学位論文要旨



No 216012
著者(漢字) 野部,公一
著者(英字)
著者(カナ) ノベ,コウイチ
標題(和) CIS農業改革研究序説 : 体制移行下の農業
標題(洋)
報告番号 216012
報告番号 乙16012
学位授与日 2004.04.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第16012号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 奥田,央
 東京大学 教授 田嶋,俊雄
 東京大学 助教授 矢坂,雅充
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 大賀,圭治
内容要旨 要旨を表示する

 本稿は,ロシア・カザフスタン・アルメニアを主な対象としたCIS諸国の農業改革の比較研究である。その目的は,改革がCIS諸国農業にもたらした影響と今後の展望を明らかにすることにある。

 ソ連末期の農業生産は,生産者および消費者双方への莫大な補助金の支出により人為的に支えられたものであり,様々な非効率を生み出していた。国家財政の破綻とともに,ソヴィエト体制下でも農業改革が実施されるが,それはあくまでも計画経済の枠組の中に止まったものであり,明瞭な成果を上げ得なかった。ソ連の崩壊および市場経済への移行は,農業改革を,価格自由化,ソフホーズ・コルホーズの再組織,土地私有化,農業の上流・下流企業の民有化を基調とする急進的なものとした。その手法および実施のスケジュールは,CIS各国において多様であったが,農業生産額,土地生産性,労働生産性の各指標において,いずれも期待された成果をもたらさなかった。

 このような結果となった基本要因は,農業改革が,ソヴィエト期に形成された特殊性を考慮せずに,「上からのカンパニヤ(キャンペーン)」として,移行期の困難な経済情勢の下で行われたことにあった。このため,改革にはゆきすぎと歪曲が常に伴うことになったのである。農業改革の諸側面について,その帰結を見れば,以下のようになる。

 改革初期においては,西側のファミリーファームを理想とする農民経営の創出が積極的に追求された。だが,ソヴィエト期を通じて雑役夫化が進んでいたソフホーズ・コルホーズの従業員は,これに答えることはなかったし,その能力も喪失していた。全面的な農民経営化は,例外的にアルメニアにおいて達成された。だが,それは食料自給のために強制された結果であって,農民経営の本質は個人副業経営と大差がなく,生産効率の飛躍的向上をもたらすことはなかった。

 上からのカンパニヤによって開始されたソフホーズ・コルホーズの再組織は,下からの形式的な対応を生んだ。また,土地および資産に対する各人の権利が曖昧なため,ソフホーズ・コルホーズの再組織は,「株式会社」「有限会社」「農業生産協同組合」等への単なる「看板の掛け替え」に終わった。

農業改革とともに,農村住民が宅地付属地等で,都市住民が郊外の農園,菜園,ダーチャ等で行う自給的な小規模農業の総称である「住民の個人副業経営」は,農業生産に占める比率を急上昇させた。だが,その中核たる個人副業経営は,ソヴィエト期以来の農業企業との特殊な共生関係を基盤に成立しており,市場経済に対応した「新たな動き」ではないし,ましてや「個人セクター」の復活ではなかった。農業企業との共生関係やそこからの窃盗等をも含む不明瞭な関係を前提として活動している個人副業経営は,ある意味では,市場経済からもっとも遠い存在である。

 土地改革は,農用地私有化を最大の目標の一つとして開始された。だが,CIS諸国のほとんどでは,そもそも土地の私的所有の歴史的経験が欠如しており,社会の強い抵抗に直面した。とりわけ,カザフスタンでは,帝政期までさかのぼる民族問題を再燃させる結果となった。また,農業が十分な収益をあげえない状況下においては,農用地を私有化しても状況の劇的な改善はもたらされない。例えば,もっとも徹底した土地改革が実施されたアルメニアにおいてさえ,土地取引は低調であり,かつ土地は資産としての意味を持ちえないでいる。土地私有化は,市場経済化の度合いを示す基本指標として,依然として絶対化されているが,こうしたCIS諸国の実情,中国での土地私有権を棚上げした形の改革の成功等を考慮すれば,その強行は再考の余地がある。

 上流・下流企業の民有化は,ソヴィエト期に形成されていた潜在的独占状態を配慮せずに実施された。このため,競争を通じた資源配分の効率化を目的とした民有化は,逆に独占状態を顕在化させる結果となった。農業生産者は,上流・下流企業の「二重の独占」の下におかれ、高価な投入財購入と原価を下回る価格での農産物販売を強いられることになった。中・東欧および旧ソ連諸国で共通して観察される,いわゆる「市場の失敗」と呼ばれる現象が引き起こされたのであった。

 上からのカンパニヤによる農業改革の実施は,構造政策のみならず農業政策全般に悪影響を与えた。カンパニヤの特性として,市場経済化の追求は,中庸を超え,しばしば別の極端へと進んだ。この傾向がとりわけ顕著であったのが貿易政策であり,関税等の国境措置は,ほとんどの先進国よりも「自由化」された。この結果,農業生産者は安価な輸入食料品・農産物との過酷な競争に直面し,国内市場を失っていった。並行して,農業への支持・支援は一転してタブー視され,競って削減された。農業に対する国家の規制・影響力は急速に失われ,弱肉強食を旨とする「粗野な市場」が形成された。

 農業改革は,1990年代末にいたるまで劣悪な経済状況の下で進められなくてはならなかった。独立直後から各国のマクロ経済指標は急速に悪化し,住民の購買力は低下していった。このことは,補助金の廃止により,たださえ減少していた農産物・食料品への需要をさらに低迷させた。

 ソヴィエト期を通じて形成された構成共和国分業体制は,ソ連崩壊とともに機能不全に陥った。このため,カザフスタンのような食料供給国では農産物が過剰となり,アルメニアのような食料輸入国ではその自給が求められ,それぞれ生産構造の転換が求められることになった。構成共和国分業体制は,独立国としては歪んだ生産構造を各国に形成していたのであり,これはソ連の負の遺産として作用し,農業改革の実施をさらに困難なものとした。

 CIS諸国における農業の交易条件は,需要の減退,上流・下流企業の「二重の独占」の存在,安価な輸入農産物・食料品の流入により,世界市場の水準と比べても著しく劣悪なものとなった。このため,農業改革の進行につれ,農業生産は激減した。CIS諸国における農業生産の減少は,ある程度までは必然的な過程である。農業改革前の農業生産は,そもそも膨大な補助金により支えられたものであったからである。だが,1990年代のCIS諸国における農業生産の減少は,合理的な生産調整の範囲を超えて進行した。これは,以下のような否定的現象の進行に端的に現れている。

 第一は,農業生産の粗放化である。農業生産者の財務状況は悪化し,肥料等の投入財の利用は激減し,農業機械の更新は滞り,簡略化された農業技術の適用が主流となった。この結果,農業生産は従来以上に気象条件に大きく左右される不安定なものとなった。以上のような粗放化の進展をもっとも明瞭な形で示したのは,ロシアにおける1997〜1998年の穀物生産の動向であり,1997年の8860万トンの穀物生産は翌1998年には4790万トンとほぼ半減したのである。

 第二は,経済関係の現物化である。このことは,自給自足を目的とする住民の個人副業経営の各国農業生産に占める異常なまでに高い比率に端的に現れている。また,農業企業・農民経営においても,現金不足から,投入財の購入,賃金の支払い等を筆頭としてあらゆる取引でバーターおよび現物支払いが主流となった。そして,現物化はしばしば農業取引の闇経済化・犯罪化を助長している。

 CIS諸国における農業生産は,1990年代末にはようやく下落を止め,一定の安定化の傾向が観察されるようになった。このような契機となったのは全般的経済状況の好転であった。それをもたらしたのは、逆説的ながら1998年8月のロシアにおける経済危機であった。それは,CIS諸国の通貨切り下げをもたらし,国内農業生産者に輸入代替の機会を与えた。また,石油・ガスの世界価格の高騰は,CIS諸国の経済を活性化させ,食料品需要を拡大したのである。

 また,10年にも及んだ農業改革は,極めて緩慢ながら,かつての問題を解決しつつある。農業政策の重心は,土地改革や農場改革に代表される構造政策から,農業金融制度の整備に代表される農業生産者への支持政策に明確に移りつつある。また,自力で市場経済への適応に成功した農業生産者が少数ながら現れ,国内生産の新たな中核が形成されつつある。

 だが,全般的経済情勢の改善という外的条件を基礎とした生産回復は,しだいに限界に近づいている。また,CIS諸国の農業は,かつての構成共和国分業体制から否応なく国際分業体制へと組み込まれつつある。こうした条件を考えると,農業生産が今後も持続的回復を達成するためには,1990年代を通じて老朽化・陳腐化してしまった生産技術・設備の現代化が必要とされている。現代化のための投資は,ようやく開始されたばかりであり,当面の間,CIS諸国の農業生産は,経済動向と気象条件という外部要因により,大きな変動を繰り返すことであろう。

審査要旨 要旨を表示する

 本学位論文は、1990年代のロシア・カザフスタン・アルメニアを主な対象としたCIS諸国の農業改革の研究である。その目的は、改革がCIS諸国農業にもたらした影響と今後の展望を明らかにすることにある。

 ソ連末期の農業生産は、生産者および消費者双方への莫大な補助金の支出により人為的に支えられたものであり、様々な非効率を生み出していた。ソ連の崩壊および市場経済への移行とともには、農業改革は、価格自由化、ソフホーズ・コルホーズの再組織、土地私有化、農業の上流・下流企業の民有化を基調とする急進的なものとなった。その手法および実施のスケジュールは、CIS各国において多様であったが、農業生産額、土地生産性、労働生産性の各指標において、いずれも期待された成果をもたらさなかった。

 このような結果となった基本要因は、農業改革が、ソヴィエト期に形成された特殊性を考慮せずに、「上からのキャンペーン」として、移行期の困難な経済情勢の下で行われたことにあった。このため、改革にはゆきすぎと歪曲がつねに伴うことになったのである。農業改革の諸側面について、その帰結を見れば、以下のようになる。

 改革初期においては、西側のファミリーファームを理想とする農民経営の創出が積極的に追求された。だが、ソヴィエト期を通じて雑役夫化が進んでいたソフホーズ・コルホーズの従業員は、これに答えることはなかったし、その能力も喪失していた。全面的な農民経営化は、例外的にアルメニアにおいて達成された。ここには、伝統の要因、すなわち帝政期にここでは個別的な土地利用の伝統があったことも作用していた。だが、それは食料自給のために強制された結果であって、農民経営の本質は個人副業経営と大差がなく、生産効率の飛躍的向上をもたらすことはなかった。

 上からのキャンペーンによって開始されたソフホーズ・コルホーズの再組織は、下からの形式的な対応を生んだ。また、土地および資産に対する各人の権利が曖昧なため、ソフホーズ・コルホーズの再組織は、「株式会社」「有限会社」「農業生産協同組合」等へのたんなる「看板の掛け替え」に終わった。

 農業改革とともに、農村住民が宅地付属地等で、都市住民が郊外の農園、菜園、ダーチャ等で行う自給的な小規模農業の総称である「住民の個人副業経営」は、農業生産に占める比率を急上昇させた。だが、その中核たる個人副業経営は、ソヴィエト期以来の農業企業との特殊な共生関係を基盤に成立しており、市場経済に対応した「新たな動き」ではないし、ましてや「個人セクター」の復活ではなかった。農業企業との共生関係やそこからの窃盗等をも含む不明瞭な関係を前提として活動している個人副業経営は、ある意味では、市場経済からもっとも遠い存在である。

 土地改革は、農用地私有化を最大の目標の一つとして開始された。だが、CIS諸国のほとんどでは、そもそも土地の私的所有の歴史的経験が欠如しており、社会の強い抵抗に直面した。とりわけ、カザフスタンでは、帝政期までさかのぼる民族問題を再燃させる結果となった。また、農業が十分な収益をあげえない状況下においては、農用地を私有化しても状況の劇的な改善はもたらされない。例えば、もっとも徹底した土地改革が実施されたアルメニアにおいてさえ、土地取引は低調であり、かつ土地は資産としての意味を持ちえないでいる。土地私有化は、市場経済化の度合いを示す基本指標として、依然として絶対化されているが、こうしたCIS諸国の実情、中国での土地私有権を棚上げした形の改革の成功等を考慮すれば、その強行は再考の余地がある。

 上流・下流企業の民有化は、ソヴィエト期に形成されていた潜在的独占状態を配慮せずに実施された。このため、競争を通じた資源配分の効率化を目的とした民有化は、逆に独占状態を顕在化させる結果となった。農業生産者は、上流・下流企業の「二重の独占」の下におかれ、高価な投入財購入と原価を下回る価格での農産物販売を強いられることになった。中・東欧および旧ソ連諸国で共通して観察される、いわゆる「市場の失敗」と呼ばれる現象が引き起こされたのであった。

 上からのキャンペーンによる農業改革の実施は、構造政策のみならず農業政策全般に悪影響を与えた。キャンペーンの特性として、市場経済化の追求は、中庸を超え、しばしば別の極端へと進んだ。この傾向がとりわけ顕著であったのが貿易政策であり、関税等の国境措置は、ほとんどの先進国よりも「自由化」された。この結果、農業生産者は安価な輸入食料品・農産物との過酷な競争に直面し、国内市場を失っていった。並行して、農業への支持・支援は一転してタブー視され、競って削減された。農業に対する国家の規制・影響力は急速に失われ、弱肉強食を旨とする「粗野な市場」が形成された。

 農業改革は、1990年代末にいたるまで劣悪な経済状況の下で進められなくてはならなかった。独立直後から各国のマクロ経済指標は急速に悪化し、住民の購買力は低下していった。このことは、補助金の廃止により、たださえ減少していた農産物・食料品への需要をさらに低迷させた。

 ソヴィエト期を通じて形成された構成共和国分業体制は、ソ連崩壊とともに機能不全に陥った。このため、カザフスタンのような食料供給国では農産物が過剰となり、アルメニアのような食料輸入国ではその自給が求められ、それぞれ生産構造の転換が求められることになった。構成共和国分業体制は、独立国としては歪んだ生産構造を各国に形成していたのであり、これはソ連の負の遺産として作用し、農業改革の実施をさらに困難なものとした。

 CIS諸国における農業の交易条件は、需要の減退、上流・下流企業の「二重の独占」の存在、安価な輸入農産物・食料品の流入により、世界市場の水準と比べても著しく劣悪なものとなった。このため、農業改革の進行につれ、農業生産は激減した。CIS諸国における農業生産の減少は、ある程度までは必然的な過程である。農業改革前の農業生産は、そもそも膨大な補助金により支えられたものであったからである。だが、1990年代のCIS諸国における農業生産の減少は、合理的な生産調整の範囲を超えて進行した。これは、以下のような否定的現象の進行に端的に現れている。

 第一は、農業生産の粗放化である。農業生産者の財務状況は悪化し、肥料等の投入財の利用は激減し、農業機械の更新は滞り、簡略化された農業技術の適用が主流となった。この結果、農業生産は従来以上に気象条件に大きく左右される不安定なものとなった。以上のような粗放化の進展をもっとも明瞭な形で示したのは、ロシアにおける1997〜1998年の穀物生産の動向であり、1997年の8860万トンの穀物生産は翌1998年には4790万トンとほぼ半減したのである。

 第二は、経済関係の現物化である。このことは、自給自足を目的とする住民の個人副業経営の各国農業生産に占める異常なまでに高い比率に端的に現れている。また、農業企業・農民経営においても、現金不足から、投入財の購入、賃金の支払い等を筆頭としてあらゆる取引でバーターおよび現物支払いが主流となった。そして、現物化はしばしば農業取引の闇経済化・犯罪化を助長している。

 本学位論文の結論は、およそ次のとおりである。

 CIS諸国における農業生産は、1990年代末にはようやく下落を止め、一定の安定化の傾向が観察されるようになった。このような契機となったのは全般的経済状況の好転であった。それをもたらしたのは、逆説的ながら1998年8月のロシアにおける経済危機であった。それは、CIS諸国の通貨切り下げをもたらし、国内農業生産者に輸入代替の機会を与えた。また、石油・ガスの世界価格の高騰は、CIS諸国の経済を活性化させ、食料品需要を拡大したのである。

 また、10年にも及んだ農業改革は、極めて緩慢ながら、かつての問題を解決しつつある。農業政策の重心は、土地改革や農場改革に代表される構造政策から、農業金融制度の整備に代表される農業生産者への支持政策に明確に移りつつある。また、自力で市場経済への適応に成功した農業生産者が少数ながら現れ、国内生産の新たな中核が形成されつつある。

 だが、全般的経済情勢の改善という外的条件を基礎とした生産回復は、しだいに限界に近づいている。また、CIS諸国の農業は、かつての構成共和国分業体制から否応なく国際分業体制へと組み込まれつつある。こうした条件を考えると、農業生産が今後も持続的回復を達成するためには、1990年代を通じて老朽化・陳腐化してしまった生産技術・設備の現代化が必要とされている。現代化のための投資は、ようやく開始されたばかりであり、当面の間、CIS諸国の農業生産は、経済動向と気象条件という外部要因により、大きな変動を繰り返すことであろう。

2

 著者は、本来、1950年代、1960年代のソフホーズ史の研究者であり、その分野で多くの論考を発表してきた。著者がはじめた1980年代前半までは、ソフホーズがソ連農業の最終的形態となるようないくつかの兆候が見られたからである。しかしペレストロイカ期におけるコルホーズ農業の再生の試み、ついでソ連の崩壊とともにはじまった農業改革は上記の想定を根底から覆した。とくに土地改革は上記のように全く異なった形態をとり、そのことが、著者の新しい研究分野への本格的な取り組みを促したように見える。本論文は、対象となった諸国で公表された統計、新聞、学術雑誌、研究書、および諸外国での研究書を詳細に検討した長期にわたる研究の成果である。

 まず第1に、12のCIS諸国における農用地民有化の政策的な基本方針と、農用地個別利用の実際の進展度を区別し、(また中国のそれをも参考にしながら)この全体を要約的に図式化し、まとめあげるという煩雑で困難な課題に取り組んだことは功績に数えることができる(第1章「CIS農業改革の概観」)。著者はここでこの作業のために膨大な資料を利用している。

 第2に、第2章「ロシアの農業改革」においては、いわゆる「個人副業経営」の評価がこれまでの常識を覆すものとなっている。農業改革の結果、住民の個人副業経営が農業総生産に占める比率が大幅に増大したが、それは、様々な側面で農業企業に依存し、両者は共生関係(それはときには闇経済的な関係をふくむ)にあることが示された。またそこにおいては大量の労働が支出されており、それを考慮に入れると、個人副業経営での労働の収益性はきわめて低いものであることが示されている。とくに1999年のヴォルゴグラード州の例では、農村住民の個人副業経営での労働支出を農業企業の平均賃金をもとに評価した場合には、収益性はマイナス35%となった(都市住民のそれはマイナス41%)。しかしその目的は自給自足であり、このようなコストはあまり重視されない。そのため、最新の機械や農業技術を用いた商品的な生産者は、販路を失って逆に駆逐されている(それはとくにじゃがいも・野菜生産において典型的に見られる)。個人副業経営の「発展」が、「個人セクター」の発展ではなく、商品生産としての農業が成立しえなくなっていること、農業における経済関係の現物化や闇経済化を反映していること、この問題提起的な主張も著者の功績に数えられよう。

 第3に、従来のロシア農業改革の研究においては、フェルメルの創出や、コルホーズ・ソフホーズの再組織など、所有形態の変更としての土地改革に関心が集中してきたといえるが、著者は、このような構造政策にとどまらず、流通、価格、金融、貿易といったより多様な農業政策にも分析の対象をもとめた。その結果、キャンペーン方式による(改革をこえる)逆の極端への傾斜や、市場メカニズムの絶対化というロシア農業改革の重要な局面が明らかにされた。とくに市場メカニズムが絶対化された結果、農業への適切な保護・支持とか、市場の規制といった政策的な観点が改革の期間をとおして無視されたという指摘は説得的である。

 最後に、カザフスタンとアルメニアの土地・農業改革の特性、ロシアとの相違を考察することによって、全体の研究を立体的なものとしている。

 しかしいくつかの欠点も指摘できる。

 第1に、著者は、刊行物を分析対象の中心にしており、明らかにフィールド・ワークにはほとんど関心を示していない。ソ連時代とは異なって、現在はそれが十分に可能であり、実際に実態調査に従事した、あるいは従事している研究者は日本にも、もとよりロシアにもいる。フィールド・ワークに参加するという熱意があってもよかったと思われる。

 第2に、ロシア以外の対象として、カザフスタンとアルメニアが取り上げられているが、その他のCIS諸国ではなくこの2国が選ばれたその位置づけについては必ずしも明瞭な説明があたえられているわけではない。

 最後に、歴史的観点がやや弱いという欠点を指摘できるようである。たとえば、アルメニアの土地改革では、家族メンバーの数を考慮に入れた持分が設定され、各種の農用地ごとに籤で分配されたという興味深い過程が紹介されている。ここでは、ロシアにおける土地の持分、カザフスタンの仮想土地持分とは異なって、実際に土地が分配されたこと、分配の平等性が追求されたことが強調され、このようにして農民経営の創出がもっとも徹底的におこなわれたと指摘されている。著者はその歴史的背景として、19世紀中葉のアルメニアにおいて、宅地付属地ばかりでなく、ぶどう園、農園、菜園、採草地のように多くの労働、資本の投下を要求する土地区画が(共同体的土地利用ではなく)農戸別の土地利用におかれていたという事情を指摘している。

 これ自体としては興味深い観点である。しかし土地分配において家族メンバーの数(ロシア人のいう口数)が厳密に考慮に入れられ、しかも、実際に分配がおこなわれるときには「籤」という方法が登場するのは、まさにロシアの伝統的な共同体においてであった。逆に、ロシアの1990年代の土地改革では、持分の設定において、子供の数は考慮に入れられず、口数は土地分配において役割を演じなかった。こうして、着眼は興味深いとはいえ、それが必ずしも掘り下げられてはいない、ということができる。著者がもともと歴史家として出発しただけに、若干の不満が感じられる。

 しかし、農業生産の下落をともなったロシアの農業改革の過程を、厖大な資料にもとづいて多面的に考察し、さらにロシア以外のCIS諸国の考察へと一歩を踏み出した功績は大きい。本論文は、今後のいっそうの研究発展への大きな礎石を確実に築いた業績であると評価できる。よって経済学博士の称号を著者にあたえることが適切であると判断する。

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