学位論文要旨



No 216014
著者(漢字) 佐藤,隆一
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,リュウイチ
標題(和) 虚血心筋の時間依存的変化とカルシウムチャネルブロッカーの保護作用との関連
標題(洋)
報告番号 216014
報告番号 乙16014
学位授与日 2004.05.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16014号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 西山,信好
 国立医薬品食品衛生研究所 所長 長尾,拓
内容要旨 要旨を表示する

 Ca2+チャネルブロッカーは,虚血や再灌流による障害から心筋を保護することが報告されているが,Ca2+チャネルの抑制作用あるいはその結果である心機能抑制作用と心筋保護効果が直接的に連関するかについては明確ではない.それを明らかにするには,心機能抑制を等しく示す濃度

を注意深く設定しながら,種々のCa2+チャネルブロッカーやその類似体の作用を比較することが重要である.

 心筋虚血時には細胞外にK+とH+が蓄積し,組織内のATP 含量が低下することが知られている.また,虚血時の細胞外K+濃度の上昇は,初期相(0-8 分), プラトー相(8-15 分)および後期相(15-30 分)の特徴的な3 相性を示す.この現象は虚血中に起きる細胞の生理学的経時的変化の推移を反映していると考えられる.実際に,K+濃度上昇は初期相ではATP 感受性K+チャネルの開口が関与していることが報告されており,後期相では嫌気的解糖の中断とNa+-K+ポンプの不活性化を反映していると考えられている.しかしながら,虚血後の時間経過に伴うこれらの変化との関連で,Ca2+チャネルブロッカーのイオン動態,代謝指標および心機能についての詳細な研究はなされていない.

 本研究ではモルモット摘出灌流心臓を用い,虚血中の細胞外K+濃度,細胞外pH を同時に測定する実験系を確立した.その手技を用いて,細胞外イオン濃度,更には再灌流後の機械的および代謝的指標に注目し,代表的な3 種のCa2+チャネルブロッカーであるジルチアゼム,ベラパミル,ニフェジピンを処置したモルモット摘出灌流心臓の虚血後の時間依存的変化と心筋保護作用の関連について検討した.更に,ジルチアゼムとその光学異性体であるl-cis ジルチアゼムの比較を通じて,Ca2+チャネルブロッカーのL 型Ca2+チャネル抑制作用と心筋保護作用の関連を検討した.

I. モルモットの摘出心臓灌流標本を用いた心機能,細胞外K+および細胞外H+濃度の同時測定方法の開発

 虚血心臓では,虚血部位の細胞外イオン濃度変化が複雑な挙動を示し,不整脈等の原因になる事が知られている.pH の低下すなわちH+の蓄積は心筋の嫌気的代謝と密接な関連があり,K+の蓄積は,ATP 感受性K+チャネルの開口あるいはNa+-K+ポンプの活性低下など代謝因子に影響される.従って,これらの関連について研究するためには,これらを同一の標本で経時的に測定し比較することが重要である.本研究では,この目的を達成するために微小なイオン選択性電極を作成し,摘出心臓灌流標本において細胞外K+,H+濃度および心機能を同時かつ経時的に測定する方法を確立した.この標本において,栄養液の灌流を停止することにより虚血を模倣し,薬物の作用を検討した.

II. 虚血後の細胞外K+濃度,pH,心機能および高エネルギー燐酸化合物含量に対するカルシウムチャネルブロッカーの作用の時間的差異

 代表的なCa2+チャネルブロッカーとしてジルチアゼム(0.1, 1, 10 μM),ベラパミル(0.03, 0.1, 3μM),ニフェジピン(0.01, 0.1, 1 μM)を用いた.各薬物の濃度は左心室内圧抑制の程度が同程度となるように設定した.薬物は虚血10 分前から灌流液中に投与し,虚血後30 分間のK+およびpHの時間的推移を比較した.

 3 種のCa2+チャネルブロッカーは,それぞれ初期相の細胞外K+濃度上昇を濃度依存的に遅延させた.第2 相のK+濃度にはいずれの薬物も影響しなかった.ジルチアゼムおよびベラパミルは後期相の細胞K+濃度を濃度依存的に抑制したが ニフェジピンは抑制しなかった(図1).

 pH に対しては,ジルチアゼム (0.1 および 1 μM) は初期相において抑制する傾向を示したが,虚血時間の終わりには対照群とほぼ同じ程度pH 低下を有意に抑制した.ニフェジピンのpH 変化に対する作用は濃度依存性を欠いていた.ジルチアゼム (0.1〜10 μM) および ベラパミル (0.03〜1 μM)は,30 分虚血中の拘縮の程度を抑制したが,ニフェジピン (0.01〜1 μM)は抑制しなかった.また,30 分再灌流後の左心室終拡張期圧の上昇に対して,ジルチアゼムおよびベラパミルは濃度依存的かつ有意に抑制したが,ニフェジピンは抑制しなかった.

 左心室内圧(LVDP)に対する作用が同等の濃度のジルチアゼム (10 μM), ベラパミル (1 μM) および ニフェジピン (0.3 μM)を用いて,心筋組織中の高エネルギーリン酸化合物であるATP,クレアチンリン酸および 嫌気的解糖産物である乳酸含量に対する作用を経時的に測定した(図2).ジルチアゼムおよびベラパミルは虚血3 分後から15 分の心筋組織中のATP およびクレアチン燐酸含量を保持し,乳酸の上昇を抑制したが,ニフェジピンにはこの作用は見られなかった.

 Na+-K+ポンプの抑制薬であるウアバインが選択的に後期相のK+濃度を増強することが報告されていることからも,解糖によるATP 合成が後期K+上昇の抑制に影響する可能性が考えられる.実際に,本研究では虚血初期の高エネルギーリン酸化合物の保存が期待される低カルシウム処置,あるいは低頻度による刺激は後期K+上昇を顕著に抑制した.以上から,ジルチアゼムとベラパミルは虚血中のATP およびクレアチンリン酸の保存能を有し,さらに解糖によるATP 合成が可能な期間を延長させることにより,おそらくはNa+-K+ ATPase 活性の維持を介して後期K+の上昇および虚血性拘縮を抑制すると考えられた.

 一方,Ca2+チャネルブロッカーの心機能抑制作用(陰性変力および陰性変時)が後期のK+濃度上昇およびアシドーシスを抑制するかどうかを検証するために,低Ca2+灌流液による収縮力低下および低頻度刺激による心拍数低下の作用を見たところ,K+濃度上昇の初期相およびプラトー相は低Ca2+,心拍数低下に影響されなかったが,K+濃度上昇の後期相,pH の低下および虚血性拘縮は有意に抑制された.

 また,虚血時の細胞外K+濃度上昇による脱分極状態で,Ca2+チャネルブロッカーの作用に差異が生じる可能性を検討するために,K+濃度の異なる灌流液を用いて心収縮力抑制作用を検討した(図3).その結果,灌流液のK+濃度を増やすとジルチアゼムとベラパミルの陰性変力作用が増強した.しかし,ニフェジピンは高K+濃度下において活性が増大しなかった.

 この結果から,虚血により上昇した細胞外K+濃度によって細胞膜が脱分極し,ジルチアゼムおよびベラパミルの陰性変力作用が増強されたことが,虚血心臓におけるこれらの薬物の強力な保護作用に寄与していることが考えられた.

II. 虚血および再灌流モルモット心臓心臓におけるジルチアゼム光学異性体の保護作用の差異

 IIと同様の方法で,ジルチアゼムの光学異性体でありL 型Ca2+チャネルの抑制作用が遙かに弱いl-cis ジルチアゼムの細胞外K+濃度,アシドーシスおよび虚血後心機能回復に対する作用を検討した. l-cis ジルチアゼムはK+濃度の上昇およびpH 低下を僅かに抑制したにすぎなかったが,虚血性拘縮は有意に抑制した.d-cis 体(ジルチアゼム)は低用量でもK+濃度の上昇およびpH 低下を顕著に抑制した.

 左心室内圧,心拍数の両パラメータに同程度の抑制を示す濃度で比較すると,l-cis 体はd-cis 体より再灌流後の左室拡張期終期圧(LVEDP)および心拍数を大きく回復させた(図4).これらの結果は,l-cis 体はd-cis 体に比べて弱いCa2+チャネル遮断作用,即ち弱い細胞外K+濃度およびpH に対する作用を有するが,それ以外の虚血後の機能を改善させる作用を有することを示す.

IV. まとめ

1. モルモット摘出心臓灌流標本と組み合わせることが可能な,フレキシブルなイオン選択性電極を作成した.これにより,虚血中の細胞外K+,pH の変化が同時かつ経時的に測定可能となった.

2. 3 種類のCa2+チャネルブロッカーを用いた比較の結果,虚血初期の細胞外K+濃度上昇による脱分極状態における作用の違いが,虚血中の高エネルギー燐酸化合物含量の保存程度の差異を生じ,これが虚血後期相における細胞外K+濃度,pH,虚血性拘縮および再灌流後の保護作用の著しい相違に繋がり得ることを病態生理学的に示すことができた.

3. ジルチアゼムの光学異性体であるl-cis ジルチアゼムは,細胞外K+濃度上昇による心機能抑制作用の増強が少ないにもかかわらず,再灌流後の心機能の改善に著効を示したことから,l-cis ジルチアゼムの心筋保護作用にはL 型Ca2+チャネル抑制による心機能抑制作用だけでは説明できない因子が関与していることが示唆された.

 以上,本研究では,摘出心臓灌流標本を用い,細胞外K+濃度,pH および心機能を同時かつ経時的に測定する試験系を確立し,虚血中のこれらのパラメータに対する典型的な3 種のCa2+チャネルブロッカーの作用および光学異性体間の作用を比較した.その結果として,心筋虚血時における細胞外K+濃度上昇による脱分極状態での作用の違いが,Ca2+チャネルブロッカーの虚血心筋保護の差異において重要である事を明らかとし,本薬剤群の心筋保護機序の解明に貢献した.更に,ジルチアゼムの光学異性体を用いた研究から,l-cis ジルチアゼムの保護作用がL 型Ca2+チャネル遮断に伴う心筋収縮力抑制以外による可能性を示し,同剤の心筋保護作用の機序解明に寄与した.また,本研究で使用したイオン選択性電極を用いた簡便かつ安定した試験法は,心筋保護を標的とした今後の薬剤の薬効評価法の一つとして有用と考える.

図1 モルモット摘出灌流標本における完全虚血中の細胞外K+濃度上昇に対するジルチアゼム,ベラパミルおよびニフェジピンの作用

図2 ジルチアゼム,ベラパミルおよびニフェジピンの虚血前および虚血後3,15,30 分後の組織中ATP,クレアチンリン酸および乳酸含量に対する作用

図3 モルモット灌流心臓における,ジルチアゼム,ベラパミル,ニフェジピンの陰性変力作用への栄養液K+濃度の作用

図4 虚血後の左心室圧(LVDP),左心室拡張終期圧(LVEDP)および心拍数の回復に対するジルチアゼムのl-cis 体とd-cis 体の作用

●はそれぞれ虚血前値を示す

審査要旨 要旨を表示する

 カルシウム(Ca2+)チャネルブロッカーは,歴史的には狭心症治療薬すなわち冠血管拡張薬として開発されたが,現在では高血圧症,不整脈等の治療薬としても重要な地位を占めている.代表的な3種のCa2+チャネルブロッカー(ジヒドロピリジン系,ベンゾチアゼピン系,フェニルアルキルアミン系)は,L型Ca2+チャネルのα1サブユニット上にそれぞれの結合部位を有し,血管拡張,心筋抑制,伝導抑制などへの作用強度の差により臨床効果の違いを示す.また,各Ca2+チャネルブロッカーは虚血や再灌流による障害から心筋を保護することが報告されているが,各薬物間で標本や条件によって効果の違いがあることが知られていた.

 一方,虚血時には,心筋細胞外にK+とH+が蓄積し組織内のATP含量が低下する.摘出還流心では虚血時の細胞外K+濃度の上昇は特徴的な3相性を示す.この現象は虚血中に起きる細胞の生理学的経時変化の推移を反映していると考えられる.しかしながら,Ca2+チャネルブロッカーの作用の,虚血時の細胞外イオン環境との関連の詳細は不明である.そこで,本研究では,虚血による細胞外K+とH+の濃度の変化を経時的に同時測定し,Ca2+チャネルブロッカーの心筋保護作用の違いと虚血中の環境との関連を明らかにすることを目指した.

 まず,モルモット摘出灌流心臓を用いて,心臓の拍動に追随可能な小型化したイオン選択性電極を作成し,虚血中の細胞外K+濃度,細胞外pHおよび心機能を同時に測定する実験系を確立した.

 虚血中の環境とCa2+チャネルブロッカーの心筋保護効果の関係を明らかにするには,心機能抑制を等しく示す濃度を注意深く設定しながら,種々のCa2+チャネルブロッカーやその類似体の作用を比較することが重要である.次に,その実験系を用い,灌流を停止することにより虚血を模倣し,代表的な3種のCa2+チャネルブロッカーであるジルチアゼム,ベラパミル,ニフェジピンを処置したモルモット摘出灌流心臓の虚血後の時間依存的変化と心筋保護作用の関連を,虚血中の細胞外イオン濃度と代謝的指標に注目して検討した.3種のCa2+チャネルブロッカーは,虚血初期(0-8分)の細胞外K+濃度上昇を同じように濃度依存的に遅延させたが,虚血後15-30分の後期相ではジルチアゼムとベラパミルは細胞K+濃度を濃度依存的に抑制するがニフェジピンは抑制せず,Ca2+チャネルブロッカーの細胞外K+濃度抑制作用は虚血後の時間依存的に異なることを示した.虚血中のpH低下に対しては,ジルチアゼムおよびベラパミルが初期相において抑制する傾向を示すが,虚血時間の終わりには対照群とほぼ同じ程度まで低下することを明らかにした.

 左心室内圧に対する作用が同等の濃度のジルチアゼム (10 μM), ベラパミル (1 μM) および ニフェジピン (0.3 μM)を用いて,心筋組織中の高エネルギーリン酸化合物であるATP,クレアチンリン酸および嫌気的解糖産物である乳酸量に対する作用を虚血中経時的に測定すると,ジルチアゼムおよびベラパミルは虚血3分後から15分の心筋組織中のATPおよびクレアチン燐酸含量を保持し,乳酸の上昇を抑制するが,ニフェジピンにはこの作用は見られなかった.Na+-K+ポンプの抑制薬であるウアバインが選択的に後期相のK+濃度を増強することが報告されていることからも,解糖によるATP合成が後期K+上昇の抑制に影響する可能性が考えられる.実際に,本研究では虚血初期の高エネルギーリン酸化合物の保存が期待される低カルシウム処置,あるいは低頻度による刺激は後期K+上昇を顕著に抑制した.以上から,ジルチアゼムとベラパミルは虚血中のATPおよびクレアチンリン酸の保存能を有し,さらに解糖によるATP合成が可能な期間を延長させることにより,おそらくはNa+-K+ATPase活性の維持を介して後期K+の上昇を抑制すると考えられた.

 また,虚血時の細胞外K+濃度が上昇した状態で,Ca2+チャネルブロッカーの作用に差異が生じる可能性を検討するために,虚血初期を模した高K+濃度の灌流液を用いて心収縮力抑制作用を比較した.その結果,高K+濃度ではジルチアゼムとベラパミルの陰性変力作用が増強するが,ニフェジピンでは増強せず,虚血時の高K+状態ではCa2+チャネルブロッカーの作用に違いがあることが明らかとなった.これらの結果から,本研究では,虚血初期に上昇した細胞外K+による脱分極状態における作用の違いが,虚血中の高エネルギー燐酸化合物含量の保存程度の差異を生じ,これが虚血後期相における細胞外K+濃度,pH,虚血性拘縮および再灌流後の保護作用の著しい相違に繋がり得ることを病態生理学的に示した.

 更に,ジルチアゼムの光学異性体であり,心筋保護作用が報告されているl-cisジルチアゼムの細胞外K+濃度,アシドーシスおよび虚血後心機能回復に対する作用を検討した.l-cisジルチアゼムのL型Ca2+チャネル抑制作用はジルチアゼムに比べ遙かに弱いことが知られている.ジルチアゼムの光学異性体であるl-cisジルチアゼムは,細胞外K+濃度上昇による心機能抑制作用の増強が少ないにもかかわらず,再灌流後の心機能の改善に著効を示したことから,l-cisジルチアゼムの心筋保護作用にはL型Ca2+チャネル抑制による心機能抑制作用だけでは説明できない因子が関与していることが示唆された.

 以上,本研究では,摘出心臓灌流標本を用い,細胞外K+濃度,pHおよび心機能を同時かつ経時的に測定する試験系を確立し,典型的な3種のCa2+チャネルブロッカーの作用および光学異性体間の作用を比較することによって,心筋虚血時における細胞外K+濃度上昇による脱分極状態での作用の違いが,Ca2+チャネルブロッカーの虚血心筋保護の差異において重要である事を明らかとし,本薬剤群の心筋保護機序の解明に貢献した.更に,ジルチアゼムの光学異性体を用いた研究から,l-cisジルチアゼムの保護作用がL型Ca2+チャネル遮断以外の作用による可能性を示し,同剤の心筋保護作用の機序解明に寄与した.これらの知見はCa2+チャネルブロッカーの心筋保護作用の解析および心筋保護を標的とした新しい薬剤の薬効評価法の一つとして有用であり,博士(薬学)を授与するに値すると認めた.

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