学位論文要旨



No 215987
著者(漢字) 堀切,裕正
著者(英字)
著者(カナ) ホリキリ,ヒロマサ
標題(和) オピオイド受容体に関わる4,5-エポキシモルヒナン化合物の合成研究と医薬用途への応用
標題(洋)
報告番号 215987
報告番号 乙15987
学位授与日 2004.04.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15987号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 助教授 早川,洋一
 東京大学 助教授 作田,庄平
 東京大学 助教授 渡邉,秀典
内容要旨 要旨を表示する

 本論文はオピオイドκ受容体アゴニストであり、止痒薬として臨床開発中のTRK-820(一般名ナルフラフィン塩酸塩,30)の類縁物質に関するものである。医薬品を開発する際に、薬物の代謝研究および製剤中に含まれる類縁物質の安全性確認は、医薬品開発において必須項目の一つである。著者はTRK-820を医薬品として上市するために、有機合成化学の立場からこれら諸問題の解決を図った。以下にその要旨を述べる。

1.TRK-820の推定代謝物の合成研究

 TRK-820はモルヒネやコデインと同じく4,5-エポキシモルヒナン構造を有しており、代謝様式も同様である可能性が高い。モルヒネの主たる代謝物はフェノール性水酸基およびアリルアルコール部分のグルクロン酸抱合体であり、コデインの代謝物は脱3-O-メチル体および脱17-N-メチル体であることが知られている。TRK-820も同様の代謝様式であるならば、フェノール性水酸基のグルクロン酸抱合体と脱17-N-シクロプロピルメチル体が得られると考えられる。さらにこの2つの代謝様式を経た代謝物が得られる可能性もある。一般に代謝物は生体内に微量にしか存在しない点などから単離構造決定が困難であり、有機合成化学の立場から合成品と比較することで構造確認を図るのが適していると考えられた。

 著者はモルヒネ、コデインで起きる代謝をもとにしてTRK-820の脱17-N-シクロプロピルメチル体33、脱17-N-シクロプロピルメチル体のグルクロン酸抱合体34およびグルクロン酸抱合体35の合成に着手した。脱17-N-シクロプロピルメチル体33はノルオキシコドンからTRK-820合成ルートと類似の方法で合成した。グルクロン酸抱合体合成の鍵段階であるグリコシル化ではグリコシルドナーにブロモ体68、トリクロロアセトイミダート体70、ホスファイト体71を用いて達成が可能であったが、68,71での収率は低く(30%程度)、70のみ高収率(92%)で反応の進行が見られた。合成した3種の化合物の研究から、33,35がヒト肝細胞から得られる推定代謝物であることが判明した。これらの化合物には薬効が見られないことから、代謝物がヒトへ与える影響はほとんどないと考えられる。これら3種の合成代謝物を用い、TRK-820のヒト血液および排泄物を用いた薬物動態研究が実施される予定である。

2.4,5-エポキシモルヒナン類の10-ベンジル位への効率的な酸化反応の検討

 4,5-エポキシモルヒナン化合物であるKT-95(37)は、10-ベンジル位にオキソ基を有する化合物であり、この化合物のオピオイドκ受容体選択性が10-ベンジル位にオキソ基を持たないKT-90(36)に比べて10倍程度高いとの報告がなされた。当グループでもオピオイドκ受容体に着目して研究を行っていたが、類似化合物の研究は行っていなかったため、当グループで研究を行っている化合物に10-ベンジル位にオキソ基を導入することで、受容体選択性がさらに向上し、薬理学的にも興味深い誘導体見出される可能性があった。

 4,5-エポキシモルヒナン類の10-ベンジル位酸化反応はオピオイド研究の初期からなされており、クロム酸を用いることで10-ヒドロキシ基の導入は可能であるが、低収率であること(30%程度)が報告されている。一方、二酸化セレンを用いた酸化反応で10−オキソ基へと進行することも報告されているが、封管反応という過酷な条件が必要であり、大スケールでの合成には難があった。

 著者は穏和な条件での酸化を行うべく検討を行い、過マンガン酸カリウムを酸化剤として用いることで、セレン酸化を行った基質でも同様に酸化が進行することを確認した。続いて基質および反応条件の検討を行い、高収率(96%)で10−オキソ基の導入に成功した。この酸化反応の基質では4,5-エポキシモルヒナン化合物の6位および17位をケタール基、Boc基で保護している。この部位はオピオイドの薬効面に影響を与えることが知られており、新たな知見を持った化合物が得られる可能性がある。

3.TRK-820の10α-ヒドロキシ体、10β-ヒドロキシ体、および10-オキソ体の合成研究

 TRK-820の開発中の経口剤中に経時的に分解する類縁物質の存在が明らかとなり、LC-MSの結果から分子量情報がM+16であることが判明した。TRK-820と同じく4,5-エポキシモルヒナン構造を持つモルヒネやナルトレキソンの剤形中にも分解物が見出されることが知られており、モルヒネでは10-オキソ体が、ナルトレキソンでは10α−ヒドロキシ体が類縁物質として確認されている。この知見から、TRK-820の分解物も10α-ヒドロキシ体ではないかと推定した。

 著者は前章で述べたように、4,5-エポキシモルヒナン構造の10-ベンジル位に酸素官能基を付加する方法を確立していたため、この方法を用いて合成を行い、中間体としてTRK-820の10-オキソ体118を得ることができた。

 この10-オキソ基はフェノール性水酸基を保護することでのみ還元が進行し、10β-ヒドロキシ体125を得ることができた。10β-ヒドロキシ体はHPLC保持時間から、製剤中の分解物ではないことを確認し、10β-ヒドロキシ基の反転を試みた。10β-ヒドロキシ基の周囲が嵩高いために、光延反応では反転体を得ることが出来ず、最終的に10β-Ms化物を酢酸中で酢酸ナトリウムと反応させ、10α-ヒドロキシ体127を得た。この化合物のHPLC保持時間は製剤中の分解物の保持時間と一致し、10α-ヒドロキシ体がTRK-820の製剤中に出現する分解物であることが判明した。最終的にこの化合物を10gスケールで合成し、毒性試験を行って安全性の確認を行った。また、第二章で当初考えていたように、これらの化合物には薬効面で興味深いデータが得られ、現在詳細な検討を行っている。

Fig.1 TRK-820の推定代謝物

Fig.2 グリコシル化の検討

Fig.3 KT-90,KT-95の構造

Fig.4 KMnO4を用いた10-ベンジル位酸化反応

Fig.5 TRK-820製剤中に見出される推定分解物の合成

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はオピオイドκ受容体アゴニストであるTRK-820 (1)を止痒薬として開発するために行ったTRK-820の代謝物合成、4,5-エポキシモルヒナン化合物の効率的な10-ベンジル位酸化反応の検討、およびTRK-820の製剤中に出現する分解物の合成に関するもので三章よりなる。医薬品を研究開発する際に、薬物の代謝研究および製剤中に含まれる類縁物質の安全性を確認することは、医薬品開発において必須項目の一つである。筆者はTRK-820の、医薬品としての上市に必要なこれら諸問題の解決を、有機合成化学の立場から行った。

 第一章ではTRK-820の代謝物に関する研究について述べている。TRK-820はモルヒネやコデインと同じ4,5-エポキシモルヒナン構造を有しており、代謝様式も同様である可能性が高い。筆者はこの知見をもとに、TRK-820の脱17-N-シクロプロピルメチル体2、脱17-N-シクロプロピルメチル体のグルクロン酸抱合体3およびグルクロン酸抱合体4を推定代謝物と考えて合成を行った(Fig.1)。合成した3種の化合物に対してヒト肝細胞を用いたin vitro代謝実験を行った結果、2,4が実際の代謝物であることが判明した。これらの化合物はさらにマウスに起痒剤を投与したin vivoでのひっかき行動抑制試験の結果、抑制効果が見られないことから、代謝物がヒトへ与える影響はほとんどないと判断した。

 第二章では4,5-エポキシモルヒナン化合物の効率的なベンジル位酸化反応の検討について述べている。4,5-エポキシモルヒナン構造の10-ベンジル位に酸素官能基を導入する方法は過去に検討されており、クロム酸を用いることで10α-ヒドロキシル基が、二酸化セレンを用いることで10-オキソ基が導入されることは知られていた。しかし前者は収率が30%程度と低い点が問題であり、後者は封管中で180℃に加温するという過酷な条件である点や、基質によって収率にばらつき(30%〜100%)が見られる点、工業スケールに応用しにくい点が問題であった。筆者は10-ベンジル位をより高収率かつ穏和な反応条件で酸化する方法の検討を行い、過マンガン酸カリウムを用いることで高い収率(96%)で10-オキソ基を導入した5〜7を得ることに成功した。この方法で得た化合物はオピオイド化合物の薬効面に影響を与える6位、17位の官能基変換が容易であり、大量合成にも対応可能な、有用な方法である。

 第三章では、TRK-820の製剤中で生成する分解物の合成について述べている。分析の結果、開発中のTRK-820の製剤に分子量情報がM+16の分解物が現れることが判明した。モルヒネやナルトレキソンの分解物が10-オキソ体、10α-ヒドロキシ体であることが知られていたため、筆者は分解物が10α-ヒドロキシ体であると推測し、10α-ヒドロキシ体11と、そのエピマーである10β-ヒドロキシ体10の合成を行った(Fig.3)。4,5-エポキシモルヒナン構造の10-ベンジル位に酸素官能基を導入する方法は、第二章で述べた方法を用い、8より10-オキソ体9を得た。この10-オキソ基を還元して10へと導き、さらに10β-ヒドロキシル基の反転の検討を行って11を得た。合成した10,11と製剤中の分解物をHPLC分析した結果、11の保持時間が完全に一致し、11が製剤中で生成する分解物であることを明らかにした。この化合物については別途大量合成を行い、得られた化合物をin vivo毒性試験に供することで安全性を確認した。

 以上、本論文は、TRK-820を医薬品として開発する際に必要な、薬物の代謝研究および製剤中に含まれる類縁物質の解明を目的として、関連化合物の合成を行ったものである。筆者の研究により代謝物や分解物の構造が明らかとなり、それらの安全性も確認された。さらに本研究で得られた知見は他のアルカロイド類の研究にも参考となり、また新しく見出した酸化反応は応用性が高く、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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