学位論文要旨



No 215971
著者(漢字) 國信,洋一郎
著者(英字)
著者(カナ) クニノブ,ヨウイチロウ
標題(和) サンドイッチ型フラーレン-遷移金属錯体の合成,構造および性質
標題(洋) Synthesis, Structure and Properties of Sandwich-Type Fullerene-Transition Metal Complexes
報告番号 215971
報告番号 乙15971
学位授与日 2004.04.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15971号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 助教授 島田,敏宏
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序

 フラーレン-遷移金属錯体は,特異な立体的・電子的性質を有するフラーレン部位と触媒活性や電気的・磁気的性質を有する遷移金属部位の性質を合わせ持つ,新たな機能性分子として振る舞うことが期待される.これまでにも,フラーレン-遷移金属錯体の合成に関する研究がなされてきたが,低収率・低選択性,および低原子価の遷移金属錯体しか合成できないなどという問題点があった.著者は修士課程において,5員環の周りに5つの置換基を有するフラーレン誘導体をシクロペンタジエニル型配位子として用いることで,いくつかの遷移金属錯体の合成に成功した.

 今回,フェロセンとフラーレン部位が直接結合した"バッキーフェロセン"を中心に,フラーレン-遷移金属錯体の性質の解明およびその応用について検討したので以下報告する.

第2章 ニッケル,パラジウムおよび白金錯体-C60Ph5配位子の安定化効果

 フラーレン5重付加体のカリウム塩C60R5K (1:R = Me,2: R = Ph)と[MX(CH2C(Me)CH2)]2 (M = Ni,Pd,Pt; X = Cl,Br)とのトランスメタル化により,サンドイッチ型ニッケル,パラジウムおよび白金錯体M(η3-CH2C(Me)CH2)(η5-C60R5) (3b: M = Ni,R = Me; 4b: M = Ni,R = Ph; 7b: M = Pd,R = Me; 8b: M = Pd,R = Ph; 9: M = Pt,R = Me; 10: M = Pt,R = Ph)の合成に成功した.パラジウム錯体7b,8bに関しては,X線結晶構造解析によりその詳細な構造を明らかにした.

 空気中,トルエン溶液の状態で,ニッケル錯体3bは25℃で5日間放置後30%残留したのに対し,4bは80℃で15時間加熱しても分解は見られなかった.これらの結果は,ニッケル錯体Ni(allyl)Cpが空気中室温で速やかに分解することとは対照的である.このことにより,フラーレン配位子,特にC60Ph5配位子の錯体安定化効果を確認できた.

第3章 バッキーフェロセン-その諸性質

 フェロセンとフラーレンが直接結合したバッキーフェロセンFe(η5-C5H5)(η5-C60Me5) (11)は,フェロセンとフラーレンの両方の性質を合わせ持つ新たな機能性分子として働くことが期待される.そこで今回,11についていくつかの性質を調べた.

 1Hおよび13C NMRスペクトルの測定より,11はC5vの対称性を有することが示された.INEPT測定により,C(Me)およびC(Cp)における結合水素原子核とのカップリング定数1JC-Hはそれぞれ129,159 Hzであり,C(Me)およびC(Cp)の1JC-Hの値として妥当である.また,H(MeFCp)とH(Cp)の縦緩和時間(T1)はそれぞれ0.55および1.30 sであり,これらの値もH(Me)およびH(Cp)のT1の値として妥当であった.

 バッキーフェロセン11は,酸素,水,熱および光に対して極めて安定である.真空下200℃で24時間加熱,もしくはベンゼン溶液を400Wの高圧水銀灯で光照射しても分解は見られなかった.このような安定性は,機能性分子またはその骨格として利用可能だということを示している.実際,C60に比べると活性は低いものの,フェロセンFeCp2では見られない光増感剤としての活性を示した.

 理論計算により,バッキーフェロセン11はただ単にフェロセンとフラーレン部位が結合しているだけでなく,分子内で電子的に共役していることが示された(Figure 1).この結果は,バッキーフェロセンにおいて,フェロセン部位とフラーレン部位の特長を掛け合わせた性質の発現を期待させるものである.

 骨格が安定であることは,過酷な反応条件での化学修飾が可能であることを示唆している.バッキーフェロセン11のシクロペンタジエニル部位はフェロセンFeCp2のCp部位同様芳香族性を有することが,1H NMRやX線結晶構造解析により明らかである.そこで,求電子的な反応であるフリーデル-クラフツアシル化を行った.バッキーフェロセン11に対して酸塩化物RCOCl (R = Me,Ph,CH=CHPh)とAlCl3を作用させることにより,対応するアシルバッキーフェロセンFe(η5-C5H4COR)(η5-C60Me5) (13a: R = Me; 13b: R = Ph; 13c: R = CH=CHPh)を得た.

 サイクリックボルタンメトリーの測定より,バッキーフェロセン11はフェロセンFeCp2同様可逆的な酸化を受けることが分かった.そこで,酸化剤による11の酸化を検討した.バッキーフェロセン11をアミニウム塩[(4-BrC6H4)3N][SbCl6]を用いて酸化することにより,フェロセンFeCp2同様バッキーフェロセンのフェロセン部位が酸化され,対応するバッキーフェロセニウム[Fe(η5-C5H5)(η5-C60Me5)][SbCl6] (14)を与えた.EPRスペクトルでは,フェロセニウムに特徴的なシグナルがg|| = 3.94およびg⊥=1.57に観測された.また,Mossbauerスペクトルにおいては,異性体シフト値が0.573(7) mm/s,四極分裂の値が0.185(7) mm/sであり,こちらもフェロセニウムに特徴的なシグナルが観測された.これらの観測結果はいずれもバッキーフェロセニウムの生成を示唆するものである.

 C60Me5以外のフラーレン配位子でもバッキーフェロセンを合成できた.すなわち,メチル基よりかさ高いフェニル基を5つ有するフェニルバッキーフェロセンFe(η5-C5H5)(η5-C60Ph5) (12)や官能基を有するメトキシフェニルバッキーフェロセンFe(η5-C5H5)[η5-C60(4-MeOC6H4)5] (19)の合成に成功した.また,化学修飾の足がかりとなりうるビニル基を5つ有するビニルフェニルバッキーフェロセンFe(η5-C5H5)[η5-C60(3-CH2=CHC6H4)5] (22)およびFe(η5-C5H5)[η5-C60(4-CH2=CHC6H4)5] (23)の合成にも成功した.いずれのバッキーフェロセンも,その詳細な構造はX線結晶構造解析により明らかにした.このように,種々のバッキーフェロセンが合成できたことは,バッキーフェロセンを基本骨格として,さらなる化学修飾による機能性分子の構築が可能だということを示している.

 サイクリックボルタンメトリーの測定により,フェニルバッキーフェロセン12は可逆的な1電子酸化と2段階の1電子還元を受けることが分かった.メチルバッキーフェロセン11の酸化還元電位がE1/2ox = 0.22 V,E1/2red1 = -1.46 Vであるのに対し,12ではE1/2ox = 0.50 V,E1/2red1 = -1.36 Vだった.この結果は,9に比べ12が酸化を受けにくく還元を受けやすいことを示している.このことは,C60Me5に比べC60Ph5配位子の方が電子求引性であることに対応している.

第4章 フラーレン-ハライドを利用したフラーレン-遷移金属錯体の合成

 カリウム塩C60R5K (R = Me,Ph)と種々のハロゲン化剤を反応させることにより、対応するフラーレンフッ化物C60R5F (28a: R = Me; 29a: R = Ph)、塩化物C60R5Cl (28b: R = Me; 29b: R = Ph)および臭化物C60R5Br (28c: R = Me; 29c: R = Ph)の合成に成功した。

 フラーレンブロミド28cと低原子価遷移金属錯体との反応により、レニウムトリカルボニルRe(η5-C60Me5)(CO)3 (31),鉄ブロモジカルボニル錯体FeBr(η5-C60Me5)(CO)2 (32)およびコバルトジカルボニル錯体Co(η5-C60Me5)(CO)2 (33)の合成に成功した。トランスメタル化やC-H結合活性化を経る反応のみならずフラーレンハライドと低原子価遷移金属錯体とのトランスメタル化によりフラーレン遷移金属錯体が合成できたことは、合成法の幅が広がったことを意味し、種々のフラーレン遷移金属錯体が合成できる可能性を示唆するものである。

第5章 結論

 フラーレン-遷移金属錯体を種々の方法により合成し,その性質を調べた.その結果,C60Ph5配位子の錯体安定化効果を見出した.また,バッキーフェロセンの安定性に基づき,可逆的な酸化や配位子の化学修飾を行った.今後,これらの知見をもとに,不安定な金属化学種の単離やフラーレン-遷移金属錯体を基盤とした機能性材料への応用が期待できる.

Figure 1. バッキーフェロセン11の分子軌道(HOMO-11) (a)3D Snapshot.(B) Counter plot.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は五章から構成されており、フラーレン誘導体をシクロペンタジエニル型の配位子として有する各種遷移金属錯体の合成、構造解析およびその性質の解明について述べられている。

 第一章では、フラーレン―遷移金属錯体の背景をいくつかの具体例をあげて示すとともに、論文提出者が修士課程において得た知見に基づいて本研究を行うに至った経緯と本研究の目的が述べられている。

 第二章では、10族遷移金属であるニッケル、パラジウムおよび白金の各種π-アリル型錯体の合成、構造、電気化学的性質およびフラーレン配位子の錯体安定化効果について述べられている。その中でも各種パラジウム錯体に関しては、X線結晶構造解析によりその詳細な構造を明らかにしている。また、サイクリックボルタンメトリーにより、配位子の違いに着目しながらその電気化学的性質を明らかにしている。普通のシクロペンタジエニル配位子を有するπ-アリルニッケル錯体は酸素に対してきわめて不安定であるのに対し、フラーレンニッケル錯体は空気中安定であるという結果より、フラーレン配位子の錯体安定化効果を明らかにしている。C60Me5配位子よりも、より立体的にかさ高く電子求引性の強いC60Ph5配位子において、その安定化効果は顕著に見られている。

 第三章では、フェロセンと5つの置換基を有するフラーレン誘導体が融合したハイブリッド分子であるバッキーフェロセンの合成、構造及び性質の解明について述べられている。バッキーフェロセンが酸素、光、熱及び光に対して安定であることを示している。このような安定性は、機能性分子もしくはその基本骨格として利用可能だということを意味している。実際、C60に比べると活性は低いものの、普通のフェロセンでは見られない光増感作用を有することを明らかにしている。また、理論計算により、フェロセン部位とフラーレン部位がただ単に融合しているだけでなく、フラーレン骨格内でのホモ共役により電子的に相互作用していることを明らかにしている。このことは、フェロセン部位とフラーレン部位の特徴を掛け合わせた性質の発現を期待させるものである。骨格が安定であることは、過酷な条件化での化学修飾が可能であることを示唆している。フェロセンと同様、バッキーフェロセンのシクロペンタジエニル配位子も芳香族性を有していることが1HNMRやX線結晶構造解析の結果から明らかであることから、シクロペンタジエニル配位子に対する求電子置換反応(フリーデル―クラフツアシル化反応)による化学修飾が可能であることを明らかにしている。電気化学的測定により、バッキーフェロセンはフェロセン同様可逆的な酸化を受けること、およびフラーレンと同様可逆的な還元を受けることを明らかにしている。酸化剤を用いた化学的な酸化に引き続く各種物理測定により、酸化体であるバッキーフェロセニウムの生成を確認している。また、フラーレン上の5つの置換基に官能基を有する各種官能基化バッキーフェロセンの合成にも成功し、X線結晶構造解析により、それらの詳細な構造を明らかにしている。

 第四章では、各種フラーレン―ハロゲン化物(フッ化物、塩化物、臭化物およびヨウ化物)の合成、構造、電気化学的性質およびフラーレン―臭化物を用いたフラーレン―遷移金属錯体の合成について報告している。サイクリックボルタンメトリーの結果から、フラーレン―塩化物および臭化物の炭素―ハロゲン結合は還元により容易に切断可能であることが示されている。このことは、フラーレン―ハロゲン化物と低原子価遷移金属錯体との反応により、フラーレン―遷移金属錯体の合成が可能であることを示唆している。実際、フラーレン―臭化物と対応する低原子価遷移金属との反応により、レニウムトリカルボニル、鉄ブロモジカルボニルおよびコバルトジカルボニル錯体の合成に成功している。これまでにトランスメタル化やC-H結合の活性化を経る錯体合成法は報告されていたが、本研究により報告されているフラーレン―ハロゲン化物と低原子価遷移金属錯体との反応は、フラーレン―遷移金属錯体の新規な合成法であり、トランスメタル化やC-H結合の活性化を経る錯体合成法と共に、今後さらに幅広いフラーレン―遷移金属錯体の合成が期待される。

 第五章では、各章ごとに本研究のまとめを行っており、今後の展望についても述べられている。

 なお、第三章のバッキーフェロセンの理論計算の部分は山中正浩氏との共同研究であり、第四章の鉄ブロモジカルボニル錯体からのいくつかの錯体への誘導の部分は村松彩子氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって検討を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49041