学位論文要旨



No 215986
著者(漢字) 上川,徹
著者(英字)
著者(カナ) ウエカワ,トオル
標題(和) 生物活性発現を指標とした環式化合物の合成研究
標題(洋)
報告番号 215986
報告番号 乙15986
学位授与日 2004.04.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15986号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 作田,庄平
 東京大学 助教授 鈴木,義人
 東京大学 助教授 渡邉,秀典
内容要旨 要旨を表示する

 天然物を手本としてより機能の向上した生物活性を有する環式化合物を見いだし、安全に、できれば安価に大量供給可能な実用的な手法を提供するため、1)有用性の高い含フッ素有機化合物のビルディングブロックの開発およびそれを用いた環式化合物、3-トリフルオロメチルピロール類の合成、2)フッ素化学、アミジン骨格に着目した殺虫活性を有するN-フェニルアミジン誘導体の合成、3)安全な植物ステロールから出発した医薬品ケノジオールの立体選択的な合成について検討した。

 様々な合成反応にトリフルオロメチル基を有するビルディングブロックとして有用であると考えられるβ-クロロ-β-トリフルオロメチル-α,β-不飽和カルボニル化合物(4)は、安価で入手容易なCCl3CF3(2)とシリルエノールエーテル(1)を塩化第一銅触媒存在下反応させた後、塩基で処理し脱HClすることで簡便に合成できた。

 芳香族ケトン類から誘導したシリルエノールエーテル(R=芳香環)の場合、ピリジルケトン(R=2-ピリジル)では目的物が得られず、デオキシベンゾイン(R=Ph,R'=Ph)は収率14%であったが、一般的に中程度の収率44-70%で得ることができた。

 一方、脂肪族ケトン類から誘導したシリルエノールエーテル(R=脂肪族)との反応は一般に低収率で、反応部位が立体的に空いているピナコロン(R=But,R'=H)や、歪んだ脂環式ケトンであるシクロペンタノン(R,R'=-CH2CH2CH2-)のシリルエノールエーテルとの反応の場合は収率15-39%で目的物が得られた。また、ケトンだけでなく酢酸ヘキシルエステルのケテンシリルアセタールとも反応することがわかりβ-クロロ-β-トリフルオロメチル-α,β-不飽和エステルを合成できた(収率20%)。

 生成物は幾何異性体の混合物として得られる場合が多くE/Z比は、基質によって異なりHClがanti脱離する時のコンホメーションの安定性を反映しているものと考えられた。

 さらに、触媒作用の大きなRuCl2(PPh3)3(5)で検討した結果、いずれの反応基質でも収率が向上した。特に、塩化第一銅触媒では得ることができなかったピリジルケトンやシクロヘキサノン誘導体も合成可能であった。

 次に、得られたβ-トリフルオロメチル−不飽和カルボニル化合物を用い、1,3-双極性環化付加反応による生物活性が期待されるピロール類の合成を検討した。単環性のmunchnone(7A)との反応では、位置選択的にβ−トリフルオロメチルピロール類(8)のみが得られることがわかった。収率は、反応性の大きなケトン(4a)とは56-89%であったが、エステル(4b)とは9-33%であった。

 複環性munchnone(7B)とは、単環性の場合と異なり一般に2つの位置異性体(8,9)の混合物となり、いずれの場合も単環性munchnoneで位置選択的に得られた8が優先して生成した。分子軌道計算の結果からmunchnone(1,3-双極子)と4a、4bとの反応はいずれもフロンティア軌道のエネルギー差が最少となる双極子のHOMO支配型で進行するものと考えられた。このHOMO(dipole)-LUMO(dipolarophile)の相互作用によって、生成物の配向選択性を説明することができた。

 このように、β-クロロ-β-トリフルオロメチル−α,β-不飽和カルボニル化合物の合成法を見出し、さらにそれを用い、生物活性が期待されるピロール類を1,3-双極性環化付加反応により合成することに成功した。

 高活性で安全性に優れ、安価で新規な殺虫剤の創製を目指し含フッ素化合物とアミジン類に着目した探索研究の結果、フッ素で置換された単純な構造を有するリード化合物(10)を見いだした。

 このリード化合物から詳細に周辺化合物を合成、評価しチャバネゴキブリに対する構造活性相関を明らかにし、構造最適化を行った。

 ベンゼン環2,6-位は、ハロゲン原子、ニトロ基が好ましく、3,5-位を置換すると失活した。4位は、トリフルオロメチル基、トリフルオロメトキシ基が好ましく、ハロゲン原子、シアノ、ニトロ基等は失活した。アミジン部位は、窒素原子は無置換アミノ基が好ましく、無置換アミノ基へと代謝され易い置換基程活性の低下が小さかった。側鎖のアルキル基は、ハロゲン原子で置換されている必要がありその長さは炭素数2〜3程度が最も好ましかった。

 このように、構造最適化を行いリード化合物の16倍以上高活性である市販剤(ペルメトリン)の活性をも凌駕する化合物群を見いだした。このアミジン類は工業的にも、短工程で簡便に合成可能な単純な骨格を有しており、これからの展開に期待が持たれる。

 ケノジオールは、胆汁中のコレステロールを低下させコレステロール系の胆石を溶解させる医薬品として用いられている。工業的には比較的安価な、牛の胆汁から得られるコール酸を原料として製造していると思われる。牛海綿状脳症(BSE:Bovine Spongiform Encephalopathy)いわゆる狂牛病の問題の点から、高リスク部位である、牛の脳、脊髄、眼を原料とする医薬品、化粧品は禁止される動きも出ている。現時点で牛の胆汁から得られるコール酸を原料とすることは規制されてはいないし、勿論安全性について十分な科学的な検討が必要ではあるが、大衆の支持を得る上では好ましいこととは言えない。そこで、安全な原料である植物性のステロールであるスチグマステロールを出発原料とするケノジオールの合成を検討した。その結果、2通りの合成ルートを開発することができた。

 最初のルートでは、スチグマステロールの3位水酸基の反転、7位アリル位の酸化、側鎖のオゾン酸化、Wittig反応により11を経て、7位の立体選択的還元、側鎖およびB環の立体選択的水素添加反応、加水分解により8工程、総収率7.1%でケノジオールを合成できた。

 収率の点で満足いくものではなかったので、さらに検討を重ねた結果、スチグマステロールの二重結合の移動を伴う3位水酸基のOppenauer酸化、側鎖のオゾン酸化、Wittig反応、ジエノン体へのクロラニルによる酸化、位置選択的エポキシ化により12を経て、エポキシの位置選択的還元的開環及び側鎖、エノンの立体選択的水素添加、立体選択的3位ケトンの還元、加水分解により8工程総収率15%で合成できた。

 安価なコール酸を原料とするよりも3工程ほど多く、また収率も十分に満足いくものではない。また、反応試薬、反応溶媒、反応温度など工業的な製造の視点から考えると改良すべき課題も多い。しかしながら、今回の合成で安全上懸念のない豆類由来の植物性ステロールを原料としケノジオールを合成できることが判明した。この方法論を用いさらに改良を重ねていくことで、十分に工業的製法になり得る可能性が大きいことを示すことができたものと考えている。また、ステロイド類の構造変換における様々な有機合成化学的概念を提供できたと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は新規生物活性物質合成のための新しい合成法の開発や、新規合成法の確立を行ったもので、三部よりなる。合成化学的アプローチによって新しい生物活性物質を見出すためには様々な官能基導入により種々の類縁体を合成し、それを用いて構造活性相関を明らかにすることが必要である。そのためには特異な官能基を効率よく目的分子中に導入出来る新手法を開発することや既存の反応であってもそれをどう組み合わせて合成ルートを立案するかが重要なポイントとなる。筆者はこの点に着目し、新しい合成反応や合成ルートの開発を行った。

 第一部ではトリフルオロメチル基を有するビルディングブロックとして有用な、α、β-不飽和カルボニル化合物(4)の新規調製法の開発と4を用いたピロール類の合成について述べている。まず、安価で入手容易なCCl3CF3(2)とシリルエノールエーテル(1)をCuCl触媒存在下反応させた後、塩基で処理することで4が簡便に調製出来ることを見出した。

 この方法では、芳香族ケトン類から誘導した1(R = 芳香環) からは良好な収率で4が得られたが、脂肪族ケトン類から誘導した1(R = 脂肪族) ではやや低収率であること、またケテンシリルアセタール(R = アルコキシ基)も反応して4を与えることがわかった。さらに、触媒をRuCl2(PPh3)3 (5)に代えると収率が向上し、CuCl触媒では得ることができなかったものも合成可能であることを明らかにした。

 次に、4を用いたピロール類の合成を検討した。トリフルオロメチル基を有するピロール類は医薬・農薬開発において様々な生物活性が期待される化合物である。単環性の7A と4a,bとの反応では位置選択的にβ-トリフルオロメチルピロール類(8) のみが得られたが、複環性の 7Bは一般に2つの位置異性体 8, 9 を与えた。分子軌道計算を用いて、この反応の配向選択性が4のHOMOと 7の(dipole)-LUMOの相互作用で説明出来ることを示した。

 第二部では新規含フッ素殺虫剤の創製について述べている。既存の殺虫剤であるクロルジメホルムを参考にアミジン部位に着目し、さらにフッ素官能基を導入することでより活性の高いリード化合物(10)を見いだした。詳細に周辺化合物を合成、評価しチャバネゴキブリに対する構造活性相関を明らかにし、構造最適化を行った。その結果、ベンゼン環2、6位は、ハロゲン原子かニトロ基を、4位はトリフルオロメチル基かトリフルオロメトキシ基を置換基とすることで高活性を示した。またアミジン部位の窒素原子は無置換である方が好ましく、側鎖のアルキル基は、ハロゲン原子で置換された炭素数2〜3程度であるものが最も高活性であった。これにより短工程で簡便に合成可能で、かつリード化合物の16倍以上の高活性を示し、現在の市販剤の活性も凌駕する、N-フェニルアミジン誘導体を見いだした。

 第三部ではコレステロール性胆石を溶解させる医薬品として用いられているケノジオールの新規合成法の開発について述べている。現在ケノジオールはウシの胆汁由来のコール酸を原料としているが、牛海綿状脳症(BSE)問題以来、安全な原料を用いた新規合成法が望まれている。そこで筆者は植物性のスチグマステロールを出発原料とする合成法を検討し、2通りの合成ルートを開発した。最初のルートでは、11を経て8工程、総収率 7.1%でケノジオールを合成した。さらに検討を重ね、12を経る8工程 総収率15%の合成ルートも見いだした。これらは十分に工業的製法につながり得る可能性を有しており、他のステロイド類の構造変換にも応用可能な重要な知見を含んでいる。

 以上本論文は、医・農薬に有用な含フッ素化合物の合成に関して、新しい方法を提供するとともに実際に高活性な含フッ素殺虫剤を開発し、また、最近様々な分野で生じているBSE問題に関し、それに対応した医薬品合成の新しいルート開拓を行ったもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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