体論の生成・発展・衰退を描いており、フランス家族法の理解を深める上で貴重な論文であるといえる。とりわけ、本論文で詳細に取り上げられている立法研究会草案やカルボニエその他の民法学説が主張した家族団体法人説の紹介と分析は、フランス家族法学の研究を着実に一歩進めたものと評価することができる。

第2に、家族団体法人論の分析から導かれた指摘の1つとして、法人という法律構成が必ずしも個人の権利を団体の中に埋没させるためのものではなく、かえって個人(家族団体の中では特に妻)の権利の保護強化のために機能したという点は、新鮮であり、法人の問題一般を考える上でも新しい視点を提供するものと評価することができる。

第3に、家族団体論の具体的な適用対象となったフランスの夫婦財産制についても、本論文は詳細な分析と検討をしており、夫婦財産制度にどのような問題があって、それがどのように解決されてきたかを描いた点に意義がある。

もとより本論文にも短所がないわけではない。

第1に、法的構成としての法人論と団体論とが一応は区別されているものの、その区別が必ずしも明確ではないことがあげられる。その結果、法人論は法技術的に民法典の制度を説明する上で困難があることから衰退することがあるとしても、家族における団体性は多かれ少なかれ存続しているという分析もありえないではない。大きな流れとしては本論文の主張は妥当であるとしても、法人と団体性を明確に区別して議論すれば、もう少し明快な議論が可能であったように思われる。

第2に、本論文に出てくる伝統的家族・近代的家族・現代的家族という概念については、著者なりの定義にもとづいて用いられているが、必ずしも厳密ではなく、用語ないし概念の選択などもう少し慎重な検討が必要でなかったかと思われる。特に、近代的家族から多様な家族形態を含むようになった現代的家族へと変化したという認識を前提に団体論・法人論の意義が低下したと結論づける点には異論がないではない。

このような問題点がないわけではないが、これらは本論文の学術的価値を必ずしも損なうものではない。本論文は、フランス家族法において主張された家族団体論の発生・展開・衰退の流れを丁寧に分析し、そこからフランスの家族団体論の特徴と構成原理を明かにしたという点で学界に大きく貢献したことは明かである。よって本論文は、博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと認められる。

試験においては、本論文を中心として関連のある事項について質疑応答を重ね、学力の検定を行ったが、本論文について判定されたものと同等の学力があると評価することができた。

以上述べた審査の結果を総合して、本論文の著者は、博士(法学)の学位を授与されるに値するものと認める。

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