学位論文要旨



No 215979
著者(漢字) 三浦,晋
著者(英字)
著者(カナ) ミウラ,ススム
標題(和) 油脂食品および乳製品における油脂結晶化機構の解明と制御
標題(洋)
報告番号 215979
報告番号 乙15979
学位授与日 2004.04.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15979号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 大久保,明
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 東京大学 助教授 吉村,悦郎
 東京大学 助教授 佐藤,隆一郎
内容要旨 要旨を表示する

 本研究の対象である「油脂」は、化学的には脂質の中の単純脂質に区分される物質であり、糖質・タンパク質・核酸とともに生体を構成している重要な成分である。油脂は糖質、タンパク質と共に3大栄養素のひとつに数えられており、エネルギー効率という点、必須栄養素という点、さらにはおいしさや調理適性といった点からも食品中に必須の物質である。

 人間はこの油脂を食する際に、ほとんどの場合「乳化」という状態で油脂を摂取している。この乳化状態には大きく分けてマーガリンやショートニングに代表される油中水型(w/o)乳化物と、牛乳、クリームやマヨネーズに代表される水中油型(o/w)乳化物の2種類がある。いずれの乳化系においても、その乳化物に含まれる油脂の物理的性質がその食品自体の品質やおいしさに大きな影響を与えることが知られている。この油脂の物理的性質、特に固体物性や結晶性に関する研究の歴史は古く、19世紀にまでさかのぼる。これは、油脂がバター、マーガリンやクリームなど油脂食品の主成分であり、食品加工技術の面からも我々の身近にある食用原材料として最も早くからその物理的性質に興味が持たれていたからである。

 油脂の主成分はアシルグリセロールであり、その大部分はアルコールの一種であるグリセリン分子が持つ3つの水酸基に3分子の脂肪酸がエステル結合したトリアシルグリセロール(TAG)によって占められている。TAG分子が結晶化する際に多形、すなわち固化条件によって安定度に差のある数種類の結晶型を形成することは早くから知られていた。この多形性については、研究の初期から問題とされ、現在でもTAGの諸物性(融点、硬さ、展延性、乳化性など)と結晶多形現象との関連についての研究が盛んに行なわれている。

 前述の通り、マーガリン、ショートニング、クリームやマヨネーズなどの油脂食品においては、配合油中のTAG分子種の結晶状態が食品の組織や食した際の食感に大きな影響を与える。一方で、TAGの結晶化挙動はまれに保存中の油脂食品において組織の悪化を招き、マーガリンやショートニングなどでは「粗大結晶」と呼ばれる粒状の結晶の形成が観測される場合がある。また、クリームにおいてもTAGの結晶化挙動が乳化不安定化をもたらし、「固化」と呼ばれるクリームが固まってしまう現象が観察される場合がある。これらの現象に関して、発現機構を解明し、制御することは油脂食品の品質に関する潜在的な技術課題となっている。

 本研究では、上記のマーガリンやクリームでの品質維持・向上を目的とし、マーガリンにおける粗大結晶発現機構、ならびにクリームにおける固化現象の発現機構解明に関する検討を行なった。全体を通じては、油脂中に含まれているTAG分子種の結晶化挙動、特にTAG分子種の局在化が油脂食品の品質に与える影響に着目して検討を行なった。

 序章に引き続き、まず第2章では、W/O型乳化系であるマーガリンの粗大結晶発現機構に関して検討を行なった。最初にモデル配合のマーガリンを調製して粗大結晶を発現させた。ここで得られた粗大結晶について各種分析を行ったところ結晶型は最安定型のβ型結晶であり、またその粗大結晶中のTAG組成に関してはパーム油に最も多く含まれる1,3-Dipalmitoyl-2-Oleoyl-Glycerol (POP)分子種が周辺部分のTAG組成よりも増加していることを直接観察した。そこでマーガリンの主要原料となるパーム油の主要構成TAG分子種であるPOPと1-Palmitoyl-2,3-Dioleoyl-Glycerol (POO)分子種に着目し、これらの分子種が単独ならびに混合系で示す結晶化挙動について検討を行った。その結果、POP単独では温度履歴に曝されると最安定型のβ型結晶への転移が観察されたのに対し、POPとPOOを混合すると同じ温度履歴に曝されてもβ型結晶への転移は阻害されることが明らかとなった。さらに示差走査熱量計(DSC)での測定から、POPとPOOを混合すると融解に伴う2つの吸熱ピークが観測され、低融点と高融点の2種の結晶が局在化していることが示唆された。またこの2つの吸熱ピークの谷間を境とする温度履歴をかけるとさらなる分子種の局在化が促進され、粗大結晶の発現が肉眼で観測されることが明らかとなった。このようにして発現した粗大結晶の結晶型を調べたところ、発現直後の結晶型は準安定型のβ'型を示しており、最安定型のβ型結晶への転移は粗大結晶発現から1週間経過してから観察された。

 従来、粗大結晶の発現はβ型への転移が原因であるとされていた。しかしながら、粗大結晶の発現そのものは高融点を示すTAGの局在化が原因であり、局在化したTAG分子種がやがてβ型を示すようになるという機構が明らかとなった。

 そこで次に第3章においては、O/W型乳化系であるクリームについて、パーム油中のTAG分子種の局在化が乳化安定性に対して与える影響を調べることとした。パーム油を原料油脂としたモデルクリームを調製し、乳化剤として油相側に添加するモノアシルグリセロール(MAG)に結合している脂肪酸種を変化させた場合の乳化安定性について検討を行った。その結果、MAG分子種に結合している脂肪酸残基の種類によって脂肪球中に存在するパーム油の結晶化挙動が変化し、結果的に乳化安定能にも影響を与えることが示された。特にパーム油中に50%以上含有されることが知られている炭素数16で直鎖飽和型のパルミチン酸が結合したMAGをパーム油に添加すると乳化不安定化が起こり、クリームの固化が観測された。また同時に炭素数14で直鎖飽和型のミリスチン酸、さらには炭素数18で飽和型のステアリン酸が結合したMAGをパーム油に添加した場合にも乳化安定性が低下して固化が観測された。すなわち、パーム油中に多く含まれるパルミチン酸に対して、プラスマイナス2個以内の炭素数を持つ飽和型脂肪酸が結合したMAGの存在が特異的にパーム油を原料とするモデルクリームの乳化安定性を低下することが示された。一方で、炭素数22で直鎖飽和型のベヘン酸が結合したMAGの添加や炭素数12で飽和型のラウリン酸が結合したMAGの添加はクリームの乳化状態を維持したことから、MAG分子種に結合している脂肪酸の炭素数がパーム油に多く含まれる脂肪酸の炭素数とかけ離れた場合には乳化が維持されることが示された。さらに、調製直後のクリームを5℃に冷却した際に、固化が観測されたモデルクリームと乳化を維持したモデルクリームの脂肪球中の固体脂含量を比較すると、固化が観測されたクリームの脂肪球中での固体脂含量は低くなることが明らかとなった。

 以上の現象の機構解明を目的として、バルク系のパーム油に対してMAGを添加してその結晶性に関する検討を行った。その結果、パーム油にモノパルミチン(MP)を添加すると粒状結晶の発現が肉眼で認められ、さらにはその粒状結晶中ではパルミチン酸やステアリン酸など高融点脂肪酸種の局在化とMPの存在が認められた。このことより、MPの存在はバルク系のパーム油においてパルミチン酸、ステアリン酸を中心とする高融点脂肪酸を持つTAG分子種の局在化を促進していることが明らかとなった。

以上の結果より、乳化状態が形成される前にあらかじめ油脂中に添加されたMAG分子種は、乳化状態が形成された際に脂肪球の油/水界面に優先的に配向し、その際にMAGに結合した脂肪酸と似た形を持つ脂肪酸を持つTAG分子種が油相中に多く存在すると、脂肪球界面においてそのTAG分子種の局在化・結晶化が促進されることにより油脂結晶の均一な分散状態の形成が阻害され、結果的に乳化不安定化に繋がったものであることが示唆された。

 最後に第4章においては、乳脂を原料油脂とする再構成クリームの乳化安定性に関する検討を行った。この中では、牛乳の脂肪球皮膜成分に近いタンパク質組成を持つことが知られているバターミルク粉(BMP)をタンパク質源として用い、脂肪球の界面に優先的に配向していると考えられているリン脂質が乳化安定性に与える影響について検討を行った。その結果、乳由来リン脂質をあらかじめ油相に分散させてから乳化状態を形成させると乳化維持が観察されたが、乳由来リン脂質をあらかじめ水相側に分散させると乳化破壊が起きてクリームの固化が認められることが明らかとなった。これはリン脂質をあらかじめ油相側に分散させておくことにより、脂肪球界面でリン脂質が疎水基を油相側、親水基を水相側に向けて配向し易くなり、結果的に親水基が水相側に存在するBMP由来のタンパク質を脂肪球界面に吸着させて乳化維持能が向上することによるものと考えられた。

 次に、リン脂質の由来に関する検討を行ったところ、大豆由来リン脂質を添加したクリームでは固化が認められた。これは、乳脂を乳化安定化させるためには乳由来リン脂質と乳由来タンパク質の組み合わせが最も効率よく乳化維持できることを示しており、天然界に存在する組み合わせでの再構成がその素材の最も効率的な利用方法となることを示している。

 次に乳由来リン脂質中に含まれている各々のリン脂質分子種が乳化安定化に与える影響について検討したところ、 Phosphatidylethanolamine (PE)とSphingomyelin (SPM)には乳化維持能が認められなかったのに対し、Phosphatidylcholine (PC)については乳化維持能が認められた。同じコリン基を親水基としてもつPCとSPMで乳化能が異なったのはそれぞれの分子種の疎水基が界面の油相側に配向した際に油相の結晶化状態が変化したためと考えられる。また、乳由来PCとPEで乳化安定性が異なったのは親水基が異なっているために、BMPのタンパク質との相互作用が異なり乳化状態が変化したためと考えられる。今後は、リン脂質とタンパク質との相互作用が乳化に与える影響という側面と、リン脂質に結合している脂肪酸種や疎水基の骨格の差による油滴中の油脂結晶化挙動の変化が乳化状態に与える影響という2つの側面に分けて検討を進めていく必要性があるものと考えられた。

 近年輸入自由化の動きが激しい乳業界においては、乳由来リン脂質を高含有するような新規乳素材が海外から紹介されつつある。このような新しい動きに取り残されないためにも、いかに新規乳素材を効率良く利用していくかという検討が重要になる。今回の乳由来リン脂質を用いた検討結果からは、乳素材を有効に利用するためにはその素材に含まれる各成分が、本来「乳」に含まれていたときにどのような部分でどのような働きをしていたか、という本質を考慮して利用していく必要性が示された。

 今回の一連の検討を行った中で、油脂の結晶化においては形が似ているTAG分子種が局在化した場合に、油脂結晶の均一な分散状態の形成が阻害され、結果的に油脂食品における品質低下が起きていることが明らかとなってきた。さらには、油脂食品を製造する際に必須となる乳化剤の種類によってもそのようなTAG分子種の局在化が促進され、油脂結晶の分散状態が変化することが明らかとなった。今後はここで得られた知見を応用することで、今までは経験則に頼ってきた部分が多い油脂食品における配合について、原料油脂と乳化剤配合の理論的な設計が可能となることが期待される。

 最近になり、微生物の生残性が膜脂質の流動性や物質透過性の変化により影響を受けることや、ドラッグデリバリーシステムに必須であるリポソームの界面形成が膜構成脂質の種類により影響を与えることが報告されており、本研究で得られた知見がこのような分野へも応用できるものと期待している。

審査要旨 要旨を表示する

 マーガリンやクリームなどの油脂食品においては、配合油中のトリアシルグリセロール(TAG)分子種の結晶状態が食品の組織や食感に大きな影響を与える。TAGの結晶化挙動はまれに保存中の油脂食品において組織の悪化を招く。マーガリンでの「粗大結晶」の発現や、クリームにおけるTAGの結晶化挙動に起因する乳化不安定化や「固化」はその例である。これらの現象に関して、その発現機構を解明し、制御することは油脂食品改良のための技術課題として残されている。

 本論文は、マーガリンにおける粗大結晶発現機構、ならびにクリームにおける固化現象の発現機構をTAGの結晶化挙動という観点から解明することを目的としている。

 序章に引き続き、第2章では、マーガリンの粗大結晶発現機構に関して検討を行なった。最初にモデル配合のマーガリンを調製して粗大結晶を発現させた。ここで得られた粗大結晶について各種分析を行ったところ結晶型は最安定型のβ型結晶であり、またその粗大結晶中に含まれるTAGでは、周辺部分のTAGに比べて、パーム油に最も多く含まれる1,3-Dipalmitoyl-2-Oleoyl-Glycerol (POP)分子種が増加していることを見出した。そこでパーム油の主要構成TAG分子種であるPOPと1-Palmitoyl-2,3-Dioleoyl-Glycerol (POO)の両分子種に着目し、これらの分子種が示す結晶化挙動について検討を行った。その結果、POP単独では温度履歴に曝されるとβ型結晶への転移が観察されたのに対し、POPとPOOを混合すると同じ温度履歴に曝されてもβ型結晶への転移は阻害された。さらに示差走査熱量計(DSC)での測定から、POPとPOOの混合系では2つの吸熱ピークが観測され、低融点と高融点の2種の結晶が局在化していることが示唆された。またこの2つの吸熱ピークの谷間を境とする温度履歴をかけると分子種の局在化が促進され、粗大結晶の発現が肉眼で観測されることも明らかとなった。なお、発現直後の粗大結晶の結晶型は準安定型のβ'型を示しており、最安定型のβ型結晶への転移は粗大結晶発現から1週間経過した後に観察された。以上より、粗大結晶の発現は高融点TAGの局在化が原因であり、局在化したTAG分子種がやがてβ型を示すようになるという機構が明らかとなった。

 第3章においては、パーム油を原料油脂、乳化剤としてモノアシルグリセロール(MAG)を用いたモデルクリームを調製し、MAGに結合している脂肪酸種を変化させた場合の乳化安定性について検討を行った。その結果、パーム油中に50%以上含有されることが知られているパルミチン酸(炭素数16)、ならびにミリスチン酸(炭素数14)、ステアリン酸(炭素数18)が結合したMAGをパーム油に添加すると乳化不安定化が起こり、クリームの固化が観測された。さらに、調製直後のクリームを5℃に冷却した際に固化が観測されたモデルクリームと乳化を維持したモデルクリームの脂肪球中の固体脂含量を比較すると、固化が観測されたクリームにおいて固体脂含量が低くなった。以上の結果より、油脂中に添加されたMAG分子種は、乳化状態が形成されると脂肪球の油/水界面に優先的に配向し、その際MAGに結合した脂肪酸と類似の脂肪酸を持つTAG分子種が油相中に多く存在すると、脂肪球界面においてそのTAG分子種の局在化・結晶化が促進されて油脂結晶の均一な分散状態の形成が阻害され、結果的に乳化不安定化に繋がることが示唆された。

 第4章においては、近年海外から輸入され始めている新規乳素材の有効利用を目的として、乳脂を原料油脂とする再構成クリームの乳化安定性に関する検討を行った。特に、リン脂質がクリームの乳化安定性に与える影響について検討を行った。乳由来リン脂質をあらかじめ油相に分散させてから乳化状態を形成させると乳化維持が観察されたが、乳由来リン脂質をあらかじめ水相側に分散させると乳化破壊が起きてクリームの固化が認められることが明らかとなった。また、リン脂質の由来に関する検討を行ったところ、大豆由来リン脂質を添加したクリームでは固化が認められた。すなわち、乳脂を乳化安定化させるためには乳由来リン脂質と乳由来タンパク質の組み合わせが最適であることが示唆された。最後に、乳由来リン脂質中に含まれている各リン脂質分子種が乳化安定化に与える影響について検討したところ、ホスファチジルコリンに乳化維持能があることが認められた。

 本論文の知見は油脂食品における原料油脂と乳化剤配合の理論的な設計を可能にするものと期待される。また、新規乳素材の効率的な利用方法に対しても有用な情報を提供するもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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