学位論文要旨



No 215989
著者(漢字) 奥山,亮
著者(英字)
著者(カナ) オクヤマ,リョウ
標題(和) 膵臓β細胞死における糖毒性と脂肪毒性の機序の解析
標題(洋)
報告番号 215989
報告番号 乙15989
学位授与日 2004.04.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15989号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 鈴木,洋史
内容要旨 要旨を表示する

2型糖尿病は、インスリン作用臓器(筋肉、肝臓、脂肪)でのインスリン感受性の低下(インスリン抵抗性)と膵臓ランゲルハンス島β細胞からのインスリン分泌の不全によって特徴付けられる慢性高血糖を呈する代謝疾患である。末梢組織でのインスリン抵抗性は当初膵臓からのインスリン過分泌によって代償されるが、次第に膵β細胞の疲弊・脱落を来たしてインスリン分泌不全を生じ、高血糖へと転じる。持続的高血糖状態は更なる膵β細胞の機能不全と細胞死を誘導し、2型糖尿病を重篤化させる。したがって未だ十分に解明されていない高血糖に伴う膵β細胞の疲弊のメカニズムを明らかにすることは、2型糖尿病の成因を理解し、その治療薬を探索する上で極めて重要である。

持続的高血糖時に膵β細胞が障害される機序として、これまで糖毒性と脂肪毒性の概念が提唱されてきた。前者は高糖濃度自体がβ細胞疲弊を起こすとの考え方で、長時間膵β細胞を高グルコース濃度で処置することによって、インスリン分泌能は低下し、細胞の生存率も低下することが報告されてきた。こうした糖毒性は、グルコースの代謝経路のひとつであるヘキソサミン経路の亢進によってもたらされるとの仮説が支持されているが、同経路への過剰流入がどういったメカニズムでβ細胞疲弊をもたらすかは分かっていない。一方、脂肪毒性の概念は、通常肥満・糖尿病患者で見られる高遊離脂肪酸血症が膵β細胞の機能不全やアポトーシスに原因を担っているとの考え方で、高遊離脂肪酸濃度に長時間さらされたβ細胞ではグルコース応答性インスリン分泌低下や細胞死の亢進が起こることが多くの研究例で報告されている。しかしながらその細胞内メカニズムについては、一酸化窒素(NO)やセラミドの関与、トリグリセリド(TG)の細胞内への蓄積など諸説あり、結論は出ていない。また最近この糖毒性と脂肪毒性が協調的に働いて膵β細胞疲弊を増悪させるとの報告があり注目されるが、その機序については全く不明である。

私は、糖尿病状態での膵β細胞の細胞死誘導のメカニズムを明らかにするため、上述のヘキソサミン経路を介した糖毒性の機序及び脂肪毒性が高糖条件で増強される機序について以下のような検討を行った。

I. ヘキソサミン経路の亢進による膵β細胞死における蛋白O結合型

N-acetyl-D-glucosamine(GlcNAc)修飾の関与について

ヘキソサミン経路はグルコースの代謝経路のひとつで、生体に必須のUDP糖のひとつであるUDP-GlcNAcを生ずる経路である。UDP-GlcNAcは蛋白の糖鎖修飾の直接の基質として用いられるほか、プロテオグリカンの構成やシアル酸生合成の前駆体等様々な生体反応に利用される。そのひとつが蛋白のO-結合型GlcNAc修飾である。本糖鎖修飾は蛋白のセリン/スレオニン残基にGlcNAcがO-結合型で付加されるもので、ゴルジ体で蛋白に付加される長鎖の糖鎖とは異なり、単一のGlcNAc分子のみが短いturn overで修飾アミノ酸と結合・乖離を起こすユニークな糖鎖修飾反応である。本糖鎖修飾の亢進が膵β細胞の細胞死を引き起こす、との説が報告されたため、私は高血糖時のヘキソサミン経路への流入量の増加に引き続いて起こると考えられる本糖鎖修飾の増加が、β細胞死における糖毒性の機序を説明するメカニズムである可能性があると考え検討を行った。O-GlcNAc修飾については研究例がそれほど多くなく方法論の確立が十分ではないため、まず本糖鎖修飾を研究するツールとしてO-GlcNAc転移酵素(OGT)の簡便なアッセイ法を確立した。本法では、組織・細胞より抽出し脱塩したサイトソル画分を酵素源として用い、豊富なO-GlcNAc糖鎖修飾を受けることが知られるp62 nuclear pore protein のserine/threonine rich domainのリコンビナント蛋白を受容蛋白基質として標識したUDP-GlcNAcの基質蛋白への付加量をカウントすることによって組織・細胞中のOGT活性を簡便に測定することを可能とした。

本アッセイ法は受容蛋白基質量及び酵素源のサイトソル量に依存したカウント量が得られかつOGTに対する抗体で活性が中和されることでvalidateされた。さらに本酵素アッセイ法を用いてOGTの酵素的特性を精査したところ、OGT活性は他の組織に比較して脳に非常に高いこと、ミリモル濃度の塩の存在下で酵素活性は阻害され、その様式は基質への酵素の親和性を下げることで活性が低下していること、サイトソル中のOGTは37℃で急峻に不活性化されるが核抽出液中のOGTは37℃でもより安定なこと、しかしながらサイトソルOGTと核OGTは抗OGT抗体を用いたwestern blot法では等しい分子サイズに検出され、その活性も共に同抗体で中和されることが明らかとなった。さらに組織・細胞抽出液中のO-GlcNAc糖鎖量を測定するため既報に基づいて3H-galactose labeling法を立ち上げ、脳抽出液中のO-GlcNAc糖鎖量を測定したところ、本糖鎖はサイトソルより核内により豊富であることが確認された。こうしたO-GlcNAc研究に有用な方法論を使ってヘキソサミン経路亢進がもたらす膵臓β細胞死におけるO-GlcNAc糖鎖修飾の関与の有無について検討した。β細胞株であるHIT-T15株とMin6株に、細胞内に取り込まれてヘキソサミン経路に流入するグルコサミンを処置することによってヘキソサミン経路を亢進させたところ、グルコサミン処置濃度を10mMまで上げて初めて処置後24時間より有意な細胞生存率の低下が両細胞株で観察された。しかしこのとき細胞質内のO-GlcNAc糖鎖量を測定したところ、O-GlcNAc量は2から5mMグルコサミン処置で既にコントロールと比して有意な増加がみられ、10mMグルコサミン処置では逆にO-GlcNAc量がコントロールレベルまで戻っており、グルコサミン処置がもたらすβ細胞死誘導と細胞質O-GlcNAc蓄積との間には濃度的な乖離が認められた。またO-GlcNAcを蛋白より脱離させる酵素であるO-GlcNAcaseの選択的阻害剤PUGNAcを両β細胞株に処置したところ細胞質内O-GlcNAc量は有意に上昇したが細胞生存率は全く変化しなかった。O-GlcNAc蓄積が膵β細胞死を誘導するとの既報によると、O-GlcNAcaseの阻害作用を有する化合物であるstreptozotocinがβ細胞選択的に細胞死を誘導する理由として、β細胞のOGT発現量が他の組織に比して高く、これがβ細胞にO-GlcNAc蓄積を起こしやすいためと説明されている。しかしながらHIT-T15とMin6細胞のOGT活性は膵臓以外の組織由来の細胞株と比しても特に高くなかった。また両細胞に有意なO-GlcNAc量増加をもたらす5mMのグルコサミンを処置しても両細胞株のインスリン分泌量も変化が無く、O-GlcNAc蓄積はβ細胞死のみならずその機能不全にも関与していないと考察された。

II. 膵β細胞死における脂肪毒性の高糖条件での増強のメカニズムの解析

2型糖尿病時の進行と共に見られる膵臓ランゲルハンス島β細胞の細胞死の原因として、脂肪毒性という概念が提唱されている。これはβ細胞が高濃度の遊離脂肪酸に長時間暴露されることによってグルコース応答性インスリン分泌機能が減弱したり、細胞生存率が低下する、という考え方である。私はこの脂肪毒性が細胞外グルコース濃度が高いときにより増強されることを見出した。膵β細胞株であるHIT-T15株に0.5-1.5mMパルミチン酸を24時間処置することにより、細胞生存率はコントロールと比して低下したが、このパルミチン酸の細胞毒性作用は、細胞外グルコース濃度が12.8mMの条件では2.8mMの場合と比して有意に強まっていた。パルミチン酸のβ細胞毒性作用は2.8mM及び12.8mMグルコース条件で共にNO合成阻害剤のL-NMMAやL-NAMEの処置によって有意に抑制され、パルミチン酸の細胞死誘導作用はNOの合成を介していることが示唆された。実際パルミチン酸処置でHIT細胞からのNO産生は有意に増加しており、しかしながらこの増加の程度は2.8mMグルコースと12.8mMグルコース条件で差は見られなかった。細胞外グルコース濃度の上昇は細胞内での活性酸素の発生量を増加させることが知られているため、脱共役剤のCCCPやsuperoxide dismutase mimeticのMnTBAPを処置して細胞内のsuperoxideの産生を抑制したところ、12.8mMグルコース条件でのみパルミチン酸のβ細胞毒性作用が有意に減弱した。NOによる細胞死誘導は、NOがsuperoxide anionと反応して出来る反応性の高いフリーラジカルであるperoxynitriteが重要な役割を担うと言われており、高グルコース条件で産生の増したsuperoxide anionがパルミチン酸処置によって発生するNOと反応してその細胞障害活性を増強することが、高グルコース条件でパルミチン酸のβ細胞毒性が強まるメカニズムではないかと考察された。

上記研究より以下の結論が得られた。

1.ヘキソサミン経路の亢進による膵β細胞死には、同経路の最終産物であるUDP-GlcNAcが利用される蛋白のO-GlcNAc修飾は関与しないと考えられた。

2.膵β細胞のパルミチン酸による細胞生存率の低下は細胞外グルコース濃度が高いときに増強された。パルミチン酸の細胞毒性作用はNOの産生増加を介しており、高グルコースは活性酸素の生成を介してこの細胞毒性作用を強めていると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 2型糖尿病はインスリン標的臓器でのインスリン抵抗性と膵臓β細胞からのインスリン分泌不全からなる慢性高血糖を呈する代謝疾患である。本疾患においては、持続的高血糖状態が膵β細胞の細胞死・機能不全を惹起・進行させ、病態を重篤化させることが知られている。したがって、糖尿病状態での細胞外環境によってβ細胞死が誘導されるメカニズムを探ることは、本疾患の進行の機序を解明し、治療薬探索への応用を考えていく上で極めて重要である。

糖尿病状態での膵β細胞死誘導の原因として、糖毒性と脂肪毒性という2 つの概念が提唱されており、この各々について、学位申請者奥山亮はその機序を解析する目的で以下のような研究を行った。

I.ヘキソサミン経路の亢進による膵β細胞死における蛋白O 結合型N-acetyl-D-glucosamine(GlcNAc)修飾の関与について2 型糖尿病時の膵臓β細胞死の機序の一つとして提唱されている糖毒性という概念は、β細胞が長時間高グルコース濃度に晒されることによって高糖濃度自体がβ細胞障害を引き起こす、という考え方である。この糖毒性の機序としては、グルコースの代謝経路の一つであるヘキソサミン経路の亢進によることがこれまでの研究で報告されてきた。しかしながら同代謝経路への過剰流入がどういったメカニズムでβ細胞死を誘導するかについては分っていない。申請者は、ヘキソサミン経路の最終代謝物であるUDP-GlcNAc が利用される糖鎖修飾反応の一つである蛋白O-GlcNAc 修飾に着目し、この糖鎖修飾の蓄積がβ細胞死を誘導する可能性について検討を行った。

 蛋白O-GlcNAc 修飾についてはその研究者の少なさから方法論の確立が十分でないため、まずO-GlcNAc 転移酵素(OGT )の簡便な酵素アッセイ法を確立し、その酵素的特性を調べた。組織・細胞より抽出し脱塩したサイトソルもしくは核抽出画分を酵素源とし、p62 nuclear pore protein のserine/threonine rich domain を受容基質として、標識したUDP-GlcNAc の基質蛋白への付加量をカウントすることで酵素活性を測定する方法を確立した。本法を用い、OGT 比活性が脳に非常に高いこと、ミリモル濃度の塩で阻害を受け、このとき基質への親和性が低下していること、サイトソルOGT は37℃で急峻に不活性化を受けるが核抽出液中のOGT はより安定なこと、しかしながらサイトソルと核のOGT は分子サイズが等しく同一の抗体で活性が中和できることを明らかとした。引き続いて、組織・細胞抽出液中のO-GlcNAc 糖鎖量を定量的に測定する3H-galactose labeling 法の確立も行った。

 こうした方法論を用いて、膵臓β細胞死におけるO-GlcNAc 糖鎖修飾の蓄積の関与について検討した。β細胞株であるHIT-T15 及びMin6 にグルコサミンを処置して薬理的にヘキソサミン経路を亢進させたところ、10mM グルコサミン処置で両細胞株で有意に細胞生存率が低下したものの、サイトソルO-GlcNAc 糖鎖蓄積は既に5mM で最大増加を示し、β細胞死誘導とO-GlcNAc 糖鎖蓄積の間にグルコサミン濃度の乖離が見られた。またO-GlcNAc 糖鎖を蛋白より脱離させるO-GlcNAcase の阻害剤であるPUGNAc を両細胞株に処置すると、サイトソルO-GlcNAc 糖鎖量は大きく増加したが、細胞生存率には変化がなかった。また5mM グルコサミン処置では両細胞株でインスリン分泌量にも変化はなく、以上の結果よりO-GlcNAc 糖鎖蓄積はβ細胞死と機能不全のいずれにも関与していないと考察された。

II.膵β細胞死における脂肪毒性の高糖条件での増強のメカニズムの解析

 2 型糖尿病時の膵臓β細胞死の機序の一つとして、脂肪毒性という考え方が提唱されている。これはβ細胞が長時間高濃度の遊離脂肪酸に晒されることによって細胞死が誘導される、との概念である。申請者は、β細胞株HIT-T15 にパルミチン酸を処置したときに誘導される細胞死が、細胞外グルコース濃度を2.8mM から12.8mM に上昇させた時に有意に増強されることを見出した。パルミチン酸のβ細胞毒性は一酸化窒素(NO)合成酵素阻害剤の処置で有意に抑制され、本細胞死誘導作用はNO の合成を介していることが示唆された。実際パルミチン酸処置時のHIT-T15 のNO 産生量は有意に増加していたが、この増加の程度は2.8mM グルコースと12.8mM グルコースで変化がなかった。細胞外グルコース濃度の上昇は細胞内での活性酸素の発生量を増加させることが知られているため、薬理的処置でsuperoxide を減少させたところ、12.8mM グルコース条件でのみパルミチン酸のβ細胞毒性作用は有意に減弱した。NO による細胞毒性はNO がsuperoxide anion と反応してできるperoxynitrite が重要な役割を担うと言われており、高グルコース条件で産生の増加したsuperoxide がパルミチン酸処置で発生するNO と反応してその細胞傷害活性を増強することが、高グルコース条件でパルミチン酸のβ細胞毒性が強まるメカニズムではないかと考察された。

 以上の研究より、膵臓β細胞死における糖毒性の機序について、まず蛋白O-GlcNAc 糖鎖蓄積の関与は否定的であることが明らかとなった。糖毒性はUDP-GlcNAc の生合成経路であるヘキソサミン経路の亢進が原因とされているが、UDP-GlcNAc が利用されるどの生理反応が糖毒性によるβ細胞死誘導に関与しているかについては殆ど研究例がなく、今回O-GlcNAc 糖鎖との関連について知見を示したことは新規性を有する内容である。2 番目に、脂肪毒性の機序について、β細胞死において糖毒性と脂肪毒性の相乗作用があることを示したことは新しい知見であり、さらにその機序としてパルミチン酸で合成が増加するNO と高グルコースで産生が増加するsuperoxide が反応してNO の細胞傷害性を強めるというメカニズムを示したことは新規性が高く、2 型糖尿病での膵β細胞死の分子的機序に新しいメスを入れる重要な発見であると考えられる。

 上記の理由より、本研究は糖尿病治療研究の進歩に貢献する内容と判断され、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと判定された。

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