学位論文要旨



No 215968
著者(漢字) 長谷川,貴陽史
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,キヨシ
標題(和) 都市コミュニティにおける法使用
標題(洋)
報告番号 215968
報告番号 乙15968
学位授与日 2004.03.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第15968号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,勝造
 東京大学 教授 フット,ダニエル
 東京大学 教授 寺尾,美子
 東京大学 助教授 佐藤,岩夫
 東京大学 助教授 山本,隆司
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、現代日本の都市コミュニティにおける住民の法使用について、とくに建築協定制度(建築基準法69条以下)と地区計画制度(都市計画法12条の4他)を具体的な素材として、法社会学的な分析を加えたものである。「法使用」とは「社会を構成する個人や組織が、自己の抱えている法律問題に対処するために、問題の法的処理のために用意されている制度的な仕組みを利用すること」を指しており、「法の形成」と「法の援用」との二つのパターンを区別できる。具体的には、「法の形成」として建築協定の締結・更新過程および地区計画の策定過程を扱い、「法の援用」として建築協定違反の是正過程および地区計画に関わる訴訟の過程を分析した。

「序論」では、現代日本における都市法制・建築法制の基本的な問題点を指摘した上で、建築協定制度、地区計画制度がそれらの問題点に一定程度対応しうることをのべた。

次に、法社会学の観点から、法使用研究やコミュニティ研究の先行業績を整理・紹介した上で、都市コミュニティという場の社会学的特性と、そこでの法使用・権利主張の社会学的意味を論じた。すなわち、都市コミュニティとは互酬的な社会関係が展開される場であるが、近代社会における主観的権利とは、互酬的なものではなく相補的なものである。そのために、都市コミュニティにおける法使用は一定の緊張関係をはらむと同時に、都市コミュニティにおける社会関係も法制度を迂回して構築されることになる。つまり、法システムと社会関係との「交錯」を分析する視角が重要になる。分析のポイントは、法使用の主体的条件である「役割・法意識」と「専門的知識」、また法使用の客観的条件である「法使用行為者周囲の組織・集団」、「社会規範」、の四点に置かれる。

本稿の目的は、第一に、これらの諸条件がどのように法使用行為を規定しているのかを分析し、現代日本の都市コミュニティにおける市民像を明らかにすること、第二に、実態分析を踏まえた法政策的提言を行うことである。なお、「序論」の最後では、戦後日本の都市化と郊外化の動向に触れるとともに、本稿の具体的な分析対象である、神奈川県横浜市と東京都国立市の郊外住宅地としての特性を検討した。

「序論」以降は、第一部「建築協定」と第二部「地区計画」に二分される。第一部第一章では、建築協定制度の概要、機能、判例、沿革、運用状況等を整理・紹介した。建築協定とは、土地所有者等が建築基準法の一般規制以上の建築制限を自主的に定めた協定を、全員合意で締結する制度である。違反是正には、協定加入者が民事訴訟を提起する。

運用状況については、横浜市内の運営委員会委員長に対して行った質問票調査を分析した。分析から明らかになったのは、運営委員会の実態、および自治会町内会・行政庁の役割である。すなわち、自治会町内会は人的・金銭的に運営委員会を支援し、また様々な形で結びついている。これに対して、行政庁は運営委員に専門的知識を提供する一方で、行政指導を強く期待されていた。なお、専門的知識については、運営委員自身も自発的に学習を行なってもいた。

第二章では、協定加入区画における紛争ケースを分析した。そこでは、軽微な違反の有無の問い合わせに対しては、運営委員長がコミュニティにおける自らの役割を使い分けながら、法的な違反の有無を判断しつつ、コミュニティの社会関係の安定化を図っていた。また、紛争が具体的な法的紛争にまで至ると、金銭的資源や法的知識・情報が重要性をもつようになり、自治会町内会の役割が一定程度大きくなることが明らかになった。

第三章では、穴抜け区画・隣接地における紛争ケースを分析した。穴抜け区画や隣接地は、建築協定に加入しなかった区画であり、協定の法的拘束力が及ばない。しかし、運営委員会は、穴抜け区画における建築行為をも協定に適合させるため、建築主と取引・交渉し、あるいはコミュニティとしてサンクションを行使していた。行政庁も、行政指導によって取引・交渉の場を設定する機能を果たしていた。ここでも、運営委員会と自治会町内会との結びつきがみられるとともに、さらに町内会の指針や、分譲時の申し合わせといった社会規範が紛争処理において援用されていた。

第四章では、建築協定の締結・更新過程の事例を分析した。ここでは、穴抜け区画が生まれる事情がさまざまであること、また、小規模な協定地区では個人的な努力で合意形成が可能であるが、コミュニティの規模が拡大するに従って、近隣のネットワークや自治会町内会の援助がなければ協定締結や更新が困難になることを指摘した。

続く第二部は、地区計画の分析にあてられる。第五章では、地区計画制度の概要と法制度としての機能等を建築協定と比較しながら紹介し、判例、制度の沿革、運用状況について整理した。地区計画は、一般的な用途規制以上の規制を定められる点で建築協定と類似しているが、市町村の都市計画である。地区(整備)計画が決定されると、工事着手の30日前までに届出が必要となり、地区計画に適合しない建築物については、市町村長が勧告・あっせんをなしうる。さらに、建築条例化しておけば、建築確認や是正命令の対象にできる(建築基準法68条の2)。

第六章では、横浜市と国立市における地区計画の策定過程を扱った。横浜市の事例は建築協定からの移行事例であり、建築協定の締結と同様に自治会が中心となって数ヵ年をかけて地区計画決定に至っていた。そこではまた、法的には表出されない人々の規範意識が、「まちづくり憲章」や「まちづくり指針」といった自主規制に結実し、法的規制を補完していた。

これに対して、国立市の事例では、高層マンション建築紛争を契機として地区計画が策定されたが、自治会町内会の関与はなく、むしろ近隣住民であった学校法人とその関係者である専門家が中心となって地区計画を策定し、訴訟を追行する、かなりイレギュラーなケースであった。裁判の局面では、裁判所が地域コミュニティの規範意識をくみとるために、コミュニティ内部の互酬的秩序を探索する動きが見出された。

「結論」では、本稿の分析全体から、現代日本の都市コミュニティにおける市民像を明らかにするとともに、あるべき法制度ないし法制度運用について、政策的提言を行った。

わが国の都市コミュニティにおける市民像としては、「主体的・反省的な市民のイメージ」と、「互酬的な社会関係の中に生活する市民のイメージ」の二つを提示した。前者は法制度について学習し、自らの行動について吟味し、ルールについて議論する主体的・能動的な個人像である。後者は、自治会町内会とつながりを持ちながら、自主的なルールを産出する個人である。ここには、丸山眞男教授が描いた「結社形成的な個人」の萌芽がある。

最後に、以上の市民像を念頭においた法制度の運用改善策及び法改正案を提示した。そのさい、法的規制と自主的規制との役割分担、及び民事的規律と行政的規律との相互補助関係にも留意した。

まず、運用改善策としては、建築協定について、法的知識を供与する弁護士会との連携、訴訟費用捻出のための基金の創設、市町村による訴訟費用援助などを提案した。また、地区計画については、策定規模に関する行政指導の撤廃等を主張した。

次に、法改正論としては、建築協定について、運営委員会の制度化と権限の拡大、規制内容の拡充、行政規制との連動等を提案した。地区計画についても、規制内容の拡充、計画策定過程の保護などを提案した。また、それ以外の法改正案(絶対高さ規制など)についても言及した。

本稿は、建築協定と地区計画という二つの具体的な法制度を素材として、横浜市全域にわたるアンケート調査やヒアリング、国立市における長期的な紛争実態の観察等によって、現代日本の都市コミュニティにおける法使用の実態を一定程度浮き彫りにするとともに、そうした実態の把握に基づいた、法制度の運用改善策と立法政策とを提示したものである。

従来の日本の法社会学研究においても、都市コミュニティにおける裁判外紛争処理に関する研究はいくつか存在した。しかし、集団的な法使用の実態、法使用における地域自治組織の役割、都市における社会規範の具体的な作動などを実証的に解明し、法政策的提言に至った論考はなかったと思われる。この点で、本稿は都市コミュニティという問題領域に対する、法社会学的実証研究に基づいた新たなアプローチを試みたものであると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「都市コミュニティにおける法使用」は,現代日本の都市コミュニティにおける法使用のダイナミクスを,「法の形成(law-making)」と「法の援用(law-enforcement)」の二つの側面から実証的に明らかにする研究である.

都市の一人ないし一部の市民による土地利用は,日照・通風阻害,騒音発生,景観悪化など種々の悪影響を,コミュニティ内の他者やコミュニティ外の他者に対して,その自発的承諾なく一方的に与える可能性を含んでいる.このために,私益相互間および公益と私益の間に相剋が生じ,種々の紛争の原因ともなっている.このような利害を調整し,良好な住環境を維持・保全するという政策目的のために,都市計画制度が存在する.しかし,筆者によれば現代日本の都市計画制度には,この政策目的に照らした場合,(a)土地利用規制が極めて緩やかでしかも詳細性を欠いている,(b)規制が全国一律で地域特性への配慮が不足している,(c)都市計画の決定への住民参加・市民参加の手続きが不十分である,(d)事前規制の実効性も司法の事後規制の実効性も弱い,等の弱点が存在する.この弱点を補完するために,都市コミュニティの秩序の自発的形成とその自発的維持・強制に期待し,それを法的にサポートするための制度として「建築協定」と「地区計画」が存在している.

建築協定とは,土地の所有者等が協定(契約)を締結して土地の利用権を制限する制度であり,建築基準法の一般的基準以上の基準を定めることを認める(建築基準法69条以下).建築協定が公告されると,その日以降建築協定区域内の土地の所有者等となった者に対してもその効力が及ぶ反面,建築協定への非同意者の区画には法的拘束力が及ばない(いわゆる「穴抜け区画」).地区計画とは,市町村が地区の土地利用計画を策定し,建築等の規制または誘導を行う制度であり,都市計画法による用途地域制限に上乗せした土地利用規制を行うことができる(都市計画法12条の4等).地区計画は市町村の都市計画として決定され,建築協定と異なり土地所有者等の全員の合意は不要であるので,穴抜け区画も生じない.

本論文は,この建築協定と地区計画という二つの法制度に着目し,現代日本の都市コミュニティにおける法使用の中の「法の形成」の面では,建築協定が締結されるに至るダイナミクス,地区計画が策定されるに至るダイナミクスを実証的に明らかにする.「法の援用」の面では,土地利用をめぐる種々の紛争事例に着目し,建築協定に対する違反者や穴抜け区画・隣接地の所有者等に対して行われる種々の働きかけ,および地区計画を強制するための種々の働きかけを実証的に明らかにし,それらの実効性の評定と機能条件を分析している.具体的には,横浜市と国立市における建築協定・地区計画の策定(法の形成)と,その秩序維持活動(法の援用)を,長期にわたる観察,関係者への聞取り調査,質問票調査等の多面的手法を総合して行っている.そこから得られる厖大なデータの分析枠組みとして,(1)役割または法意識のレベル,(2)専門的知識のレベル,(3)周囲の組織・集団のレベル,(4)規範のレベルの4つの次元を設定して分析し,理論化している.

このように本論文は,建築協定・地区計画という法制度の大枠の中で,都市コミュニティの成員がイニシアティヴをとって,土地利用をめぐるルール作成を交渉等を通じて行う私的秩序形成(private ordering)と,形成されたルールをめぐる違反取締りや紛争解決を交渉等による働きかけを通じて行う私的秩序維持活動のあり方に,理論と実証の双方からアプローチして一定以上の成功を収めた研究である.

本論文の構成は,問題設定を行い,分析枠組みを構築し,対象と方法を特定する「序論」に続いて,第一部で建築協定について論じられ,第二部で地区計画が論じられ,最後に「結論」で,現代日本の都市コミュニティにおける市民像の提示と,法制度の運用改善策と法改正案が提案される,というものである.

序論では,問題設定,分析枠組み設定,研究方法の設定がなされる.

まず,問題設定としては,建築協定と地区計画の二つの制度を素材として,日本の都市コミュニティにおける市民の法使用のプロセスを研究するとされる.ここで言う「コミュニティ」は「地域性と共同性とを要件として構成される社会関係」という通常の定義を踏襲している.また「法使用」とは,六本佳平の定義に従って「社会を構成する個人や組織が,自己の抱えている法律問題に対処するために,問題の法的処理のために用意されている制度的な仕組みを利用すること」とされる.このような法使用は,「個人や組織が当事者として契約を締結したり,住民や市民として法律・条例の制定や行政計画の策定に参加・関与すること」である「法の形成」と,「個人や組織が契約に基づいてその相手方に履行を請求したり,法律や条例に基づいて自らの権利の実現を図ること」である「法の援用」とから構成される.これを枠組みとして,建築協定・地区計画における法使用のプロセスが,法の形成,すなわち建築協定・地区計画の策定のプロセスと,法の援用,すなわち建築協定・地区計画の強制のプロセスとに分けて分析されることになる.

続いて日本の都市計画制度の概要とその問題点が説明された後,法律学と法社会学における先行業績が検討される.それらを踏まえて筆者の分析枠組みが提示される.社会関係と法システムとが交錯する局面を,法使用行為主体のもつ意識や能力などの内在的要因にかかわる「主体的条件」と,法使用行為者の占める場や環境などの外在的要因にかかわる「客観的(構造的)条件」とに分ける.主体的条件には,(1)役割または法意識のレベルと(2)専門的知識のレベルが区別される.客観的条件には,(3)周囲の組織・集団のレベルと(4)規範のレベルが区別される.(1)のレベルは,「町内会長」であるとか「隣人」であるというような役割・立場を戦術的に切り替えたり使い分けたりしてコミュニティでの法使用がなされる点を問題とするレベルである.(2)の専門的知識のレベルは,一般人が専門家など利用可能な専門的知識の情報源を入手し,やりくりしながら法的知識・建築知識の必要を満たしている点を問題とするレベルである.(3)の周囲の組織・集団のレベルは,法使用行為者を取り巻く周囲の社会集団や外的アクターの事実上の活動のレベルであり,自治会町内会や行政庁などの演じる役割や影響を問題とするレベルである.(4)の規範のレベルは,実定法と社会規範の使い分けに関するレベルである.

本論文の方法は実証的研究を中心とするものである.本論文が蒐集し分析したデータセットの横浜市分は,筆者が1999年3月に実施した「横浜市内運営委員長に対する質問票調査」で得られた回答115件(回収率74.7%)のデータ,運営委員長で協力を承諾してくれた者へのヒアリング調査の結果,建築協定連絡会の定例会の傍聴からのデータ(1998年〜2002年)である.データセットの国立市分は,地区計画紛争地域の住民集会の傍聴,弁護団やリーダーから提供された諸資料や記録である.

第一部は建築協定を対象とする.

第一章では,まず,建築協定制度の概要,制度の沿革,活用状況が説明される.1999年までの全国の認可件数累計は3824件であり,その4分の3は新市街地の住宅地である.新市街地は開発の際に行政庁がデベロッパーに行政指導をして分譲前に導入させる「一人協定」による場合が多い.建築協定の規制内容としては,用途,高さ・階数,容積率,建ぺい率,敷地面積,塀など雑多である.横浜市は全国で最も建築協定が活用されている政令指定都市のひとつである.

その上で,法援用過程のアクターとその構造が,分析枠組みの(2)専門的知識のレベルと(3)周囲の組織・集団のレベルに着眼して行われる.具体的には建築協定運営委員会,横浜市,自治会町内会,専門家(弁護士,まちづくりコーディネーターなど)の順に解説される.第一章の最後では建築協定違反の処理パタン,締結・更新のパタンが説明される.

第二章では,建築協定加入地区における法の援用が分析される.序章の分析枠組み(1)役割または法意識,(2)専門的知識,(3)周囲の組織・集団の各レベルについて,ケース・スタディとして検討される.対象とされた17件のケースは,近隣住民が協定違反かどうかを運営委員会に問い合わせ,運営委員会が違反はないと回答して処理の終了した「問い合わせ」ケース,建築協定違反が運営委員会から指摘されても違反者が無視して是正されない「是正請求→無視」ケース,違反者が運営委員会の請求にある程度応じて不完全な是正となる「是正請求→妥協的解決」ケース,建築協定の内容どおりに違反を是正できた「是正請求→是正」ケース,違反状態が何らかの理由で消滅して運営委員会が対応を打ち切った「違反消滅」ケース,の5つに分けて分析される.それによれば,運営委員の対応は,主たる相手方が住民である場合と業者である場合とで異なる.住民間のトラブルでは運営委員(長)は互譲による和解を求め,隣人としての立場と運営委員長の役割の間を揺れ動く.このような態度は継続的な社会関係のない業者の場合は影を潜め,法執行者としての役割が強まる.とはいえ,隣人間紛争も激化するにつれ法執行者的役割が強まっている.専門家の関与としては,弁護士,建築家の関与が観察されている.行政庁はあまり強い指導はしていない.自治会や町内会は,連名で署名したり,弁護士費用を拠出したり,仮処分の担保を貸し付けたりして積極的に関与することが多い.

第三章は,建築協定における穴抜け区画や建築協定の隣接地における規範の援用を検討する.横浜市の事例10件のケース・スタディがなされる.穴抜け区画や隣接地には建築協定の法的効力は及ばない.しかし,これらの存在は建築協定の目的である良好な住環境の実現を妨げる.反面では,穴抜け区画や隣接地は,建築協定による良好な住環境の利益にフリーライドしていることになる.そこで,運営委員会は協定の内容をできるだけ尊重するように,穴抜け区画や隣接地の建築主や所有者等に対して嘆願し,説得し,場合によっては脅す.さらには,行政庁に行政指導を求めたり,自治会と連携したりもする.これらは公式の法制度の利用ではなく,いわば共同体的規制であるといえる.共同体的規制に際してはコミュニティ固有の社会的ルール(社会規範)が援用される.このような社会規範として援用されるのは,建築協定そのもの,不動産会社の分譲時の制限規約,自治会の規約や指針,道徳やマナー,エチケットなどである.運営委員(長)は建築協定の法的拘束力が及ばないことを自覚しつつ,これらの社会規範を援用しており「法の影響下の交渉」をしていることになる.そこには「実定法規範と社会規範との交錯」が生じている.行政庁は消極的な介入しかしようとしない傾向が見られる.自治会町内会は,穴抜け区画や隣接地の建築主に圧力をかけたり,建築主との交渉の時間的・人的・金銭的費用を支出したりする.専門家の関与は見られない.

第四章では,建築協定の締結・更新過程,すなわち法の形成過程が検討される.(2)専門的知識の調達方法,(3)周囲の組織・集団(自治会町内会・行政庁等)の二つのレベルに沿って,まず締結過程の4件が分析される(共同住宅の紛争から合意による建築協定締結に至った3ケースと締結に失敗した1ケース).それによれば,第一に,建築協定の締結過程では,専門的知識は行政庁からの支援で足りている.第二に,地権者からの合意の取付けが最重要であり,大規模な区域では自治会の役割が重要となる.ただし,小規模な区域の場合は,自治会が消極的でも成立しうる.第三に,締結パタンとしては,建築紛争を契機とする場合と,従来の法的拘束力のないルールから建築協定が発展してくる場合とがある.建築協定の更新過程については2件のケース・スタディがなされる.ここでも自治会の役割が大きいことが明らかにされている.

第二部は地区計画を対象とする.

まず,第五章では,地区計画制度の概要と活用状況,制度の沿革が説明される.2002年3月末現在の全国の地区計画累計は3582件である.横浜市の場合2003年4月現在で64件,国立市の場合4件である.規制内容としては,垣柵,形態意匠,敷地面積,壁面位置,高さなどである.

第六章では,地区計画における法の形成と法の援用が検討される.具体的には横浜市の1件と国立市の1件が分析対比される.横浜市の事例は,既存の建築協定から地区計画に移行した事例である.1992年の都市計画法・建築基準法の改正を受けて1994年に横浜市が用途地域指定替えを発表したことから住民の反発が生じ,市の示唆もあって住民主導で地区計画が2001年に策定された.自治会という地域社会集団が中心的役割を果たしている.専門的知識の獲得に関しては,セミプロ化した建築協定運営委員,まちづくりコーディネーター,市役所担当者などが協議を重ね合意を作成している.行政庁自体は積極的関与を控え住民・自治会の協議にゆだねている.

国立市の事例は,景観条例のみが存在した地区でマンション建設紛争が起こり,地区計画を慌てて策定したものであり,自治会は機能しておらず,専ら住民側の専門家(コンサルタント,弁護士)が策定に尽力している.マンション建設紛争からは多数の訴訟が提起された.分析枠組みの(1)役割または法意識のレベルについては,住民の規範意識が地区計画とその条例化によって法的ルールとして結実し,それが訴訟の過程で正面に押し出された点に大きな特徴がある.(2)専門的知識の供給のレベルについては,地区計画策定で中心的役割を果たしたのはコンサルタントや,ある私立の学園の卒業生からなる「専門者会議」であり,そこには弁護士も含まれている.この私立学園が人的資源と資金を提供するという重要な役割を演じている.(3)組織・社会集団のレベルとしては,このようにある私立の学園が運動と訴訟を支えてきたといえる.それと同時に行政庁としての国立市および住民組織も大きな役割を果たしている.反面,自治会町内会は機能していない.(4)社会規範のレベルとしては,「まちづくり憲章」や「まちづくり指針」のような一種の社会規範が形成され,それが地区計画の母体ないし指導理念となっている.このように法的拘束力を持たないコミュニティの社会規範が地区計画制度を補完するものとして位置づけられており,社会規範から法的ルールが形成されてゆくプロセスを見ることができる.

以上の調査研究とその分析を受けて最後に「結論」が示される.そこでは,全体の総括の後,現代日本の都市コミュニティにおける市民像の提示という法社会学的な分析結果が提示されるとともに,本論文の全体を基礎として法制度やその運用についての政策的提言が行われる.

現代日本社会の法使用行動を考察する上での手がかりを与えるものとしての市民のイメージには二つある.第一は主体的・反省的な市民像である.すなわち,自らの多様な役割を区別し,それらを使い分け,利用可能な専門的知識にアクセスし,学習しながら,法使用を行う,そのような市民である.自らの行為や振る舞いをモニタリングし,反省し,吟味し,改善してゆく個人であり,ルールを参照し,議論や意思によって紛争を解決する,主体性や能動性を持った市民像である.公式・非公式な制度的配置の複合体を吟味し,それらを戦略的に利用し,法システムの内部と外部を往復する市民である.第二の市民イメージは,互酬的な社会関係の中に生活する市民像である.このような市民は,地域コミュニティという継続的で局所的均衡を志向する関係性の中に生活し,その中に埋め込まれている.とはいえ,全くパッシヴな存在ではない.社会関係自体が反省的に捉え返され,日々新に形成されているからである.

最後に,法制度の運用改善策と法改正案の提案が具体的かつ詳細になされる.改革提案の方向性としては,コミュニティの自律性,固有の論理を尊重する方向,法制度に多様なオプションを用意して法使用者たる私人に選択権を与える方向,行政庁による助言,法情報提供,および財政的支援を向上させる方向,行政法的規律と民事法的規律の間に規制の間隙を作らない配慮,が提案され,この方向性に基づいて,現行制度を前提とした運用改善策と,現行法制度自体の改革の具体的提案がなされる.

本論文の長所としては,次の諸点を挙げることができる.

第一に,テーマ設定のセンスの良さを挙げることができる.建築協定・地区計画は,コミュニティの成員がイニシアティヴをとって規範秩序を集合的に構築し,その維持・管理・強制の活動を行うという,興味深い法領域であり,法制度と社会規範とが交錯し,コミュニティの成員と行政や自治会等が相互に交渉するという極めて現代的かつダイナミックなフィールドである.これに着目し,手堅い実証研究を通じて,着実な成果を挙げたことは,従来の法使用についての法社会学研究が多くの場合に個人の法使用と社会運動のいずれかを対象とするものであったことに鑑み,本論文は,個人と社会運動の中間に位置づけうる領域,すなわちコミュニティの法使用という法社会学の新たな研究領域を確立するものと評価できるであろう.

第二に,理論と実証の結合にある程度以上の成功を収めている点を長所として挙げることができる.建築協定・地区計画をめぐる法の形成と法の援用,すなわち法使用は,複数のアクターが場合により立場や役割を入れ替えながら相互作用をする場であり,利害の対立も複層化している.蒐集されたデータには,多種多様な紛争が含まれている.これらを腑分けするために,諸アクターの役割や法意識,専門知識といった主体的条件と,社会構造としての周辺の組織・集団,社会規範といった客観的条件の双面から理論的枠組みを構築して,見事に分析している手腕と力量は筆者が法社会学者として第一級の研究者であることを示している.

第三に,現代日本の都市コミュニティにおける市民像を,調査と理論的分析とから析出している点を長所としてあげることができる.すなわち,「法システムを使いこなし,これを馴致する,主体的で自発的・反省的な市民のイメージ」と「コミュニティの互酬的な社会関係の中に生きる市民のイメージ」という二つの市民像を提示している.両イメージによって,都市コミュニティにおける「社会秩序の法化」のダイナミクスに見通しを与えてくれる.

第四に,実証的調査研究とその理論的分析を踏まえて,法制度の改革へ向けての具体的な政策提言にまで及んでいる点を長所としてあげることができる.規範的政策提言を法社会学の守備範囲と見るべきかについては議論が分かれるであろうが,本論文のような,手堅い実証的研究とその理論的分析に基づいて,具体的社会状況に応じた法の機能条件を法社会学的に明らかにした上での政策提言の説得力を否定することはできないであろう.

もっとも,本論文にも補完すべき短所がないわけではない.

第一に,建築協定の充実した調査データに比べると,地区計画のデータが若干少ない点が挙げられる.地区計画については,その策定過程に重心を置いた調査と分析が第6章でなされているだけである.とはいえ,横浜市の地区計画と国立市の地区計画を詳細に説明し,前者の自治会主導型と呼びうるパタンと,後者の特定住民・専門家主導型と呼びうるパタンとをうまく対比させている.

第二に,建築協定・地区計画を推進する側,その内容を強制しようとする側,すなわち法の形成側と援用側からのデータに偏っている面があり,建築協定・地区計画に反対する側,違反する側からのデータ蒐集が弱い点を短所としてあげることができる.とはいえ,政策的に対立している問題の双方の側,および,紛争の当事者双方から,研究に対する同程度の協力を得ることはほとんど不可能に近いことも事実である.調査が本研究のようにイン・デプスになればなるほど,対立・紛争の相手方からは党派的な色づけをもって迎えられることになり,面接拒否も生じうる.この点に鑑みれば,この第二の短所は望蜀というべきであろう.

第三に,イギリスやアメリカ合衆国のコブナント,ドイツの地区詳細計画(Bプラン)との対比という比較法的な視点が不十分な点も,日本の建築協定・地区計画の法制度構築の際にある程度それらが参照されただけに,短所に挙げることができるかもしれない.とりわけ,法制度的な与件が日本と欧米とで異なっていないか,その相異のために社会的機能に差が生じていないかという問題意識は法社会学のテーマでもありうる.とはいえ,本論文においても,コブナントやBプランの簡単な説明と,それらと日本の建築協定・地区計画との簡略な対比はなされている.日本の土地利用をめぐる法社会学研究としては,これ以上を望むことはできないというべきであろう.

これらの短所は,いずれも本論文の学術的な価値を大きく損なうものではない.都市コミュニティにおける土地利用をめぐる法使用について,時間と労力の厖大にかかる実証的調査を着実に実施し,先行研究も最新の理論も共に十分に参照した上で分析の理論枠組みを構築し,筆者がまとめ上げた本論文は,日本の法社会学のこの分野の研究水準を飛躍的に向上させるものであると評価することができる.したがって,本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいものであると評価できる.

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