学位論文要旨



No 215969
著者(漢字) 吉田,正裕
著者(英字)
著者(カナ) ヨシタ,マサヒロ
標題(和) 半導体量子井戸および量子細線構造の界面ラフネス制御と顕微分光計測
標題(洋) Interface roughness control and microscopic spectroscopy of semiconductor quantum wells and wires
報告番号 215969
報告番号 乙15969
学位授与日 2004.04.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15969号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 助教授 勝本,信吾
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 助教授 常行,真司
内容要旨 要旨を表示する

 結晶成長技術の進歩により様々な形状の半導体量子細線構造が実現されるようになってきた。しかし、その構造には依然として界面ラフネスによる大きな構造不均一が存在しており、電子状態の局在化や発光線幅のブロードニングが引き起こされ、1次元系特有の物理現象が消失してしまう。1次元系における新奇な物性を解明し、またその特性を電子デバイスに利用していくためには、構造不均一(界面ラフネス)を低減した高品質量子細線構造を実現する必要がある。

 本論文では、分子線エピタキシー(MBE)法を用いてへき開再成長(CEO)法により作製するT型量子細線構造を対象とし、その高品質量子細線の実現を試みている。まず、評価・物性計測の主力となる高分解顕微分光画像計測手法の開発を行い、それを用いて量子細線構造中での構造不均一の原因となる界面ラフネスの様子を解明した。そこで得られた知見を結晶成長へフィードバックし、界面ラフネスを制御・低減化するための新しいCEO成長法(成長中断アニール法)の開発を行った。この新しい方法を用いて高品質かつ均一な量子井戸・量子細線構造を作製した。その光物性を顕微計測により調べたところ、量子細線には1次元特有の物性現象を観測することができ、また、量子細線レーザー構造からの光励起レーザー発振が得られた。本論文で開発・構築した顕微発光分光画像計測系は、半導体ナノ構造の構造評価、物性計測を高分解能、高精度で行う利便性の高いものである。特に光の回折限界を超えた高空間分解能を有するソリッドイマージョン顕微蛍光計測系を開発し、半導体ナノ構造の物性計測への適用の道を開いた。

 本論文は、前半部(第2、3章)の顕微計測技術に関する部分と、後半部(第4章から第7章)のCEO法における結晶成長表面の制御と高品質な量子井戸・量子細線構造作製に関する部分から構成されている。

 顕微計測技術に関して、第2章では、本研究で構築した顕微分光画像計測系とその具体的な計測方法についてまとめている。顕微計測系は開口数NA=0.5の対物レンズを用いているため、分解能は波長程度であるが、点励起と一様励起、スペクトル測定と画像測定を組み合わせた測定により、試料の均一性やキャリアの拡散・ドリフトなどの情報を効率よく得ることができる。実際に半導体ナノ構造の物性計測に適用し、種々の測定モードでの計測結果から顕微計測法の有効性について議論した。

 第3章では、光の回折限界を超える高空間分解能顕微計測法としてソリッドイマージョンレンズ(SIL)と呼ばれる固体レンズを用いた顕微蛍光計測法を開発した。まず、SILを顕微計測系に用いる際に重要なSIL加工誤差・収差や集光効率にっいて検討し、顕微蛍光計測に用いた場合約一桁も集光効率が向上することを発見・証明した。次に、SILを顕微分光計測と組み合わせて温度可変ソリッドイマージョン顕微蛍光分光画像計測系を開発した。図1にワイエルストラス球型SILを用いたソリッドイマージョン顕微分光画像計測系の空間分解能を金属マスクエッジ法で評価した結果を示す。SILと開口数NA=0.5対物レンズを用い、有効NA=1.0と光の回折限界かそれ以上の高い空間分解能を実現することができた。また、低温(5K)と室温とで分解能の変化がほとんどないことが示された。また、実際に半導体ナノ構造の高分解顕微分光画像計測に適用し、サブμm分解能でのキャリア分布、キャリアマイグレーションを観察することに成功し、SIL顕微計測法の有効性を実証した。

 続いて、上記の高分解顕微分光画像計測を使用し、CEO法における界面ラフネスの解明、さらに成長表面の改善・制御と高品質なT型量子細線・量子井戸構造の作製を試みた。

 T型量子細線構造の模式図を図2に示す。(001)基板上にMBE成長した量子井戸(stem well)のへき開(110)面上にCEO法により第2量子井戸(arm well)を成長すると、2つの量子井戸の交線にT型量子細線が形成されることになる。(001)面上のMBE成長は良く知られているが、(110)面上のMBE成長には不明な点が多く、T型量子細線における構造不均一もその(110)成長に起因するものと考えられる。第4章では、へき開面上にGaAs(110)量子井戸構造をMBE成長し、そこで形成される界面ラフネスとその電子状態を顕微分光画像計測法を用いて調べた。(110)量子井戸界面には平均3.5原子層もの大きな界面ラフネスが存在し、電子状態が局在化してしまうことを明らかにした。

 第5章では、(110)CEO成長表面に形成されるこの大きな界面ラフネスを著しく減少させる新手法として、へき開面へのCEO成長後に、その成長表面で基板温度を上げて成長中断を行う成長中断アニール法を開発した。図3にCEO成長した5nmGaAs層表面で、基板温度を変化させて成長中断アニールを行ったときの表面AFM像を示す。成長表面(a)には最大5原子層もの表面ラフネス構造が存在しているが、アニール温度を上げるに従い、表面の平坦化がおこり、600℃、10分間アニールでは数十μm以上にわたり原子平坦な表面を形成することができた。また、アニール表面のGaAs層厚(GaAs堆積量)依存性に、面方位に依存する特徴的な表面構造(図4中の構造A,B,C)が形成されることを発見した。その形状と(110)表面原子配列との比較から、アニール時表面平坦化メカニズムの考察を行い、ステップエッジでの表面原子の結合数の違いが表面平坦化の駆動力であるという結論を得た。

 第6章では、前章で開発した成長中断アニール法が高品質半導体ナノ構造作製に適用可能かどうかを調べるため、CEO法による原子平坦界面を有する(110)GaAs量子井戸構造の作製を試みた。図5に成長中断アニール法を適用しCEO成長した量子井戸構造からの発光像を顕微発光画像計測法により測定した結果を示す。GaAs堆積量(量子井戸厚)を変化させると、図4のアニール表面での特徴的な表面形状と同じ発光像が観測された。これは、アニールで形成された原子平坦表面が量子井戸界面としてそのまま保持されることを示しており、特に、井戸厚が原子層の整数倍の位置では、両ヘテロ界面が原子平坦な量子井戸が形成されていることになる。図6にはこの原子平坦界面領域での発光スペクトルを示す。比較として成長中断アニールを行わない従来のCEO法で成長した量子井戸の発光スペクトルも示してある。成長中断アニールを行うことで発光効率が劣化することなく発光線幅が2meVへと大きく減少しており、成長中断アニール法が界面ラフネスの低減に非常に有効であり、光学特性にも優れた高品質な量子井戸が形成されていることが確認された。

 第7章では、(110)表面平坦化法を適用しCEO法によりT型量子細線構造(図7)を作製した。量子細線からの発光を空間分解顕微分光計測により調べたところ、細線(T-wire)の発光は主に自由励起子からのものであり、また、その空間分布が非常に均一であることから、高品質な量子細線が形成されていることが確認された。この量子細線の吸収スペクトルに1次元性を反映した励起子連続状態での抑圧効果が観測された。

 この量子細線を活性層に用いた量子細線レーザー構造を作製し、光励起を行ったところ発振閾値が5mWとこれまでに報告されているものに比べて非常に低閾値でのレーザー発振が観測された。また、発光スペクトルの励起強度依存性や発振スペクトルとの比較から量子細線レーザーにおけるレーザー発振起源について考察を行った。

 第8章では、発光計測以外の計測手法として変調反射分光法を用い、半導体エピタキシャル構造の表面・基板界面に存在する内部電界分布の評価を行った。変調周波数依存性から表面と基板界面での内部電界を分離して評価することに成功した。また、この計測法を半導体ナノ構造の物性計測へ適用するための課題と今後の展開についても述べた。

 最後に、第9章で本研究において得られた結果、知見をまとめた。

図1:SIL分解能評価

図2:T型量子細線構造の模式図

図3:CEO成長GaAs表面の成長中断アニール後AFM像

図4:成長中断アニール後表面のGaAs堆積量依存性(成長中断アニール600℃、10分間)

図5:成長中断アニールを行ったCEO成長GaAs量子井戸からの発光像のGaAs堆積量依存性

図6:CEO成長GaAs量子井戸の発光スペクトル

図7:T型量子細線試料構造と量子細線からの空間分解発光スペクトル

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は8章からなり、第1章では半導体量子細線の研究の背景と目的が述べられている。半導体量子細線は一次元物性の研究対象として注目されているが、構造の不均一のために真の姿が見え難いことが課題とされていた。これを踏まえた研究のシナリオ、即ち、新しい評価法の開発、構造不均一の評価と改善法の提案、高品質な量子細線の実現と一次元物性の探究が述べられている。

 第2章では通常の計測法(顕微分光画像計測法)と一般的な量子細線の評価が述べられている。この計測法は、空間分解能が光の回折で制限されるが、試料の均一性やキャリアの拡散などの情報を効率良く得られることが説明されている。

 第3章は回折限界を越える顕微計測法の開発に関する章で、原理と性能、その適用例が説明されている。原理は、半球形、あるいは超半球形の微小な固体レンズを試料表面に密着させるとレンズの屈折率分だけ光の波長が短くなるので空間分解能が上がる、というもので、蛍光測定用に設計、適用した初めての例である。いくつかの量子細線の測定で、従来の倍以上の空間分解能が達成されている。この技術は、本研究に不可欠であるだけでなく、様々なナノ構造の評価にも威力を発揮する技術と認められる。

 第4、5章は開発した顕微計測法による界面揺らぎの評価と要因解明に関する章である。本研究では、第1の量子井戸の(100)結晶成長後直ちにへき開し、その上に第2の量子井戸を(110)結晶成長するという手法で"T型量子細線"が作られる。これは、ヘテロ界面で囲まれた量子細線のもっとも優れた作成法とされているが、へき開面の原子層程度の凹凸のために一次元性が局所的に揺らぐことが問題であった。この揺らぎの詳細を(110)量子井戸について調べた結果が第4章で議論されている。最大5原子層の凹凸がへき開面に存在し、局所的な量子ドットが存在していることが確認され、その原因として(110)面成長の不安定性が議論されている。第5章では、界面揺らぎの解消法として、成長中断アニール法の提案と実証が示されている。ここでは、アニール条件で様々に変わる表面構造が克明に調べられ、これらがステップエッジの原子の結合数に起因することが示されている。ミクロな立場から(110)成長の議論が進められ、妥当な結論が導かれている。最終的に表面平坦化が実現されており、ここで開発された手法は、難しいとされていた(110)面の細線作成に大きなインパクトを与えるものと期待される。

 第6、7章は、第4、5章の指針に沿って作成した(110)量子井戸(6章)とT型量子細線(7章)の発光顕微分光計測の結果が述べられている。量子井戸については、AFMで界面の平坦性が確認された領域で、シャープで空間的に均一な発光ピークが確認され、また、各領域での発光波長と量子閉じ込め効果が見事に対応付けられている。第7章は研究の集大成ともいえる章で、獲得した知見をもとに作成した最高品質のT型量子細線の光物性が詳細に述べられている。まず、顕微分光計測で細線方向500ミクロン以上に渡り均一な自由励起子発光が観測され、これにより界面の平坦性に優れた一次元電子状態が確認されている。また、発光線幅、波長のストークスシフトとも従来より1桁程度小さく、極めて高品質な量子細線であることが確認されている。この細線を用いて一次元励起子物性が詳細に調べられ、理論的に予測されていた吸収端の発散異常の抑圧、励起強度の増大に伴って自由励起子から励起子分子そして電子正孔プラズマヘ「クロスオーバー」的に変わる様子が見い出されている。これらは、従来の量子細線では見ることのできなかった現象であり、一次元光物性の分野に大きな進展をもたらす成果と認められる。また、同量子細線を埋め込んだレーザーを試作し、その発振機構が、自由励起子ではなく、強く相関した電子正孔プラズマによることを示唆する結果が得られている。従来の論争に片を付ける貴重な実験結果である。

 第8章では研究結果が簡潔にまとめられている。

 以上、各章を紹介しながら本論文の物理学への貢献点を解説した。本論文は、計測法から、試料作成と構造不均一の機構解明、改善法の提案と実証、最高品質の量子細線を用いた一次元物性の解明まで、オリジナルで完成度の高い研究が行なわれている。これらをまとめた本論文は、学位論文として十分な水準にあることが審査員全員によって認められ、博士論文として合格であると判定された。なお、本論文の内容は、Appl.Phys.Lett.、Phys.Rev.Bなどの11編の学術論文(筆頭7、共著4)に掲載されている。本論文は筆頭著者の論文を中心に構成されているが、これらは論文提出者が主体となって実験、及び結果の解釈を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク