学位論文要旨



No 215977
著者(漢字) 張,化永
著者(英字)
著者(カナ) チョウ,ファエン
標題(和) 生態系保全における空間的規模に関する研究 中国東北部科尓沁砂漠を事例として)
標題(洋) A Study on Scale of Ecological Restoration With Kerqin Desert of Northeast China as an Example
報告番号 215977
報告番号 乙15977
学位授与日 2004.04.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15977号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,洋平
 東京大学 教授 田中,忠次
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 助教授 塩沢,昌
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 地球上の生態系は,産業革命以降,近代文明の発展にともない悪化を続けている.過去数百年の間に,大気中のCO2濃度は30%上昇し,種の絶滅は3桁の規模で加速した.人類は1/3の森林と15%の耕作地を失い,再生可能な水資源の半分以上を消費した.さらに,地球上の43%以上の土地で生産性が減少した.産業革命以降,地球環境は,野生種が優先する持続的な生態系から,人間が支配する非持続的な生態系へ変化した.人間の生存と発展のためには,生態学の理論に基づいた生態系の修復と再構築が必要である.

 生態系の修復のスケールは,傷ついた生態系の修復と再構築にとって核となる問題である.生態系の修復は,持続的な生態系にどの程度寄与するであろうか.われわれはどのようにして生態系の持続可能性を評価すればよいだろうか.過去70年間にわたって,古典学派と動学派,全体論者と還元論者の間で議論が続けられてきた.しかしながら,もし生態学者が,それぞれ異なる地域における生物と生態系の研究に従事したままならば,生態系の復元を実現するのは困難である.なぜならば,それは,社会・経済および自然が複雑に絡み合った問題だからである.現在の生態学の流れは,経験的にも帰納的にも乗り越えることのできない困難にぶつかり,自然科学としての論理的整合性を見出す段階には達していない.

 本研究は,経験・帰納的である伝統的な生態学から離れて,演繹法と均一な次元に基づいて生態系の復元スケールに関する研究の理論的枠組みを確立することを目指すものである.そのために,次の4つの目的を掲げた.(1)均一な次元を用いて計算される一般的なモデルの構築,(2)中国北部の典型的な推移帯であるKerquin砂漠を例とした生態学系スケールの作成,(3)作成した生態系スケールに基づき,近代までの生態学的経過の計算(4)生態系の歴史的な変化と現在の土地利用図に基づき,生態系の復元のための生態系の保存と持続可能性の評価

1.一般的なモデル

 一般的なモデルは次の5つの項目であらわされる.

(1)スケールは,系の性質の測定に必要な代表的距離,または,その測定に使われる手段である.このスケールの定義は,拡張されたスケールの概念に応用できる.

(2)(1)で述べたスケールの定義によると,スケールの単位は,系の性質の変化を表す線形方程式によって決定される.このスケールの単位は,定常状態にある系の性質を測定するときのみ適用することができる.2つ以上の相を含む系の性質を測定するときに,この定義を用いることはできない.これに対して,拡張されたスケールの単位は,複数の相で構成される系の変化を記述する非線形方程式によって決定される.

(3)拡張されたスケールは均一な次元を持っている.

(4)拡張されたスケールの単位は,階層性の原理に基づく.

(5)拡張されたスケールの単位の精度は,選択された群落に依存する.

 拡張されたスケールの単位と群落の選択は,与えられたスケールに依存する.スケールの単位を決定する非線形方程式の導出とスケールの次元の決定は,2つの重要な課題である.本論文では,以下に示す3つの式を用いることで,この2つの問題を解決する.

OOE=ln(1/W)=h'AET/T (1)

 ここに,OOEは生態系の複雑さの程度,h'は定数で,その値は1.8099×1033(Kcm2),AETは蒸発散(cm),Tは絶対温度(K)である.

Es=±L(P)1/2 (2)

 ここに,Esは生態学的状態変数,Lは確率定数,Pは生物要素の確率分布である.

ETOOE=EOOE±σ (3)

 ここに,ETOOEはOOEによってあらわされる生物要素の分布の状態,EOOEは生物要素のOOEの平均値,σは生物要素の標準偏差である.

2.生態系パターン

 一般モデルより,生態系スケールの均一な次元を求めてスケールの単位を表す非線形方程式を決めたあと,ある生態系のスケールを決めるために,われわれは次の手順を踏む.

(1)OOEの値を正確に計算する.

(2)単位とするのに適切な生物群落を選ぶ.

(3)生物群落の性質にもとづいてスケール内の階層構造を決定する.

 本論文では,Kerquin砂漠とその周辺地域を例にとり,以下の手順で研究を進めた.

(1)生態系のスケールの指標として,9つの植物群落を選択する.

(2)100万分の1の植生図をもとに,9つの植物群落分布のデータを収集する.

(3)100万分の1の地形図と気象観測所の観測データをもとに,OOV値の計算に必要なデータを収集する.

(4)ポテンシャル蒸発散と降雨の比較から,蒸発散を計算する.

 上述の方法によって,Kerquin砂漠における4つの階層レベルの単位と生態系スケールを決定した.(1)森林・森林と牧草地の推移帯・ニレ草原・典型的なステップ(2)落葉広葉樹林・混合樹林・乾燥気候の混合樹林(3)落葉広葉樹林・マツ林・乾燥気候の落葉広葉樹林・ニレ草原・典型的なステップ・Stipa baicalensisステップ・Stipa grandisステップ(4)中国北部のカラマツ林・中国マツ林・クルミ林・乾燥気候のモンゴルオーク林・シラカバ林・ニレ林地・Stipa baicalensisステップ・Stipa grandisステツプ.

 本章において得られたOOV値と生態系のスケールは,他の研究による結果よりも正確である.

3.過去の生態系パターン

 生態学は歴史の学問である.生態学の現象は,それ自身から遠く離れた単純な現象の影響を受ける.初期条件は,生態学の現象に大きく影響する.生態系のスケールが決定されていれば,生態系の復元によって生じる現象は生態系の歴史的経過を知ることで予測することができる.

 本研究では,以下の3つの手順によって,生態系の遷移の定量化をおこなった.

(1)過去10,000年にわたる生態系の遷移が現在の生態系に与えた影響を評価した.

(2)対象地域に関する考古学と膨大な歴史的証拠をもとに,過去8000年における生態系の遷移の期間を絞った.

(3)古生態学の証拠を考古学と歴史的な文献から収集し,その証拠と生態系のスケールの比較検討により,生態系の遷移を決定した.

 結果は次のようになった.

(1)過去8000年における生態系の遷移は,乾性に向かう傾向がある.

(2)次第に,森林と草原の推移帯に変化した.

(3)古代に対象地域が森林で覆われており,人間の活動によって草原が現れてきたということを証明する事実はない.そして,ユーラシアステップを経て,第四紀には草原に覆われていたことを裏付ける証拠はない.しかし,結果は対象地域における古代の湖・河川・気候と古生態学の研究と一致するものであった.

4.復元した生態系の持続可能性

 生態系の遷移の歴史を明らかにすれば,持続可能性牽目的とした生態系の復元計画を立てることが可能である.本章では,復元する生態系として以下に示す5つを選び,それぞれの生態系の持続可能性を評価した.

(1)残存した生態系の保全

(2)東アジアの自然の森林の復元

(3)モンゴル地域の自然の草原の復元

(4)森林と草原の復元

(5))ニレ草原の復元

 結果を以下に示す.

(1)残存した生態系の特性の違いは,その生態系の保護の必要性の度合いを決定する.

(2)Kirqin砂漠の全域で東アジアの森林を再構築することは,不可能である.

(3)Kirqin砂漠の全域におけるモンゴルの草原の復元は,持続的ではない.

(4)森林と草原の復元のためには,長期間の計画が必要とされる.

(5)Kirquin砂漠における砂漠化の勢いを止めるためには,現存する生態系の保護とニレ群落の復元が有効な手段である.

まとめ

 伝統的に,生態学者は,多くの種で構成される生態系は試験管内の分子の単純な系とは全く違うと考えてきた.物理の法則のアナロジーを用いて生物の世界を単純なモデルで表す方法は,生態系の本質の理解を損なうものであるとされている.このような古典的な考えのもとで,生態学者は生態系を記述的・帰納的に説明することに従事してきた.帰納法にもとづくこれまでの研究は,多様性を生み出す単純な法則を発見する手段をもたない.

 本論文では,演繹縄的な手法を用いて,生態系の復元スケールの研究を行った.本研究の特徴として(1)概念の正確さ,(2)概念の比較可能性,(3)計算可能性,を挙げることができる.

 本研究の結果は,妥当で正確なものであった.本研究の主要な結論を以下に示す.

(1)生態系の理想化は,生態系の本質を理解する妨げとならない.

(2)生態学にも演繹的な手法を用いることが可能である.生態系の理解にとって演繹法は強力な手段となりうる.

審査要旨 要旨を表示する

 産業革命以降,地球環境は,野生種が優先する持続的な生態系から,人間が支配する非持続的な生態系へと変化した.人間の生存と発展のためには,生態学の理論に基づいた生態系の修復と再構築が必要である.

 本論文は,理論的・演繹的な手法を用いて,生態系の修復スケールに関する研究の理論的枠組みを確立することを目指すものである.そのために,次の4つの目的を掲げた.(1)均一な次元を用いて計算される一般モデルの構築,(2)地球規模の植生分布の検討(3)大きなスケールにおけるコルチン砂漠のポテンシャル植生分布の検討(4)作成した植生分布図に基づいた,コルチン砂漠の過去から近代までの生態学的経過の検討(5)コルチン砂漠の生態系に関する持続可能性の検討である.

 序章に続く第2章ではスケールについての一般モデルを構築している。通常,スケールは,系の性質の測定に必要な代表的距離,または,その測定に使われる手段とみなされる.このスケールの概念は,物理系が単純であることを基礎としており,1相の系の単純な性質を測定するために用いられる.しかし,通常のスケールは,多相で構成される複雑な生態系の測定には応用できない,したがって,スケールの概念を拡張する必要がある.この論文では,生態修復尺度を研究するために必要なスケールのモデルを作ることを試みている,第2章では,スケールを決める非線形方程式を導出し,スケールに用いる次元を決定している,すなわち、均一な次元にもとづいて生態系の複雑さを表す植生組織秩序および植生の臨界を算出するモデル(二つの式非線形方程式)をもとに,コルチン砂漠を例とした計算をおこなうとともに、ポテンシャル植生分布、過去の生態系、生態修復の持続可能性を検討している.

 第3章では地球規模の植生分布を検討している。1970年に,Whittaker(1975)は,年間平均降雨量と年平均気温をもとに22の主要な世界の生物群系を決定し,4つの主要な生態勾配(群落と環境の勾配,世界規模の生態系の勾配など)を同定した.しかしながら,経験的アプローチに基づくWhittakerのモデルは,地球規模の植生分布の形成と変化を理解するためには十分なものではない.本章では,前章で得られたスケール・モデルを用いて,世界規模の植生分布に関し検討した結果,Whittakerによって求められた4つの主要な生態勾配は,ある特定の領域におけるすべての可能な生態勾配のうちの一部分でしかないこと,地球規模のすべての生態群系に関する有効な分類が得ている.

 第4章では地域規模のポテンシャル植生分布について,コルチン砂漠のポテンシャル生態系パターンの検討をおこなっている.その結果,コルチン砂漠の生態分布は,4つの階層レベル、すなわち1)森林・森林と牧草地の推移帯・ニレ草原・典型的なステップ,2)落葉広葉樹林・混合樹林・乾燥気候の混合樹林,3)落葉広葉樹林・マツ林・乾燥気候の落葉広葉樹林・ニレ草原・典型的なステップ・Stipa baicalensis ステップ・Stipa grandisステップ,4)中国北部のカラマツ林・中国マツ林・クルミ林・乾燥気候のモンゴルオーク林・シラカバ林・ニレ林地・Stipa baicalensisステップ・Stipa grandisステップ,に分類されることなどを明らかにしている.

 第5章では過去の植生分布について検討を加えている。すなわち,コルチン砂漠の過去10,000年における植生分布の推定をおこない,対象地域に関する考古学および歴史的証拠と比較検討している.

 第6章では生態修復計画の持続可能性と現存する生態系の持続可能性について検討している.まず,コルチン砂漠における生態修復の方法と修復すべき群落を決定し,さらに文献をもとに,主要な生態修復の方法5つについて,現存する群落のうち6つを対象に検討している.その結果,5000年前は,森林の修復は,5つの生態修復計画の中で持続可能性が高かったこと,草原,ニレ草原,草原と森林との推移帯は,3000年前から持続可能性が徐々に増加したこと,しかし,砂漠全域で評価すると持続可能性は低いこと,ポテンシャル生態パターンに基づく方法は,他の方法に比し,生態系の持続可能性を大きく評価すること,過去8000年において,現存する6つの生態系は非持続的であったことを明らかにしている.

 以上要するに本論文は,演繹的な手法を用いて生態修復尺度について検討し,生態系の理想化は生態系の本質を理解する妨げとならないこと,生態学にも演繹的な手法を用いることが可能であるということを示したものであり,応用上,学術上,貢献するところが少なくない.よって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと判断した,

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