学位論文要旨



No 215988
著者(漢字) 内藤,由紀子
著者(英字)
著者(カナ) ナイトウ,ユキコ
標題(和) 菜種油の摂取による血圧上昇作用および短命化の要因に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 215988
報告番号 乙15988
学位授与日 2004.04.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第15988号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 助教授 桑原,正貴
 東京大学 助教授 大野,耕一
内容要旨 要旨を表示する

 血中コレステロール量の増大は心血管系疾患のリスク因子として重要である.近年は,これを防ぐ食物や食品に対する関心が高まっているが,中でも,とりわけ食用油中の植物ステロールについては,それが小腸からのコレステロール吸収を阻害することによって,血中コレステロールレベルを低下させることが明らかになり注目されている.

 一方,脳卒中易発症高血圧自然発症ラット(SHRSP)に菜種油を摂取させると,生存日数が短縮するという報告がある.菜種油は,わが国で最も需要の多い食用油であり,ヒトに対しても有害であるならば重大な社会問題であるため,SHRSPでみられた生存日数短縮の原因を究明することは,食用油の安全性を確認する上で重要な作業である.本研究では,SHRSP,自然発症高血圧ラット(SHR)およびWistar-Kyoto(WKY)ラットの3系統の動物を用いて菜種油摂取による生理機能の変化を調べた.ラットの飼料には脂肪分として主に大豆油が含まれることから,大豆油を摂取させた動物を対照とした.

 まず第2章では,菜種油摂取による短命化の有無を確認し,脳卒中発症までの日数や,死亡動物の病理学的所見に関するついて調べた結果を示した.SHRSPに菜種油または大豆油を10(w/w)%含む有した無脂肪精製粉末飼料と1%食塩水を摂取させると,菜種油群の生存日数は,大豆油群より短縮することが確認された.菜種油群では血圧の上昇(以下,昇圧)昇圧が亢進したが,剖検では菜種油群に特異的な器官や組織の傷害はみられなかったことから,菜種油摂取はSHRSP の高血圧症や脳卒中の発症に関連する病態の進行を助長することが示唆された.

 第3章では,菜種油摂取による各種生理学的指標の変化を示した.SHRSPの他に,SHRおよび正常血圧Wistar-Kyoto(WKY)ラットを用い,第2章と同様の飼育条件下で,SHRSPには7週間,SHRおよびWKYには26週間菜種油または大豆油を摂取させ,血圧測定,腎機能,血液学,血液生化学および病理学検査を実施した.26週間摂取動物では,血管反応に対する影響についても検討した.また,WKYラットに食塩負荷なしで,それぞれの油を13週間摂取させる実験も行った.この実験では,肝サイトゾルのカタラーゼ,グルコース6-リン酸デヒドロゲナーゼG6PDH)およびスーパーオキサイドディスムターゼ(SOD)活性を測定した.SHRSPを用いた7週間摂取実験では,第3週以降に菜種油群の血圧が大豆油群より高値を示した.菜種油群のでは血液凝固時間が短縮し,血漿中コレステロールおよび脂質が増加した.病理学的には,両群に脳,心臓および腎臓の血管傷害に起因する所見が認められたが,程度および頻度には群間差が認められなかった.SHRおよびWKYラットを用いた実験では,食塩負荷の有無や系統の違いに関わらず,菜種油摂取により昇圧が促進し,血小板数減少,好中球数増加,血漿中コレステロールおよび脂質の増加がみられた.26週間菜種油を摂取したSHRおよびWKYラットのいずれにおいても,胸部大動脈標本のアセチルコリンおよびニトロプルシド誘発血管弛緩反応には,大豆油群と比べ差が認められなかった.また,腸管膜動脈標本のノルエピネフリン誘発収縮およびベラトリジン誘発灌流圧上昇にも差はなかった.これらの結果から,食塩負荷の有無やラットの系統に関わらず,唯一の脂肪源として菜種油を摂取させると,SHRSPおよびSHRの昇圧が亢進し,WKYラットの血圧も上昇することが明らかとなった.これには,血管内皮由来血管弛緩因子,血管平滑筋収縮弛緩能あるいは交感神経終末のノルエピネフリン貯蔵量は関与しないことが明らかとなった.散発的にみられた心臓および腎臓傷害,血漿中脂質,血小板数および好中球数の変化から,菜種油摂取投与により,特にSHRSPおよびSHRで末梢血管傷害が生じることが示唆された.

 昇圧促進がSHRSPの生存日数短縮の一因である可能性があるため,菜種油を摂取したSHRSPの血圧が短期間に上昇するか否か,昇圧の背景に血管反応性の変化があるか否かを調べ,その結果を第4章に示した.摂餌量の10(w/w)%に相当する菜種油を,ラット用胃管を用いてSHRSPに4週間投与した.期間中には収縮期血圧を測定し,投与終了動物から得た摘出灌流腸間膜血管床標本の血管作動物質および脂肪酸代謝産物(アンジオテンシンII,アラキドン酸,ATP,エンドセリン-1,ノルエピネフリンおよびセロトニン)に対する反応,アラキドン酸作用適用によるプロスタノイド(トロンボキサンB2および6-ケトプロスタグランジンF1α)産生を調べ,胸部大動脈標本ではK+ free収縮反応を観察し,Na+,K+-ATPase活性を測定した.食塩負荷がなく投与期間が短いにもかかわらず,菜種油群の収縮期血圧は大豆油群よりも高かった.摘出灌流腸間膜血管床の反応性およびプロスタノイド産生量には,群間差が認められなかったが,菜種油群では胸部大動脈標本のK+ free収縮が増強し,Na+,K+-ATPase活性が上昇した.これらの結果から,単一の脂肪源として菜種油を摂取したSHRSPの血圧は,大豆油群よりも上昇し,昇圧には血管反応性の変化および血管活性プロスタノイドの産生の差異は昇圧に関与しないが,Na+,K+-ATPase活性の上昇とが関与することが示唆された.

 第5章では,高血圧症や脳卒中と関わりのある血液凝固能,血小板凝集能および赤血球浸透圧抵抗性について検討した結果を示した.第4章と同一の条件で動物を飼育した.血小板凝集能には群間差がなかったが,菜種油群で赤血球の脆弱化と血液凝固時間の短縮が認められた.従って,細胞膜の脆弱化が全身で起きているとすれば,SHRSPの高血圧症による血管傷害を促進すると考えられた.血液凝固時間の短縮は著しくはなかったが,脳卒中(梗塞)誘発の要因となることが推測された.

 第6章では,病理学的に傷害が認められた臓器で細胞膜機能の変化が認められるか否かを調べた結果を示した.第4章と同一の条件で動物を飼育し,膜機能変化の指標として,膜結合酵素(Na+,K+-ATPase)活性を測定した.また,菜種油摂取による中の植物ステロールの取り込みが細胞膜機能に影響を及ぼすか否かについて調べるために,血漿および赤血球膜中のステロールを定量した.菜種油群のNa+,K+-ATPase活性は,脳,心臓,血管および腎臓において大豆油群より高かったことから,菜種油摂取により,全身性に細胞膜機能の変化が起こることが示唆され,赤血球膜では植物ステロール含量が増加した.これらの知見から,膜の流動性および膜結合酵素の機能を維持するコレステロールが,菜種油中の植物ステロールによって置換され,膜機能が変化すると考えられた.

 第7章では,コレステロール添加菜種油を4週間投与したSHRSPの赤血球膜浸透圧抵抗性の変化を調べた結果を示した.摂取させる植物油以外は,第4章と同一の条件で飼育した動物から赤血球を採取し,耐低張性を検討した.第5章の結果と同様に,大豆油群と比較して菜種油群の赤血球膜浸透圧抵抗性は低下したが,コレステロール添加菜種油群の膜抵抗性は大豆油群と同等であった.従って,菜種油摂取による赤血球膜の脆弱化は,摂取した油中の植物ステロールにより膜中のコレステロールが置換されて減少することが原因であると考えられた.

 上記の結果から,菜種油が含有する中の特定の植物ステロールまたは菜種油中の総植物ステロール含量が多いため,摂取後に吸収される植物ステロール量が多いことが,生存日数短縮に関与する可能性がと考えられた.第8章には, SHRSP を用い,「菜種油群」,および「スティグマステロール添加菜種油群」を設定しの生存日数を比較した結果を示した.スティグマステロールは大豆油に多く含まれる植物ステロールである.摂取させる植物油の種類以外は,第2章と同条件で動物を飼育した.スティグマステロール添加菜種油群の生存日数が菜種油群と同じである場合は,植物ステロールの総量よりも菜種油特有の植物ステロールが生存日数に影響すると考えられるが,植物ステロール添加により生存日数がさらに短縮した.従って,生存日数短縮にはスティグマステロールの量よりも総植物ステロール摂取量が関与していると考えられた.

 以上を要約すると,SHRSPに菜種油を唯一の脂肪源として摂取させた場合の生存日数短縮には,体内に取り込まれた植物ステロールの量が関与することが明らかになった.赤血球膜中の植物ステロールの増加およびNa+,K+-ATPase活性の変化から,細胞膜中に植物ステロールが蓄積することによって細胞膜機能が影響を受けると考えられた.このとき全身性に膜が脆弱化し,脳卒中につながる血管傷害を誘発する可能性が示された.SHRSPは,吸収および排出の特異性により植物ステロールが体内に蓄積しやすいため,多量の植物ステロールを含有する菜種油を摂取させると,体内の植物ステロール量がさらに著しく増加すると考えられる.また,菜種油摂取後にみられた血漿中脂質レベルの上昇が血管傷害を促進することも疑われた.本研究の結果から,菜種油摂取によるSHRSP の短命化の一因は植物ステロールであることが明らかになったものの,われわれの食生活では,摂取する脂肪源が常に同一になることはほとんどないため,菜種油からの植物ステロール摂取に過敏となる必要はないと考えられる.しかし,食用油を含め,食品から摂取される植物ステロールが,われわれの生理機能あるいは健康に影響を及ぼすことを理解することが肝要である.

審査要旨 要旨を表示する

 血中コレステロール量の増大は心血管系疾患のリスク因子として重要である。近年は、これを防ぐ食物や食品に対する関心が高まっているが、とりわけ食用油中の植物ステロールは、血中コレステロールレベルを低下させることが明らかになり注目されている。一方、脳卒中易発症高血圧自然発症ラット(SHRSP)に菜種油を摂取させると、生存日数が短縮するという報告がある。申請者は、わが国で最も需要の多い食用油である菜種油による生存日数短縮の原因を究明することを主眼として詳細な研究を行った。

 第1章では、研究目的および研究の背景について述べている。

 第2章では、菜種油摂取による短命化の有無を確認し、脳卒中発症までの日数や、死亡動物の病理学的所見に関する結果を示した。SHRSPに菜種油または大豆油を10(w/w)%含む無脂肪精製粉末飼料と1%食塩水を摂取させると、菜種油群の生存日数は大豆油群より短縮することが確認された。菜種油群では血圧の上昇(以下、昇圧)が亢進したが、剖検では菜種油群に特異的な器官や組織の傷害はみられなかったことから、菜種油摂取はSHRSP の高血圧症や脳卒中の発症に関連する病態の進行を助長することが示唆された。

 第3章では、菜種油摂取による各種生理学的指標の変化を示した。SHRSPの他に、SHRおよび正常血圧Wistar-Kyoto(WKY)ラットを用い、血圧測定、腎機能、血液学、血液生化学および病理学検査を実施した。SHRSPを用いた7週間摂取実験では、第3週以降に菜種油群の血圧が大豆油群より高値を示した。菜種油群では血液凝固時間が短縮し、血漿中コレステロールおよび脂質が増加した。病理学的には、両群に脳、心臓および腎臓の血管傷害に起因する所見が認められたが、程度および頻度には群間差がなかった。SHRおよびWKYラットを用いた実験では、食塩負荷の有無や系統の違いに関わらず、菜種油摂取により昇圧が促進し、血小板数減少、好中球数増加、血漿中コレステロールおよび脂質の増加がみられた。26週間菜種油を摂取したSHRおよびWKYラットのいずれにおいても、胸部大動脈標本のアセチルコリンおよびニトロプルシド誘発血管弛緩反応には、大豆油群と比べ差が認められなかった。また、腸管膜動脈標本のノルエピネフリン誘発収縮およびベラトリジン誘発灌流圧上昇にも差はなかった。これらの結果から、食塩負荷の有無やラットの系統に関わらず、唯一の脂肪源として菜種油を摂取させると、SHRSPおよびSHRの昇圧が亢進し、WKYラットの血圧も上昇することが明らかとなった。

 第4章では菜種油を摂取したSHRSPの血圧が短期間に上昇するか否か、昇圧の背景に血管反応性の変化があるか否かを調べた。摂餌量の10(w/w)%に相当する菜種油を、ラット用胃管を用いてSHRSPに4週間投与した。期間中に収縮期血圧を測定し、投与終了動物から得た摘出灌流腸間膜血管床標本の血管作動物質および脂肪酸代謝産物に対する反応、アラキドン酸作用によるプロスタノイド産生を調べ、胸部大動脈標本ではK+ free収縮反応を観察し、Na+、 K+-ATPase活性を測定した。食塩負荷がなく投与期間が短いにもかかわらず、菜種油群の収縮期血圧は大豆油群よりも高かった。摘出灌流腸間膜血管床の反応性およびプロスタノイド産生量には、群間差が認められなかったが、菜種油群では胸部大動脈標本のK+ free収縮が増強し、Na+、 K+-ATPase活性が上昇した。

 第5章では、高血圧症や脳卒中と関わりのある血液凝固能、血小板凝集能および赤血球浸透圧抵抗性について検討した。血小板凝集能には群間差がなかったが、菜種油群で赤血球の脆弱化と血液凝固時間の短縮が認められた。従って、細胞膜の脆弱化が全身で起きているとすれば、SHRSPの高血圧症による血管傷害を促進すると考えられた。血液凝固時間の短縮は著しくはなかったが、脳卒中(梗塞)誘発の要因となることが推測された。

 第6章では、病理学的に傷害が認められた臓器で細胞膜機能の変化が認められるか否かを調べた。その結果、菜種油群のNa+、 K+-ATPase活性は、脳、心臓、血管および腎臓において大豆油群より高かったことから、菜種油摂取により、全身性に細胞膜機能の変化が起こることが示唆された。これらの知見から、膜の流動性および膜結合酵素の機能を維持するコレステロールが、菜種油中の植物ステロールによって置換され、膜機能が変化する可能性が考えられた。

 第7章では、コレステロール添加菜種油を4週間投与したSHRSPの赤血球膜浸透圧抵抗性の変化を調べた結果を示した。その結果、大豆油群と比較して菜種油群の赤血球膜浸透圧抵抗性は低下したが、コレステロール添加菜種油群の膜抵抗性は大豆油群と同等であった。従って、菜種油摂取による赤血球膜の脆弱化は、摂取した油中の植物ステロールにより膜中のコレステロールが置換されて減少することが原因であると考えられた。

 第8章では、 SHRSP を用い、「菜種油群」および大豆油に多く含まれる「スティグマステロール添加菜種油群」の生存日数を比較した結果を示した。その結果、植物ステロール添加により生存日数がさらに短縮した。従って、生存日数短縮にはスティグマステロールの量よりも総植物ステロール摂取量が関与していると考えられた。

 以上を要するに、本論文は菜種油の単独摂取による生理作用と本態性高血圧モデルラットにおける血圧上昇作用、生存期間の短縮を実証し、その作用機序の一部を明らかにしたものであり、その成果は学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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